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「そうだわ。貴女、天才を名乗りなさいな。なんというか、そっちの方がいろいろとわかりやすいわ」
「天才ですか。まあ私が天才といえなくもないのは誰にも否定してもしきれないのかもしれませんが」
「何重否定よ、しかも肯定! ややこしいわよ!」
「そうですね、では私は今日これより、天才ツバキ・ベルベットと名乗ることにします。フラウ様から賜ったものですから、誰にも否定させませんよ」
「ええ、昨日の羊皮紙を読む限り、貴女は紛れも無く天才だわ」
羊皮紙に記された魔法の解析は、実に奥深くまで魔法というものに食い込んでいた。
フラウも十歳の頃から魔法について勉強しているが、いったい今までの努力は何だったのか、とおもわんばかりの情報量に圧倒され、一日では解読どころか付いていくことすら出来なかった。
フラウは自分が頭が良いことを知っている。
それは王女だからちやほやされたとか、社交場の世辞だといったものではない。
実際に錬金術アカデミー試験を二位で突破した実績などの、実力の上でのことである。
だが、そのフラウから見て、目の前にいる者――ツバキは化物ではないかというほど頭がよかった。
魔法講釈において、すでにツバキは魔法について議論できる。
昨日初等魔法学を読んだだけなのに、である。
フラウは中等魔法学と高等魔法学をすでに習得しており、その上のレベルといえばもう魔法研究者くらいしかいない。
そのレベルの知識を、ツバキは【初等魔法講座】を読んだだけで身につけてしまった。
「貴女は一体、どうなってるの? 昨日渡した本の内容を、全部理解したというの?」
「全部を理解したとまではいいませんが、全部を記憶はしました。理解はこれからですね」
「記憶って……それはどういう意味?」
「一言一句違わずに諳んじられるとおもいますよ。一度見たものはそうそう忘れないんです」
「……開いた口がふさがらないですわ」
「まだ理論だけで実践もしてませんから、すべてはこれから、ですよ」
「【初等魔法講座】程度のものでも、貴女にとってはまだ先があるのね」
「知識は、知識です。あるのは良い悪いではなく、多い少ないですよ。必要なのは知恵です」
「全くそのとおりだと思いますが、貴女の知恵はいったいどうなっていますのかしら。一度頭の中をのぞいて見てみたいですわね」
「怖いですよ」
王立錬金術アカデミーの校長室前に、二人は立っていた。
フラウにとっては面通しであり、半ば義務である。
ツバキにとっては、読める本や知識の実践の許可を申し込むためである。
「失礼致します。校長殿はおられますか」
「おお、これはこれは、フラウ王女様。ようこそ我がアカデミーへ。我々は貴女様を歓迎いたしますよ」
大柄で、白鬚を蓄えた貫禄たっぷりの男が一人で座っていた。フラウを見て、立ち上がる。
アカデミー校長のライラ・グラシャス=リヒテンラーデ=カウントである。
「それで、なにか御用ですか」
「ええ、面通しを、と思いまして」
「私は貴女様のことをよく知っておりますよ。それこそ幼き頃から」
「まあ、礼儀ですから。それはともかく、ライラ様。実はわたくし、ご紹介したい方が御座いまして」
ツバキはフラウの後ろに佇んでいた。
目立たないように、ということだったのだが、フラウによってライラの前に立たされる。
「お初にお目にかかります。今年度順位1000番、天才ツバキ・ベルベットです」
「……おお、あの不思議な回答をして特別に合格となった、今年のイレギュラー君か。君のような美しいお嬢さんだったとは、いやはや」
しれっと天才と頭に付けるツバキ。
とびきりの変人としてライラ校長もツバキのことは覚えていた。
顔を合わせるのは初めてだが、物議を醸した答案用紙には記憶がある。
ツバキの成績はそれほど不思議なものだった。
国語力・満点。数学力・満点。魔法学・採点不能。錬金術学・採点不能
このような点数をとった人物は、王立錬金術アカデミーでも初めてのことである。
「して、天才とは?」
「フラウ様からそのように名乗るようにと」
「それはわたくしから説明させて頂きますわ。とはいっても、これを読んでもらうだけですけれど」
そういってフラウは昨日の羊皮紙を取り出す。
それはツバキの魔法理論が書かれた、一種の魔導書といっても良かった。
「フム……フムフム……!? フム!?」
何枚かめくった所で、ライラ校長の手が止まる。そして、一枚目に戻り、読み返す。
「これは……いったい、どういうものですかな? なぜこのようなものが存在しているのか……それも、この羊皮紙の様子からすると比較的新しい。できたらこの羊皮紙を譲っていただきたいのですが」
「それは困ります。わたくしも今、それを解読しているところなのですから」
「しかしこの魔導書は……!」
「それだけでは解読できません。とある本が必要になるのです。ツバキ、そうでしょう?」
「はい。その羊皮紙は、それだけでは断片に過ぎません。いえ、その羊皮紙はそもそも、ひとつの魔導書を解読するために作られたものなのです」
もちろんその魔導書とは【聖なる血をサバトの贄に】という娯楽小説である。
ツバキは続ける。
「私は魔導書を既に解読済みです。ですから、私としてはそれを手放しても構いません。まあ、私は既にそれをフラウ様に売ってしまいましたが。で、我々は考えたわけです。どうせしばらく授業が始まらないのなら、先になにか教えてもらえるよう交渉しようかと」
「報酬は、アカデミーにある本の読書許可。それと、魔法を実践するためのスペースをお願いします」
「……ツバキ君。君は、魔法学の試験に、これを使ったのかね?」
「もちろんです。その羊皮紙の筆者は、私自身ですから」
「なんという事だ……! いや、それ自体は悪くない。私も、なんとしてもその魔導書を解読せねばならん。その間、ここの本は好きに使っていい。魔法練習の許可もだそう。しかし、この羊皮紙に書かれた内容の魔法は人の目に触れる所では使わないでくれ。それが私の条件だ」
「何故です? 魔法であることに違いはないでしょう」
「これは古代魔法の書だ! 失われた、ミスティックに関して書かれた本だ。私にはわかる。この魔法は、現代魔法に比べて力が強すぎるのだ。今、世に出してはならないものだろう……」
「でも、ライラ様はそれを解き明かすのでしょう?」
「当然だとも。危険もある。だが、私も魔術の徒。このような物を前にして、黙って見てはおれんよ」
「でしたら、わたくし達もその供をさせてください」
「私が思うに、まだまだ研究不足な点も多々見受けられます。その羊皮紙は【聖なる血をサバトの贄に】という題名の魔導書を解き明かすには十分ですが、同様別種の書物もあります。もっとも読解しやすかったものがその本だというだけで」
もっとも誤解しやすかったのがその本だったというだけだ。
だが、ツバキは本当に【聖なる血をサバトの贄に】が魔導書だと信じているので、嘘は吐いていない。
「いや、いかん。君たちは……まだ、幼すぎる。危険をコントロールできるようになってから、最低限、アカデミーを卒業するくらいになるまでは、この本に手を出してはならない。これは、君たちの安全を預かるアカデミーにとっての義務でもある」
「では、そのようにします」
「……それでツバキ君は、この本に書かれた魔法を使いこなせるのかね」
「その羊皮紙に書かれた範囲でのことなら、すべて自在です」
「……最後に一ついいかね。ツバキ君。いや、ツバキ・ベルベット様。錬金術学の試験では、貴女は古代語によってもたらされた地名を書き連ねていました。貴女は、いったい何者ですか」
「ただの商家の娘です。様は要りませんよ、ライラ・グラシャス様」
「それではライラ様。本命の魔導書は後でお持ちしますので、それまでお待ちくださいね」
「さて、やはり【聖なる血をサバトの贄に】は魔導書であることが判明しましたね。これで疑いが晴れましたか?」
「……ええ、本当に、あの娯楽小説はただの娯楽小説ではないようね。まさかミスティックが記されたものだったとは」
実は今まで【聖なる血をサバトの贄に】はやっぱりただの娯楽小説なんじゃないか? と思っていたフラウである。
実際その通りだが。
失われた伝承。その中でも一際光を放つもの。それが、ミスティックである。
光の剣などの神が作ったと言われる武器や、古代の知識が収められた魔導書などがそう言われる。
だが、二人はまだ勘違いをしていた。
【聖なる血をサバトの贄に】は紛れも無くただの娯楽小説である。
では何故、そのようなものから古代魔法が生み出されたのか?
そもそも娯楽小説というものは、古くから詩人達の伝える物語を文章化したものが始まりである。
完全な創作、というものはほとんど存在せず、どこかしらに真実が含まれているものだ。
例えば魔竜を倒す雷を操る魔法使いという伝承など、英雄譚には掃いて捨てるほどいるだろう。
その雷が実在したものとなれば、どうやって雷を生み出す魔法を成したのかを伝承は語る。
膨大なエーテルを使ったのだと。
その膨大なエーテルの使い方を、伝承に残るわずかなヒントから汲み出して考えたのが、ツバキである。
彼女の思考回路に追いつく為に、アカデミー校長ライラ・グラシャスは甚大な努力を要することになる。