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パーティが終わり、やるべきことはすべて片付いた。
二人が自室に戻った時には、もう二十三時を回っていた。魔法で作った風呂に入り、フラウは早々に寝床についた。
昼の喧騒が嘘のように、周囲は静寂に満ちている。
ツバキは、まだ起きていた。窓から見える大時計の針を、観測しだした。
二十三時三十分。
ツバキは、大時計を見つめている。
宵闇に月明かりが差し込み、おぼろげに針が影を作る。
二十三時四十分。
ツバキは、動かない。じっと時が過ぎるのを待っている。
ツバキの口元が、わずかに歪む。
今の彼女は、いつもの無表情ではなかった。
二十三時五十分。
ふと、ツバキは口元を手で隠した。
ツバキ・ベルベットが、声を押し殺しながらも大きく笑っていた。
どうにも我慢ができない、という風に。
微かに、くつくつと声が溢れるが、フラウは目を覚まさない。
二十三時五十五分。
ひとしきり笑い終わったツバキは、いつもの無表情に戻り、フラウのベッドに向かう。
眠るフラウを間違って起こしてしまわないように、囁くように、ひっそりと呟いた。
「……実は私、今日が誕生日だったんです」
フラウは即座に目を覚まし、ベッドから跳ね降りた。
「――なんですって!?」
「……おや、起こしてしまいましたか」
「ええ、わたくし、王家の端くれとして、簡単に暗殺されないよう寝ている時でも隙を見せないようにしておりますの。って、そんなことより、どういうことですの」
「本日で十六歳になりました。本当は最後まで一人でささやかに祝う予定だったのですが。どうしても、抑えきれませんでした。こうなってしまっては仕方ありません。できれば、フラウ様にも是非祝福して頂きたい。とはいえ、今回ばかりは何の準備もしていませんが」
「なぜ事前に言わなかったのです」
「必要ないかと思いまして。私の年齢など、フラウ様にとってはどうでもいいことですから」
「馬鹿。貴女の誕生日が、わたくしにとってどうでもいいわけないではありませんか!」
「すみませんでした」
いつもの口先だけの、人をだまくらかした時の謝り方とは違う。
ツバキにしては珍しい、心からの謝罪だった。
「……わたくしが、まだまだ未熟だと言うことですわ。貴女に全幅の信頼を寄せてもらうには、力が足りないから」
「それは違います、フラウ様」
「いいえ、違いませんわツバキ・ベルベット」
「いいえ――。いえ、辞めましょうか。つまらない責任の押し付け合いは。一心同体であると、私たちは誓いましたから」
「……そうですわね。それより時間がありませんわ」
「はい。あと一分を切りました。五十六秒、五、四」
言葉を発したことによって経過した時間まで含めて、ツバキは残り時間を伝えた。
二人は姿勢を正した。真正面から見つめあう。
「ツバキさん。十六歳の誕生日、おめでとうございます。そして、わたくしと同じ時代に産まれてくれたことを、感謝しますわ」
「直々のお言葉、有難く頂戴致します。……こんなに嬉しい誕生日は、実は初めてです」
時計の針が零時を指した。
「なんとか、間に合いましたわね」
「はい。ギリギリセーフです」
「ところでわたくし、また少し貴女のことが理解できましたわ。なぜ貴女はあんなにもパーティを盛り上げようとしていたのか、とか。当ててみせましょうか」
「……できれば、口にしないでください。正解はフラウ様のおこころのうちに秘めたままで」
自分の誕生日が楽しみで、できれば盛大に祝いたい、だなんて。
フラウはツバキの願いどおり、口にはしなかった。その代わり、にっこりと微笑んだ。
「照れていますのね?」
「……そうです。子供っぽいですよね」
「ええ、十六歳の、お年ごろの女の子です。わたくしと同年代の。なんだか嬉しいですわ。ツバキさんがそんな可愛らしい一面を見せてくださるなんて!」
自分が大笑いしているところを見られなくてよかった、とツバキは胸を撫で下ろした。
「そんなツバキさんの誕生日に、剣術大会の優勝を捧げられなかったのはやっぱり残念です。パイ投げ大会を中止にするべきではなかったかしら」
「いえ、あれでよかったと思います。パイ投げよりも、ずっと。フラウ様の戦う御姿は、輝いて見えました」
「初戦で酷い目にあわされましたけどね。戦績は四勝二敗ですわ。一回戦と、決勝戦。勝ち抜けトーナメント形式なのに、なぜか二回も負けましたわ。不思議ですわね」
「私には、フラウ様が全勝したように見えました」
「どういう意味ですの。リフトハイマンの末娘には、わたくし手も足も出ませんでしたのに。……いえ、貴女にも、ある意味で手も足も出ませんでしたけれど」
「いずれわかります。今日、フラウ様とメリアが接触したのは幸運でした。おかげで計画を随分と前倒しにできます」
「種を植えた、というのと関係がありますのね」
「その通り」
「……今、どこまで考えているんですの。たまには、事前に知らせてくれてもいいでしょう」
「正騎士団の忠誠を、フラウ様個人に捧げるところまでは計画済みです。この計画が成功すれば、次のダリルバニア王は自動的にフラウ様です」
フラウは王位継承権六位で、女性である。
普通に生きていてはまず王位につくことはない。
だが、王権を実質的に保証している正騎士団の忠誠が、もしも彼女個人に捧げられたなら。
彼女の即位にフラウの兄たちも口出しはできなくなるだろう。
いや、兄たちどころか、フラウの父である現ダリルバニア国王でさえ、フラウに強く逆らえなくなる。
騎士団を掌握した者に王座を要求されたら、王でも退任せざるをえない。
それだけ王家における正騎士団の存在は大きく、また彼らの主君への忠誠心も高い。
その誇り高き騎士達の忠誠を、どうやってフラウに捧げさせるつもりなのか。
「あまりにもふかしすぎではなくて?」
「信じられませんか?」
「いいえ、信じますわ。貴女と私ならそれくらいのことはできて当然。なんだか、そんな気さえしますの」
途方も無い計画だったが、フラウはあっさりと、ツバキのことを信じると言い切った。
言いながら、フラウは自分の鼓動が高鳴るのを感じた。
そしてツバキもまた、その言葉に胸の高まりを感じた。
月夜に映るお互いの顔が、まともに見られない。
そっと、どちらからともなく腕を伸ばし、指を絡めた。
少しずつ、少しずつ二人の距離が狭まっていく。
触れ合った部分からとろとろと溶けていくようだ。
お互いの影がひとつになる手前で、二人は動きを止めた。
「……フラウ様。ルージュのくちづけの効果を落とし忘れてはいませんか?」
「……そのようですわね。確かにパーティ中はあの香水を薄めたものを付けていましたから」
「拮抗薬の効果時間が切れたみたいです。多分、髪かどこかにまだ付いていると思います」
「念のためにもう一度身体を綺麗にしたほうがいいようですわね」
重ねた手と手を離す。
理性の勝利だった。
ルージュのくちづけは、拮抗薬なしで使うと世界がバラ色に見えるようになるという、ある種の劇薬である。
香水なので効果範囲内の者すべてに効果があり、しかも使用者がもっとも強くその効果を受ける。
効果時間はそう長く続くものではないが、効果が切れた時に人間関係がどうなってしまっても文句は言えない。
もちろんポジティブな効果なので、パーティのような場であれば、全体の空気を良くする効果が望める。
逆に、人の視線がないところで使うのは非常に危険である。
特に二人きりの密室で使ってしまった場合、仲良くなりたい相手と必要以上に仲良くなってしまうかもしれない。
……だが、彼女たちの行動が本当にすべて惚れ薬のせいであったのかは、誰にもわからない。