1-1 Prologue
王歴230年度 王立錬金術アカデミー合格発表
1位 ノルン・グラシャス=リヒテンラーデ
2位 フラウ・カッサンドラ・ルージュ=ゲーハルト=エル=シ=ダリルバニア
3位 オズワルド・バーンシュタイン=ダラズ
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999位 メリア・シルキー=リフトハイマン
1000位 ツバキ・ベルベット
以上が今年度の合格者である。宿舎に入り、追って指示を待つように
王立錬金術アカデミー校長 ライラ・グラシャス=リヒテンラーデ=カウント
王立錬金術アカデミーの受験資格は、満十五歳のすべての国民に与えられる。
しかし、実際に入学する者は貴族の子供ばかりで、平民が受け入れられるケースは極僅かであった。
理由は単純だ。入学試験が、ただの平民を通すように出来ていないのである。
入学試験の内容は、国語力・数学力・魔法学・錬金学。一つでも及第点を落としたら失格である。
そのうち魔法学と錬金学は、多くが貴族によって管理され、平民の立場では一切学ぶことができない。
錬金術を学ぶ為の学校に入学するために、錬金術の知識が必要なのである。
平民がアカデミーに入学する場合、その多くは後継人に貴族が付いている。
錬金術によってもたらされる富は莫大である。貴族は有望そうな子供を養子に受け入れ、魔法と錬金術を学ばせ、アカデミーに入学させるのだ。
ツバキ・ベルベットは、貴族とは全く無関係である。
深い藍色に染まった瞳と黒く美しい髪、整った顔立ちはそこらの貴族にはそうそう負けないが、平民である。
彼女が王立錬金術アカデミーに入学できたのは、幼少期から本を蒐集し、内容に関わらず読破してきたからである。
商家の生まれである彼女の家には、よく商品として本が集まった。それを彼女は読み耽った。
一般人には全く理解不能な暗号や暗喩で記された本の内容を、驚くべき集中力と好奇心によって解読し、また、分からないものはそれをそのまま暗記した。
更なる知識吸収の場として彼女が王立錬金術アカデミーに足を踏み入れたのは、必然であった。
それでも、専門的な勉強をしたわけではない彼女が、アカデミーの試験をくぐり抜けたのは、僥倖だったといえる。
たとえ最下位とはいえ。
ツバキは言われるがままに宿舎へと入った。女性用と男性用に建物は別れていた。部屋の中はベッドが二つと机が二つ。相部屋だ。本棚が四つ。それと空きスペースがいささか過度に広く取られていた。
ツバキにとっては都合がいい。早速自分の家から持ってきた本をリュックから本棚にうつし、その中から一つを取り出して読書に耽る。
タイトルは【聖なる血をサバトの贄に】
実践的な魔術書であり、試験突破もこれによるところが多い……とツバキは考えているが、それはただの娯楽小説であった。
ツバキは、魔法試験を娯楽小説から得た知識で突破したのである。
その本は、魔法の描写などのシーンがフィクションの割には真に迫っており、別の本で得た知識と混ぜ合わせることによって実際に魔法を使うことがツバキにはできた。
もっとも、そのような行使法は本来ならばありえないことである。
魔法とは、学問である。フィクション小説に書いてあるそれをいくら真似した所で、それが世界に何かを働きかけることはない。
しかしツバキにとって、【聖なる血をサバトの贄に】は暗号書として捉えられていた。真実を含みつつもカムフラージュとして書かれたストーリーがそれに気付かせることなく、多くの者の目を誤魔化す。そんな魔法書であったのだろうと。
ひどい誤解であった。
ファンタジー小説として作られた【聖なる血をサバトの贄に】の作者がこのことを知れば困惑するだろう。
そんな誤解から作られた魔法。正当な魔法ではなかったからこその成績最下位である。
魔法学は、魔法さえ使えれば合格であり、その結果や道程がどうなるかが採点基準となる。
入学試験だからこそ許された一種のイレギュラーであった。
ただし、ツバキが使った魔法は、現代魔法とは違うというだけで、間違っているわけではない。
――既に失われたとされた、古代魔法そのものであった。
【聖なる血をサバトの贄に】を読み終わったツバキは、次に読むものとして【聖騎士グランマーズ物語】を取り出した。
子供でも知っている英雄譚である。
ツバキはこの本によって錬金術の試験を突破したのである。古き盟約の地の名前、今は失われた土地の呼び名などをツバキは地図と伝承から割り出し、本の伝説と照合することによって、地名問題や、魔法草の産地などを答案に書き込んだ。
……ただし、すべて古代名で。
ツバキが黙々と本を読んでいるうちに、玄関が騒がしくなってきた。
相部屋の者が到着したらしい……にしては音が大きい。
まるで行商人でも来たかのようだ、とツバキは思った。
ドアがノックされる。
ツバキの片眉がすこし上がる。
「……どうぞ」
ドアが開けられた。
開けたのは使用人服を着た、いわゆるメイド、であろうか。
そして大量の荷物。
その中にひときわ輝く宝石のような女性が立っていた。
「フラウ・カッサンドラ・ルージュ=ゲーハルト=エル=シ=ダリル様の御成です。頭を下げなさい」
その名はツバキも知っていた。
王立錬金アカデミーの合格発表で成績二位である以前に、国民の大半は知っている。
彼女は王族である。それも、栄えあるダリルバニア王国の第一王女だ。
それがなぜここに?
ツバキは考えた。合格発表を見るかぎり、自分は成績最低者である。成績二位で合格した、しかも王族のフラウが同じ部屋に来ることは不自然ではないだろうか。
ツバキは更に考えた。いや、あの試験は自分ではよくできたと思っていたが、最下位だったのはおかしい。なにか政治的判断が働いたのだろうか。
……間違っていなくはないが、型破りであったため受験の成績最低自体は正しかった。だが、それを彼女に諭す者はこの場にはいなかった。
そう。政治的判断により、王女と平民は相部屋になったのだった。
第一王女であるフラウに取り入ろうとする貴族は多い。
そういった野心から王女を遠ざけるため、ツバキに白羽の矢が立った。
ほぼ全ての学生が何かしらの貴族と繋がりがある王立アカデミーで、ツバキが最も貴族から縁遠い存在であったがために、半ば必然的に彼女たちは出会うこととなったのだ。
「いいえ、頭など下げなくても結構よ。これから学友となる身ですもの。私はフラウ。フラウ・カッサンドラ・ルージュ。貴女のお名前は?」
「ツバキです。ツバキ・ベルベット」
「そう。良い名ね。これからよろしくお願いしますわ」
「身に余る光栄です」
こうして、後の統一皇帝フラウ・カッサンドラ・ルージュと天才宮廷魔術師ツバキ・ベルベットは初めての邂逅を遂げた。
しかし今の彼女たちは、何者でもない少女たちであった。