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終着駅へ

ホームからはコンコースを窺うことはできない。

私は、出来るだけ人目を避けるように階段下のベンチに腰かける。

電車がホームに到着するまでに、息を整える。

涙をぬぐうと、ほう、と大きなため息が出た。

「バカばかしすぎる」

独白。

なんてバカな行動をしたのか。

落ち着けば落ち着くほど、度重なる自分の失態が浮き彫りになる。

何を、期待していたんだろう。

最初の出会いは8年前で。

そのわずかな時間の出会いを覚えていてくれた奇跡。

子供から大人になって、分別もついていると思っていたのに。

「なんであそこで泣くかな、私」

さらに独白。

彼女がいたって、結婚していたって、おかしくはない。

牽制されたからといって、なぜ、さらりとその事実を流すことができなかったのだろう。

崎本女史は、わざわざ私を見にきたに違いない。

悔しさにも似た、嫉妬。

そして惜敗。

惜敗?

どこが惜しかったというのだろう。

最初から勝負は目に見えているのに。

あの、左手の指輪に敵う力が自分にあるとでもいうのか。

進入音と、アナウンスが空から降ってくる。

ローカル線の終着駅で、始発駅でもあるそのホームに、電車が滑らかに滑り込んで来た。

開放まで、もう少し。

まばらに吐き出される乗客から身を隠すように息を潜める。

電車は、簡潔な車内清掃の後、再び乗客を受け入れようと扉を開けた。

この電車は車庫には入らず、折り返し運転をする。

最寄のドアから車内へ移り、適当な座席に腰かけた。

追いかけてはこない。

その事実を受け入れると同時に、発車を知らせるベルと共にドアが閉まった。



ゆっくりと視界が動く。

車庫に走る線路と、その奥に操車場が見えた。

駅から伸びる路線からでは、車庫事務所は見えない。

もちろん、そこへ出入りする人影も。

女々しい。

最後の最後まで、女々しい。

明日には仕事の為、勤務地である隣県に戻らなくてはならない。

もう、会う事も、会いに行く事もないだろう。

そう言い聞かせる。

自分の他に、3人ほどの乗客がいる。

「いい出会いだったなぁ…」

にも関わらず、またもや独り言である。

汗も、涙もすでに引いていた。


「だった、って過去形にしないでよ」


内心が一緒に飛び出した。

という無様な事は無い。

「え?」

顔を上げると、息を弾ませたみのり君の顔がある。

手すりに腕と額を預け、荒い呼吸を落ち着けようとしている。

「え?えぇ!?」

思わず声が大きくなる。

数人の視線が、私たちに向けられた気がする。

「なんで」

今日は、あと何回「なんで」と思うのだろう。

「なんでって、あんな泣いて飛び出されたら気になるでしょうがっ」

言葉に怒気があるのは、気のせいではない。

「お、怒ってるの?」

「怒ってるよ!」

我々の大声に気付いた車掌が、車輌に乗り込んできた。

声を掛けようとしてみのり君の制服を認め、口ごもる。

みのり君は片手を挙げ、「すみません、大丈夫です」と断りを入れた。

「ごめん」

私も謝る。

「なんで?」

今度はみのり君に質問された。

「なんで、泣くの?」

声音を落とし、私の座る座席の前に立つ。

泣いてしまったのはバレている。

私は、その理由を答えられない。

あまりにも大人気なく、恥ずかしい。

「智子さんが降りる駅、どこ」

「…」

「そこまでの間に答えられなかったら、一緒に降りるからな」

「な、何よ!どうしてそんな勝手なの!」

「勝手なのは智子さんでしょ!ほら、答えは?」

「やだ、言わない」

意固地になる。

「そもそも、あなたこんな事して、会社に怒られるわよ?」

「今日非番って言ったじゃん」

「制服を着てたら、周りからみたら仕事中と同じよ」

「あのね、そんなんどうでもいいから」

切って捨てられてしまった。

「恭子がなんかした?」

あの女性は、恭子というのか。

「別に…。お茶出してくれただけだし」

「だよね?じゃ、なんで?俺、なんかした?」

「別に…」

「別に、じゃ分かりません。そのネタ古いよ、もう」

ネタじゃねーよ。エリカ様じゃねーよ。

言ってしまったら楽になるだろうか。

あなたに奥さんがいると分かって、失恋したショックです。って。

失恋?

自分の気持ちに、なぜか腹が立つ。

最初は、軽々しくも「イケメン整備士」程度の認識だったのに。

いくつかのファクターの重なり。

それだけで、好きになっていた。

「智子さん?」

そんな風に、名前を呼ばないで欲しい。

未練が大きくなる。

年下の男のくせに、ため口で話すところとか、結構好き。

たった2日のうちに、こんなに好きな気持ちが大きくなってるなんて。

気付きたくなかった。

惨め過ぎる。

実は妻帯者でしたなんてオチ。

何も言わずうつむく。

鈍行電車は、二駅を通過していた。

あと三つで、私が降りる駅。

みのり君が私の隣に座った。

「このまま、終着点までいきませんか」

脈絡のない申し出には、うまい反応ができなかった。

眼球だけ動かし、みのり君の様子を見る。

そこに、表情はない。

窓の外へ向けられた瞳に、私はもちろん映っていない。

「勤務中の職員は、座席を占領したらだめなんでしょ」

私も、話の筋には全く関係のない話題を持ち出す。

「見つかったら、怒られるくらいです」

だが、生真面目にも返事がある。

「もう、なんで泣いているのとか聞きませんから」

根負けしたのか、言葉づかいも丁寧だ。

それはそれで寂しく、もったいなく。

「しばらく、一緒にいてもいいですか」

しばらくとは、終着点までか。

「終着駅まで?」

「…終着点、まで」

何が違うのだろう。

「答えなかったら、一緒に駅降りるんでしょ?」

「そんなこと、言いましたね」

はは、と乾いた笑いが聞こえた。


ガタン

ゴトン

ガタン

ゴトン


電車が揺れる。

やっぱり、あの答えが聞きたくなった。

「みのり君はなんで、私の事覚えていたの」

「智子さんだって、覚えていてくれたでしょう」

「あの夏のオープンキャンパス、覚えてる?」

「…はい」

「みのり君ってば、質問ブースから離れなくって…」

「うん」

「みのりって、名乗った名前が珍しくて」

「うん」

「結構顔も好みだったんだよ」

「うん」

「うちの大学、入学するのかな。入学したのかなって、ずっと気になってて」

「…うん」

「でも、再会した時はすっかり忘れてたんだけど」

「俺は、眠ってる智子さんでもすぐに分かったよ?」


ガタン

ゴトン


「大学で声をかけなかったのは、なんで?」

会話を交わしながらも、互いの顔を見ることはできなかった。

「…彼氏、いたでしょ」

いつの間にか、みのり君の口調はため口にもどっている。

「へ?」

「彼氏いる女性に、そんな簡単に声かけられるほど肝の据わった性格でもないので」

意外な答えが返ってきた。

「あと、この会社に入った理由?でしたっけ」

それはあの応接室で暴投したカーブだ。

「それはあなたが、地元のローカル線が好きだと話していたから、柄にもなくすがりついたからです」

カーブは見事に打ち返されて、ライト線を抜けた。

そんな話したなんて覚えていない。

「柄になくすがりつくしかないほど、無垢な高校生はあなたを好きになったんです」


ガタン

ゴトン


揺れる。

心拍とともに。


ガタン

ドクン

ゴトン

ドクン


「笑ってください。あの日、俺はブースで聞く学問の話なんてどうでもよかった」

鼓動が速くなって、次の球が放れない。

「一目ぼれって、本当にあるんだなって、思いながら、あなたと一緒にいたかっただけだ」

ランナーは1塁を蹴って、2塁ベースへ走り抜ける。

「キャンパスであなたを見かけるたび、俺はストーカーかってくらいガン見してた」

ライトからの返球は、届かない。

「卒業しても、就職しても、俺はあなたが好きだったんだ」

「…」

ホームベース。

「だ、誰がそんな話信じるのよ!てゆうか、好きだったって、みのり君も過去形じゃない!」

だって、結婚してるじゃない!

見ないようにしていたのに、勢い余ってみのり君を正面から見据える形となる。

ぱちりと、視線が絡む。

「過去形じゃなくてもいいの?」

「不倫はダメよ!」

「不倫?智子さん、結婚してたの?」

「結婚してるのはみのり君でしょ!」

「してないよ!」

あ!

と、みのり君が私を指さす。

「もしかして、恭子の事勘違いしてない!?それで泣いたとか?」

う、図星だ。

「ちょっとー、それはない」

みのり君は大仰なため息をついて、前かがみにつんのめっている。

ガシガシと髪を掻きむしり、またため息。

「な、なんなのよ!それはないって、何がないのよ」

見つめられて、恥ずかしさはMAXだ。

「名字同じだし、仲良さそうだったし!」

「だって、嫁だし…」

やっぱり嫁なんじゃん!

「兄弟いないんでしょ!?誰の嫁よ!」

「…」

みのり君は気まずそうに一瞬だけ視線をそらす。

「うちの親父…」

「……」

なんなんだ、この展開。

「そんな理由で泣いちゃったって、俺、智子さんの気持ち、都合のいいように受け取っちゃうよ?」

あなたの話のほうが、よっぽど都合がよくないですか?



「うちの親父、結構年下の奥さんもらったの。あ、再婚なんだけど」

電車は、私たちを乗せて順調に線路を進む。

すでに私が降りるはずの駅は通過してしまった。

「俺より一個下なんだけど、去年契約社員としてうちの事務に来たんだよ。息子の働く姿を監視するんだって」

「…それは…仕事しにくいね」

仕事がやりにくい以前に、過保護すぎやしないか。

「今日、智子さんが来たって、俺が飛び出していったから興味本位で見に来たんだ」

「…やけに仲がよくない?いくら年下で母親でも…」

「んー、幼馴染だし。息子の幼馴染と結婚する親父もどうかと思うけど、二人が幸せそうだから、俺は別に…」

「幼馴染!?」

私だったら、絶対反対だし、そんなことになったらやさぐれてしまうに違いない。

複雑だ。

でも。

いつの間にか、みのり君と普通に会話できるようになっている。

「智子さん」

改めて名を呼ばれる。

―――とくん。

「安心した?」

安心というか、なんというか。

自分の愚行に頭が上がらない。

「ね、さっきの続き」

「…どれの続きよ」

―――とくん。

「俺と、終着点まで行きませんか」

「路線の?」

「違う。人生の」

真面目に告げるそのセリフが、やけにフィルムがかっていて。

「今、智子さんに好きな人がいなかったら、の話になっちゃうけど」

鮮明に耳朶へなじむ。


とくん

とくん


「好きな人なら、いるよ」

「え!?うそ!?この期に及んで!?」

慌てて、怯んで。

みのり君の気持ちが手に取るように分かる。

「うん。電車のおかげで出会った、イケメン整備士さん」

「……」

ぽかんと、みのり君の口があく。

おかしくて、思わず笑ってしまう。

「やだ。みのり君面白すぎ」

あの日。

電車で私を見つけた時、この人はどんな気持ちだったのだろう。

あの日。

国文学科のブースに座る私を見つけた時、この人は何がきっかけで一目惚れしてくれたのだろう。

「とりあえず、終着駅まで行こうか」

8年も、好きな人を忘れないってどんな強い想いなんだろう。


もう少し。

電車に揺られながら話がしたいと思った。

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