途中下車
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昨日の今日で会いに行くのも、どうなのよ。
そうは思ったが、向こうが差し入れをくれと言ったのだから、問題あるまい。
家を出てから何度となく、自分に言い聞かせている。
とりあえず。
昨日と同じ時間に終着駅に降り、甘栗を買いに行く。
車庫のフェンスの周りを、ゆっくり歩く。
いくつかある建物をのぞき、事務所という文字を探す。
「あー、ついに見つけてしまった」
会いたいような、会いたくないような。
微妙な気分だ。
「うん、お詫びとお礼よ、うん」
声に出して、自分に発破をかける。
「おじゃましますー」
こんな事務所に来る客は少ないのだろう。
社員が出てくるまでに時間がかかった。
「はいはい。どうしました?」
痩身の、優しそうな男性職員が顔を出す。父より幾分年上だろうか。
「えっと、あの。私先日寝過して車庫で起こしていただいた…」
「あぁ!」
職員さんの納得した表情が、心に刺さる。
「その時のお礼を…と思いまして、お伺いしました」
と、そこまで言って言葉に詰まる。
みのり君の名字までは覚えていない…。
なんと言って呼び出してもらおう?もしくは、預けておくか?
「ちょっと待ってて」
職員さんは、そう私を制してどこかへ電話をかけている。
「うん、うん、そう。例のお客さん。うん」
そうです。すいません。例のお客です。
「お嬢さん、しばらくお待ちくださいね」
「はぁ」
ほどなくして、事務所の電話が鳴った。
内線だろう。コール音が普通の電話とは違った。
一言二言、そして受話器が置かれた。
職員さんの笑顔がこちらを向く。
「来るって」
誰が、と問い返す前に足音が聞こえてきた。
ばたばたと、非常事態かってくらい荒い走り。
「智子さん!?」
顔を出したみのり君は、昨日と打って変ってワイシャツと黒いパンツスーツだ。
なんかかっこいい。
「あ、やっほー」
照れ隠しに、甘栗の袋を掲げ持つ。
「…うそ、ホントに来てくれたの?」
戸惑っているような、はにかんでいるような、そんな表情がうかがえた。
なんかかわいい。
「だって、差し入れ持ってこいって」
「いや、まぁ、言ったけど」
ちら、と。
みのり君の視線が事務所の職員を見る。
つられて、私も事務所内へ視線をそらす。
職員さんが、ほほえましそうに、興味深そうにこちらを直視している。
「場所、移そうか」
平静さを取り戻し、みのり君は「どうぞ」と私を先導してくれた。
ワイシャツの胸元に、崎本と刻まれたネームプレートが付いている。
そうか、崎本みのりというのか。みのり、ってどんな漢字を書くのだろう。
「ごめん、本当に来てくれるなんて思わなかったから」
「それにしては、昨日の誘い文句は女慣れしてるなと思ったんだけどね」
「そうかな」
「そうだよ」
「智子さんだ、って思ったら、なんか止まらなくて」
そうそう、そういうせりふを素面で言えるあたり女慣れしてるって。
案内された場所は、簡素な応接室のようだった。
古びた革張りのソファと、白いクロスが掛けられたガラスのテーブルが鎮座している。
私は改めて、甘栗の袋を差し出す。
「部署にどれくらい職員さんいるかわからなかったから、足りるか心配だけど」
「ありがとうございます」
彼は素直に受け取り、ソファへ座るよう手のひらを返す。
「いいのに、別に。すぐ帰るから。それに、仕事中でしょ?」
「あ、今日はいいんです。俺非番だから」
「え?だって…」
疑問をぶつけかけて、まさか、と言葉尻を濁す。
まさか。
私が差し入れを持ってくることを期待して、待っていたなど。
そんな都合のいい話を想像し、鼓動が高鳴る。
「明日の研修用資料が間に合わなくて、僕だけ。それ作りに来てるだけなんで」
「……あー、そう」
だから、今日は一般社員みたいな制服を着ているのか。
おちつけ。私。
反応が、あからさまにがっかりしていることを悟られたくはない。
「研修って、なんの?」
「入社3年目までの職員対象で…」
――コンコン。
会話の流れを断ち切るように、思いのほかそのノックは室内に響いた。
「失礼します」
若い女性の声がして、ふわりと甘い香りが漂った。
「みのりさん、お茶持ってきたわよ」
彼の名を呼びながらも、好奇のまなざしは私に向けられている。
「いいのに、お茶なんて」
みのり君は腰を浮かし、お茶が乗ったお盆を受け取ろうとする。
失礼にならない程度にと思い、お茶を運んできた女性を見た。
パチ、と。
女性と視線がかみ合う。
失敗した。
派手ではない、ばっちりメイクに縁取られた目が、私を見定めるように上下する。
私は、みのり君に会うだけだと高をくくって、ジーパンにありふれたカットソーという変凡ないでたち。
「ちょっと、何見てるの。お客様に失礼だろ!」
みのりさんと呼ぶあたり、親しいのだろう。彼の態度も同僚か後輩に当たるようなそれだ。
みのり君と、年齢もそう変わらないようにみえる。
「あは、ごめんごめん」
みのり君に先に謝り、
「失礼しました」
私に向けそう言いながら、お茶を出してくれる。
ちら、と。
負けずに胸元を見る。
「崎本」と。
みのり君と同じ名前が印字されている。
お姉さん?妹?親戚?同じ苗字なだけ?
彼女は、役目を終えたお盆を胸の前に抱えた。
さりげなくお盆の前に重ねられた左手の指に、銀色のリングがきらめく。
「じゃ、ごゆっくり~」
「早く帰れよ」
みのり君のぞんざいな言質に、近親者への気安さが混じっているのは疑うべくもない。
なんか、寂しくなってきた。
「ごめんね、智子さん。うるさいのが」
そういう言い方が、さらに女性との関係の親密さをうかがわせる。
「ううん。ね、そういえばみのり君今年いくつ?」
私の唐突な質問に怪訝な顔をしながらも、
「25になる、かな」
「一人っ子?」
「へ?あ、うん」
隠す内容でもないので、答えを返す。
「高校、どこ?」
「……三島」
市内の高校だが、弟と同じではない。
「そう」
「……」
なんとなく、会話が途切れた。
「やっぱり、気分悪くさせたかな」
お茶に口をつけることもせず、じっとテーブルの一点を見つめる私を、みのり君が気遣う。
いけない。
「ああ、いや、なんか若いなって」
思っていたこととはまったく違う言葉を吐き出す。
「智子さんもまだ、若いでしょ」
「なんで、私の事、覚えてたの?」
ちぐはぐな会話をしている。そうは思ったが、なぜか余裕がなくなっている。
早く帰りたいような、まだ帰りたくないような。
「なんでって…」
答えを遮り、次の質問をぶつける。
「うちの大学、入学したの?」
「うん。結局学科は違ったんだけど」
「そうよね、国文学科から電車の整備士って進路は考えにくいもん」
入学はしていたのか。
なら、なんで。
「なんで、この会社にいるの?」
なんで、こんな再会。
「…智子さん?」
なんで、私に近づくの。
見知らぬイケメン整備士のまま、夢を見させてくれないの。
それは、勝手な感情だって、理性では分かっている。
さすがに、みのり君にも私の不穏な空気は伝わる。
いけない。
みのり君の顔が見れない。
うつむいてしまう。
「みのり君はなんで……」
なんで、私の気持ちを揺さぶるの!
ジーンズの太腿の上に、しずくが落ちた。
反射的に、肩がびくりと震える。
泣くつもりはなかったのに。
なんで。
「ごめん!この後用があるの!さよなら!」
テーブルに膝があたって、湯のみが倒れた音がした。
気がとがめたが、振り返って片づけをするのも、謝るのもできない。
勢い良くドアを開け、早足に出入り口へ向かう。
「智子さん!?」
後方の気配は、それ以上追いかけてくる様子はない。
もし、追いかけてきたら全力疾走する心持である。
あんな女性の存在のせいで泣かれたと、かんぐられたくない。
いや。
みのり君の事を少しでも好きになっていたという気持ちを、知られたくない。
幸いなことに、事務所に人影は無かった。
カバンを抱え込んで、一気に来た道を戻る。
追ってこないで。
そんな、本音とは矛盾した気持ちが迫り上がる。
駅にたどり着いた頃には、無駄に息が上がっていた。
背中にも、じんわりと汗をかいている。
改札機に切符を滑り込ませる瞬間、背中を覗う。
改札業務をする駅員と売店のおばちゃんしか、電鉄関係の職員は見当たらない。
よぎる不安と、混じる安堵。
電光掲示板を見ると、発車まであと5分少々。
私は、逃げるようにホームへ走った。