表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/3

走り出す

軽度の振動が、私の意識を眠りへと誘う。

ガタン

ゴトン

ガタン

ゴトン

ああ、もうすぐ降りる駅じゃなかったかしら。

周りの人のひそひそ話す声でさえ、優雅な子守唄のよう。

ああ、次の駅で降りないと…。




「で、あんた今度はどこまで行ったの」

帰省するたびに母に言われる言葉。

「…車庫」

「車庫!?終点でも起きなかったのかよお前は」

一緒に甘栗を食べていた弟にまで馬鹿にされる。

「車掌さんが起こしてくれなかったんだよ!!」

「恥ずかしいわぁ。お父さん帰ってきたらなんて話そうかしら」

別に話さなくていいと思う…。


私が電車を乗り過ごすのは、電車のせいだと確信している。

しかも。

地元のローカル線限定。

あの心地よい走り心地。

落ち着く社内デザイン。

眠るなという方が無理。


「ねえちゃんが寝過ごして払う料金で、あの路線は潤っているにちがいない」

もぐもぐと甘栗を咀嚼しながら、弟はにししと妙な笑い声をあげている。

そんな微々たる電車賃であの快適さが得られるなら、本望だ。


「てゆうかさ、今日起こしてくれた整備士の人、チョー!イケメンだった」

「チョーとか言うなよ、若くないんだから」

「あら、いい男だったの?」

弟と母の反応は正反対。

「小汚いんだけど、清潔感があるっていうかさ」

「矛盾してないか?」

「あんた、いい男好きだもんねー」

「もっかい車庫まで行ってもいいかなーって思えるね!」

「そいつに起こされるとは限らねぇし」

「まぁ、運命の出会いだったりして~」

ははは。

すいませんね、三十路も目前で彼氏の一人も紹介できなくて。

「でも、ご近所のうわさになるから、変な行動だけはしないでちょうだいよ?」

「…わかってるわよ」

「わかってねーって、ねえちゃんは。絶対今度も寝過ごすね」

「……期待に添えないよう頑張るわ…」

こんな家族の戯れができるのは、電車のおかげ。

そう思う。

「いいわよー、甘栗また買ってきてちょうだいよ」

…ご近所のうわさにならず、電車を乗り過ごせと。

母はのんきにそんな恣意をこぼす。

今日皆が一心にむく甘栗は、車庫の近所にある有名店のもの。

実家の最寄駅の改札で、「実はこれをお土産にしたかったの」風に降りるための小道具だ。

「そうねー、これマジうまい」

しかし、この甘栗は絶品だ。

終点の駅で降りても歩いて少々だし、この帰省期間中にもう何度か足を運んでもいい。

あの整備士の顔も、もう一度くらい拝めるかもしれない。



「あ」

車庫まで電車を乗り過ごすという失態を犯した翌日。

もう一度、という打算は見事解を導いた。

例の甘栗屋の前である。

焼きあがる時間を待ってできたての甘栗を購入しようと列に並んでいる時だった。

車庫のフェンスの先に、昨日と同じ顔の男がいるのを目ざとく発見。

私もバカだなーとか思いつつ。

視線は彼の動きを追う。

甘栗の焼けるいい匂いより、昨日の整備士のちょっと油っぽい服の臭いが脳裏に反芻される。

年はいくつだろう。

列車の整備かな。

「あ」

私の熱い視線に気付いたのか、向こうも一瞬だがこちらを見る。

いやいや。

そんなわけはない。

あわてて視線をそらし、甘栗に集中する。

ふと、再び視線を向けると、イケメンの姿はない。

なんだ、ちょっと残念。

「まさか、これ買うために車庫まで寝過ごしたわけじゃないですよね?」

「は?」

後ろから。

ぶしつけにもかけられた声の主は、昨日の整備士のもののように感じる。

勢いよく振り返ると、やはりそうだ。

油の臭いと、それにそぐわない整った顔立ち。

「そ、そんなわけ…!!」

言いかけて、私がどう言い返しても自分に不利だと悟る。

顔が赤くなるのが分かる。

「ですよね。僕が起こすまで寝てるって、そうとうお疲れのようでしたし」

妙なフォローをされている気がする。

「どうも。お世話かけました」

「いえいえ」

起こされた時と同じ会話だな、と思ったが、それ以外、何を言っていいかわからない。

いったい、あんた何しに来たの。

そんなこと聞けない。

「僕もここの甘栗好きなんです」

あんた仕事は。

そんなこと聞けない。

「はぁ。おいしかったです」

「やっぱり買って帰ったんですか?」

くすくすと、遠慮気味に整備士が笑っている。

「あ、別に本当に車庫がここに近いからわざと寝過ごしたってわけじゃないですから」

「わかってますよ」

「昨日、ファンになったんです」

「僕のですか?」

さ、と耳まで血が暖かくなるのがわかって、半ば図星をさされて。

「甘栗のですー!」

自分でもびっくりするほど大声になっていた。

さらに恥ずかしくなる。

「ははははははは」

整備士が、腹を抱えて笑っている。

列に並んでいた他の客も、苦笑している。

「ちょっと、智子さん、面白すぎ」

「え?」

急に名前を呼ばれ、面食らう。

見知らぬ男のはずである。

まさか、車内でよく寝る客として覚えられていたとしても、名前まで知られているわけはない。

「あれ、やっぱり覚えてない?」

彼の言葉から、敬語が消える。

私は、こくん、とうなづくだけで答える。

「大学の」

大学。

6年も前に卒業した、京都の大学生活を思い出す。

「オープンキャンパスでお世話になりました」

「あー!!」

また大声になる。

確かにあの時もキレイな顔してる子だなと思った記憶も、一緒に思い出す。

「みのり君!」

「正解」

大学のオープンキャンパスで、学科の質問コーナーに長時間陣取って私を疲弊させた高校生。

ボランティアで参加させられた、学部生と入学生予備軍の交流の場に、彼は居たのだ。

名前が印象的で、しばらくは覚えていた。

「よく思い出しました」

本当だ。よく思い出したよ、私。

本当に入学したのかどうかも、知らなかったのに。

というか。相手もよく自分を覚えていたものだ。変な印象を残した覚えはないのに。

私の場合、母親いわくの「いい男好き」が功を奏している。

「何してんの?」

今度は率直に聞ける。

「いや、昨日の今日で智子さんがここにいるから、また寝過ごしたのかなって」

「……そんなわけない」

というか。

「昨日も私だって、知ってたのね」

「うん。でも、さすがに恥ずかしいかなと」

今だって十分に恥ずかしい。

「でも、みのり君、こんなローカル線の整備士してたのね」

「運命感じちゃう?」

「いやー、ちょっと」

そこは正直な感想だ。

あわよくばイケメンを拝みたいという打算が、見事にミラクルを起こしつつある。

そんな私の反応に満足したのか、みのり君はさわやかな笑顔をみせ

「じゃ」

と、私から離れる。

「僕仕事中なので、これで失礼します」

「え、あ、うん」

やはり仕事を抜け出していたのか。それはそうか。

「よかったら、甘栗、差し入れに来てくださいね」

さりげなく、次に会う口実を残して。




家に帰ると、母が目ざとく私の手土産を見止めてにんまりしている。

その顔が、「整備士には会えたのか」と聞いている。

「…問題はそこではない」

つぶやいて、甘栗の袋とともにテーブルに座る。

「じゃぁ何が問題なの」

わかっているのかわかっていないのか、母がそれに応じる。

「どの時間にどこに会いにいけばいいのかわからん」

「○○電車の車庫事務所じゃないの?」

「うーん…。整備士って、電鉄の職員なの?」

「知らないわよー」

そうだね。私も知らないから困っている。

だから、今日は結局甘栗を差し入れることなく帰宅してしまったのだ。

運命を感じたというのに。

「意外と根性無いわね」

私の気持ちを代弁し、母は早速甘栗の袋に手を出した。


「お前、また寝過ごしたのか?」

ゴミ箱に捨てられていた紙袋と茶色い抜け殻を見つけて、弟は冗談交じりに言う。

姉に対して「お前」なんて言葉を使うな、とは思うがそんな態度が気に入っている。

弟は、堅実にも町役場務めだ。

サービス業に従事している私や父と違って、ほとんど定時に帰ってくる。

私みたいに、全国転勤もない。

根っからの地元っ子。

「あの整備士さんに会いに行ったのよ~」

母がいらんことを言う。

「うわ、マジでか」

「栗を買いにいったんですぅ。…とりあえず、会うには会えた、けど」

「マジか!!」

嬉々として話しを聞こうとする弟。

家族の期待に添い、今日の失態はうまくごまかしつつかいつまんで事情を説明する。

「…どこのドラマだ」

弟の率直な感想に、こちらとしては微妙な相槌しか返せない。

「姉ちゃんが大学2年の時高校3年っていったら、俺同い年じゃね?」

「そうね」

「この辺の企業に就職するなら、もしかして同じ高校かな」

「…うーん、制服までは覚えてない…」

夏の男子高校生の制服なんて、どこも似たようなもので区別がつかない。

ましてや、出会いは京都の大学という、全国つつうらうらの地域から学生が集まる場所である。

そんな偶然、期待する確立もない。

「むこうが覚えてたってことは、入学してたんだろ?」

「…知らない。でも、入学して私の事覚えてるんなら、学科で声かけそうなもんじゃない?」

いまさら、なんで。

「男は案外小心者なんですよ」

名前まで覚えていたくせにか。どんな乙女だ。

「あなた、明後日には仕事戻るんでしょ?もたもたしてられないわよ」

母よ。何を期待している。

「電鉄の社員なの?そいつ」

弟よ。もうそいつ呼ばわりか。

「知らない…。整備士っぽいけど、本当に整備士かも知らない。ただの出入りの業者かも」

「おいおい、そこ覆すか」

笑い混じりに、一家団欒は夕飯に突入する。

日勤の父もそろそろ帰ってくる。

「親父に聞けば?」

「…」

「ただいま、父さんの話か」

うなる。

なんて絶妙なタイミングで帰宅するんだ、この親父は。

そう、うちの父は私がいろんな意味でお世話になる鉄道の職員なのだ。

「姉ちゃんがさー、整備士に起こされたって話ししただろ」

寝過ごして車庫まで行ったという話しだ。ばか者。

「うんうん、うちの娘だってばれては無いぞ」

そういう問題でもなくて。

社内でもちょっとした小話になっていたのか。しかし。

「整備士って、電鉄の職員なん?」

「おお、その場合と、発注の場合とあるぞ」

そろいもそろって、ノリのいい家族だ。

「じゃぁ、会社の整備士かどうかってわかんないかー」

まるで探偵のようだわ。

「青い制服なら業者だな」

「…ちがう。灰色…っていうか、ブルーグレーというか…」

「じゃぁ、設備課だな。うちの職員だよ」

あ、ほんと。

なんだか、ほっとする。

業者だったりしたら、複雑になるところだった。

「よかったわねー、智子。お父さんに紹介してもらいなさいよ」

「なんだ?惚れたのか」

「ち、違うわよ!」

娘の前で臆面もなくなんという親だ。

しかし、よい情報はゲットできたわけで、感謝である。

車庫の事務所に行けば、会える可能性もあるという…違った。差し入れができるということか。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ