13.初めての夕食
部屋に戻ると、外の涼しさとは対照的に、室内にはほんのりとした暖かさが残っていた。
昼間に開けていた窓を閉め切ったせいか、買い物袋から漂う布と紙の匂いが、部屋の中に柔らかく広がっている。
セシリアが玄関で小さく呟くと、天井の隅に埋め込まれた魔術灯が、ぱちりと音もなく灯った。
淡い琥珀色の光が、朝の白っぽい明るさとは違う、落ち着いた色合いで部屋全体を包み込む。
壁の魔術回路がそれに呼応するように、ほんのわずかに脈打つのが見えた。
「……この灯り、夜になると色が変わるんです。疲れた心を休ませる色に、自動で調整されるんですよ」
セシリアが説明しながら、買い物袋をテーブルのそばに下ろす。
俺もそれに倣って、袋を床に置いた。
布製品、食器、日用品。
袋を開けて一つずつ並べていくと、部屋の風景が少しずつ変わっていくのが分かる。
さっきまでセシリア一人の生活空間だった場所に、俺の存在が刻まれていく。
「……本当に、増えましたね」
セシリアがぽつりと呟く。
その声は、驚きと、どこか嬉しさが混じったような響きだった。
「ですね。さっきまで、俺の物はなにもなかったんですけどね」
冗談のつもりで言ったのに、セシリアは一瞬だけ目を丸くして、それから小さく笑った。
「……もう、ありますよ」
その言い方が妙に自然で、胸の奥が少しだけ熱くなった。
彼女の視線が、俺の置いた荷物袋にそっと落ちる。
まるで、そこに俺の“一部”が確かに存在していることを、確かめるように。
荷ほどきが一段落したところで、セシリアがキッチンの方を見た。
「夕食……どうしましょうか?」
「外で食べてくるという選択肢もありますが……」
「今日は少し疲れましたし……簡単なものでよければ、作りますけど」
「お願いします」
即答してしまった。
「……え?」
セシリアが少し驚いた顔をする。
「いや、その……セシリアさんの料理、気になりますし」
言った直後に、少し言い過ぎたかと後悔する。
だが、セシリアは一瞬だけ目を伏せて、それからふっと頰を緩めた。
「……簡単なものですよ?」
そう言いながらも、彼女はどこか嬉しそうに袖をまくり、エプロンを腰に巻いた。
長い金髪を後ろで軽くまとめ、首筋が露わになる。
その仕草が、妙に新鮮で、俺は思わず視線を逸らした。
キッチンは二人で立つと、少しだけ狭い。
だが、窮屈というほどではない。
肩が触れそうで触れない、絶妙な距離。
「じゃあ……エドモンドさんは、野菜を洗ってもらえますか?」
「了解です」
流しでトマトと葉野菜を洗いながら、横目でセシリアの動きを見る。
包丁の扱いは慣れていて、無駄がない。
玉ねぎを薄くスライスする手つきは、まるで研究ノートに線を引くように丁寧だ。
「料理、よくされるんですか?」
「研究が長引くと、外に出るのが面倒で……自然と」
「研究者あるあるですね」
「エドモンドさんも?」
「はい。工事現場で泊まり込みとか、珍しくないので。簡易キッチンでスープ作ったり、パン焼いたり」
「へえ……意外と家庭的」
セシリアが小さく笑う。
その笑顔が、魔術灯の柔らかな光に照らされて、いつもより優しく見えた。
鍋に油を熱し、玉ねぎを炒め始める。
じゅう、という小さな音と、香ばしい匂いが部屋に広がる。
セシリアがハーブの小瓶を開け、指先でつまんでパラパラと振り入れる。
指の動きが細やかで、思わず見入ってしまう。
「……こうして誰かと並んで料理するの、久しぶりです」
セシリアが、独り言のように呟いた。
「俺もです」
一瞬、沈黙。
だが、昼間の街中での気まずさとは違い、今の沈黙は悪くない。
むしろ、心地よい。
鍋から立ち上る湯気と、野菜を煮る音と、互いの呼吸だけが部屋に満ちている。
「失敗したら、ごめんなさい」
セシリアが、鍋をかき混ぜながら少し不安げに言う。
「その時は……一緒に反省会ですね」
俺がそう返すと、セシリアはくすっと小さく笑った。
「反省会……いいですね。メモを取って、次に活かしましょう」
「研究者らしい提案だ」
「エドモンドさんも、土木技師らしいですよ。失敗をデータにするって」
そんな他愛もないやり取りをしながら、鍋にトマトを加え、煮詰めていく。
セシリアが最後にチーズを削り入れ、火を止める。
「できた……かな」
彼女が皿に盛り付け、テーブルに運ぶ。
俺もフォークとナイフを並べ、パンを軽く温めて添えた。
小さなテーブルに向かい合って座る。
窓の外はもうすっかり夜。
魔術灯の光が、二人を優しく照らしている。
「では……いただきます」
セシリアが小さく手を合わせ、俺もそれに倣う。
一口食べると、トマトの酸味とハーブの爽やかさ、チーズのまろやかさが口いっぱいに広がった。
火加減が絶妙で、野菜の甘みが生きている。
「……美味しい」
素直に感想を口にすると、セシリアの顔がぱっと明るくなった。
「本当ですか? よかった……!」
彼女は自分の分もフォークで刺し、頰を緩める。
その笑顔が、魔術灯の光に照らされて、まるで宝石のように輝いて見えた。
「エドモンドさんの野菜の切り方、均一で綺麗でした。味が均等に入ってる気がします」
「そんなに褒められると、照れますよ」
「本当のことです」
セシリアが真剣な目で言う。
その視線に、俺は思わず胸が熱くなった。
食事が進むにつれ、会話は自然と深くなっていく。
プレスト王国の雪解け水の話、セシリアの研究室での徹夜の話。
互いの日常を、少しずつ共有していく。
「エドモンドさん」
セシリアが、フォークを置いて、静かに言った。
「今日、買い物に行って……一緒に歩いて……そして今、こうしてご飯を食べていて……」
彼女は少し言葉を探すように、視線を落とした。
「……なんだか、すごく幸せです。こんな気持ち、初めてかも」
俺は、胸の奥が熱くなるのを感じながら、ゆっくりと言った。
「俺もです。セシリアさんと一緒にいると……この国に来てよかったって、心から思います」
彼女の瞳が、俺をまっすぐに見つめた。
その視線に、言葉はいらない。
俺たちは、ただ静かに微笑み合った。
夕食はゆっくりと終わり、皿を洗う音が部屋に響く。
セシリアが洗い物をしている横で、俺は布巾で拭きながら、ふと思う。
この小さなキッチンで、
魔法と土木の境界線が、少しずつ溶けていく夜だった。
そして、きっと――
この夜は、まだ始まったばかりだ。




