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市民のための魔法工学  作者: 青山省吾


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13/20

12.夕暮れの帰り道

買い物を終え、袋を両手に提げて街路に出た頃、太陽はすでに山の稜線に沈みかけていた。

プレスト王国と違い、この国は西側に山脈があるため、日が沈むのは早いようだ。


マリンの街は、夕焼けの橙色に染まりながらも、決して暗くはならなかった。

街灯――いや、正確には魔術回路が埋め込まれた石柱や壁面――が、淡い金色の光を静かに放ち始めている。まるで街全体が優しく息づいているようだ。


セシリアは左手に小さな袋を二つ、右手には洗面用具の包みを抱えていた。

俺は両手に荷物をまとめ、彼女のペースに合わせて歩く。自然と、歩幅が近くなった。


「……荷物、大丈夫ですか?」


セシリアが、横目で俺の顔を覗き込むようにして尋ねてきた。


「ええ。こっちは軽い方です。セシリアさんが持ってる寝具の袋が一番重そうですが」


「これくらい、平気です。……でも、もし重かったら、遠慮なく言ってくださいね」


彼女の声は少し上擦っている。

夕暮れの赤みが、セシリアの頰をほのかに染めていた。

金色の長い髪が、歩くたびに柔らかく揺れる。

風に運ばれてくるのは、彼女の髪から漂うほのかなハーブの香り――部屋で嗅いだのと同じ、甘く落ち着く匂いだ。


俺は無意識に、彼女との距離を測っていた。肩と肩の間、約50センチ。

街の人ごみの中では自然な間隔だが、二人きりで歩いていると、妙に近く感じる。


「この街、夕方が一番美しいんです」


セシリアが、ふと立ち止まって空を見上げた。


「魔術回路が光を吸収して、夜の準備を始める時間帯。ほら、あの壁を見てください」


指差された壁面では、光の筋がゆっくりと脈打ちながら、昼間の明るい白から柔らかな橙へと移り変わっていた。

まるで街が夕焼けを模倣しているようだ。


「すごい……我が国では、こんな光景は見たことがありません」


俺は素直に感嘆した。


「プレスト王国は、土木技術で自然を制御する国だと聞きました。山の水を巧みに操って、町を守る……。こちらの魔法は、もっと『寄り添う』ような感じなんですね」


セシリアが微笑む。目が細くなり、長い睫毛が夕陽を反射してきらめいた。


「寄り添う、ですか……。そう言ってもらえると嬉しいです。私たちの魔法は、確かに自然に溶け込むことを重視します。でも、だからこそ、時々制御が難しくなるんです」


歩きながら、彼女は少し声を落とした。


「エドモンドさんは……プレスト王国で、どんな景色を一番好きでしたか?」


突然の個人的な質問に、俺は少し驚いた。


「水路の音ですね。朝、窓を開けると、石組みを流れる雪解け水の音が聞こえるんです。町が生きている、という実感が湧いて……」


「水の音……素敵です」


セシリアが目を細めて、想像するように呟く。


「私は、水の音をあまり聞いたことがないんです。魔法で水を作る生活なので……。エドモンドさんの話、聞いてみたいです。もっと」


その視線が、真っ直ぐに俺に向けられた。

夕陽のせいか、それとも照れか、彼女の瞳が少し潤んでいるように見える。


俺は荷物の持ち手を握り直し、彼女の横顔を見つめた。

頰の柔らかな線、耳にかかる髪、細い首筋。

すべてが、妙に鮮やかに感じる。


「セシリアさんは、魔法都市計画を研究しているんですよね。どんなところに興味があるんですか?」


今度は俺が質問を返す。


「街全体を、もっと効率的に、もっと住みやすくするんです。魔術回路を建物に組み込んで、光や空気の流れを最適化したり……。でも、最近は『人々の気持ち』にも配慮した設計を考えていて」


彼女は少し恥ずかしそうに続ける。


「魔法だけじゃなくて、人と人の距離感とか……心地よい空間って、何だろうって」


その言葉に、俺の胸が小さくざわついた。


「人との距離感……」


無意識に、俺たちの歩く間隔を意識する。

もう少し近づきたい、と思う自分がいる。

だが、すぐに自制した。

袋の持ち手が、ふと絡まった。

セシリアがバランスを崩しかけ、俺は反射的に手を伸ばした。


指先が、彼女の手に軽く触れる。


「……っ!」


セシリアの肩が小さく跳ねた。


「す、すみません!」


俺が慌てて手を引くが、彼女の指の温もりが、まだ掌に残っている。

柔らかくて、細い。

意外と冷たかった。


「……いえ、大丈夫です」


セシリアは顔を赤らめ、視線を地面に落とした。耳まで真っ赤だ。


その後、数歩は無言で歩いた。街の喧騒が、急に遠く感じる。


「……あの」


セシリアが、勇気を出したように口を開いた。


「エドモンドさんの手、温かかった……。プレスト王国は、気温が低いんですか?」


「山に近いので、朝晩は冷えます。でも、セシリアさんの手は少し冷たかったですね。魔力を使うと、体温が下がるんですか?」


「少し……集中すると、血流が魔力の方に回るんです。手先が冷えやすいんですよ」


彼女はそう言いながら、そっと自分の手を握りしめた。まるで、先ほどの感触を確かめるように。


俺は胸の奥が熱くなるのを感じた。

この異国で、こんなに早く、誰かの小さな仕草に心を奪われるなんて。


道は王城南の居住区へと緩やかに上っていく。

階段の手前で、セシリアが立ち止まった。


「ここから少し坂になります。荷物、重くないですか?」


「平気です。むしろ、セシリアさんの方こそ」


「ふふ、じゃあ……少し、並んで歩きましょうか」


彼女が、ほんの少しだけ俺の方に寄ってきた。

肩と肩の距離が、30センチほどに縮まる。


夕風が吹き、セシリアの髪が俺の肩に触れた。

甘いハーブの香りが、強く鼻をくすぐる。


「セシリアさん」


「……はい?」


「今日、ありがとうございました。買い物も、案内も……そして、話も」


俺は自然に、彼女の横顔を見つめながら言った。


「この国に来て……少し、楽しみが増えました」


セシリアの瞳が、大きく見開かれた。


「……私もです。エドモンドさんと一緒にいると、なんだか……新しい視点が見つかりそうで」


彼女の声は、ほとんど囁きに近かった。

階段を上りきると、集合住宅の前だった。

部屋の扉の前で、セシリアが小さく息を吐く。


「……今日は、たくさん歩きましたね」


「ええ。でも、悪くない一日でした」


荷物を下ろしながら、俺たちは視線を交わした。

夕陽の残光が、彼女の瞳を優しく照らしている。

この瞬間、俺は確信した。

この同居生活は、ただの「技術交流」では終わらないだろう、と。

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