12.夕暮れの帰り道
買い物を終え、袋を両手に提げて街路に出た頃、太陽はすでに山の稜線に沈みかけていた。
プレスト王国と違い、この国は西側に山脈があるため、日が沈むのは早いようだ。
マリンの街は、夕焼けの橙色に染まりながらも、決して暗くはならなかった。
街灯――いや、正確には魔術回路が埋め込まれた石柱や壁面――が、淡い金色の光を静かに放ち始めている。まるで街全体が優しく息づいているようだ。
セシリアは左手に小さな袋を二つ、右手には洗面用具の包みを抱えていた。
俺は両手に荷物をまとめ、彼女のペースに合わせて歩く。自然と、歩幅が近くなった。
「……荷物、大丈夫ですか?」
セシリアが、横目で俺の顔を覗き込むようにして尋ねてきた。
「ええ。こっちは軽い方です。セシリアさんが持ってる寝具の袋が一番重そうですが」
「これくらい、平気です。……でも、もし重かったら、遠慮なく言ってくださいね」
彼女の声は少し上擦っている。
夕暮れの赤みが、セシリアの頰をほのかに染めていた。
金色の長い髪が、歩くたびに柔らかく揺れる。
風に運ばれてくるのは、彼女の髪から漂うほのかなハーブの香り――部屋で嗅いだのと同じ、甘く落ち着く匂いだ。
俺は無意識に、彼女との距離を測っていた。肩と肩の間、約50センチ。
街の人ごみの中では自然な間隔だが、二人きりで歩いていると、妙に近く感じる。
「この街、夕方が一番美しいんです」
セシリアが、ふと立ち止まって空を見上げた。
「魔術回路が光を吸収して、夜の準備を始める時間帯。ほら、あの壁を見てください」
指差された壁面では、光の筋がゆっくりと脈打ちながら、昼間の明るい白から柔らかな橙へと移り変わっていた。
まるで街が夕焼けを模倣しているようだ。
「すごい……我が国では、こんな光景は見たことがありません」
俺は素直に感嘆した。
「プレスト王国は、土木技術で自然を制御する国だと聞きました。山の水を巧みに操って、町を守る……。こちらの魔法は、もっと『寄り添う』ような感じなんですね」
セシリアが微笑む。目が細くなり、長い睫毛が夕陽を反射してきらめいた。
「寄り添う、ですか……。そう言ってもらえると嬉しいです。私たちの魔法は、確かに自然に溶け込むことを重視します。でも、だからこそ、時々制御が難しくなるんです」
歩きながら、彼女は少し声を落とした。
「エドモンドさんは……プレスト王国で、どんな景色を一番好きでしたか?」
突然の個人的な質問に、俺は少し驚いた。
「水路の音ですね。朝、窓を開けると、石組みを流れる雪解け水の音が聞こえるんです。町が生きている、という実感が湧いて……」
「水の音……素敵です」
セシリアが目を細めて、想像するように呟く。
「私は、水の音をあまり聞いたことがないんです。魔法で水を作る生活なので……。エドモンドさんの話、聞いてみたいです。もっと」
その視線が、真っ直ぐに俺に向けられた。
夕陽のせいか、それとも照れか、彼女の瞳が少し潤んでいるように見える。
俺は荷物の持ち手を握り直し、彼女の横顔を見つめた。
頰の柔らかな線、耳にかかる髪、細い首筋。
すべてが、妙に鮮やかに感じる。
「セシリアさんは、魔法都市計画を研究しているんですよね。どんなところに興味があるんですか?」
今度は俺が質問を返す。
「街全体を、もっと効率的に、もっと住みやすくするんです。魔術回路を建物に組み込んで、光や空気の流れを最適化したり……。でも、最近は『人々の気持ち』にも配慮した設計を考えていて」
彼女は少し恥ずかしそうに続ける。
「魔法だけじゃなくて、人と人の距離感とか……心地よい空間って、何だろうって」
その言葉に、俺の胸が小さくざわついた。
「人との距離感……」
無意識に、俺たちの歩く間隔を意識する。
もう少し近づきたい、と思う自分がいる。
だが、すぐに自制した。
袋の持ち手が、ふと絡まった。
セシリアがバランスを崩しかけ、俺は反射的に手を伸ばした。
指先が、彼女の手に軽く触れる。
「……っ!」
セシリアの肩が小さく跳ねた。
「す、すみません!」
俺が慌てて手を引くが、彼女の指の温もりが、まだ掌に残っている。
柔らかくて、細い。
意外と冷たかった。
「……いえ、大丈夫です」
セシリアは顔を赤らめ、視線を地面に落とした。耳まで真っ赤だ。
その後、数歩は無言で歩いた。街の喧騒が、急に遠く感じる。
「……あの」
セシリアが、勇気を出したように口を開いた。
「エドモンドさんの手、温かかった……。プレスト王国は、気温が低いんですか?」
「山に近いので、朝晩は冷えます。でも、セシリアさんの手は少し冷たかったですね。魔力を使うと、体温が下がるんですか?」
「少し……集中すると、血流が魔力の方に回るんです。手先が冷えやすいんですよ」
彼女はそう言いながら、そっと自分の手を握りしめた。まるで、先ほどの感触を確かめるように。
俺は胸の奥が熱くなるのを感じた。
この異国で、こんなに早く、誰かの小さな仕草に心を奪われるなんて。
道は王城南の居住区へと緩やかに上っていく。
階段の手前で、セシリアが立ち止まった。
「ここから少し坂になります。荷物、重くないですか?」
「平気です。むしろ、セシリアさんの方こそ」
「ふふ、じゃあ……少し、並んで歩きましょうか」
彼女が、ほんの少しだけ俺の方に寄ってきた。
肩と肩の距離が、30センチほどに縮まる。
夕風が吹き、セシリアの髪が俺の肩に触れた。
甘いハーブの香りが、強く鼻をくすぐる。
「セシリアさん」
「……はい?」
「今日、ありがとうございました。買い物も、案内も……そして、話も」
俺は自然に、彼女の横顔を見つめながら言った。
「この国に来て……少し、楽しみが増えました」
セシリアの瞳が、大きく見開かれた。
「……私もです。エドモンドさんと一緒にいると、なんだか……新しい視点が見つかりそうで」
彼女の声は、ほとんど囁きに近かった。
階段を上りきると、集合住宅の前だった。
部屋の扉の前で、セシリアが小さく息を吐く。
「……今日は、たくさん歩きましたね」
「ええ。でも、悪くない一日でした」
荷物を下ろしながら、俺たちは視線を交わした。
夕陽の残光が、彼女の瞳を優しく照らしている。
この瞬間、俺は確信した。
この同居生活は、ただの「技術交流」では終わらないだろう、と。




