幸せになりたい
幸せになりたい。
幸せになれない。
他者と共によくありたい。それは人間としてごく自然な欲求だと思う。
しかし私は信用ができないのだ。
私は他人のことを心からは信用ができない。
今、表しているその感情は、それは本心からのものなのか?
表層を取り繕っただけのものではないのか?
そう思ってしまう。
特にポジティブな感情に。
人はコミュニケーションを円滑にするために好意を見せる。愛想をよくする。
だから私はそういうものこそ信用がならない。
しかし同時に私は感情を強く発露する人に惹かれる。
それは今そこに確かにその人間の意思があると思えるからだ。
人は普段、特に思考をせず、意識を置かず、惰性で生活をしている。
そんな中、感情を発現し、魂がそこにあると言わんばかりの者はとても魅力的だ。
その二点を勘案するに、私の求めるものは「嫌」というものだろう。
嫌だ。嫌いだ。
それはなんとも素直な感情であり、強烈で、なおかつ実に意識的であり本人的である。
そこには必ずその者の存在と魂が乗っている。
かつ、そこに嘘はないと信じることができる。わざわざ演じる価値のない感情だからだ。
・・・、そんなものを求める者が幸せになどなれるはずもないのだ。