【依頼人】怪人ドン・カルロ
その夜、ソーンは一睡もできなかった。
目を閉じると白い解体台の上に横たわる若者の顔が浮かぶ。
目を開ければ、剥がれ落ちた天井のシミが嘲笑う顔に見えた。
(月給、90万クレジット……)
それは魂の値段としては高いのか、安いのか。
何度も自問し、明け方になってようやく、自分自身を騙す論理を見つけた。
(これは――そう、これは救済だ)
どうせ焼かれるだけの肉体を、誰かの糧に変えるだけ。
俺は人殺しじゃない。ただの、リサイクル業者だ。
そう言い聞かせなければ、正気を保てそうになかった。
そして、彼は決断した。
■
翌日、午後2時。
ソーンは契約書に電子サインをした。
指先の震えが止まらず、認証に三度も失敗した。
「これで……お願い、します」
「賢明な判断だ、ソーン」
ハリソンは契約完了の通知を確認すると、満足げに立ち上がった。
「さて、次はオーナーへの挨拶だ。……失礼のないようにな」
その時、ハリソンの表情が一瞬だけ曇ったのを、ソーンは見逃さなかった。
ビジネスライクな仮面の下に、微かな緊張と嫌悪が走ったような。
(……なにか、ヤバイ相手なのか? このハリソンさんが顔を歪めるような?)
二人は専用エレベーターで最上階へ向かった。
フロア50階。天空の楽園。
扉が開くと、そこは別世界だった。
壁一面が金箔で覆われ、床には絶滅したはずの天然獣の毛皮が敷き詰められている。
空気そのものが甘ったるく、濃厚な香水の匂いで満たされていた。
「ここだ」
ハリソンが巨大な両開きの扉の前で立ち止まり、深呼吸をしてからノックした。
「ドン・カルロ。新任のチーフを連れて参りました」
「あらぁん! 待ってたわよぅ、入って入ってぇ!」
「……っ!?」
中から聞こえたのは、低音と裏返った高音が混ざり合った、奇妙な猫なで声だった。
「し、失礼します……」
部屋の中央には、長大なダイニングテーブルが鎮座していた。
そして、その向こう側に――ドン・カルロがいた。
ソーンは息を呑んだ。
それは、「人間」というカテゴリから逸脱していた。
(でっ……けぇ! なんだこの化け物!?)
推定身長2メートル半。
全身をサイボーグ化し、筋肉を過剰なまでに肥大化させた巨漢。
その鋼鉄の肉体を包むのは、フリルのついたショッキングピンクのシルクガウン。
顔面は白粉で塗りたくられ、まぶたには青いアイシャドウ、唇には血のようなルージュが引かれている。
頭部には金髪の縦ロールウィッグ。
グロテスクなまでの不協和音。
暴力と幼児性が、ひとつの肉体で同居している。
「うふふ、いらっしゃぁい!」
カルロが立ち上がると、床がミシリと鳴った。
巨大な足には、特注のハイヒールが嵌められている。
「あたくしがここの肉屋オーナー、ドン・カルロよぉん! あらやだ、いい男じゃないの!」
カルロは瞬時に距離を詰め、丸太のような腕でソーンの肩を抱いた。
香水の匂いに混じって、機械油と生臭い何かが鼻を突く。
ギリギリと、肩の骨が軋む音がした。
「ソ、ソーン・マクラウドです……」
「ソーンちゃん! 素敵なお名前ぇ! よろしくねェん!」
カルロは満面の笑みでソーンを覗き込む。
義眼と思われる瞳孔がカメラのシャッターのように伸縮し、ソーンの肉体をスキャンしているようだった。
「さあさあ、座って! 歓迎のランチを用意してたのよぉ!」
強引に椅子に座らされる。
目の前には、見事なフルコース。
ステーキ、ロースト、カルパッチョ。
赤ワインのようなソースが滴る肉料理の数々。
「これね、全部あたくしの手料理なのぉ。あたくし、お料理大好きなのよぉ」
カルロは自身の巨体に見合わない小さなフォークとナイフを器用に操り、自身の皿の肉を切り分けた。
「いただきまぁす!」
パクリ。
分厚い唇が肉を咀嚼する。クチャ、クチャという粘着質な音が響く。
「んん~~っ!! マーベラス!!」
カルロは身体をくねらせ、陶酔の表情を浮かべた。
「このとろけるような脂身! やっぱり若いメスは最高ねぇ!」
「……メ、ス?」
「ええ。サウス区の売春婦だった子よ。まだ19歳。お肌ピチピチだったわぁ」
「ッ……!」
ソーンの胃液が逆流しかけた。
「あら、食べないのぉ? ソーンちゃん」
カルロが首を傾げる。
「もったいないわよぉ。こっちはね、イースト区の工場労働者。40代のオスだけど、過労死寸前まで働いてたから、赤身が引き締まってて味が濃いの!」
楽しそうに料理解説をするカルロの横で、ハリソンは無言でグラスの水を煽っていた。
視線は決して料理に向けようとしない。額には脂汗が滲んでいる。
「人間の味ってね、ドラマの味なのよぉ」
カルロはうっとりと語る。
「恐怖、絶望、執着……。死ぬ瞬間の脳内物質が、お肉に染み込んでるの。こればっかりは、どんな高級培養肉でも再現できないわぁ」
彼――あるいは彼女は、フォークの先で肉片を愛おしそうに撫でた。
「あたくしね、自分を磨くのが好きなの。綺麗なお化粧をして、可愛いお洋服を着て、そして……美しい魂を食べるの」
「うつくしい……魂……」
「そうよぉ! だってぇ、人間は食べたもののようになるって言うでしょぉ? あたくしはたくさんの人間を食べて、たくさんの人生を取り込んで、もっともぉっと美しくなるのぉ!」
狂っている。
完全に、壊れている。
この怪物は、カニバリズムを美容法か何かと勘違いしているのだ。
(なんなんだこいつ……! こんな奴がオーナーだったのか、この会社……!?)
「さあ、ソーンちゃんも一口! あ〜〜ん!」
突き出されたフォークの先で、肉片が揺れている。
ソーンは口を開けなかった。開けられなかった。
「……あらぁ?」
カルロの目が、すっと細められた。
幼児性が消え、マフィアのボスの冷徹な殺気が部屋を満たす。
「食べられないのぉ? せっかくの手料理なのにぃ?」
空気が凍りつく。
横でハリソンが、「食べろ」と目で訴えていた。
ここで機嫌を損ねれば、次のメインディッシュは自分たちになるかもしれない。
「あ、は……はい」
ソーンは震える手でフォークを受け取った。
これは、肉だ。
ただのタンパク質だ。
自分に言い聞かせ、口へと運ぶ。
舌に乗せた瞬間、鉄の味と、奇妙な甘みが広がった。
「…………っ!」
飲み込む。
喉が痙攣し、胃が拒絶反応を示す。だが、必死で抑え込んだ。
「うふふふ! いい子ねぇ!」
カルロは再び満面の笑みに戻り、拍手した。
「気に入ってもらえて嬉しいわぁ! これからよろしくね、パートナー!」
ソーンは口元を拭いながらうつむいた。
口の中に残る脂の味が、消えない罪の烙印のように思えた。
味なんてまるでわからない。
だが、少なくともその肉は――。
(……うまい。なんでだよ……)
カルロの狂気と執念によるものか、あるいはもはや自分自身が人間でなくなってしまったせいか。
その肉は、たしかに美味しかった。美味しいと、思えてしまった。
それは、悪魔との契約のような甘美な味わいだった……。
歴代ヴィランでもイカれ具合はぶっちぎりです




