【依頼人】新たな罪
ヴァイス市長の死から、五日が過ぎた。
ネオ・アルカディアは今、かつてない熱狂と混乱の只中にあった。
セントラル区の大型ホロビジョンは、24時間止まることなくノイズ混じりのニュースを垂れ流している。
新市長選出の緊急議会。
ノース区事故の真相究明。
プロジェクト・カーバンクルの被害補償。他都市からの抗議声明――。
話題は尽きない。だが、市民たちが惹かれたのはもっと別の「真実」だった。
――404号室。
あの配信以来、都市伝説は実体を持った刃となった。
実在する復讐代行者。
220万人が同時接続で目撃した、圧倒的な断罪劇。
サウス区の安宿にある旧式電話は鳴り止まない。
「だから! うちはただの宿だ! 殺し屋の受付じゃねえ!」
フロント係が怒鳴り散らし、受話器を叩きつける。
大半は英雄見たさの野次馬だ。本物の復讐を求めている人間は、その数に埋もれつつある。
ネットのブラックマーケットには「404号室予約権」なる詐欺データすら出回っていた。
藁にもすがる弱者たちがクレジットを搾り取られていく。
――イースト区の工場街、紫煙の漂う休憩所でもその話題は囁かれていた。
「聞いたか? 隣のラインの班長、昨日から無断欠勤だそうだ」
「ビビって逃げたんだろ。あいつ、裏で相当エグいことやってたしな」
「へへっ、次はウチの監督者の番かもな」
陰鬱な笑い声。だがその瞳孔の奥には、期待という名の熱が灯っている。
――ウエスト区のバーでは、安酒に酔った客たちが昨夜のスポーツ観戦のように語り合う。
「あの炎上シーン、最高にロックだったぜ」
「220万人同時視聴の公開処刑だ。しかも死んでるのが市長ってよ。歴史が変わる瞬間を見た気分だよ」
グラスを合わせる音。
彼らにとって、それはまだ現実感のない極上のエンターテインメントでしかなかった。
――対して、セントラル区のペントハウスで震えているのは企業幹部たちだ。
「クソ、クソ、クソ……! ふざけやがって、もっと警備を増やせ!」
次は我が身か。あの無慈悲な銃口がいつ自分に向けられるのか。
セキュリティ会社への発注書にはゼロが並び、最新鋭の防衛ドローンが夜空を埋め尽くす。
恐怖と期待、絶望と希望。
ネオ・アルカディアは今、「404号室」という亡霊に支配されていた。
■
そして――当の本人は、そんな喧騒が嘘のように静かな場所にいた。
サウス区。名前すら剥がれ落ちた、廃ホテルの屋上。
ドームの内壁へ沈みゆく人工太陽が、街を赤錆色に染め上げている。
カーバンクルは、錆びたフェンスの縁に腰掛けていた。
風にはためく白いパーカー。夕陽を透かして黄金に輝く水色の髪。
赤い瞳は、眼下に広がる街を静かに見下ろしている。
傍らには、コバヤカワの形見――.357マグナムのリボルバー。
弾倉は空だ。今はただの重たい鉄塊だった。
思考は凪いでいた。
5日前、彼女は創造主であり仇敵であるヴァイスを葬った。
7年越しの決着。コバヤカワを殺した男は、文字通り燃え尽きた。
それが彼の望む正義だったのか、カーバンクルにはまだ定義できない。
彼女の脳内チップには、100人を超える戦闘技能者の記憶がある。
彼らが奪った数千の命と、彼ら自身が迎えた死の瞬間。
そこから湧き出す罪の意識は、未だに彼女の身を焼いていた。
不意に、背後で重い扉が開く音がした。
振り返る必要はない。その足音のリズムだけで、誰かは識別できる。
「……よう。ここにいたのか」
ショウだ。
彼はポケットに手を突っ込んだまま近づき、遠慮なくカーバンクルの隣へ腰を下ろした。
白髪に、右目のエメラルドグリーンの義眼。黒塗りの軍用義手が、夕陽を反射して鈍く光る。
二人はしばらく、無言で並んでいた。
工場のシフト交代を告げるサイレンが、遠くで亡者の呻きのように響いている。
「街、ひっでえ騒ぎだぜ」
口火を切ったのはショウだった。
「……うん」
「新市長選びは泥沼だ。有力候補だった副市長はヴァイスとの癒着がバレて失脚。議会は空っぽの玉座を巡って椅子取りゲームの最中さ」
ショウは義手のサーボモーターを唸らせながら、頭を乱暴に掻いた。
「おまけに、お前へのファンレターが殺到してる。ホテルのフロント、物理的にパンクしかけてるぞ」
「……ま……」
「ま?」
「まさか、こんなことになるとは……」
「オイ! 想定してなかったのかよ!?」
ショウは思わず立ち上がった。
カーバンクルの表情は変わらないが、気まずそうな空気は察せられる。
「お前なー! 薄々思ってたけど、肝心なトコポンコツじゃねーか!?」
「そんなことはない……」
「いいやある! なんで毒ガス攻撃してお前が吸ってんだ! あのときはそういう空気じゃなくて言えなかったけど、アレ大概だったぞ!!」
「アレはマスクの性能が思ったより低かったから……」
ゴニョゴニョ言いながら下の街を見るカーバンクルに、ショウは思わず頬を緩めた。
「ったく、相変わらずだな、お前は」
呆れたような、それでいて安堵したような声。
ショウはカーバンクルの横顔を盗み見た。
無表情。だがその瞳には以前のような虚無ではなく、どこか人間臭い疲労が滲んでいるのがわかった。
「なぁ」
ショウは視線を街へ戻し、少し躊躇ってから言葉を継いだ。
「“ラスボス”は倒したんだ。……これから、どうするつもりだ?」
問いかけが風に流れる。
カーバンクルは膝を抱え、小さく身を縮めた。
「普通の生活とか……そういう選択肢も、あるんじゃねえの」
それはショウなりの不器用な提案だった。
だが、カーバンクルはゆっくりと首を横に振る。
「ううん」
彼女の声は小さいが、はっきりとしていた。
「私は続けるよ。始末屋を」
ショウの義眼がわずかに絞られる。
「続ける? なんでだよ。例の罪とかいうやつか?」
「そう。頭の中の殺人の記憶。その罪を贖うため」
「でもよぉ。ヴァイスの言ってたのを聞くに、そりゃお前の罪でも何でもないだろ? アイツが勝手に植え付けた記憶で……」
「……それに」
カーバンクルは眼下の景色を指先でなぞるように見つめた。
「企業はまだ人を搾取してる。格差も、暴力もそのまま。コバヤカワが言ってた『法』も、まだ機能してない」
「それは……そうかもしれねえけど」
「だから、誰かが掃除しなきゃいけないと思うんだ」
風が吹き抜け、彼女のフードを揺らす。
その言葉には、かつてのような「プログラムされた使命感」とは違う、彼女自身の意志が宿っていた。
「それと……」
「それと?」
「……この世界を、これからどうするか。少し考えてみたいかな」
ショウは驚いて目を見開いた。
「世界を……どうするって?」
「ヴァイスのやり方は間違ってた。でも、ドーム都市が限界を迎えてるっていう事実は変わらない。このままじゃ、いずれみんな窒息する」
彼女はドームの天井――偽りの空を見上げた。
「外の世界へ出る方法。人類が生き延びる道。……それを、探せたら探してみたい」
ただの殺戮兵器として作られた少女が、今は人類の明日を憂いている。
その変化に、ショウは言葉を失った。
「お前……そんなことまで考えてたのかよ」
「ごく最近ね」
カーバンクルは口元をわずかに緩めた。
本当に、ごく僅かな変化。だが、それは確かに「笑み」だった。
「コバヤカワと話して、少し変わった気がする。彼は街を良くしたいって言ってた。人を信じてた。だから私も……少しだけ、考えてみようかなって」
彼女は冷え切った.357マグナムを手に取る。重い。だが、その重さが今は心地よかった。
沈黙が落ちる。
気まずい沈黙ではない。二人を包む、共有された静寂。
ショウは大きく息を吐き出すと、照れ隠しのように鼻をこすった。
「……だったら」
ぶっきらぼうな声。
「俺も乗るぜ、その話」
カーバンクルが瞬きをする。赤い瞳が、緑の電子義眼を見つめ返した。
「乗る?」
「ああ。言ったろ、一人じゃ限界があるって」
ショウは義手の指をパキパキと鳴らしながら、視線をあさっての方向へ逸らす。
「依頼の選別、情報の裏取り、セキュリティのクラッキング……。これまでは都市伝説でしかなかったから依頼者も少なかったが、これからはいらねー仕事も増えただろ?」
「…………」
「か、勘違いすんなよ。お前がヘマして捕まったら、俺まで芋づる式にヤバいからな。監視してやるって言ってんだよ!」
早口でまくし立てる彼を、カーバンクルはじっと見つめる。
そして――。
「ありがと、ショウ」
彼女は言った。
「わかった。一緒にやろう」
「……お、おう!」
ショウはその口元がニヤリと吊り上がるのを隠せなかった。
人工太陽が完全に沈み、ドームの照明が「夜」モードへと切り替わる。
街中のネオンが一斉に点灯し、ネオ・アルカディアは極彩色の光の海へと変貌した。
光と闇。その境界線に生きる二人の影が、屋上に長く伸びる。
「で。早速だが、やるべき仕事がある。華々しい俺たちの最初の仕事に相応しいやつがな」
ショウが仕事の顔に戻って尋ねた。
カーバンクルも頷き、パーカーのフードを深く被り直す。
「『404号室予約代行』を謳って、金だけ取る悪党がいるらしくてなぁ」
彼は画面に新しいデータを表示した。顔写真、住所、取引記録。
「こいつだ。タカギ・ユウジ。38歳、無職。サウス区の安アパート住まい」
画面には、太った男の写真が映っていた。
丸い顔、小さな目、脂ぎった肌。
部屋着のようなシャツを着て、カメラから目を逸らしている。
「この5日間で、約50人から金を騙し取ってる。一人あたり10万クレジット。合計500万クレジット」
カーバンクルの目が細められる。
「こいつを最初にシメないか? 正式な依頼じゃないけど、放っておけないだろ」
「……うん。そうだね」
彼女は頷いた。
「404号室の名前を勝手に使って、困ってる人たちを騙す。それは、許せない」
ショウは不敵に笑った。
「よし。じゃあ、さっそく行こうぜ」
■
サウス区、ブロック17。老朽化した雑居ビルC棟、305号室。
空調の壊れた室内には、腐りかけたピザの臭いと電子機器の排熱が充満していた。
タカギ・ユウジは、三枚のモニターに囲まれ下卑た笑みを漏らしていた。
メインモニターに表示された数字は、5,234,000クレジット。
たった5日。底辺ハッカー崩れの人生で、一度も拝んだことのない桁数がそこにあった。
「ヒヒッ、ちょろすぎて笑いが止まんねえ……!」
脂ぎった手で、ぬるくなったエナジードリンクを喉に流し込む。
炭酸の刺激とカフェインが、脳内のドーパミンを加速させる。
サブモニターでは、メッセージアプリの通知が滝のように流れ続けている。
『404号室を予約したいです。本当に依頼できますか?』
『パワハラで苦しんでいます。助けてください』
『家族を殺されました。金ならいくらでも払います』
画面を埋め尽くす悲痛な叫び。
だが、タカギの目にはそれらがすべて「金」のアイコンにしか見えていなかった。
「バッカじゃねえの。ネットの映像なんて全部フェイクだろうが」
彼は鼻を鳴らし、あらかじめ設定しておいたマクロキーを叩く。
『代行手数料は一律10万クレジット。先払いで契約成立となります。当方は404号室への直通回線を保有しています』
送信。
ものの数分で、入金通知のポップアップが弾ける。
『100,000クレジット、受信しました』
タカギは椅子を軋ませて仰け反り、天井に向かって指を突き上げた。
「ギャハハッ! あーあ、チョロい。マジで人生イージーモードだわぁ!」
汗ばんだ額を拭う。
あの配信は傑作だった。AR合成かディープフェイクかは知らないが、おかげでこうして莫大な金が転がり込んでくる。
「404号室の始末屋? そんな漫画みたいな奴がいるわけねえだろ。……いたとしても俺にはカンケーねえしな。俺は誰も殺してない。ただの『情報商材』を売ってるだけだ」
自分への言い訳を口の中で転がしていると、新たな通知が来た。
文面は必死さを通り越して、鬼気迫るものだった。
『お願いします。昨日、妻が自殺しました。会社の上司の執拗なパワハラが原因です。法では裁けないんです。どうしても復讐したい。404号室に頼みたいんです』
タカギは一瞬だけ目を細めた。だが、すぐに興味を失う。
またか。どいつもこいつも不幸自慢ばかり。
「はいはい、お悔やみ申し上げますよっと」
彼は文章を読み飛ばし、無造作にテンプレート返信のボタンを押した。
「『代行手数料は10万クレジットです』……っと。オラァ、さっさと払えよ情弱!」
カップ麺の残り汁をすすりながら、次の獲物を探す。
罪悪感などない。騙される方が悪い。
都市伝説に縋るような弱者は、どのみちこの街では生き残れないのだ。
「500万あれば、このゴミ溜めからオサラバできる。いや、このペースなら1000万も夢じゃねえな」
タカギは鼻歌交じりに冷蔵庫へ向かった。
缶ビールを取り出し、プルタブを弾く。
プシュッという小気味いい音が、勝利のファンファーレのように響く。
「最高だ。俺は天才だ」
椅子に戻り、足を組む。モニターには、先ほどの客からの返信が届いていた。
『本当に404号室に連絡してくれるんですか? 信じていいんですか?』
タカギは口角を歪め、キーボードを叩いた。
『もちろんです。私は404号室の正規代理人ですから。安心してお任せく――』
送信ボタンを押そうとした、その瞬間だった。
ピピッ。
ガチュン。
電子ロックが強制解除される音が響き――直後。
ドォォォォン!!
爆発のような轟音と共に、鋼鉄のドアが蹴り破られた。
「ひでぶっ!?」
タカギは悲鳴を上げ、椅子ごと真後ろに転倒した。
飲みかけのビールが宙を舞い、モニターやキーボードに泡立つ液体をぶちまける。
腰を強打した痛みに悶絶しながら、這いつくばって入口を見る。
「な、なななっ、なんだぁ!?」
薄暗い廊下から、土足のまま侵入してくる二つの影。
逆光で顔は見えない。
だがその輪郭が放つ異様な威圧感に、タカギの本能が警鐘を鳴らす。
白髪の少年が、ゆっくりとフードを下ろした。
「よう。随分と景気のいいオフィスだな、クソ野郎」
闇の中で、エメラルドグリーンの義眼がギラリと光る。
黒塗りの軍用義手が、油圧の駆動音を響かせながら握り込まれた。
「『正規代理人』様だって? 初耳だな。俺たちがいつ、お前みたいな豚を雇ったんだ?」
「え……えっ?」
タカギの動きが凍りつく。
その言葉の意味を理解するのに、数秒かかった。理解したくなかった。
少年の後ろからもう一人、小柄な影が進み出る。
水色の髪。そして、血のように赤い瞳。
彼女は無言のまま、ゴミを見るような冷徹な視線でタカギを見下ろした。
「ヒッ……!」
心臓が早鐘を打つ。喉が渇き、引きつった悲鳴すら出てこない。
画面の中にしかいないと信じていた「虚構」が、今、目の前で「現実」として息をしている。
404号室の始末屋。
本物の、死神。
「あ……あ、あ……」
タカギは失禁しそうになりながら、後ずさりした。背中が壁に当たる。逃げ場はない。
「ま、待ってくれ……! ち、違うんだ、これは……!」
弁解の言葉は、震えて形にならなかった。
「聞かせてもらうぜ。何がどう違うのかをなぁ!」
新たな仲間を得て通常営業に戻っていきます




