【断罪】リミッター解除
カーバンクルは.357マグナムの照準を合わせた。
迷いのない射撃。
轟音と共に、鉛の塊がヴァイスの眉間へ向かう。
しかし――その影が揺らいだ。
着弾したのは背後の強化ガラス。
ヴァイスは紙一重で弾道を読み、水が流れるように身体を逸らしていた。
「!」
「躱しやがった!?」
カーバンクルは表情を変えずに二発目を放つ。今度は胸部。面積の広い胴体狙い。
だが、ヴァイスは上半身を鞭のようにしならせ、弾丸を空転させた。
「……!」
「嘘だろ、アイツ……!?」
ショウが驚愕する。
あの動きはただの反射神経ではない。予備動作のない、洗練された武術の動きだ。
ヴァイスは不敵に微笑み、両手をゆらりと構えた。
独特の円を描くような手つき。古流中国拳法の構えだ。
「気づいたかね」
彼の足運びが変わる。重心が消え、気配が希薄になる。
「7年前、ほとんどのデータは遺失した。しかし、当時から脳への戦闘データインストールシステムだけは面白そうだったのでね。個人的に保存しておいたんだよ」
彼の目が、鋭い光を放つ。
「そして中国拳法の達人と、軍用CQCのエキスパート。二人分の戦闘データを、私の脳に直接インストールした」
ヴァイスの体が、爆発的に加速した。
チタンの重装甲を纏った男が、軽業師のように地を滑る。
カーバンクルは三発目を撃つが、ヴァイスは弾道を潜り抜けるように懐へ侵入した。
寸勁。
至近距離から放たれた拳が、カーバンクルの腹部を襲う。
彼女は咄嗟にバックステップしたが、拳圧だけで服が裂け、肌が焼けるような痛みが走った。
直撃していれば内臓が破裂していた一撃。
「……っ」
カーバンクルは距離を取りつつ四発目を放つ。
ヴァイスは蛇のように身をくねらせ、最小限の動きで回避しながらも接近を止めない。
「隙ありッ!」
側面からショウが飛び込む。義手のブレードがヴァイスの頸動脈を狙って閃く。
だが、ヴァイスの背中には目がついているようだった。
彼は振り返りもせず、ショウの手首を正確に掴み取った。
CQCの関節技。
「がっ……!?」
攻撃のベクトルを逆に利用され、ショウの体が宙を舞う。
床に叩きつけられると同時に、義手のジョイントから異音が響いた。
「くそっ……!」
「甘いな」
ヴァイスは振り返り、カーバンクルへ突進する。
五発目。脚狙い。
ヴァイスは膝を上げ、チタンの脛で弾丸を弾き飛ばす。火花が散る。
そして、その勢いのまま回し蹴りを放った。
旋風脚。
鋼鉄の暴風がカーバンクルの頭部を襲う。
「ぐっ……!」
彼女は腕をクロスさせて防御したが、トラックに撥ねられたような衝撃で後方へ吹き飛ばされた。
空中で体勢を立て直し、着地する。
腕が痺れ、リボルバーを持つ手が微かに震える。
ヴァイスは衣服の乱れを直し、悠然と笑った。
「どうだね、カーバンクル。君の技術は人間離れしているが、私も同じ高みにいる。加えて、私にはこの無敵の肉体がある」
カーバンクルは無言で、シリンダーの残弾を感じ取る。
あと一発。
「ソフトウェアは君のほうが遥かに優秀だが、私のほうがハードウェアは上だよ」
彼女は深く息を吸い、重心を落とした。
ショウが軋む体を起こし、彼女の斜め前に立つ。
「カーバンクル……俺が隙を作る。お前は確実にド頭に撃ち込め」
「分かった」
二人は同時に地を蹴った。
ショウが右から、残された全力でブレードを振るう。
カーバンクルが正面から、最後の弾丸を放つ。
必殺の挟撃。
だが、ヴァイスはそれを嘲笑うように動いた。
回転運動。
ショウの斬撃をチタンの腕で受け流し、その反動を利用してさらに加速。
同時に首を傾け、カーバンクルの弾丸を回避する。
ヒュン!
弾丸が空を切り、壁に突き刺さる音。
弾切れのカチリという音が、絶望的に響く。
「チェックメイトだ」
ヴァイスは流れるような動きでカーバンクルの懐に入り込み、掌底を突き上げた。
回避不能のタイミング。
ドゴォッ!
「がぁっ……!」
カーバンクルの小さな体がくの字に折れ、ボールのように弾き飛ばされた。
床を転がり、デスクに叩きつけられる。
口から赤い飛沫が散る。
「カーバンクル!」
ショウが叫んで飛びかかるが、ヴァイスは裏拳で彼を薙ぎ払った。
ショウもまた、壁に叩きつけられて沈黙する。
ヴァイスは、倒れ伏す二人を見下ろした。
「化勁で受け流したな。しかし私の攻撃もまた同じ文化圏出身だ。それなりにダメージが入っただろう?」
「…………」
カーバンクルは答えない。口から血を流しながら、なんとか手足に力を入れようとしている。
「私が7年間、ただ椅子に座っていたと思ったのかね?」
彼は埃を払う仕草を見せた。
「私は常に完璧を目指す。君たちごときでは、私の『進化』には追いつけない」
……だが、カーバンクルは、ふらつきながらも立ち上がった。
腹を押さえ、苦痛に顔を歪めながらも、その赤い瞳から光は消えていない。
ショウも、壊れかけの義手を支えに身を起こす。
二人はまだ、死んでいない。
ヴァイスはわずかに眉を上げ、再び構えをとった。
「ほう。まだ学習しないか」
「……はぁ……」
カーバンクルは腹部を押さえたまま、糸が切れたように動きを止めた。
痛みに屈したのではない。何らかの決断を下した静寂だった。
ヴァイスは余裕の笑みを崩さず、一歩踏み出す。
「もう終わりかね? やはりハードウェアの基礎スペックの差は埋まらない。私の――」
その言葉を遮るように、カーバンクルが呟いた。
「仕方がない」
ショウが怪訝な顔をする。
「カーバンクル?」
「普段は制限をかけてる。人格データに侵食されて、私が私じゃなくならないように」
彼女は自分のこめかみに指を当てた。
「でも、今のままじゃ勝てない。……だから」
カチリ、と見えないスイッチが入る音がした。
「リミッター、解除」
その声は、いつもの無機質な響きではなかった。
何十、何百もの声が重なり合った、不協和音のようなノイズ。
ヴァイスが眉をひそめる。
「リミッター? 何を――」
瞬間、カーバンクルの赤い瞳孔が幾何学模様に変形し、激しく明滅を始めた。
脳内CPUが限界までオーバークロックし、冷却液が沸騰するほどの熱を発する。
「――戦闘アーカイブ、全開放――」
彼女が顔を上げた時、そこにいたのはカーバンクルではなかった。
口元に、獰猛な獣の笑みが張り付いている。
「Hehehe... Finally, I can stretch my legs.(ヒヒヒ……やっと手足が伸ばせるぜ)」
幼い喉から発せられる、明らかに異質な声色。
ヴァイスが息を呑んで一歩下がる。
「なんだ……並列処理、か……!?」
カーバンクル――いや、その肉体を借りた『誰か』が首を鳴らした。
「Seven years in a cage. Not fun, boss.(7年も檻の中だ。退屈だったぜ、ボス)」
床が爆ぜるほどの踏み込み。
ヴァイスの動体視力ですら捉えきれない速度で懐へ潜り込み、下から顎を突き上げるエルボー。
米軍特殊部隊仕込みのCQC。
ヴァイスは咄嗟に腕をクロスさせて防御したが、質量を無視した衝撃に膝をつきかけた。
「ぐぅッ……!」
「Слишком медленно.(遅すぎる)」
技術体系が、人格ごと切り替わる。
流れるようなコマンドサンボの動きでヴァイスの腕を絡め取り、関節を逆方向へへし折ろうとする。
チタンの骨格がきしみ、悲鳴を上げる。
「ぬうぅッ!」
ヴァイスは強引に腕を引き抜き、バックステップで距離を取った。冷や汗が流れる。
「興味深い……! 人格統合を放棄し、状況に応じて最適な『戦闘者』を呼び出しているのか!」
カーバンクルは追撃の手を緩めない。
「你太弱了!?(弱すぎるなァ!?)」
構えが変わる。ヴァイスと同じ中国拳法だが、型を捨てた殺人拳。
跳躍からの連環腿が、ヴァイスのガードの上から脳を揺らす。
一発、二発、三発。
防御の上からでも骨に響く重い打撃。
「くっ……! 調子に……乗るなァ!!」
ヴァイスも反撃に出る。チタンの硬度を活かした強引なタックル。
だが、カーバンクルの動きがまた変化した。
「Porque soy un soldado!(乗るさ。俺は兵士だからなぁ!)」
南米ゲリラの喧嘩殺法。
彼女はタックルを受け止めず、床に転がっていたロボットの破片を蹴り上げて目潰しにした。
ヴァイスが視界を遮られた隙に、がら空きの脇腹へ貫手を突き刺す。
ガギィッ!
チタンの肋骨に阻まれたが、衝撃は内臓へ浸透する。
「がはっ……!」
ヴァイスが苦悶の声を漏らし、たたらを踏む。
カーバンクルは止まらない。
スタイルが、リズムが、殺意の質が、瞬きするたびに変化していく。
「二人分のデータではとても足りない。我らは百人以上。お前の底の浅い技術では、我らには届かない」
CQC、コマンドサンボ、中国拳法、ムエタイ、クラヴマガ。
あらゆる殺人術が混ざり合い、混沌とした嵐となってヴァイスを襲う。
ヴァイスは必死に防御するが、徐々に装甲が歪み、ダメージが蓄積していく。
「أنت ستموت.(お前は死ぬ)」
彼女は床のガラス片を拾い、逆手に構えて喉笛を狙う。
ヴァイスは口から血を吐きながらも、その目を爛々と輝かせた。
「素晴らしい……! やはり君こそが人類の頂点だ! 私の理論は正しかった!」
彼は狂喜しながら、チタンの腕でガラス片を受け止めた。手のひらが裂けるのも構わない。
「Tu n'es rien pour nous.(お前など眼中にない)」
カーバンクルは拘束された手を支点に体を回転させ、ヴァイスの顔面に膝蹴りを叩き込んだ。
鼻が砕ける音。
ヴァイスが吹き飛び、背後のウィンドウ・スクリーンに激突する。
強化ガラスに亀裂が走る。
カーバンクルはゆっくりと歩み寄る。
その口から、無数の言語がカオスのように溢れ出した。
「You're nothing(無価値だ)」
「Ты ничто(塵に等しい)」
「你什么都不是(何者でもない)」
「お前は終わりだ」
それは一人の少女の声ではない。
100人の亡霊による死の宣告。
彼女はヴァイスの胸倉を掴み、ガラス窓へ押し付けた。
拳を振り上げる。トドメの一撃。
その瞳には、かつての空虚さも、今の意思もない。
ただ純粋な殺戮衝動だけがあった。
「カーバンクル! やめろッ!」
ショウの絶叫が、ノイズを切り裂いた。
ピタリ、と拳が止まる。
カーバンクルがゆっくりと振り返る。
その表情は、笑いと怒りと無関心が混ざり合った、不気味な歪みを浮かべていた。
「Who... are you?(誰だ、お前は?)」
英語。だが、そこには微かな困惑が混じっていた。
「戻ってこい! お前はカーバンクルだ! 落ち着けよ!」
ショウが必死に叫ぶ。
カーバンクルの瞳が激しく明滅し、バチバチと火花のような音が脳内で弾けた。
――殺せ。
――いや、違う。
――私は誰だ。
――兵器か。人間か。
――カーバンクル。
――ショウ。コバヤカワ。
彼女は頭を抱え、苦悶にうめいた。
「……痛っ……」
その震える声は、ようやく、13歳の少女のものに戻っていた。
虚化みたいなモンである




