【404】逆転の一手
――現在。市長執務室。
ヴァイスの話が終わり、重苦しい沈黙が部屋を満たす。
「……理解できたかな? 君が何のために生まれ、誰によって作られたのかを」
カーバンクルは沈黙したまま、赤い瞳で創造主を見返していた。
ショウは義手をきしませ、コバヤカワはトリガーに指をかける。一触即発の空気。
ヴァイスは嘆くように窓の外を見た。
「あの日、君が派手に暴れ回ってくれたおかげで、研究データは施設の崩壊と共に消滅した。……だが、唯一のバックアップが残っている。君の身体の中だけにね」
彼は振り返り、狂信者の目を向けた。
「私は本気で人類を救おうとしている」
ヴァイスはデスクを叩き、力説する。
「このドーム都市はもはや限界だ。資源枯渇、遺伝子プールの劣化、出生率の低下。100年以内に我々は滅びる。これは悲観論ではなく、確定した統計データだ。外に出る以外に道はない!」
彼は両手を広げ、演説するように続けた。
「君のデータを用いた、超人兵士1000体による開拓部隊。彼らが新たな生存圏を築き、種を存続させるのだ」
ヴァイスは一歩、また一歩とカーバンクルへ歩み寄る。
「その『イヴ』こそが君だ、No.021。君は成功例だ。たった一人で軍隊を壊滅させる力を持つ、進化した人類の雛形なのだ」
彼は恭しく手を差し出した。
「戻ってきなさい。今度こそ完璧な制御システムを用意してある。君は苦しむことなく、ただ命令に従えばいい。人類を救う英雄になれるんだ」
甘美な誘惑。世界を救う鍵としての役割。
――しかし。
「興味ない」
カーバンクルの声は、氷のように冷たく、明瞭だった。
ヴァイスの笑顔が凍りつく。
「……何?」
「人類とか、進化とか、どうでもいい」
彼女はヴァイスの手を無視し、真っ直ぐに彼の目を見た。
かつてのような空虚な瞳ではない。そこには確固たる意志の炎が灯っていた。
「私はNo.021じゃない。404号室の始末屋、カーバンクル。依頼を受けて悪人を始末する。それだけ」
ショウが一歩前に出る。
「聞いたろ。コイツはお前の備品じゃねぇ」
「ヴァイス、お前は父を殺した。その罪、法で償ってもらう!」
コバヤカワがマグナムを突きつける。
ヴァイスは三人を見回し、深く、芝居がかった溜息をついた。
「……残念だ。実に残念だよ」
差し出していた手が、ゆっくりと下ろされる。
「親心というものは、なかなか通じないものだな。君なら、私の理想を理解してくれると期待していたのだが」
彼は首を鳴らし、怜悧な目を向けた。
「ならば仕方がない。教育的指導が必要なようだ」
殺気が膨れ上がる。
カーバンクルは即座に踏み込んだ。
爆発的な加速。
一瞬で間合いを詰め、ヴァイスの顎へ掌底を打ち込む。
脳を揺らし、意識を刈り取る必殺の一撃。
ガィィィン!
……だが衝撃の瞬間、鈍い音ではなく、硬質な金属音が響いた。
ヴァイスの頭部はわずかに揺れただけ。彼は無傷で、不気味に微笑んでいる。
「残念だったね」
「……!?」
カーバンクルが目を見開いてバックステップする。手応えがおかしい。人間を攻撃した際の手応えではなかった。
「君の打撃は素晴らしい。的確に急所を捉えている。だが――チタン合金の頭蓋骨を砕くには、出力が足りないな」
「は……チタンだと?」
ショウが驚愕する中、ヴァイスは悠然と上着を脱ぎ捨てた。
シャツのボタンを外すと、その胸には無数の醜い手術痕が刻まれていた。
「7年前、君を逃してから私は考えた。君という最高傑作を制圧するには、どうすればいいか」
彼は自らの胸板を拳で叩いた。
カン、と高い音が鳴る。
「答えは単純だ。人間をやめればいい」
ヴァイスは恍惚とした表情で笑う。
「頭蓋骨、脊椎、肋骨、四肢。全身の骨格をすべて医療用チタン合金に置換した。内臓を守る装甲も埋め込んである。今の私は、人型の戦車だ」
「全身骨格の置換……!? 正気かよ」
ショウが呻く。それは自殺行為にも等しい大手術だ。この男の執念は狂気の域に達している。
カーバンクルは再び動いた。
肋骨への蹴り、関節への関節技、喉への手刀。
流れるような連撃。だが、すべてが金属の壁に弾かれる。
「無駄だ。関節を極めようとしても、ジョイントの強度が勝る。打撃は通じない」
ヴァイスは防御すらせず、攻撃を受け続けた。
圧倒的な質量と硬度。彼は歩く要塞だった。
「どうする? 降伏したまえ。私は君を壊したくはない」
ヴァイスが一歩踏み出す。
その瞬間、カーバンクルの視線が床に落ちた。
先ほどの乱闘でヴァイスが落とした、銀色のネクタイピン。
「……っ!」
彼女は爪先でそれを蹴り上げた。
宙を舞うピンを空中で掴み取り、全力で投擲する。
ヒュッ!
銀閃が走る。狙いは唯一の生身――眼球だ。
「!」
ヴァイスが咄嗟に顔を背けた。
ピンは頬を切り裂き、背後の壁に突き刺さった。
「……なるほど」
ヴァイスは頬に滲んだ血を指で拭い、感心したように頷いた。
「即座に唯一の弱点を見抜き、ありあわせの道具で狙撃する。やはり君は優秀だ。私の最高傑作に相応しい」
だが、その双眸から笑みが消える。
「だが、お遊びはここまでだ」
彼はデスクの引き出しから、黒いリモコンを取り出した。
「本当のゲームを始めようか」
ボタンが押される。
重厚な駆動音と共に、執務室の壁が四方へ開いた。
闇の中から姿を現したのは、四体の鋼鉄の兵士。
身長2メートルの黒色装甲。
胸部で明滅する深紅のモノアイ。
その両腕には、軍用仕様のガトリングガンが直結されている。
「これが私の保険だ」
ヴァイスは勝ち誇ったように告げた。
「完全自律型戦闘ドロイド『ガーディアン』。スタンドアローンで稼働し、外部ネットワークとは物理的に遮断されている」
ショウが即座に義手の接続ジャックを展開するが、舌打ちと共に戻した。
「……マジかよ。信号が一切ねぇ。本当にオフラインだ」
ハッキング不能。電子的な裏口が存在しない、純粋な暴力装置。
四体のドロイドが一斉に腕を上げ、銃身が回転を始める。
無機質な殺意のレーザーサイトが、三人の胸板に赤い点を焼き付けた。
一斉射撃されれば、蜂の巣どころか肉片も残らない。
「さあ、もう一度だけ問おう」
ヴァイスは氷のような声で言った。
「カーバンクル。私の元へ戻るか?」
カーバンクルは沈黙したまま周囲を観察する。
脳内のゴーストたちが、高速でシミュレーションを繰り返す。
――突破不能。
――生存確率はゼロに近い。
――全滅必至。
「拒否すれば、まずその二人をミンチにする。そして君は四肢を破壊してでも連れ帰る。結果は同じだ」
コバヤカワはマグナムを構えたままだが、冷や汗が頬を伝う。
一発撃つ間に、百発の銃弾が返ってくるだろう。攻撃は無意味だ。
ショウもブレードを構えるが、間合いが遠すぎる。
詰みだ。
ヴァイスは残酷な笑みを深める。
「10秒やろう。賢明な選択をしたまえ」
10、9、8……。
死へのカウントダウンが始まる。
7、6、5……。
カーバンクルは仲間を見た。
ショウもコバヤカワも、まだ目を死なせていない。だが手札がないのも事実だ。
(どうしよう……)
4、3、2……。
「待て!」
凛とした声が、カウントを遮った。
コバヤカワだった。
ヴァイスが眉をひそめる。
「何だ? 命乞いか?」
「いや、お前に見せておきたいものがある」
コバヤカワはゆっくりと、左手を胸ポケットへ伸ばした。
「妙な真似をすれば即座にハチの巣だぞ」
ヴァイスの警告を無視し、コバヤカワは指先で摘まんだ小さな物体を取り出した。
親指大の、黒いキューブ。
「……なんだ、それは」
「警察官の必需品だよ。ボディカメラだ」
コバヤカワはそれをヴァイスに見せつけるように掲げた。
「お前がペラペラと語ってくれた狂気の計画、父殺しの示唆、人体実験の過去……すべて、こいつが記録している」
ヴァイスは鼻で笑った。
「だからどうした? ここで君たちが死ねば、そのデータも瓦礫の下だ。死人の告発など、誰も信じない」
コバヤカワは口角を吊り上げた。
「ああ、死人の言葉ならな。だが――」
彼はカメラの側面にある、小さく点滅するLEDを指差した。
録画中を示す赤ではない。
通信中を示す、青色。
「こいつはライブ配信機能付きでね」
「……何?」
「俺がここに入った瞬間から、ずっと垂れ流しだ。ネオ・アルカディア全域の公共ネットワークにな」
ヴァイスの表情が凍り付いた。
コバヤカワは追い打ちをかけるように言った。
「今、この瞬間の視聴者数を知りたいか?」
ヴァイスは震える手でデスクのコンソールを叩いた。
ホログラムが展開され、現在のネットワークトラフィックが表示される。
そこには、信じがたい数字が躍っていた。
同時接続数:3,420,000人。
グラフは垂直に跳ね上がり、画面の右側ではコメントの奔流が滝のように流れている。
『嘘だろ、市長が?』
『子供を実験台にって……悪魔かよ』
『38人も殺したって言ったぞ?』
『前市長を殺したのもコイツなのか!?』
『許せない』『人殺し』『出ていけ!!』
数百万の怒り、驚愕、憎悪。
ドーム都市の全市民が、ヴァイスの罪をリアルタイムで目撃していた。
「……馬鹿な……」
ヴァイスはデスクに手をついた。
コバヤカワは銃を下ろさず、静かに、しかし断罪するように告げた。
「お前は民主主義を侮ったな、ヴァイス」
その声には、亡き父の面影があった。
「いくら金を積み、チタンの骨で身を固めても、800万人の視線からは逃げられない。お前は今、この都市すべての敵になったんだ」
ショウもニヤリと笑った。
「ご愁傷様。お前の大好きな『新人類計画』も、これでおしまいだ」
カーバンクルは無言で、地に落ちた偶像を見つめる。
コバヤカワは一歩踏み出した。
「お前は歴史に名を残したかったそうだな。『救世主』として」
彼は冷徹に言い放つ。
「安心しろ、名は残るさ。ただし『史上最悪の独裁者』としてな」
ヴァイスは、ホログラムの光の中で立ち尽くしていた。
流れ続けるコメントの雨。
増え続ける視聴者数。
350万、360万、400万……。
ネオ・アルカディアのほぼ全住民が彼を見ている。
軽蔑と、怒りの眼差しで。
「さあ、ヴァイス。選べ」
コバヤカワはマグナムの撃鉄を起こした。
カチリ、という音が、静寂に響き渡る。
「大人しく投降して法の裁きを受けるか。それとも、このまま抵抗して、全市民の目の前で『惨めな悪党』になるのか」
四体のドロイドはまだ沈黙を守っている。
ヴァイスの指がリモコンの上に添えられていた。
彼のプライドが、理性と狂気の狭間で軋んでいる。
ホログラムには、なおも市民たちの叫びが溢れていた。
『投降しろ!』
『人殺し!』
『地獄へ落ちろ!』
ヴァイスは、ゆっくりと顔を上げた。
その表情に浮かんでいたのは――
どんな顔しとんねやろ




