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【404】カーバンクルの過去・Ⅱ

「……ころす」


 兵士の一瞬の慢心が命取りだった。


「がッ……!?」


 瞬き一つの間に、先頭の兵士が崩れ落ちた。


 少女の手には兵士の腰から抜き取ったコンバットナイフが握られており、その柄頭が兵士の顎を正確に打ち抜いていたのだ。


 脳震盪。即座に意識を断たれた大男が、糸の切れた人形のように崩れ落ちる。


「な……!?」

「散開ッ!」


 隊長の叫びで、残る9名が弾かれたように動いた。

 標準的な制圧フォーメーション。三方向から包囲し、逃げ道を塞ぐ。


 だが、少女は逃げなかった。むしろ、包囲網の「内側」へ飛び込んだ。


「来るぞ!」

「なんなんだ、畜生……!」


 狙いは左翼の兵士。

 兵士が反射的にスタンガンを突き出す。少女はその腕の下を潜るように滑り込み、兵士の手首を両手で掴んだ。

 力比べではない。彼女は自分の全体重をかけ、テコの原理で手首を捻り上げた。


「ぐぅッ!」


 関節が決まり、兵士の手からスタンガンがこぼれ落ちる。

 少女はそれを空中で掴み取ると、躊躇なく最大出力で兵士の脇腹に押し当てた。


「があああああああああ……っ!!」


 青白いスパーク。肉の焦げる臭い。兵士が白目を剥いて倒れる。


「このガキ……!」


 三名の兵士がゴム弾を発射する。

 少女は倒れた兵士の体を盾にして、弾丸を防いだ。


 その動きには一切の無駄がない。100人分の戦闘データが、彼女に最適解を囁き続けているのだ。


 観察室で、ヴァイスが興奮に顔を歪めた。


「素晴らしい……! パワー不足を技術と道具で完全に補っている」


 訓練場では狩りが続いていた。


 少女は盾にした兵士のベルトからスタングレネードを引き抜き、ピンを抜いて背後に転がした。

 爆音と閃光。


「ぐあっ!?」


 視界と聴覚を奪われた兵士たちの只中を、小さな影が疾走する。


 彼女は混乱する兵士の背後に音もなく忍び寄り、膝裏を蹴って体勢を崩させると、奪ったスタンガンを延髄に叩き込んだ。


「がううううっ!?」


 また一人、沈黙する。


 急所、関節、神経。

 人体構造の弱点だけを的確に突き、相手の自重と武器を利用して制圧していく。


「くそっ、囲め! 距離を取るな!」


 残った兵士たちが一斉に襲いかかる。

 大人の腕力で押さえ込めば、子供などひとたまりもないはずだ。


 一人の兵士が少女の腕を掴もうとした。

 少女はその通りに腕を掴ませた。

 そしてその勢いを利用して兵士の腕にぶら下がり、遠心力を使って兵士の顔面に両足でのドロップキックを見舞う。


「ぐへっ!?」


 鼻骨が砕ける音。兵士がのけぞる。

 着地と同時に、少女は別の兵士の股下をすり抜け、アキレス腱をナイフで斬り裂いた。


「ぐあああああっ!? あ、足が……!?」


 残り2名。隊長と、サイバネティック兵士。


 追い詰められた恐怖が理性を焼き切る。

 サイバネ兵士が義手を展開し、高周波ブレードを起動した。訓練規定違反の本物の凶器だ。


「ふざけやがって! なんだよこの化物!?」

「おい待て――」

「死ねぇッ!」


 兵士がブレードを振り下ろす。殺意の乗った一撃。

 だが、少女の瞳は冷徹だった。


 彼女は紙一重で斬撃をかわすと、ブレードがコンクリートの床に突き刺さる瞬間を待った。

 切っ先が床に食い込み、兵士の動きが一瞬止まる。


 その隙に、少女は兵士の義手の手首にある緊急リリースラッチを操作した。

 ガシュッ、と音がして、義手が本体から強制パージされる。


「は……!?」


 兵士が間抜けな声を上げた瞬間、少女は外れた義手を拾い上げ――その重量を遠心力に変え、高周波ブレードを彼の胴体に滑らせる。

 鋭い音が響き、兵士だったものが崩れ落ちる。


「〜〜〜〜……っ!!」


 最後に残ったのは隊長だけだった。

 彼は震える手で銃を構えていたが、もはや戦意は喪失していた。


 少女は、彼をじっと見つめた。

 返り血で汚れた頬。乱れた呼吸。しかし、その瞳だけが静まり返っている。


 彼女が一歩踏み出すと、隊長は悲鳴を上げて銃を取り落とし、尻餅をついた。


「ひ、ひぃ……!」


 少女は彼に近づくと、落ちていたスタンガンを拾い上げ、首筋に押し当てた。

 バチッ。


「ぎあああああっ!!」


 隊長が痙攣し、意識を手放す。

 静寂が戻った訓練場に、10人の大人が転がっていた。


 少女はその中央に立ち尽くし、自分の手を見つめた。

 小さな手。まだ何も掴めるはずのない手。それが今、これほどの暴力を成し遂げた。


「……これで、いいの?」


 独り言のように呟いた声には、微かな震えがあった。

 疑問。不安。子供らしい迷い。


 スピーカーから、ヴァイスの歓喜に満ちた声が降ってくる。


『完璧だ……No.021、君は最高傑作だ! 神の兵器の誕生だ!』


 少女は観察室を見上げた。

 大人たちが喜んでいる。褒めてくれている。

 ならば、これは「正しい」ことなのだろうか……?


 彼女の脳内では、移植された記憶たちが騒ぎ立てていた。


 ――もっと殺せ。

 ――殺せ。

 ――殺させろ。


 少女はその声を無視して目を閉じる。

 何が善で、何が悪か6歳の彼女には判断がつかなかった。

 ただ、この場所で生き延びるためには命令に従うしかなかった。それだけは理解していた。


 少女は足元に転がる兵士たちを一瞥もせず、出口へと歩き出した。

 その小さな背中には、あまりにも重すぎる殺意が背負わされていた。



 ――そして、2073年某日、午前3時47分。ノース区地下秘密研究施設。


 手術室は青白い光に満たされていた。


 中央の手術台には、No.021が張り付けにされている。

 麻酔濃度は致死量ギリギリ。意識は深淵へと沈んでいるはずだった。

 だが、その瞳孔は開いたまま天井の無影灯を睨みつけている。


「バイタル安定。脳波パターン、正常」

「最終工程を開始する。制御チップの埋め込みだ」


 三名の外科医と二名の助手が、少女の頭部を取り囲んだ。


 彼らの手には銀色のメスと、微細な電子部品。

 これを脳幹に打ち込めば、彼女は永遠に自我を持たない、完璧な生体兵器となる。


 観察室のヴァイスが、マイク越しに命令を下した。


『始めろ。神の兵器の完成だ』


 主任外科医がメスを構える。刃先が白い頭皮に触れ、一筋の血が滲んだ。

 その瞬間だった。


 ピ、ピ、ピ――ガガガッ!


 心電図モニターが悲鳴を上げ、脳波計のグラフが真っ黒に塗りつぶされた。


 単一の波形ではない。

 何十、何百もの脳波がノイズのように重なり合い、爆発したのだ。


「なっ……!?」

「ナノマシンが暴走しています……!? いや、違う! この反応はなんだ!?」


 少女の脳という密室の中で、100人を越える亡霊が目を覚ました。


 歴戦の兵士、冷酷な暗殺者、狂気の傭兵。

 彼らの残留思念が、侵入しようとした「制御チップ」という異物に対し、強烈な殺意を以て反応する。


 ――誰だ?


 ――俺を縛ろうとするのは誰だ?


 ――排除しろ。


 ――殺せ。殺せ。殺せ!


 少女の口から空気が漏れた。


 麻酔など無意味だった。

 脳内麻薬が過剰分泌され、薬効を焼き尽くしていく。


「被験体が覚醒……ッ!?」


 外科医が後ずさろうとした時、バキリと乾いた音がした。

 鋼鉄の拘束具から、少女の手首が外れている。

 自らの親指の関節を脱臼させ、手錠から「抜け出した」のだ。


「お、おい! 麻酔――」


 彼女は手術台から滑り落ちるように起き上がった。

 関節を戻しながら首を傾げる。その動きは、人間というよりは昆虫的だった。


「ひっ……!」


 外科医がメスを取り落とす。

 少女の手が空を切り、落ちる前のメスを掴み取った。


 そして躊躇も、予備動作もなく。


 ザシュッ。


「あ――あ? うわああああああっ!?」


 主任外科医の頸動脈が両断された。

 噴き出した血が、天井まで届く赤いアーチを描く。

 男が喉を押さえて崩れ落ちるのと同時に、少女は既に次の標的へ跳んでいた。


 助手が緊急ボタンに手を伸ばす。

 少女はその腕に飛びつき、体重をかけて逆方向へへし折った。


「ぎゃあああ!」


 絶叫は続かなかった。

 彼女は助手の白衣を掴んで引き寄せると、奪ったメスを眼窩へ深々と突き刺した。


 グリ、と捻る音。脳幹破壊。即死。


「ヒィ……! ば、化け物!」

「手術中止、中止! 助けてくれぇ!」


 残る三人がパニックに陥り、扉へ殺到する。

 だが出口の前には、いつの間にか少女が立っていた。


 血まみれの手術着。返り血で赤く染まった顔。

 その瞳は、焦点が合っていなかった。


「……ころ……せ」


 少女の口から漏れるのは殺意。

 彼女の脳内では、殺戮を渇望する声が轟音となって響いている。


 ――敵だ。

 ――全員殺せ。

 ――生かしておくな。


 少女は医療用トレイを蹴り上げた。

 宙を舞った鋭利な鉗子が、逃げ遅れた外科医の後頭部に突き刺さる。


 倒れた男を踏み台にして跳躍し、残る二人の背後へ。

 一人の首筋に噛みつき、もう一人の喉を素手で潰す。


「ヒィッ」

「がっ、ギャッ」

「ぐはぁぁ……!!」


 わずか十数秒。


 静寂が戻った手術室は、屠殺場のような有様へと変わっていた。

 少女はその中央でゆらりと立ち尽くしている。


 観察室のヴァイスは、マイクを握りしめたまま凍り付いていた。


「……何が……起きた?」

「ヴァイス様、退避を!」


 少女はふらふらと廊下へ出た。

 駆けつけた武装警備員三名が、銃口を向ける。


「止まれ! 伏せろ!」


 警告。だが彼女の耳には届かない。

 彼女に見えているのは「敵対的反応」を示す赤いマーカーだけだ。


「仕方がない。撃て!」


 警備員が発砲する。だが、そのときすでに彼女はいなかった。


 少女は壁を走り、天井の配管にぶら下がって弾道を回避した。重力を無視したような三次元機動。

 彼女は真上から落下し、一人の警備員の頭上に着地した。

 首の骨が砕ける音と共に、男が沈む。


「ぐォう……ッ!!」


 少女は死体のホルスターから拳銃を抜き、流れるような動作で残る二人を撃ち抜いた。

 眉間への正確な二発。


 パン、パン。


「ガッ」

「まっ――」


 乾いた音が響き、廊下に死体が転がる。

 少女は銃身から昇る硝煙の匂いを嗅ぎ、小さく笑う。

 笑ったのは彼女ではない。彼女の中にいる「誰か」だ。


 ――いいぞ。

 ――もっとだ。

 ――全員殺してしまえ。


 彼女は歩き出した。裸足の足跡が、血で赤くスタンプされていく。



 実験室エリア。

 夜勤の研究員たちが、モニターの異変に気づいて騒ぎ始めていた。


 そこへ自動ドアが開く。

 血まみれの小さな影が入ってきた。


「No.021……? どうしたんだ、その血は」


 研究員の一人が近づこうとした。

 少女は無言で銃を向け、引き金を引いた。

 弾切れのカチッという音が鳴る。


「ひ――え?」

「…………」


 少女は即座に銃を投げ捨てた。それはもう不用品だと言わんばかりに。

 そして、近くにあった実験用マイクロピペットを鷲掴みにした。


「ひっ……!」

「――ぎゃああああああ!!?」


 殺戮が始まった。

 彼女は獣のように俊敏に動き回り、逃げ惑う研究員を狩っていった。


 ある者は喉を突き刺され、ある者は首をねじ切られ、ある者は劇薬の瓶を顔面に叩きつけられた。


 悲鳴と、肉が裂ける音と、ガラスの割れる音。

 少女はその旋律の中で踊る。


「ひ……ひ、ひ、ヒィッ……!!」


 最後に残った研究員が、机の下で震えていた。

 一人、また一人と悲鳴が消えていく。耳をふさいで、それをひたすら聞く。


 静かになった。


(……お、終わっ……たのか? あいつは、行っ――)


 おそるおそる目を開く。

 ――少女が、目の前で彼を覗き込んでいた。


「あ――」


 研究員は見た。彼女の瞳を。

 そこには罪悪感も、狂気すらなかった。ただ作業を遂行する機械のような冷徹さと、それを楽しむような子供の無邪気さが同居していた。


「み、見逃して……」


 少女は首を傾げ、手近にあった重量のある顕微鏡を持ち上げた。

 そして、重力に任せて落とした。


 グシャリ。



 中央制御室。鋼鉄の扉が自動で閉ざされている。

 ドン、ドン、ドン。

 まるで死神がノックしているかのような、規則正しい音が響く。


「開けるな! 絶対に開けるなよ!」

「も、問題ない! 021は、筋力自体はない。この扉を開けることは――」


 ギイ、と金属音が鳴る。

 空気の排気音とともに、ゆっくりと扉が開き始める。


「な、なんで……!?」


 隙間から、血に濡れた小さな手が入り込んでくる。


 赤い瞳を光らせ、少女が侵入した。

 彼女の手には奪ったアサルトライフルが握られていた。

 身体に対して大きすぎる銃だが、彼女はそれを完璧なフォームで構えていた。


「ああああああっ……!!」

「やめろ! やめてぇ!!」


 フルオート射撃。

 狭い室内で跳弾が乱れ飛び、モニターが爆ぜ、人間が肉塊に変わる。

 弾が尽きると、彼女は銃身を持って棍棒のように振るった。


 全滅まで、わずか30秒。


 少女は死体の山を踏み越え、メインコンソールへ向かった。

 彼女の指がキーボードを叩く。ハッキングの知識を持つ「誰か」が、彼女の指を操作しているのだ。


 ――セキュリティダウン。

 ――隔壁解放。

 ――原子炉冷却停止。


 警告アラートが鳴り響く。

 施設崩壊のカウントダウンが始まった。



(……あれ……私、何してたんだっけ……)


 少女は燃え盛る施設を後にしていた。

 生き残った人間などいない。動くものはすべて破壊した。


 換気ダクトを通り抜け、外の世界へ這い出る。

 ノース区の廃墟。放射能の灰が雪のように降り積もる死の街だ。


 少女は汚れた顔を上げ、空を見上げた。

 太陽はない。暗い闇に閉ざされた、寒々しい世界だ。


(……覚えてない。けど……ここは、ノース区……。研究施設……なにかが、あったような……)


 彼女の脳内の声たちは、殺戮を終えて満足したのか静まり返っていた。

 あとに残ったのは、空っぽの器としての少女だけ。


 彼女は自分の手を見た。赤く染まった、小さな手。

 震えはなかった。涙もなかった。

 ただ、「終わった」という事実だけがあった。


(…………)


 自分の名前は思い出せなかった。

 ここがどこかも分からない。


 ただ、本能だけが告げていた。

 ここにいてはいけない。遠くへ行かなければ。


「……服を……確保しよう」


 少女は歩き出した。

 目的などなく、ただ生きる場所を探して。


 7年前のあの日。

 一匹の怪物が、檻から解き放たれたのだ。

この頃の殺し方はシンプル

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