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【404】カーバンクルの過去・Ⅰ

 執務室は、権力者の威容を誇示するには十分すぎるほどの広さだった。


 天井は高く、面積も広大。

 壁面を埋め尽くす巨大なホログラム・ディスプレイが、この部屋の主こそが都市の脳であることを示している。


 ネオ・アルカディア全区画の監視映像、エネルギー供給率、治安維持局の通信傍受――あらゆる情報が青白い光の奔流となって脈打っていた。


 中央には黒曜石の一枚板で作られたデスクが鎮座し、その背後の巨大なウィンドウ・スクリーンには、ドーム都市の全景が映し出されている。


 そして、デスクの前に一人の男が立っていた。


 マーカス・ヴァイス。


 仕立ての良い黒いスーツに身を包んだ47歳。

 白髪の交じり始めた髪を完璧に撫でつけている。


 その灰色の瞳は、感情というノイズを一切排除した機械のように冷徹だった。

 彼は侵入者たちを認めると、薄く、優雅に微笑んだ。


「ようこそ、諸君。正面から堂々と来てくれたことに感謝しよう」


 ヴァイスは両手を広げ、まるで旧友を招き入れるかのような仕草を見せた。

 そこには銃口を向けられることへの恐怖も、チームを壊滅させられた焦りも存在しない。


 コバヤカワは右手をホルスターにかけたまま、鋭く踏み込んだ。


「ヴァイス……!」


 刑事の怒気が空気を震わせる。

 だがヴァイスはまるで意に介さず受け流し、デスクの端に浅く腰掛けた。


「コバヤカワ刑事。君の父親は素晴らしい市長だったよ。理想に燃え、清廉潔白で……この腐った都市には眩しすぎた。私は彼を尊敬していたよ」

「どの口が言う……! 父を殺したのはお前だろう!」

「殺した? 言葉が汚いな。彼は自ら退場したんだ。少なくとも、公式記録上は『自殺』となっている」


 ヴァイスは肩をすくめた。

 ショウが即座に義手を構える。


 しかし、広い室内に護衛の姿はない。

 ヴァイスは丸腰で、たった一人だ。それが逆に不気味だった。


 カーバンクルは無言で部屋の中央へ歩み出た。


 7年越しの対峙だった。たとえ彼女にその記憶がなくとも。


 ヴァイスの視線が少女の姿を捉えた瞬間、科学者の熱を帯びた。

 最高傑作を愛でるような、歪んだ情熱の瞳だ。


「久しぶりだね、No.021」

「……」


 かつての管理番号で呼ばれても、カーバンクルの瞳は揺らがなかった。

 ただ静かに、冷ややかに、かつての創造主を見返している。


「いや、今は『カーバンクル』と呼ぶべきか。君が自分で選び取った名前だ。皮肉だが、とても似合っているよ」


 彼は指を組み、三人を見回した。


「さて、対話の時間だ。君たちには知る権利がある。なぜ私が多くの犠牲を払ってまで、カーバンクルという存在を求めたのか……幻獣狩りの真相をね」


 ヴァイスは立ち上がり、背後の窓へと歩み寄った。

 眼下に広がるセントラル区の摩天楼を見下ろす。


「見たまえ。この美しい鳥籠を」


 彼は嘆くように言った。


「現在、人類は汚染された地上を捨て、20のドーム都市に分散して生き延びている。地球の総人口は約1億2000万人。かつて80億を誇った人類の、わずか1.5パーセントの残滓だ」


 ヴァイスはガラスに映る自分自身の顔を見つめ、語り続ける。


「だが、どの都市も限界を迎えている。資源のリサイクル効率は頭打ち、人口密度は飽和状態だ。

 ネオ・アルカディアも例外ではない。当初の収容限界500万人に対し、現在は800万人がひしめき合っている。我々は、酸素の足りない水槽で共食いを待つ魚と同じだ」

「だからと言って……!」


 コバヤカワがその言葉を遮る。


「セントラル区の余剰スペースを開放すればいい! 富裕層が独占している資源を分配すれば、まだ多くの人間が救われるはずだ!」

「君は父親と同じことを言うな。それが『理想論』だと言うんだ」


 ヴァイスは冷ややかに切り捨てた。


「特権階級が自らの既得権益を手放すと思うか? 無理やり奪えば内戦が起き、都市機能そのものが崩壊する。それに、たとえ平等に貧しさを分け合ったところで、それは破滅を数年先送りにするだけの延命措置に過ぎない」


 彼は振り返り、狂気的なまでの確信を込めて断言した。


「もはや人類が生き残る道は一つしかない。『外』だ」


 ヴァイスは窓から外の空を眺める。

 その目は皮肉にも、今朝のコバヤカワと同じ眼差しをしていた。 


「汚染された地表を再征服し、生存圏を拡大する以外に……人類に未来はないんだ」

「外は死の世界だ。生身の人間じゃ生きられねえよ」


 ショウが低い声で唸る。ヴァイスは頷いた。


「その通りだ。高濃度の放射線、変異した生態系、有毒な大気。今の脆弱な人類では、ドームの外では三日と持たない。ならばどうする?」


 ヴァイスは両手を広げた。


「環境が過酷なら、それに適応できるように人間側を変えればいい。進化を、人為的に引き起こすんだ」


 コバヤカワが息を呑み、隣に立つカーバンクルを見る。


「……まさか。それが」

「そうだ。それこそが彼女の正体だよ」


 ヴァイスの声が高揚する。


「あらゆる毒素への耐性、超人的な身体能力、そして過酷な環境下でも生存可能な再生能力。それらを持つ『超人兵士』こそが、外界を切り拓く唯一の鍵となる」


 彼はカーバンクルを指差した。


「君も経験してわかっているはずだ。君はあのノース区でも問題なく活動し、そしてクリーンゾーンの裸の王様を始末したろう?」

「…………」

「これは人類という種を存続させるための、聖なる事業だ。何億もの未来の命が救われる。私は人類の救世主になろうとしたのだよ」


「……うるさいな」


 それまで沈黙していたカーバンクルが、初めて口を開いた。


「私はそんなに都合のいいものじゃない」


 彼女は一歩踏み出し、真っ直ぐにヴァイスを睨みつけた。


「救世主とかいうものになるつもりもないし……当然、あなたをそうするつもりもない」


 ヴァイスは哀れむように首を振った。


「君にはまだ理解できないか。だが、歴史が私を証明するだろう。凡人には理解できない高みというものが存在するのだ」


 彼はデスクのコンソールを操作し、一枚の古い映像データを呼び出した。


「……時は2073年。すべての始まりだ。私はノース区地下の極秘施設にて、『プロジェクト・カーバンクル』の指揮を執っていた――」



 ――7年前、2073年。


 表向きは汚染により封鎖されたノース区の地下深く。

 法も倫理も届かないその暗闇は、ヴァイスにとって約束の地だった。


 かつての軍事基地跡を不法占拠した秘密施設。

 そこで働く研究員たちは高レベルの放射線耐性措置を受け、社会から隔絶された狂気の実験に没頭していた。


 ――無機質な白い廊下を、一人の少女が歩いていた。


 推定年齢6歳。

 サウス区の闇市場で家畜同然に買い取られた孤児だ。


 薄汚れた拘束衣のような衣服。痩せこけた体躯。

 だがすれ違う研究員たちが彼女を見る目は、実験動物を見るそれとは違っていた。

 畏怖と、好奇心だ。


「被験体No.021、入室」


 検査室へ促される。中央には冷たい手術台と、不気味に唸る計測機器。


 この部屋に入った子供は例外なく泣き叫び、暴れた。本能が死を予感するからだ。しかし、No.021は違った。


 彼女は自分から手術台によじ登り、仰向けになった。


 あまりに静かだった。

 瞳には恐怖も、不安も、あるいは希望すらない。

 ただレンズのように世界を映しているだけだ。


 マジックミラー越しの観察室で、ヴァイスが小さく喉を鳴らした。


「……美しいな」


 彼はモニターに表示された脳波データを見つめた。


「他の(サンプル)とは根本的に違う。感情野の反応が極めて希薄だ。恐怖を感じていないのではない……恐怖という概念が欠落している」



 ――適性検査は過酷を極めた。


 50名の被験体に対し、脳神経への直接的な電気刺激テストが行われる。神経伝達速度と苦痛耐性を測るための拷問だ。


「ああああああ……!」

「ヒィィィ、ぎぃぃ……」

「パパぁ、パパぁぁぁ!!」


 子供たちの悲鳴が絶え間なく響く中、No.021だけが沈黙を保っていた。

 彼女は歯を食いしばることもなく、ただ瞬きもせずに天井のライトを見つめ続けていた。


「痛くないのか?」


 担当研究員が思わず尋ねた。少女は首を少し傾げた。


「痛みは、ある」


 その答えは、あまりに機械的だった。


「でも、泣いても痛みは止まらない。だから無駄」

「……な」

「非効率なことは、したくない」


 ヴァイスはその会話を聞き、震える手でマイクを握った。


「素晴らしい……! これだ、私が探していたのは……!」


 彼は興奮を抑えきれずに叫んだ。


「彼女は『空虚』だ。自我という器が空っぽだからこそ、そこに無限の知識と技術を注ぎ込める。No.021を最優先プロジェクトへ移行しろ。他の被験体はデータ取得を優先する!」



 初期データ移植フェーズ。


 脳へ直接ナノマシンを注入し、熟練兵士10人分の戦闘経験を焼き付ける。


 脳が悲鳴を上げ、神経が焼き切れる。

 30名中15名がショック死、あるいは精神崩壊を起こして廃人となった。


 だが、No.021の手術室だけは静寂に包まれていた。


 モニターにはナノマシンが脳神経を侵食していく様子が映し出されている。

 激痛などという言葉では生温い、己を食われるような負荷がかかっているはずだ。

 けれど少女は、またたく間にその負荷に適応した。


「バイタル安定。拒絶反応、皆無。……信じられません、適合率100パーセントです」


 研究員の声が震えている。

 処置が完了し、少女がゆっくりと瞼を開いた。

 その瞳の深淵に、以前にはなかった異質な光が宿る。


「気分はどうだ、No.021?」


 ヴァイスの問いかけに、少女は自らのこめかみを抑えた。


「……うるさい」

「ほう?」

「頭の中に、たくさんの人がいる。みんな、戦い方を叫んでる」


 通常なら発狂する状況だ。他人の記憶と人格の濁流に、自我が押し流される。

 だが彼女は、それを平然と言語化した。


「でも、平気。私が黙らせたから」


 ヴァイスは口元を歪めた。

 圧倒的。彼女は別格だ。まさしく、この超人計画のために生まれてきたような人間だった。



 実験は加速した。


 追加のデータ移植でさらに生存者は減り、最終的に立っていたのはNo.021ただ一人だった。


 彼女は100人分を超える戦闘技術、戦術論、兵器操作データをその小さな脳に収めた。

 だというのに自我の崩壊どころか、彼女の精神はより研ぎ澄まされ、強靭になっていた。


「神の作りたもうた器か……」


 ヴァイスはモニターの中の少女を見つめ、陶酔したように呟く。


「彼女はもはや人間ではない。私が創造した新人類だ」

「しかし研究長。いくら彼女が優秀だとしても、再現性がありません。これほどの予算をかけても無意味では……」

「いや、そうでもない。一度究極の物を作ってしまえば、その廉価版の量産は案外容易いものだ」


 研究員はそういうものですか、とバインターに挟まれた紙にペンを走らせる。


「第二次の募集を開始しろ。次は耐性検査と身体改造の質をより弱く。兵士の戦闘データは各10名程度で十分だろう――」



 そして最終段階。実戦形式による性能評価試験。


 地下訓練場、50メートル四方の閉鎖空間。瓦礫や遮蔽物が乱雑に配置された模擬戦場。


 そこに投入されたのは、完全武装した特殊部隊員10名。

 対テロ戦のエキスパート、サイバネ義体化兵士、元傭兵。

 彼らは訓練用とはいえ、殺傷能力のある装備を身につけていた。


 対する中央には、No.021が一人。

 武器なし。防具なし。身長110センチの、ただの痩せた子供。


 兵士たちは困惑し、顔を見合わせた。


「おいおい、冗談だろ? こんなガキ相手に本気を出せってのか?」

「ドクター・ヴァイス、悪趣味なショーはやめてくれ」


 兵士の一人が銃を下ろし、呆れたように肩をすくめた。

 スピーカーから、ヴァイスの冷徹な声が響く。


「開始」

「だ・か・ら、俺たちはベビーシッターじゃ――」


 兵士の言葉は、永遠に終わらなかった。


 ドン、と床を蹴る音が響いた瞬間、少女の姿が掻き消えた。

 否、速すぎたのだ。


「え――?」


 兵士が瞬きをしたその隙間。

 眼前に、無表情な少女の顔があった。


「……ころす」

カーバンクルさんをナメるとボコボコにされるんですが、ぶっちゃけ可愛い見た目の弱そうな子を前にナメるなというのも無理がある

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