【404】市長、面会
午前6時30分。
診療所を出た三人は、レイチェルが手配した無人タクシーへと乗り込んだ。
警察車両は目立ちすぎるため、診療所の裏手に破棄同然に駐めてある。
「セントラル区、『カフェ・ルミエール』まで」
コバヤカワが行き先を告げると、タクシーは滑らかに発進した。
イースト区の雑多な工場地帯を抜け、車窓の景色が流れていく。
人工空が朝焼けに染まり始めていた。
ドーム天井に張り巡らされた巨大LEDパネルが、プログラム通りの「日の出」を演じている。
オレンジ色の光が、三人の顔を淡く照らした。
「……作り物でも、綺麗だな」
ショウが独り言のように漏らした。白髪が朝日に透け、黄金色の輪郭を帯びる。
「普段薄暗い部屋でパソコンばっか見てるからな。たまには日の出もいいもんだ」
「不健康だぞ、まったく……」
カーバンクルは窓の外を見つめていた。
無表情だが、その赤い瞳はせわしなく動いている。
タクシーはイースト区とセントラル区を隔てる検問所に差し掛かった。
本来なら厳重なIDスキャンが行われる場所だが、ショウが事前にシステムを掌握済みだ。
ゲートは何の警告もなく開き、タクシーは減速すらせずに通過した。
「……呆れたな。ザルかよ」
コバヤカワが感心と呆れが入り混じった声を出す。
「10秒もありゃ、公共機関の防壁なんて紙屑にできるさ。不健康なハッカーの力だよ」
ショウは鼻を鳴らしたが、顔色は優れない。頭部の傷はレイチェルが塞いでくれたものの、鈍痛は残っているはずだ。
カーバンクルはそんなショウの頭をしばらく見つめる。……が、また窓に目をやった。
■
セントラル区に入ると、世界の色が変わった。
幾何学的に並ぶ高層ビル群。塵一つない街路。青々と茂るバイオ街路樹。
イースト区の煤煙とは無縁の、濾過された空気が満ちている。
行き交う車両はすべて最新モデルで、歩行者たちは高級な新素材の服を纏い、誰もが余裕のある表情を浮かべていた。
カフェ・ルミエールは、目抜き通りに面した一等地にあった。
全面ガラス張りの外観に、洗練されたインテリア。
店内には穏やかなクラシック音楽が流れ、客たちは優雅な朝食を楽しんでいる。
「……おい、俺みたいなのが入っていい店か?」
入り口でショウが足を止めた。
黒いパーカーにカーゴパンツ、そしてむき出しの無骨な義手。この空間において、彼は明らかに異物だった。
カーバンクルも同様、いつもの白いパーカーにショートパンツ姿だ。浮浪児と間違われてもおかしくない。
「気にするな。金ならある」
コバヤカワは左肩を庇いながらも、堂々と自動ドアをくぐった。
血と汚れのついたスーツ姿に店員は一瞬ぎょっとしたものの、コバヤカワが懐の警察手帳をちらりと見せると、即座に営業スマイルを貼り付けた。
「いらっしゃいませ。奥の席へどうぞ」
通されたのは、眺めの良い窓際の席だった。
三人は誰からともなく、深くソファに身を沈めた。
「あ゛〜……つっかれた〜。さすがに寝そうだぜ。エナドリが飲みてぇな」
「……エナドリはないが、好きなものを頼め。今日は俺の奢りだ」
コバヤカワが卓上の端末を二人にスライドさせた。
ホログラムで浮かび上がったメニューには、イースト区の住民なら月給が吹き飛ぶような価格が並んでいる。
「なんつー価格だよ。インフレでも起きてんのか……」
ショウは桁数に顔を引きつらせつつ、「エスプレッソとクロワッサン」を選択した。
「カーバンクル。お前はどうする?」
コバヤカワに問われ、カーバンクルはメニューをじっと睨みつけた。
「……これ」
彼女が指差したのは、季節限定のフルーツパンケーキタワーだった。
「あとホットミルク」
「おい、食えんのかそれ」
ショウが呆れたように言うと、カーバンクルは平然と言い放った。
「コバヤカワが払うから大丈夫」
「腹の容量の話をしてんだよ」
コバヤカワは口元を緩め、店員に注文を通した。
自分にはブラックコーヒーとクラブハウスサンドを頼む。
やがて、芳醇な香りと共に料理が運ばれてきた。
カーバンクルは湯気の立つホットミルクを両手で包み一口飲むと、巨大なパンケーキにフォークを突き刺した。
大きく切り分け、小さな口へと運ぶ。
「……うまいか?」
「……!」
ショウが尋ねる。カーバンクルは頬を膨らませたまま、コクコクと力強く頷いた。
その様子は冷酷な始末屋ではなく、ただの腹を空かせた子供のようだった。
コバヤカワはコーヒーを啜り、二人を静かに眺める。
「なあ、コバヤカワ」
クロワッサンを齧りながら、ショウが口を開く。
「なんだ」
「お前、よくこんな店知ってたな。高いだろ、ここ」
場違いなほど優雅な空間を見渡し、ショウは肩をすくめる。
コバヤカワは苦笑した。
「昔、親父に連れてきてもらったんだ。警察学校を卒業した日にな」
彼は窓の外へ視線を投げた。朝日に輝くセントラル区の摩天楼は、成功と繁栄の象徴だ。
「親父は言っていた。『大人になったら、自分の稼ぎで誰かに飯を奢れる男になれ』ってな」
ショウは食べる手を止め、少し耳を傾けた。カーバンクルは……止まっていない。
「その時はピンとこなかったが、今なら分かる。誰かのために何かをしてやれる余裕。それが『大人』ってやつなんだろうな」
彼はカップを置き、真っ直ぐに二人を見た。
「だから今日は、俺に格好をつけさせてくれ。遠慮はいらん、好きなだけ食え」
ショウは少し気恥ずかしそうに鼻を擦った。
「……へいへい。じゃあ、ご馳走になるよ」
カーバンクルは真顔で口の端にクリームをつけたまま、空になった皿を指差した。
「おかわり」
「お前な……」
「いいぞ、頼め」
コバヤカワが笑って許可すると、カーバンクルは満足げにメニューを再起動させた。
食後のコーヒーを飲み終える頃、コバヤカワが切り出した。
「さて。午後2時にはヴァイスと接触する」
場の空気が一瞬で張り詰める。
「正直、どう転ぶかは分からん。最悪の場合、俺たち全員、ここで最後の晩餐ってことになるかもしれん」
脅しではない。事実としての死の予感。
ショウは義手の指でテーブルをコツコツと叩いた。
「上等だろ」
彼は不敵に笑う。
「カーバンクルが行くなら、俺も付き合う。それだけだ」
コバヤカワは眉を上げた。
「前から思ってたが……なぜだ? お前は殺し屋だろう。金にもならない仕事になんで命を張る?」
ショウはバツが悪そうに視線を逸らす。
「……そりゃ、あれだ。乗りかかった船っていうか……アフターサービスの一環っつーか……」
「……」
苦しい言い訳を聞いて、カーバンクルがショウを見上げた。
赤い瞳が、彼を射抜くように見つめている。
「ショウ」
彼女は短く呼んだ。
「な……なんだよ」
「ありがとう。頼りにしてる」
直球の言葉に、ショウは耳まで赤くして頭を掻きむしった。
「……任せとけっての」
■
コバヤカワが会計を済ませ、三人は店を出た。
朝のセントラル区はまだ静寂の中にある。コバヤカワはふと空を見上げた。
「……なあ、カーバンクル」
「なに?」
「本物の空って見たことあるか?」
カーバンクルは首を横に振った。
「データとしては知ってる。でも、肉眼では見たことがない」
「俺もだ。このドームの中で生まれて、ずっと偽物の空を見て育った」
ショウはからかうように笑う。
「もしヴァイスをぶっ飛ばして、全部片付いたら……外に出てみたらどうだ? 案外面白いかもしれないぜ」
コバヤカワは空を見て目を凝らす。LEDのパネルの継ぎ目がかすかに見えた。
「そうだな。本物の青空ってやつを、この目で拝んでみたいもんだ」
カーバンクルは二人の男を見つめ、それから首を傾げた。
■
それから、午後1時45分。
新市庁舎は、セントラル区の心臓部に突き刺さった槍のようだった。
高さ500メートル。
外壁の黒ガラスが、ドーム天井の人工光を鈍く反射している。
正面ゲートには『Neo-Arcadia City Hall』の文字が、青白いホログラムで浮かんでいた。
三人はタクシーを降り、正面突破を図る。
本来なら厳重なセキュリティで蟻一匹通さない場所だ。
だが、警備員たちは三人を視認してもピクリとも動かない。
道を開けたまま、虚空を見つめている。
「……気味悪いな」
ショウの右目、エメラルドグリーンの義眼が周囲を高速スキャンした。
「お通りください」
「お通りください」
「お通りください」
警備員たちから感情のない声がこぼれ落ちる。
罠か、あるいは余裕の表れか。コバヤカワは警戒を解かずに進んでいく。
エントランスホールは、死んだ宮殿だった。
大理石の床、頭上のシャンデリア、壁を埋め尽くす芸術品。
贅を尽くした空間から、人の気配だけが綺麗に切除されている。
三人の足音だけが、乾いた音を立てて響いた。
「職員は全員退去済みか……?」
コバヤカワが吐き捨てるように言う。
この巨大な建造物は今、ヴァイスという一人の男のための舞台と化している。
ホールの最奥で、エレベーターが一基だけ口を開けて待っていた。
内部の照明が、彼らを誘うように明滅している。
「……呼ばれてるね」
カーバンクルが躊躇なく歩き出した。二人はその小さな背中を追った。
乗り込んだ密室で、行き先ボタンは『50』のひとつだけが灯っていた。
エレベーターは滑らかに、しかし恐ろしい速度で上昇を始める。
40階、45階、48階……。
重力が足裏にかかる。沈黙が耳に痛い。
ショウの義手が微かに震えていた。
武者震いか、恐怖か。彼は深く息を吸い、それをねじ伏せようとする。
コバヤカワは腰のホルスターに手を添え、父の形見であるマグナムの冷たい感触を確かめた。
カーバンクルは天井を見上げていたが、ふと、隣に立つコバヤカワの手元を見た。
「……コバヤカワ」
「ん?」
「一応……気をつけてね」
「……ああ」
電子音が鳴り、上昇が止まる。
50階。最上階だ。
扉が開く。
そこは静寂の回廊だった。
黒い大理石の壁。吸い込まれるような長い廊下の突き当たりに、重厚な扉が鎮座している。
中央に埋め込まれた金色のプレートが、彼女たちを嘲笑うように輝いていた。
『市長執務室 ―― マーカス・ヴァイス』
三人は無言で歩き始めた。
扉の前に立つ。触れるよりも早く、重い扉が音もなく左右へ開いた。
漏れ出したのは、ホログラムディスプレイの青白い光。
そして、奥から響く声。
「――ようこそ。待っていたよ」
よく通る、穏やかな声。マーカス・ヴァイスだ。
三人は視線を交わした。
カーバンクルが先頭を切って踏み込む。ショウとコバヤカワも続いた。
背後で、扉が静かに閉まる音がした。
退路は断たれた。もう、後戻りはできない。
肺をやった直後にでっけえパンケーキを2枚食べる女、カーバンクル




