【404】父と息子
――それは、26年前の記憶。
まだ三歳だったコバヤカワ・タクミの視界には、父の大きな手と、その手にある輝くものが映っていた。
「タクミ、これを見なさい」
父が見せてくれたのは重厚な金属製のバッジ。
ネオ・アルカディア警察の紋章が、幼い瞳に反射していた。
「これはなに、お父さん?」
「警察官の証だ」
父は優しく、けれど厳かに微笑んだ。
「このバッジを持つ者は、人々を守る責任がある」
「せきにん……?」
「そうだ。このバッジは権力ではない。責任なんだ」
幼いタクミには、その言葉の意味など分からなかった。
ただ父の真剣な眼差しだけが、心に深く刻まれていた。
■
それから20年。
コバヤカワは警察学校を卒業し、23歳で任官した。
「おめでとう、タクミ」
父は自分の古いバッジを外し、タクミの掌に乗せた。
「これを、お前に」
「父さん……でも、これは」
「私は市長になった。もう、このバッジは必要ない」
父は窓の外、ネオン煌めく街を見下ろした。
「この街は腐敗している。企業が法を買い、正義は売りに出されている。……だが、私は諦めない。市長としてこの街を変えてみせる」
父の横顔は3歳の時に見た時よりも遥かに険しく、そして力強かった。
「お前は警察官として、現場で人々を守れ。私たち二人で、この街を少しでもマシにするんだ」
「ああ。……約束するよ」
コバヤカワはバッジを握りしめた。その冷たい金属の重みが、父との誓いの重さだった。
■
3年後。
コバヤカワは刑事となり、父は市長として改革を進めていた。
だが、ある夜の電話が全てを変えた。
『タクミ、話がある』
受話器越しの父の声は、聞いたことがないほど低く震えていた。
『ノース区の事故のことだ。25年前のあれは、ただの放射能漏れではない』
「どういうことですか?」
『何かもっと……恐ろしいことが隠されている。私は調査を始めたが、妨害を受けている。誰かが、必死に真実を隠そうとしているんだ』
父の焦燥が伝わってくる。
『気をつけろ、タクミ。この街で真実を追うことは、死を意味する』
――その警告は、すぐに現実となった。
2週間後、メディアが一斉に牙を剥いたのだ。
『前市長に汚職疑惑!』
『巨額横領の証拠発覚!』
連日のバッシング。捏造された証拠。
コバヤカワは父の無実を信じていたが、世論の奔流は止められなかった。
一ヶ月後、父は失脚し自宅に軟禁された。
「すまないな、タクミ。お前に恥をかかせた」
久しぶりに会った父は、別人のように老け込んでいた。
白髪が増え、頬はこけ、あの力強かった背中は小さくなっていた。
「そんなことない! 父さんは無実だ。俺が必ず証明する!」
「ありがとう。……だが、お前は気をつけろ」
父は引き出しから、一丁のリボルバーを取り出した。
.357マグナム。父が刑事時代に使っていた愛銃だ。
「これを、お前に」
「父さん、それは……」
「私の形見だ。これで、人々を守れ」
「形見だなんて、縁起でもないことを言うな!」
「はは、そうだな……」
父は寂しげに笑い、窓の外を見た。
「私は、正しいことをした。それだけは、忘れないでくれ」
――それが、最後の会話だった。
三日後、父は死んだ。
自宅の書斎で、首を吊って。
発見したのはタクミだった。
揺れる父の足元には、遺書が落ちていた。
『私は汚職を犯した。市民に謝罪する』と書かれた紙切れ。
だがタクミは知っていた。それは父の筆跡ではない。父の言葉ではない。
しかし警察は、検視官は、メディアは、それを「自殺」として処理した。
タクミは泣き叫び、父の冷たい体を抱きしめることしかできなかった。
■
「……はっ」
現在。
コバヤカワは、父の形見であるリボルバーを握りしめて覚醒した。
(……さすがに疲労がひどい。眠ってしまっていたか)
29歳になった今も、あの日の無力感は消えていない。
父の名誉を取り戻すため、感情を殺し、組織に従い、ヴァイス市長の犬として働いてきた。
『君のお父さんが無実であったことを、私は一番よく知っている』
『私が市長になった暁には、必ずそれを証明してみせる』
――そう語るヴァイスの言葉を信じてしまったのだ。
嘘をついているようにはとても見えなかった。彼は本気で、父の無実を信じているのだと。
(……そりゃあそうだ。知っていたんだからな。父が無実だって、誰よりも)
真実はあまりにも残酷だった。
父を殺したのは、他ならぬヴァイスだった。
そして自分は3年間、父の仇に尻尾を振っていたのだ。
「……ッ!」
コバヤカワは嗚咽を漏らし、床を殴りつけた。
悔しさが、情けなさが、内臓を食い荒らすようだ。
「コバヤカワ……大丈夫?」
カーバンクルの小さな手が、彼の震える肩に触れた。
コバヤカワは顔を上げた。涙で滲んだ視界に、少女の赤い瞳が映る。
「あ……あぁ。問題ない」
「うっし。そんじゃあ、作戦会議始めるぞ」
ショウが義手同士を打ち合わせ、硬質な音を鳴らす。
夜明け前の診療所には、他にも奇妙な音が響いていた。
「うぅ……ぁ……ぁぁ」
「ぎぃぃ……っ! ごぉえっ」
治療室から漏れ聞こえる、サムとエリックの嗚咽と嘔吐音。
そして延々と再生される暴力映像のノイズ。
待合室の三人は、そのBGMを背に作戦会議を開始した。
「さて」
ショウが端末を操作し、ホログラムリストを表示させる。
「残るターゲットは一人。リサだ。情報分析官兼ハッカー」
「うん。あと一人……」
「やったな。12人中11人を撃破だ。リーチがかかったぜ!」
ショウは満足げに笑い、伸びをした。
「リサを倒せば、いよいよラスボスの登場ってわけだ」
「……ショウ、それにカーバンクルも」
コバヤカワが呆れたように溜息をついた。
「これはゲームじゃないんだぞ」
「は?」
「……?」
「12人倒せば自動的にヴァイス市長への扉が開くわけがないだろう。彼はこの街の支配者だ。部下が全滅したからといって、ノコノコと俺たちの前に現れると思うか?」
ショウは口を半開きにして固まった。
カーバンクルも、表情はほとんど変わらないが硬直している。
「え……いや、だって、普通そういう流れだろ?」
「RPGじゃないんだぞ。12人いなくなったら増援して終わりだ」
コバヤカワは窓の外に目をやった。
イースト区の煤けた空が白み始めている。人工太陽の光が、工場の煙突を赤く染めていた。
「ヴァイスに会うにはアポイントが必要だ」
「アポって……市長にかよ。俺たち指名手配犯だぞ?」
「だからこそだ」
コバヤカワは懐から警察用の通信端末を取り出した。
「俺には市長への緊急直通回線がある。幻獣狩りメンバーに支給されていたものだ」
「……もうあなたの裏切りはバレてるんじゃない?」
カーバンクルが不安そうに呟く。
「ああ、当然だ。逆探知されてミサイルが飛んでくるかもしれない」
コバヤカワは自嘲気味に笑った。
「だが、他に手はない。こちらから仕掛けるべきだ」
「……わかった。やってみよう」
「おいおい、知らねえぜ……?」
彼は端末のスイッチを入れた。
呼び出し音が鳴る。一回、二回、三回。
永遠にも思える沈黙の後、スピーカーからノイズ混じりの声が流れた。
『やあ、コバヤカワ君。早起きだね』
ヴァイス市長の声。
穏やかで、知的で、そして底知れなく不気味な声。
「ヴァイス市長。単刀直入に言います。会って、あなたと話がしたい」
『ふむ。随分と唐突な申し出だ。……もっとも、君たちの状況を考えれば妥当な判断かな』
ヴァイスは含み笑いをした。
『私の可愛い部下たちが、随分とお世話になったようだね。E班まで壊滅させるとは、予想以上の戦果だ』
全て知っている。
この男は、安全な高みからこの殺し合いを観劇していたのだ。
『それで? 私に会ってどうするつもりだね? 命乞いか? それとも復讐か?』
「取引です」
コバヤカワはカーバンクルを見た。少女は静かに頷く。
「カーバンクルを連れて行きます。彼女はあなたに会いたがっている」
『ほう!』
ヴァイスの声が弾んだ。
『それは素晴らしい。彼女はそこにいるのかね?』
「いるよ」
カーバンクルが端末に向かって答えた。
『おお……カーバンクル。七年ぶりかな? 声を聞けて嬉しいよ』
それはまるで愛しい孫娘に語りかけるような口調だった。
『君は私の最高傑作だ。ずっと会いたいと思っていた』
「私も」
カーバンクルの赤い瞳が、冷たく燃える。
「あなたに会いたい」
『結構。では、今日の午後2時。セントラル区の市庁舎、最上階の私のオフィスへ来たまえ』
あまりにもあっさりとした承諾に、ショウが眉をひそめる。
「おい、罠じゃねえのか?」
『罠? 心外だな』
ヴァイスは笑った。
『私はただ、君たちと話がしたいだけだ。これからの未来についてね』
「未来……?」
『ああ。君たちは私の計画を知る権利がある。そして、選択する権利もね』
意味深な言葉を残し、通話は切れた。
電子音が途切れた後も、ヴァイスの粘着質な声が耳に残っているようだった。
「……行くのか?」
ショウが尋ねる。
「行くしかないだろう。これが唯一の道だ」
コバヤカワは端末をポケットにしまった。
カーバンクルは窓辺に立ち、昇り始めた人工太陽を見つめていた。
「行こう。ヴァイスと話して、終わらせる」
その小さな背中は一人の戦士として、彼女は最後の戦場へ向かう覚悟を決めていた。
治療室からは、まだ男たちの絶叫が続いている。
夜が明けた。
だが、本当の戦いはこれからだ。
きったねぇ治療室を掃除するのはレイチェル先生なんですけど




