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【断罪】時計じかけの

 待合室の空気は重く沈殿していた。


 レイチェルは手際よくコバヤカワの傷を縫合し、包帯を巻いていく。

 彼女の表情は、医師としての冷静さを取り戻していた。


「じっとしてな。傷が開くよ」

「……すまない、レイチェル」


 コバヤカワが呻くように謝罪する。


「俺がもっと早く……」

「あんたのせいじゃない。それに、あの子が助けてくれただろ?」


 レイチェルは視線をカーバンクルに向けた。


 少女は無表情のまま、床に転がるエリックとサムを見下ろしている。

 エリックは手首を折られて気絶し、サムは頸動脈を締め落とされて昏倒している。


「次は、この二人だね」


 カーバンクルが呟き、近くにあったバケツの水を二人の顔にぶちまけた。


「ぶはっ……!」

「ぐっ……」


 二人が同時に咳き込み、目を覚ます。

 状況を理解するのに数秒。


 そして、自分たちが拘束されていることに気づくのにさらに数秒。


 カーバンクルは二人を空いている椅子に座らせて、医療用の拘束ベルトで雁字搦めにしていたのだ。


「お前……404……」


 サムが忌々しげにカーバンクルを睨む。


「起きやがったのか」

「うん。もう元気」


 カーバンクルは淡々と答え、二人の前に立った。


「あなたたちは、たくさんの人を殺してきた」


 彼女の声は静かだが、そこには絶対的な断罪の響きがあった。


「仕事のため、って言うかもしれない。でも、それは言い訳にならない」

「ハッ、ガキが説教か?」


 サムが鼻で笑う。


「お前も同じ人殺しだろうが。俺たちを裁く資格があるのか?」

「ないよ」


 カーバンクルは即答した。


「私も、たくさん殺してきた。だから資格はない。……でも、やる」


 彼女が小さな拳を握りしめた時、コバヤカワが叫んだ。


「待て! カーバンクル!」


 彼はレイチェルの制止を振り切り、よろめきながら立ち上がった。


「殺すな。頼む」

「どうして?」

「悪人は法で裁くべきだ。俺が証人になる。彼らの罪を、法廷で白日の下に晒すんだ」


 コバヤカワの必死の訴えに、サムが吹き出した。


「ブハハハハ! 法で裁く? 法廷? お前、まだそんなお伽話を信じてるのか?」


 サムはギシギシと椅子を揺らして笑い、コバヤカワを憐れむような目で見つめた。


「お前、本当に親父そっくりだな。あの馬鹿な前市長と!」


 コバヤカワの表情が凍りついた。


「……父を、知っているのか?」

「知ってるも何も」


 サムはニヤリと口角を吊り上げた。


「――あいつは俺が殺したんだよ」


 時が、止まった。


 ショウが目を見開き、レイチェルが息を呑む。

 コバヤカワだけが、言葉の意味を理解できずに立ち尽くしていた。


「……何を、言っている。父は、汚職が発覚して……自殺したと……」

「自殺? ああ、そういうことになってるな」


 サムは楽しそうに続けた。


「実際は、俺が首を吊らせたんだよ。遺書も俺が書いた。筆跡を真似るのは得意でね」


 コバヤカワの全身が震え始めた。


「なぜ……なぜ父を……」

「命令されたからさ。誰だと思う?」


 サムは勿体ぶるように間を置き、そして告げた。


「現市長……ヴァイス市長だよ」


 コバヤカワの脳裏で、何かが音を立てて崩れ落ちた。


「ヴァイス、市長が……?」

「ああ。お前の親父は、ノース区の事故について嗅ぎ回りすぎた。だからヴァイスは俺に命じた。『前市長を社会的に抹殺し、物理的にも消せ』ってな」


 サムはまるで昨日の晩飯の話でもするように、淡々と語った。


「まず汚職の証拠をでっち上げて失脚させ、絶望したところを俺が始末した。完璧な仕事だったろ?」

「ふざけるな……ふざけるな!」


 コバヤカワは、サムの言葉を上書きするように声を張り上げる。


「親父は、選択を誤ったと。大変なことをしでかして……その罪を雪ぐために、俺が手柄を立てろと……市長は、そう言っていたのに……」

「くく……あの男もワルだな」

「全部……全部嘘だったのか……!?」

「そうさ。全部、ヴァイスの脚本通りさ」


 コバヤカワはその場に崩れ落ちた。


 父は無実だった。

 父は正しかった。


 そして自分は、父を殺した男の下で、父の名誉を取り戻そうと必死に働いていたのだ。


「傑作だろ? お前は親父の仇に尻尾を振って生きてきたんだよ!」


 サムの嘲笑が、コバヤカワの心を抉る。


「どうだ? まだ『法で裁く』とか寝言を言うか? お前の親父は法を信じて殺された。お前も同じように無様に死ぬか?」

「……ッ!!」


 コバヤカワは床を殴りつけた。

 血が滲む拳。溢れ出る涙。


 憎い。殺したい。

 今すぐこの男の喉笛を食いちぎりたい――。


「……コバヤカワ」


 カーバンクルが心配そうに彼を見つめる。


 コバヤカワは顔を上げた。

 その瞳にはどす黒い殺意と、消え入りそうな理性がせめぎ合っていた。


「お前を……殺してやりたい……」


 絞り出すような声。


「あぁそうかい。そりゃ何よりだ」

「……でも」


 コバヤカワは言葉を飲み込んだ。目を閉じ、何度か息をする。


「でも……お前を殺したら、私は父の誇りまで捨てることになる」

「……チッ、つまんねえ奴」


 サムが退屈そうに吐き捨てる。


「そうだ。私はつまらない男だ。だが、父の息子だ」


 コバヤカワは涙を拭い、カーバンクルを見た。


「頼む。殺さないでくれ。……こいつらに、死という安寧を与えるな」


 カーバンクルはコバヤカワの目を見つめ、そしてゆっくりと頷いた。


「分かった。殺さない」


 サムは鼻で笑った。


「お前も甘いな。そんなんじゃ、また俺たちは戻ってくるぜ?」

「戻ってこれないよ」


 カーバンクルの赤い瞳が、冷徹に光った。


「あなたたちは生きる。でも、もう二度と、誰も傷つけられないようにする」


 彼女はエリックとサムの前に立った。


「それが、私にできる最大の慈悲」


 エリックの顔色が青ざめた。

 この少女は、死よりも残酷な何かをしようとしている。

 戦士としての生を奪う、不可逆の破壊を……!


「――先生、開瞼器(かいけんき)ある?」


 カーバンクルが唐突に尋ねた。

 レイチェルはきょとんとしたまま答える。


「あるわよ。眼科手術用のやつよね?」


 彼女は医療棚の奥から、金属製の不気味な器具を取り出した。

 バネ仕掛けで瞼を強制的に固定し、瞬きを許さない拷問器具のような代物だ。


「でも、何に使うの?」

「治療」


 カーバンクルは短く答えた。


「暴力という病気を治療する」


 サムが鼻で笑った。


「ハッ、何だそりゃ。俺たちを更生させるとでも言うのか? 無駄だぜ、俺たちは骨の髄まで兵士だ」

「その通り。だから、骨の髄まで書き換える」


 カーバンクルはレイチェルから器具を受け取り、サムの顔を鷲掴みにした。


「ちょっと痛いよ」

「や、やめろ! 何をする気だ!」


 サムが暴れるが、拘束具が軋むだけだ。

 カーバンクルは無慈悲に器具を装着した。

 金属の爪が瞼の裏に食い込み、上下に押し広げる。


「ぐあああっ! 目が、目が閉じねえ……っ!」


 サムの両目は完全に見開かれたまま固定された。

 乾いた空気が眼球を刺し、涙がボロボロと溢れる。

 続いてエリックにも同じ処置が施された。


「クソッ、何なんだこれは……!」

「外せ! てめぇ!」


 二人の男がカエルのような目で見開いたまま悶絶している。異様な光景だ。

 カーバンクルは満足げに頷き、再びレイチェルに向いた。


「先生、アポモルヒネはある?」

「催吐剤ね。あるわよ、たっぷりと」


 レイチェルは楽しそうにバイアルを取り出した。

 レオへの制裁で何かが吹っ切れたのか、その手つきは軽やかだ。


「これを打つとね。世界がぐるぐる回って、胃袋が裏返るような吐き気に襲われるんだよ。普通は誤飲の処置に使うんだけど……」


 カーバンクルは注射器の空気を抜き、二人の腕にブスリと突き立てた。


「あなたたちには同じく、『毒抜き』が必要」

「き、さま……!」


 数分もしないうちに、薬効が現れた。

 サムの顔色が土気色に変わり、脂汗が吹き出す。


「うっ……ぐ、おぇ……」

「はぁ、はぁ……気持ち悪い……」


 エリックも胃を押さえて呻く。強靭な肉体も、化学物質による生理的反応には抗えない。


「準備完了。ショウ、お願い」

「はいはい、っと」


 ショウの回復した義手からホログラムプロジェクターの光が放たれた。

 二人の目の前の壁に映像が映される。


「これから映画を見せるね」

「映画……だと……?」

「うん。とっても刺激的なやつ」


 スイッチが入る。

 ――空中に展開されたのは、地獄のパレードだった。


 戦争、虐殺、拷問、凌辱。

 ありとあらゆる暴力の記録映像が、大音量と共に再生される。


「うるせー! おいカーバンクル、プロジェクターだけ置いとくからな! 俺は出てくぞ!」

「うん。ありがとう」

「ハッ、何かと思えばこんなもの。くだらんポルノだな。むしろ好物だよ」


 サムが強がる。彼らにとって暴力は日常だ。死体など見慣れた風景に過ぎない。


 だが、今は違う。


 催吐剤が脳を揺さぶり、強烈な不快感信号を送っている。


 映像の中の男が、捕虜の喉を掻き切った。

 その瞬間、サムの胃袋が痙攣した。


「……おぇぇぇぇぇッ!!」


 サムが嘔吐した。胃液と未消化物が床にぶちまけられる。

 それはただ、たまたま胃の痙攣と衝撃的なシーンが重なっただけに過ぎない。


 だがそれを境に、脳が誤認し始めたのだ。

 『暴力を見ると、吐き気がする』と。


「ぐっ……やめろ……消せ……!」


 エリックが叫ぶ。だが、目は閉じられない。

 強制的に見せつけられる残虐行為。それと同期して襲いかかる、死ぬほどの吐き気。


 条件付け。

 パブロフの犬。


 それはかつて『ルドヴィコ療法』と呼ばれた、フィクションの洗脳術だった。

 だが今、それは現実のものとなって二人の兵士に襲いかかる。


「まだ始まったばっかりだよ」


 カーバンクルは冷徹に告げた。


「これから三十時間、ぶっ通しで見てもらうから」

「さ、三十時間……!?」

「うん。あなたたちがしてきたことを考えれば、短いよね」


 ――一時間後。

 

 映像はさらに続く。

 女の悲鳴。子供の泣き声。肉が裂ける音。

 それを見るたび、二人の体はビクンと跳ね、嘔吐を繰り返す。


「おぇっ、げぇっ……! た、頼む、許してくれ……!」

「いつまで続ける気だ……!? こ、こんな、こと……ッ」


 最強の兵士たちが、涙と鼻水とゲロに塗れて命乞いをする。

 その姿はあまりにも無様で、哀れだった。


「……殺すなとは言ったが……」


 コバヤカワは顔を背けた。これが正義なのかは分からない。

 だが確かに、彼らが二度と銃を握れなくなることは確かなのだろう。

 ショウは呆れたように呟いた。


「……一番エグいのは、やっぱあいつかもな。つか、なんで見続けて平気なんだよ」


 カーバンクルは無表情のまま、モニターを見つめていた。


「これまでのあなたたちは、もう|どこにも存在しなくなる《404 Not Found》」


 彼女の赤い瞳が、冷たく光る。


「暴力を見れば吐き気がし、銃を握れば震えが止まらなくなる。……それが、あなたたちの新しい人生」

「やめ……ろォォォォッ……!!」


 絶叫と嘔吐音が、夜明け前の診療所に響き渡る。

 それはかつて最強を誇った兵士たちの、断末魔の叫びだった。

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