【404】絶望の増援
コバヤカワは正面玄関の横に張り付き、心臓の鼓動を数えていた。
外の気配。足音は一つ。
デイヴは裏へ回った。つまり、ここにいるのは指揮官のエリックだ。
ドアの磨りガラス越しに、赤いレーザーポインターの光が室内を舐めるように走る。
相手は慎重だ。こちらの出方を窺っている。
「出てこい。無駄な抵抗はやめろ」
「……っ!」
冷静沈着なプロの声。
コバヤカワは息を殺した。焦るな。相手が動くのを待て。
数秒の沈黙。金属のこすれる微かな音。ピンを抜く音。
――閃光弾だ。
(まずいっ!)
コバヤカワは反射的に瞼を閉じた。
同時にドアが開かれ、カランという硬質な音が床を転がる。
カッ!!
瞼越しでも分かる強烈な閃光と、鼓膜を圧迫する炸裂音。
「が、ぐっ……!」
だが、コバヤカワは訓練通りに動いた。
視界が白く焼けたままでも、記憶した空間座標に向けてリボルバーを突き出す。
ドォン――.357マグナムの反動が腕を跳ね上げる。
低い呻き声。手応えあり。
薄目を開けると、ドアの向こうでエリックが左肩を押さえて後ずさっていた。
「警察だ! 動くな!」
「コバヤカワか……」
エリックは苦痛に顔を歪めながらも、その銃口を下ろさなかった。
「前市長の息子。理想主義者のボンボンが、今や犯罪者の共犯か。堕ちたものだ」
「堕ちてなどいない!」
コバヤカワは叫んだ。父の形見の銃が、彼の手の中で熱を帯びている。
「私は今、初めて本当の『警察官』になったんだ!」
「ほざけ」
エリックがアサルトライフルを構えた。
速い。
コバヤカワが横へ飛び込むと同時に、フルオートの銃声が轟いた。
ソファが弾け飛び、綿と木片が雪のように舞う。
弾丸が頭上を掠め、壁に蜂の巣のような穴を穿っていく。
(正確……! 左肩を撃ったのに!?)
コバヤカワはバリケードの裏を這いずりながら、冷や汗を拭った。
銃声が止む。リロードの隙だ。
彼は遮蔽物から身を乗り出し、引き金を絞った。
ドォン!
当たっていない。エリックもまた、弾倉交換を終えて撃ち返してくる。
互いの弾丸が交錯する。
エリックの右腕が弾け飛び、アサルトライフルが床に転がった。
同時に、コバヤカワの左肩にも熱い鉄杭が突き刺さる。
「ぐっ……!」
激痛に耐え、コバヤカワはリボルバーを構え直す。
エリックは舌打ちをして銃を捨てた。
右腕は使い物にならない。だが彼の戦意は衰えるどころか、より鋭く研ぎ澄まされていた。
左手一本で、腰のタクティカルナイフを逆手に抜く。
「銃撃戦は終わりだ。かかってこい、刑事!」
負傷しているとは思えない速度で、エリックが突っ込んできた。
コバヤカワは発砲する。
しかし、当たらない。エリックは弾道を見切っているかのように、最小限の動きで回避して距離を詰めてくる。
残弾四発。
「遅い!」
「ぐっ!」
ナイフの閃光。
コバヤカワは咄嗟にリボルバーの銃身で受け止めた。
金属音が火花と共に散る。
至近距離での鍔迫り合い。エリックの腕力は、片手でもコバヤカワを圧倒していた。
「事務屋風情が、俺たち特殊部隊に勝てると思うな!」
「ぐっ、あぁっ!」
エリックがコバヤカワの手首をねじり上げる。
銃を取り落としそうになるのを必死に堪え、コバヤカワは左肘をエリックの鼻柱に叩き込んだ。
ゴッ、という鈍い音。エリックが僅かに怯む。
その隙に距離を取る。
「ハァ……ハァ……っ!」
「フン……悪くない。少しは骨があるようだ」
エリックは鼻血を拭いもせず、不敵に笑った。
まるで楽しんでいるようだ。この男にとって、殺し合いは日常の業務に過ぎない。
「だが、詰みだ」
再びの突進。今度はフェイントが混じっていた。
上段と見せかけて下段、右と見せかけて左。
変幻自在のナイフ捌きに、コバヤカワは防戦一方となる。
頬が裂け、脇腹が刻まれる。制服が血で染まっていく。
(くそっ、なんだこの動きは。速すぎる……!)
背中が壁に当たった。追い詰められた。
エリックがナイフを振りかぶる。心臓への一刺し。
「終わりだなぁ!」
「……っ!!」
その時だった。
「コバヤカワ!」
裏口の廊下から、ショウが飛び出してきた。
青白いブレードを閃かせ、エリックの背後へ襲いかかる。
「援軍か」
エリックは表情一つ変えず、振り向きざまにナイフでブレードを受け止めた。
高周波振動と軍用合金が激突し、不快な高音を撒き散らす。
「邪魔すんなァ!」
「ガキが……失せろ!」
エリックがショウの腹を蹴り飛ばす。
吹き飛んだショウは即座に受身を取り、コバヤカワの隣に並んだ。
「ゲホッ……生きてるか、刑事」
「なんとかな。そっちはデイヴを?」
「寝かせてきた。だが、こいつは別格だぞ」
二対一。
しかしエリックは余裕綽々だった。ナイフを持ち替え、血に濡れた唇を歪める。
「サイボーグの小僧に、青臭い刑事か。いいだろう、まとめて相手してやる」
エリックが地を蹴った。
その動きは、先ほどよりもさらに速い。
ショウのブレードを潜り抜け、コバヤカワの銃撃を躱し、流れるような動作で二人に斬りつける。
「ぐあっ!?」
「くそッ!」
ショウが膝を蹴り砕かれ、コバヤカワが壁に叩きつけられる。
個の戦闘力が違いすぎる。連携も即席のものでは通用しない。
「所詮は烏合の衆だ」
エリックが冷徹に告げる。
コバヤカワは痛む体を引きずり起こし、リボルバーを構えた。
残弾二発。
(まだだ……まだ終われない!)
エリックは右腕を失い、鼻を折られ、それでもなお最強の兵士として君臨している。
「チッ、どう攻めるか……」
「おやおや……悠長に考えてる時間はねえぞ?」
「何……?」
三人はトライアングルの形で対峙していた。
エリックは太腿からの出血で片膝をついている。
ショウは義手の出力が限界に近く、コバヤカワはリボルバーを力なく構えている。
均衡が崩れるのは一瞬だ。次の一手で、誰かが死ぬ。
その緊張を破ったのは、建物の外から響く重低音だった。
ブォンッ――!
ハイパワーエンジンの咆哮。それも一台ではない。
ショウの義眼が明滅し、絶望的なデータを弾き出した。
「……嘘だろ」
エリックの口元が三日月型に歪んだ。
「来たか」
正面玄関の残骸を踏みしめ、二人の男が土足で聖域に踏み込んでくる。
一人は四十代、岩のように厳つい筋肉質の男、サム。手には軍用アサルトライフル。
もう一人は三十代、細身い目をした男、レオ。腰には大型ナイフとサブマシンガンを吊っている。
ヴァイス直属の私兵部隊――E班だった。
「よう、エリック。随分手こずってるじゃないか」
「ガキ一人と裏切り者のデカだ。だが舐めてかかると痛い目を見るぞ」
エリックがバンデージを取り出し、目の前で悠々と止血しながら答える。
サムとレオは銃口をショウたちに向けた。
三対二。それも、相手は万全の状態だ。
「両手を上げろ。脳ミソを撒き散らしたくなければな」
レオが薄ら笑いを浮かべて言った。
ショウはギリリと歯を噛み締め、コバヤカワは拳を握りしめて血を滲ませた。
だが、動けない。
動いた瞬間、どちらかが確実に殺される。
「……クソがッ!」
ショウが高周波ブレードを収納し、ゆっくりと両手を上げた。コバヤカワもそれに続く。
「賢い選択だ」
サムが歩み寄り、ショウの義手に無骨なデバイスを押し当てた。
バチッ、という音と共に、ショウの腕が脱力して垂れ下がる。強制シャットダウン。
「な、テメッ……!」
「動くなよ」
レオがコバヤカワの腹部に蹴りを叩き込んだ。
ゴフッ、と空気が漏れる音。コバヤカワが床に崩れ落ちる。
「ぐ、ふっ……!」
「おいおい、刑事さん。随分と無様な格好だな。正義の味方ごっこは楽しかったか?」
「コバヤカワ!」
レオは倒れたコバヤカワの顔を踏みつけた。軍靴の泥が頬に擦り付けられる。
コバヤカワは呻き声を上げながらも、その悪意に満ちた目を睨み返した。
「……まだ、終わってはいない」
「口の減らねえ野郎だ」
レオが再び蹴りを入れる。コバヤカワが苦悶に身を捩る。
「があっ……!」
「やめろ!」
ショウが叫んで飛びかかろうとしたが、サムの銃床が後頭部を直撃した。
ショウは蛙のように床に這いつくばった。視界が揺れ、床の冷たさが頬に伝わる。
「ぐ……!」
「調子に乗りやがって。テメェらは標的じゃねぇから、殺したって構わねぇんだぞ?」
完敗だ。
時間稼ぎは失敗し、守るべき要塞は陥落した。
「さて……『お姫様』は奥か?」
サムが治療室のドアを見据えた。
エリックが頷く。
「ああ。女医が治療中だ」
「ご苦労なこった」
サムがドアノブに手を掛け、乱暴に押し開けた。
中には、メスを構えたレイチェルが仁王立ちしていた。
「入るな! ここは無菌室だ!」
「知ったことか」
サムは鼻で笑い、レイチェルを押しのけて中へ侵入する。レオもニタニタと笑いながら続いた。
診察台の上で、カーバンクルは静かに眠っていた。
酸素マスクの下で、小さな胸が上下している。
「こいつが『404』か。ちっぽけなガキだな」
レオが少女の頬を汚い指でつつく。
「触るな!」
レイチェルがレオの手にメスを突き立てようとした。
だが、レオの方が速かった。彼は裏拳でレイチェルの顔面を殴打した。
レイチェルが床に倒れ込む。
「ぐっ……!」
「レイチェル!」
待合室で倒れていたコバヤカワが叫んだ。
だがエリックの銃口が彼の額に押し当てられ、動くことを許さない。
「女医さんよぉ……立場を弁えろ」
レオはレイチェルの白衣の襟首を掴み、無理やり引き起こした。
「俺たちは市長の命令で、こいつを生きたまま連れて帰らなきゃならねえ。だから治療は続けさせてやる。……だがな」
レオの舌が、自身の唇を舐めた。
「退屈しのぎの相手くらいはしてもらわねえとな」
「な、なにを……!」
「いい声で鳴けよ。仕事のBGMにちょうどいい」
レオの手が、乱暴にレイチェルの白衣を引き裂いた。
ボタンが弾け飛び、床に散らばる。
「やめろ! 離せ……っ!」
「へへっ、元気がいいな」
レイチェルの悲鳴と、レオの下卑た笑い声が治療室に響く。
サムは興味なさそうに、ただカーバンクルのモニターを監視している。
エリックは眉をひそめたが、止めることはしなかった。
「……くそっ……!」
コバヤカワは床を拳で叩いた。
無力感。それが内臓を食い荒らすようだ。
ショウは歯が砕けるほど噛み締め、涙で滲む目で天井を睨んだ。
終わった。
何もかも。
――だが、そのとき。
ピ、ピ、ピ……。
規則的だった電子音が、不意にリズムを変えた。
心拍数が上昇。
脳波が覚醒パターンへ移行する。
診察台の上。
眠り続けていたはずの少女の目が、ゆっくりと開いた――。
<●><●>カッ




