【404】一手逃げ、一手追い
彼にとって完全に予想外であった、コバヤカワの裏切り。
ジェイクの顔から余裕が消え失せた。
「後悔するぞ、裏切り者が」
彼がアサルトライフルをコバヤカワに向ける。
だが、コバヤカワは躊躇なく二発目の引き金を引いた。
狙いはジェイクの銃身。
火花が散り、ライフルの射線が逸れる。
「この野郎……!」
その隙に、コバヤカワは横転したテーブルの影へ滑り込んだ。
背中の激痛で視界が明滅するが、歯を食いしばって意識を保つ。
ダダダダダッ!
ジェイクの怒りのフルオート射撃。
テーブルが削られ、木片がコバヤカワの頬を切り裂く。
「くそっ、メチャクチャだ……!」
残弾は4発。
この状況を打開するには、火力ではなく連携しかない。
「カーバンクル!」
コバヤカワが叫ぶ。
「動けるか!?」
血反吐にまみれて倒れていたカーバンクルが、僅かに顔を上げた。
濁った瞳。しかし、そこにはまだ消えない残り火が燻っている。
「……一発なら」
掠れた声。コバヤカワは深く頷いた。
「私が隙を作る。君が決めろ!」
コバヤカワは深呼吸をし、痛みをアドレナリンで麻痺させる。
覚悟を決めて、遮蔽物から飛び出した。
ジェイクが反応し、銃口を向ける。
コバヤカワは床を滑るようにスライディングし、低い姿勢から発砲した。
「出てきたな、裏切りネズミが!」
「そこだッ!」
ガァン――三発目。狙いはジェイクの右膝。
装甲の隙間をマグナム弾が貫く。関節が粉砕される感触。
「ぐああああッ!?」
ジェイクが体勢を崩し、片膝をつく。銃口が下を向いた、その瞬間。
「今だ!」
「……!」
カーバンクルという名の弾丸が発射された。
彼女は残った全ての生命力を脚に込め、床を蹴った。
肺が焼ける痛みも、脱臼した肩の激痛も、全てを殺意に変えて。
ジェイクの懐へ潜り込む。
右手が下から突き上げられる、掌底打ち。
ガキィン! と硬質な音が響いた。ジェイクの顎が跳ね上がり、頚椎に衝撃が走る。
「ぐぼッ――」
巨体が後方へ吹き飛び、背中から床に激突した。
アサルトライフルが手から離れ、カランと虚しい音を立てて転がる。
ジェイクはピクリとも動かない。脳震盪か、あるいは首の骨が折れたか。
着地と同時に、カーバンクルは崩れ落ちた。
「ゴホッ、ガハッ、オエッ……!」
限界だった。酸欠で視界が暗転し、意識が泥の中に沈んでいく。
「カーバンクル!」
ショウが叫び、駆け寄ろうとした。
――だが、このカフェに満ちる殺意はまだ消えていなかった。
「ちくしょおおおッ!」
手首を失ったトニーが、苦悶の表情で立ち上がる。
左手で不器用にショットガンを拾い上げ、カーバンクルへ向ける。
「てめぇら、全員道連れだ!」
トニーの左指が引き金にかかる。
コバヤカワの射角からは間に合わない。カーバンクルも動けない。
「しまっ――」
だが、そこにはショウがいた。
「調子に乗ってんじゃねえよ、三下がぁぁ!」
ショウの右腕が変形し、手首から高周波ブレードが展開される。
彼は演算能力を全て身体制御に回し、全速力で突進した。
「なっ!?」
トニーが驚愕して銃口を振るが、遅い。
高周波の唸り声と共に、ブレードがトニーの左腕を切り裂いた。
肉と骨がバターのように断たれ、ショットガンごと左腕が床に落ちる。
「ぎゃああああああッッ!!」
両腕を失ったトニーが絶叫し、血を噴き出しながら後退する。
ショウはブレードを振り払い、エメラルドグリーンの瞳で男を睨みつけた。
「お前、カーバンクルを殺そうとしやがって」
底冷えする声。
「それだけで、死ぬ理由には十分だなぁ!」
トニーは壁に追い詰められ、恐怖で顔を引き攣らせた。
「た、頼む……助けてくれ……! 金ならある! いくらでも――」
ショウは無言でブレードを構えた。
その時、コバヤカワの声が飛んだ。
「待て! 殺すな!」
ショウの動きが一瞬止まる。
「そいつはもう戦闘不能だ。殺せば、お前もただの殺人鬼になる」
「何馬鹿なこと言ってんだ? 俺はもともと殺人鬼だぞ」
「それでもだ。俺の前で殺しは許さない」
「…………」
コバヤカワはトニーに銃口を向けたまま、毅然と言い放った。
ショウは舌打ちし、ブレードを収納した。
「命拾いしたな、クズ野郎」
ショウはトニーの顔面に強烈な蹴りを叩き込んだ。
トニーは白目を剥いて気絶し、ようやく沈黙した。
ショウはすぐさまカーバンクルの元へ駆け寄る。
「おい、しっかりしろ! カーバンクル!」
抱き起こされた彼女の顔色は、死人のように蒼白だった。
呼吸は浅く、唇は紫色に変色している。
「……平気……ゴホッ……」
強がりを言う声すら出せていない。
コバヤカワも足を引きずりながら近づいてきた。
「一刻を争う。すぐに病院へ」
「ダメ……ゴホッ……正規の病院は……足がつく……」
カーバンクルが弱々しく首を振る。
コバヤカワは苦渋の表情を浮かべた。確かに、IDを使えば即座に特殊部隊に探知されるだろう。
「どうする……? どうすりゃいい?」
ショウがコバヤカワを見た。その目には焦りと、僅かな期待があった。
この「正義マン」なら、何か手があるのではないかと。
コバヤカワは数秒思考し、決断した。
「私の知り合いに闇医者がいる」
彼は端末を取り出した。
「表向きはさびれた診療所だが、裏では訳ありの患者を診ている。そこなら追跡されない」
ショウは大きく頷いた。
「そりゃいい。場所は!?」
「イースト区だ。私の車なら15分で着く」
コバヤカワはカーバンクルの反対側の肩を支え、ショウと共に立ち上がらせた。
「行こう。まだ君たちを死なせるわけにはいかない」
三人は出口へ向かう。
店の奥では、隠れていたハッカーたちが恐る恐る顔を出していた。
若い女性ハッカーが、震えながらコバヤカワを見つめ、小さく頭を下げた。
コバヤカワは無言で頷き返した。
床には、戦闘不能になったジェイクとトニーが転がっている。
C班は壊滅した。残りの特殊部隊は5人だ。
■
新市庁舎、最上階。
マーカス・ヴァイスのオフィスは、巨大なホログラム・ディスプレイの青い光に沈んでいた。
宙に浮かぶネオ・アルカディアの立体地図上、二つの赤い光点が消失する。
C班。ジェイクとトニー。
「フッ、なるほど」
ヴァイスは黒曜石のデスクに座り、スコッチの入ったグラスを揺らしていた。
その表情は穏やかで、まるでチェスの一手が詰んだのを眺めるかのように楽しげだ。
「コバヤカワ君が、C班を『制圧』したか」
デスクの傍らに立つリサが、無機質に報告を続ける。
「はい……! 生存したハッカーの証言によれば、コバヤカワが仲間を撃っていたと。その後、カーバンクルとショウが彼らを無力化しました」
「なるほど」
ヴァイスはグラスを置き、琥珀色の液体が描く波紋を見つめた。
「あの清廉潔白な彼が手を汚したか。……面白い誤算だ」
リサは眉一つ動かさずに問う。
「彼は完全に我々に牙を剥きました。排除オーダーを出しますか?」
「いや」
ヴァイスは口角を上げた。
その笑みには玩具を見つけた子供の無邪気さと、それを分解しようとする残酷さが同居している。
「放っておけ。コバヤカワ君は、カーバンクルにとって厄介な『枷』になる」
「枷、ですか……?」
「そうだ。彼は『正義』の信徒だ。法を守り、市民を守ることが使命だと本気で信じている。そんな彼が、殺人鬼であるカーバンクルと組めばどうなる?」
ヴァイスは細長い指を立てた。
「彼は必ずブレーキをかける。『殺すな』『法を守れ』とな。その倫理観が彼らの行動を鈍らせ、決定的な隙を生む。……優秀な番犬が狂犬に鎖をつけたようなものだ」
「なるほど。内部からの抑制力として利用する、と」
「その通りだ。それに……もう一つ、面白い報告があるんだろ?」
「はい」
リサはタブレットを操作し、新たなデータを表示させた。
「目撃情報によれば、カーバンクルは重篤な呼吸障害を起こしています。激しい咳、チアノーゼ、喀血。自ら撒いた毒ガスによる肺水腫と推測されます」
「ほう」
ヴァイスの瞳が、狩人の色に変わる。
「自滅か。皮肉なものだ」
「さらに、ショットガンの被弾も確認されています。現在の戦闘能力は通常時の50%以下。数日はまともに動けないでしょう」
ヴァイスは立ち上がり、窓の外に広がる人工の夜景を見下ろした。
彼の中の計算機が、冷徹に勝利への方程式を弾き出す。
肺が焼けた暗殺者。
倫理に縛られた刑事。
数的不利。
これ以上の好機はない。今こそが、幻獣を檻に入れる絶好のタイミングだ。
表向きは「ゲームを楽しむ」ポーズを取りつつ、彼は確実に獲物の喉元へナイフを突きつける。
「リサ」
ヴァイスの声が低く、鋭く響いた。
「次の手を打つ。D班とE班を動かせ」
「標的は?」
「闇医者を虱潰しに当たらせる。カーバンクルは正規の病院ではなく、裏ルートを使って治療しようとするはずだ」
ヴァイスはグラスの中の氷が溶ける音を聞きながら、残忍に微笑んだ。
「手負いの獣が傷を癒やす前に、隠れ家ごと叩き潰せ……!」
言うてももう5人しかいないっすよヴァイスさん




