【断罪】鬼ごっこ
「ば、馬鹿な……!」
サイラスは信じられないという顔で、自分の足があった場所を見た。
切断面からは人工血液と火花が散り、露出した配線が痙攣を引き起こしている。
カーバンクルはサイラスの正面に立った。
奪った高周波ブレードを弄びながら、無表情で見下ろしている。
「どうして……お前はたしかに、俺の攻撃を受けていた……!」
サイラスの声は混乱に満ちていた。
彼は確かに何度もカーバンクルを殴ったはずだ。
あの威力なら、普通の人間は肉塊になっている。
たとえ立てたとしても、こんな風に機敏に動くなど。反撃するなどできるはずがないのだ。
「攻撃?」
カーバンクルは小さく首を傾げた。
その仕草には、猫が玩具を見つめるような残酷さがあった。
「そうだね。でも、当たってないんだよ」
「何を言っている……俺は確かに何度も……!」
「あなたの腕、改造のしすぎ。もう感触をほとんど感じてないんじゃない?」
「感触……だと……?」
図星だった。
破壊力の代償として、彼は繊細な触覚を失っていた。
殴った感触、骨が砕け肉が潰れる感覚――人間だった頃は感じられたそれらは、今の彼には「接触」という情報データでしかない。
「化勁……もしくはスリッピングアウェーって呼ばれる技術だね」
カーバンクルは淡々と言った。
「あなたの拳が当たる瞬間、私は体の芯をほんの数ミリ、力の流れに沿って動かした。あなたの拳は私の体に『触れた』けど、衝撃は『伝わらなかった』」
サイラスは目を見開いた。
「ま、さか……!?」
「そう。あなたの攻撃は全部空振り。壁に向かって投げられたときはちょっと困ったけど……寸勁で壁を壊してどうにかした」
「あ、ありえん、ありえん……! ほぼ生身のガキに、そんなことができるはず……!」
「それができるんだよ。100年くらい修行すればね」
カーバンクルは淡々と続ける。
「あなたは人間だった頃の感覚を忘れて、機械のパワーに頼りすぎた。触覚を疎かにしていなければ気付いたはず。『殴ったときの手応えがまるでない』ってことに」
「ぐ、う……!」
サイラスは悔しさに歯ぎしりした。
自分が人間だった頃ならば、たしかに気づけたかもしれないのに……!
「サイボーグ化の弱点。力は得られても、感覚は失う。それによって失われる技術もある」
彼女は高周波ブレードを構えた。
その声のトーンがわずかに変わった。氷の下に、熱いマグマが潜んでいるような気配。
「それはそれとして。さっきはずいぶん楽しそうに殴ってくれたね?」
「――あっ」
青白い閃光。
サイラスの右腕が、肩の関節部分から切り離された。
「ぐ、ぎゃあああああ……っ!」
サイラスの絶叫がフロアに響き渡る。
痛覚センサーが脳に最大級の警告を送っていた。
「もう一つ」
四閃目。左腕もまた、同じ場所から切断される。
「ぐげあぁぁぁぁ……っ!!」
完全に四肢を失ったサイラスは、もはや芋虫のように床に転がるだけだった。
「や、やめ、ろ……!」
初めて、彼は本物の恐怖を感じていた。目の前の少女が悪魔に見えた。
「た、頼む……殺さないでくれ……!」
カーバンクルは無言で、サイラスの横に膝をついた。
そして、彼の義眼を覗き込む。
「あなたからは死の匂いがする。人殺しは、殺す」
彼女は高周波ブレードの先端をサイラスの頬に当てて、ゆっくりと滑らせた。
「……あと私の服を破ったし」
「は……?」
刃が肩の裂け目をなぞる。
「ぐああああっ……! がああ……!」
「これオーダーメイドだから高いんだよ? まったく……」
サイラスは青ざめる。もはやできることはない。ただ必死に命乞いをすることしか。
「す、すまなかった! もう二度と手を出さない! だから……!」
「もう『手』はないでしょ」
カーバンクルは、床に転がる腕を顎で示した。
「ぐっ……!」
「これが手も足も出ないってやつだね。……さようなら」
高周波ブレードが、躊躇なくサイラスの首を切断する。
「あ――」
頭部が床に転がる。
彼の義眼はまだ青白く光っていたが、数秒後、その光は虚無に吸い込まれるように消えた。
「……ふう」
カーバンクルは立ち上がった。
ブレードについた人工血液を、まるでそれが些細な汚れであるかのように軽く振り払う。
ああは言ったものの、策を弄さざるを得ない相手だったのは確かだ。
あそこまで大柄なうえに全身がサイボーグだと、素手ではどうにもならない。
(まぁ、とりあえず片付きはした。それで良しとしよう)
カーバンクルは辺りを見回す。オフィスフロアは戦場と化していた。
破壊されたデスク、割れた窓ガラス、そしてダルマのように転がるサイラスの残骸。
「……さて」
カーバンクルは小さく呟いた。
後悔も憐憫もない。ただ目的を遂行するための障害を排除しただけだ。
彼女は高周波ブレードのエネルギー残量を確認した。
まだ十分に残っている。これは使える。
階段に向かいながら、自分の裂かれたパーカーの肩口に触れた。
「……はぁ」
彼女は階段を上り始めた。
本命がまだ残っている。
ヤン・ジュンソク。本当の標的だ。
ブーツの音が静かに響く。高周波ブレードを手に、水色の髪が揺れる。
最上階まで、あと少しだった。
■
時刻は少しだけ巻き戻る。
クロムウェル・システムズ本社ビル、最上階。CEO専用オフィス。
ヤン・ジュンソクはモニター群を凝視していた。
そのうちの一つの画面、45階オフィスフロアの映像。そこに彼の絶望が映し出されていた。
「あ、ああ……こんな、こんなバカな……っ!」
床に転がるサイラスの残骸。
四肢を失い、首を切断された元ボディーガード。
かつて戦場で数え切れないほどの敵を屠ってきた男が、今はただの鉄と肉のゴミと化している。
「ふざけるなよ……! 高い金を払わせてこのザマか!?」
ヤンの声は震えていた。
椅子から立ち上がり、後ずさる。
足がもつれ、デスクに手をついて辛うじてバランスを保った。
サイラスは最強のはずだった。彼を雇えば安全だと聞いていた。
しかし、404号室の始末屋は――あの小さな少女は、サイラスをおもちゃのように解体した。
画面の中で、水色の髪の少女が階段に向かって歩いていく。
その手には、サイラスから奪った高周波ブレードが握られている。
『――……』
「ヒッ」
ふと、彼女は上を向いた。
監視カメラのレンズをまっすぐに見つめる。
赤い瞳が映像越しに、ヤンの魂を射抜いているかのようだった。
ヤンの背筋を氷の指がなぞる。
「く、来る……!」
彼は恐慌状態でデスクのコンソールを操作した。
ビルの全セキュリティシステムを最高レベルに引き上げる。
「は、ははっ! だがこんなこともあろうかと! セキュリティシステムは万全だぞっ!」
エレベーター全基の強制停止。全フロアの階段への扉をロック。
厚さ10センチの特殊合金製防火シャッターを降ろし、エアロックドアを閉鎖。物理的に通路を遮断した。
「ははっ……! 来れるなら来てみろ! 来れるわけがない!」
そして最後に、CEO専用オフィスの扉を三重にロックした。
生体認証、暗証コード、物理的なボルトロック。この扉は小型爆弾でも破れない。
「これで……これで安全だ……! これでっ」
ヤンは自分に言い聞かせたが、心臓は警鐘のように鳴り響いていた。
彼は安心を求め、再びモニターを見た。
少女は既に60階まで到達している。速い。人間とは思えない速度だ。
「なんで!? 封鎖したはずだろうが!?」
70階。
75階。
77階。最上階のすぐ下だ。
画面の中で、少女が最上階へと続く最後のシャッターの前に立った。
そして、ふと。
彼女の姿がモニターから消えた。
「あ? なんだ、消えた……? お、おい、どこへ行った!?」
ヤンは必死で他のカメラ映像を切り替える。77階の廊下、階段、オフィスフロア――どこにもいない。
まるで最初から存在しなかったかのように、忽然と姿を消したのだ。
「……っ」
静寂が、オフィスを支配する。
聞こえるのは自分の荒い呼吸と、心臓の音だけ。
モニターの中は不気味なほど静かだった。
ヤンは息を殺し、耳を澄ませた。
扉の向こう側から何か音がしないか。
足音は? 金属をこする音は?
……何も聞こえない。
この静寂が、何よりも恐ろしかった。
見えない脅威がどこかに潜んでいる。闇の中で、じっとこちらを窺っている。
その時だった。
――ギィン!
鈍い、鉄を貫く音。
ヤンの目の前にあるオフィスの扉から、青白い刃が突き出した。
高周波ブレードの先端が、まるで巨大な虫の牙のように、特殊合金の扉を貫通していた。
「ひぃぃぃっ……!」
ヤンは短い悲鳴を上げた。
ブレードはゆっくりと引き抜かれ、今度は別の場所を貫く。
ズブリ、ズブリ、と断続的に響く音。
それは扉がバターのように切り裂かれていく音だった。
「おい……おい! セキュリティ! セキュリティー!!」
ヤンは緊急通信端末を掴んだが、回線は繋がらない。
ハッキングされている。このビルは、今や巨大な鉄の棺桶だった。
やがて扉に巨大な円形の穴が開けられた。
くり抜かれた金属の塊が、床に落ちて重い音を立てる。
「やあ」
そして、その闇の向こうから――カーバンクルが入ってきた。
彼女は無音でのそりと部屋に入ってくる。
赤い瞳が、暗闇の中で爛々と輝いている。
「く、来るな! 来るんじゃない!」
ヤンはデスクの引き出しから拳銃を取り出し、震える手で構えた。
「撃つぞ! おい、本当に撃つ!」
カーバンクルは立ち止まった。
しかし、恐れている様子はない。
ただ静かに銃口を、まるで子供のおもちゃでも見るかのように見つめている。
「うわああああっ!」
ヤンは引き金を引いた。
銃声がオフィスに響き渡る。
……しかし、カーバンクルは首をわずかに傾けただけで弾丸を避けていた。
「ひいいいい! 死ねええ!」
ヤンは続けて発砲する。
二発、三発、四発――
全ての弾丸が、彼女の体を掠めることすらなく、背後の壁に吸い込まれていく。
カチッ。
弾切れの音が、ヤンの死刑宣告のように聞こえた。
彼は銃を床に落とし、両手を上げる。
「ま、待ってくれ! 金ならいくらでもある! 会社ごとやる!」
カーバンクルは答えず、ゆっくりと歩みを進める。
先ほどまでと違い、うるさいほどカツン、カツンと足音が響く。
その足音は死神の行進のようだった。
彼女はヤンの目の前で立ち止まった。
距離は1メートル。高周波ブレードの先端が、ヤンの喉元で青白く揺らめいている。
「お、おお、お願いだ……殺さないでくれ……!」
ヤンは床に膝をつき、涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら命乞いをしはじめる。
「フェリックス・ベッカー」
そんな彼に投げかけられるカーバンクルの声は静かだった。
「知ってる?」
ヤンの顔がさらに青ざめる。
「あなたがパワハラで自殺に追い込んだ、12人目」
ブレードがヤンの喉元に当てられる。
「す、すまなかった……! 反省している! もう二度と、二度としない! 神に誓うよ! 頼む、チャンスをくれ……私にチャンスを、今度は誰も傷つけない! そう、世のため人のために」
「12人に、二度目のチャンスはなかった」
カーバンクルの声には感情がない。
だからこそ、その言葉は絶対的な真理のように響いた。
ヤンは絶望に打ちひしがれ、言葉を失う。
カーバンクルは、しばらくヤンを見つめていた。
そして、高周波ブレードを喉元から離した。
「……?」
ヤンが驚いて顔を上げる。
「た、助けてくれるのか……っ!? ありが――」
「違う」
彼女は一歩後ろに下がった。
「ゲームをしようか」
「ゲー……ム?」
「鬼ごっこ」
彼女の言葉に、ヤンは目を見開いた。
「朝の6時まで、このビルの中で私から逃げて。逃げ切れたら命は助けてあげる」
「ほ、本当か……!?」
「嘘は言わない。でも、ルールがある」
彼女は指を一本立てた。
「一つ。ビルからは出られない」
二本目の指を立てる。
「二つ。見つかったら、ちゃんと逃げて」
三本目の指を立てる。
「三つ。私はあなたを殺さない。でも、捕まるたびに痛い思いはしてもらう」
ヤンは震えながら、何度も頷いた。
「それじゃあ、30秒あげる」
彼女はその場に座り込み、カウントダウンを始めた。
その声は、まるで子守唄のように優しげだ。
「30……29……28……」
「あ、あ……はぁっ!」
ヤンは我に返り、オフィスから飛び出した。
廊下を全力で走り階段に飛び込む。
下の階へ、下の階へと、転がるように駆け下りる。
「10……9……8……」
心臓が破裂しそうだ。ニューラルチップが、生命の危機級のストレス値を警告していた。
「3……2……1……」
「……!」
ヤンは70階まで降り、そこで足を止めた。
静寂。
カウントダウンが終わった。
つまり――鬼ごっこが、始まった。
「ひっ、ひっ、ひ……ふ、ふぅ……はぁ、はぁ……!」
ヤンは暗い廊下で息を潜めた。
このビルは彼の庭だった。多くの社員を監視してきたから、全てのエリアを知り尽くしている。
(に、逃げ切るぞ……逃げ切ってやる……!)
これは狩りだ。
そして自分は、弄ばれる獲物なのだ。
そうだと理解していても、もう逃げるしか道はなかった。
遠くから、静かな足音が聞こえてきた。
コツ……コツ……と、一定のリズムで確実に近づいてくる。
カーバンクルが追跡を開始したのだ。
「……〜〜〜〜っ!」
ヤンは恐怖に駆られて走り出した。
階段を駆け下り、廊下を曲がり、オフィスフロアに飛び込む。
鬼ごっこは、始まったばかりだ――。
カーバンクルさん怖可愛いよね




