【断罪】力の差を知れ
イースト区、ネオテック社私設訓練施設。
地下30メートル、防音壁で囲まれた広大な空間。
鋼鉄でできた訓練用ドローンが整然と並び、中央のマットの上では一人の男が汗を流していた。
レイザー。
会社の用心棒。企業の「問題解決者」。厄介事処理の専門家。
そして、何より彼自身が自覚している、この仕事の一番の素質――彼は極まったサディストだった。
彼は丁寧に体を伸ばし、首の骨を鳴らした。
スマートナイフを右手に持ち、軽く振るってみる。ブレードの先端が青白く光る。
エネルギーを帯びた切れ味は、標準的な防弾素材さえ容易く切り裂く。
左手には小型の高周波ナックル。
拳で殴るだけで内臓を振動で破壊できる優れものだ。
「それにしても、ヴェックスさんの仕事はいつも美味しい……」
彼は小声で呟いた。
訓練ウェアの胸ポケットから小さなデバイスを取り出す。
それは彼の「感動の思い出コレクション」。
拷問中の被験者の反応を記録する特別な装置だ。
アイリスのデータも、ここに保存されている。
レイザーは装置を愛おしそうに見る。これはソフトだ。再生するためのハードは別にある。
脳に働きかけ、拷問の痛みや心境に至るまで全てを体験できる特殊VR機器――ネオ・アルカディアでは、こういった刺激的なデータは高値で取引される。
しかし、彼にはソフトを眺めるだけでも十分だった。
映像がなくとも、あの少女の恐怖に歪んだ表情を鮮明に思い出せる。
「小さな子供は最高だ……」
彼は目を細め、唇を舐めた。
大人は強い意志も身体的な耐性もあり、あまり面白くない。
だが子供は違う。
彼らの繊細さ、純粋さ、そして守られるべき無垢さ。
それらを破壊する瞬間に、レイザーは至高の感動を覚えるのだ。
思い返せば、アイリスは素晴らしい標本だった。
病気で弱っていたのに、予想以上の忍耐力を見せた。
マインドプローブを接続した時の、彼女の目の輝きが消えていく様子は、今でも思い出すと股間が熱くなる。
「いい顔だったなぁ、彼女は……」
金色の髪、青い瞳。恐怖と痛みで開かれた口。最後の瞬間の絶望。
芸術的だった。
瞬間的に少女の恐怖に歪んだ顔が脳裏に浮かび、レイザーは心地よい震えを感じた。
この仕事を長く続けていると、普通の快楽では満足できなくなる。
彼にとって、拷問は最高の娯楽だった。
ヴェックスは単に「見せしめにしろ」と命じただけだ。
そこに彼独自の「芸術」を加えたのは、純粋に自分の楽しみのためだった。
会社の用心棒としての任務は表向きの理由に過ぎない。
彼の真の動機は常に「感動したい」という欲望だった。
「さて……腕を磨いておこう。面倒だが」
企業の用心棒として、彼は常に戦闘能力を維持しなければならない。
厄介な労働運動家、内部告発者、時には企業スパイ。
様々な「問題」を「解決」するのが彼の仕事だ。
レイザーはデバイスをポケットに戻し、コマンドパネルに歩み寄った。
彼は複雑なコードを入力し、訓練プログラムを起動した。ナイフとナックルを握りしめる。
「戦闘訓練シーケンス17、難易度レベル9、開始」
周囲の照明が暗くなり、赤いライトだけが点滅する。
訓練用ドローンが一斉に起動音を鳴らし、彼を取り囲むように配置された。
6体のドローン。軍用グレードの高性能マシンだ。
レイザーは姿勢を低くし、戦闘態勢に入った。
彼の目は鋭く、筋肉は一瞬で張り詰めた。
元特殊部隊の反射神経と、長年の経験が彼の武器だ。
最初のドローンが攻撃を仕掛けてきた。
電撃ナックルを装備した金属の腕が、彼の頭を狙う。
レイザーは軽くそれをかわし、スマートナイフをドローンの関節部分に深く突き刺した。
青白い光と共に、ドローンの腕が無力化される。
「まだまだ単調すぎる」
彼は満足げにつぶやいた。訓練は最高難易度近くなのに、物足りなさを感じる。
自分の能力に、彼は絶対的な自信を持っていた。
二体目、三体目も攻撃を仕掛ける。
レイザーはそれらを華麗にかわしながら、隙を見て反撃を加えていく。
彼の動きは正確で無駄がなく、まるで殺しのための舞踏のようだった。
四体目のドローンが背後から接近した時、レイザーは一瞬、違和感を覚えた。
何かがおかしい。いつもと違う。
その時、訓練施設のセキュリティアラームが鳴った。
赤いライトが一瞬点滅したかと思うと、すべての照明が消え、施設全体が暗闇に包まれた。
「なんだ? 訓練中断だと?」
レイザーは苛立ちを隠せなかった。バックアップ電源が起動するまで数秒かかる。
その間、彼は警戒を解かなかった。長年の経験が、何らかの危険を察知していた。
バックアップ電源が起動し、薄暗い非常灯だけが点いた。
ドローンは動かなくなっている。
セキュリティシステムのシャットダウンで、強制的に停止したのだろう。
「こんなことは初めてだ……」
彼は周囲をゆっくりと見回した。
そして――訓練施設の端に立つ小さな影に気がついた。
「!?」
水色の髪。白いパーカー。背が低い――女。
「子供か? どうやって入った?」
少女は答えなかった。ただ静かに立っているだけだ。
レイザーはすぐに判断した。イースト区の物乞いか、浮浪児だろう。
何かの間違いで施設に迷い込んだのかもしれない。
「おい、ここは立入禁止区域だ。出ていけ」
少女はゆっくりと顔を上げた。その赤い瞳が、薄暗い照明の中で不気味に光る。
「レイザー」
彼の名前を呼ぶ少女の声。冷たく、感情がない。
「俺を知っているのか? 珍しいな、子供が俺の名前を知っているとは」
「私は404号室から来た」
一瞬、レイザーは眉をひそめた。
404号室? どこかで聞いたことがある。そう、裏社会の都市伝説だ。
「404号室を予約すると、悪人を消してくれる始末屋がやってくる」とか何とか。
くだらない噂に過ぎない。
彼は思考の片隅でそう考えた。
馬鹿げている。ネオ・アルカディアの住人が作り上げた、希望の象徴に過ぎない。
弱者の現実逃避のための作り話だ。
しかし、目の前の少女の存在感は、どこか異質だった。
レイザーは嘲笑うように歯を見せる。
「ごっこ遊びか? 君が始末屋なのかな?」
彼は少女を見下ろした。
「でも、それも悪くない。俺は子供と遊ぶのが大好きなんだ」
彼の声のトーンが変わった。
低く、ゆっくりとした、まるで舌を這わせるような声色。
カーバンクルが不快感を示さないのを見て、さらに興味が湧いた。
「実験台として最高だな。ちょうど新しい遊び相手を探していたところだ」
レイザーはポケットからスマートナイフを抜き、もう一方の手に高周波ナックルをはめ込んだ。
少女――カーバンクルに向かって歩き始める。
「あのお兄ちゃんが頼んだのか? 情けない男だな彼も! 妹を救えなかった弱虫が、今度は子供に復讐を頼むとは!」
カーバンクルは動かなかった。ただ歩いてくるレイザーを見つめるだけ。
「あの子は可愛かったよ。金髪が血に染まる様子がとても芸術的だった」
レイザーは少女の反応を期待して言葉を選んだ。
「彼女の叫び声は音楽のようだった。君も同じような声を出せるかな?」
彼は再び舌で唇を舐めた。カーバンクルの体を上から下まで眺める。
その視線には明らかな下劣さがあった――特に、彼女のショートパンツから伸びる細く白い脚を這う視線には。
「お前も彼女と同じように実験させてもらおう。どこまで耐えられるかな? 特に幼い子は感動的な反応をするんだ」
カーバンクルの表情が変わらないのを見て、レイザーは苛立ちと興奮を同時に感じた。
彼は恐怖と嫌悪を引き出すのが得意だったが、この少女からは何も読み取れない。
それが彼の征服欲をさらに刺激した。いつまで澄ました顔をしていられるか、好奇心が湧く。
「無表情も長くは続かないさ! お前の可愛い顔に痛みと恐怖を刻み込んでやる。
終わる頃には、あのアイリスちゃんのようになっているだろうな」
ナイフの先端で自分の指先を切り、血を舐めながら続ける。
「まずは目から始めようか。それとも指先? どっちが良い? 選ばせてあげるよ」
レイザーはデバイスをポケットから取り出した。アイリスの拷問データだ。
「君の記録を取らせてもらいたいな。そのクールな可愛い顔が歪むさまは素晴らしいコレクションになるだろう!」
彼は一瞬でカーバンクルに飛びかかった。
その速度と精度は、一般人なら到底反応さえできないレベル。
ナイフの刃が、少女の頬を狙う――
――しかし、彼の腕は空を切った。
「なに!?」
カーバンクルは既にレイザーの側面に移動していた。
ありえない。確実に斬ったはず。彼の目には捉えられないスピードだったというのか?
「……おもしろい」
レイザーの目が輝いた。彼は再度攻撃を仕掛ける。今度は連続攻撃。
軍隊で教わった最も効率的な殺人技術。喉、脳幹、心臓をほぼ同時に狙うコンビネーションだ。
しかし、どの攻撃も少女には届かない。
彼女はまるで次の動きを予測しているかのように、わずかな動きで全てを回避した。
初めて、レイザーは焦りを感じた。
「何だ、お前は……!?」
その瞬間、カーバンクルの瞳に変化が現れた。
赤い瞳の表面幾何学模様に変わり、内側から発光している。
レイザーは直感的に危険を感じ、防御姿勢に入った。
初めて、彼は本能的な恐怖を覚えた。
目の前の少女が、単なる子供ではないことを悟ったのだ。
彼の判断は正しかった。だが、彼の判断は遅かった。
「戦闘モード、起動」
カーバンクルの攻撃は、人間の動きとは思えなかった。
一瞬で距離を詰め、レイザーの防御をすり抜け、彼の胸骨に拳を叩き込む。
鈍い音と共に、レイザーの体が宙に浮いた。
呼吸ができない。スマートナイフが床に落ち、青白い光を放ちながら消える。
「ぐぼっ――」
地面に落ちる前に、次の攻撃が来た。彼の膝関節を正確に狙った蹴り。
靭帯が断裂する音。激痛と共に、レイザーは片膝をつかざるを得なかった。
「うがあああぁぁっ!!」
激しい熱を膝に感じていた。同時に、背筋が冷え切っている。
「何なんだ、お前、は……!」
彼の声は恐怖と痛みで震えていた。
かつて自分が拷問した相手の表情を、自分自身が今浮かべている。
「お前の被害者の一人が依頼した。私は404号室の怪物。依頼対象に死をもたらす」
彼女の声は冷たく、感情がない。
「ま、待て、待ってくれ……! 降参だ、降参する」
レイザーは震える手で高周波ナックルを外した。
しかし、彼の動きは降参ではなく、反撃への布石だった。
背中に隠したバックアップウェポン、小型パルスガンをポケットから抜き出そうとする――
(ガキめ……殺してやる。このパルスガンは人間だろうと機械だろうと止められる最新銃だ。
コイツで痺れさせて拘束すれば俺の勝ち。あとは煮るなり焼くなり……!)
直後。彼の腕が、砕けた。
「はっ?」
カーバンクルの手刀が、音速のように彼の上腕二頭筋と肘関節を破壊していた。
パルスガンは床に落ち、レイザーは悲鳴を上げた。初めて感じる激痛に、彼の顔が歪む。
「うわぁぁぁぁぁッッ! うっ、腕がぁぁ!!」
彼は床に崩れ落ちた。恐怖で瞳孔が開ききっている。
カーバンクルは彼のポケットからデバイスを取り出した。アイリスの拷問データだ。
「た、頼む、助け……」
「最後に一つだけ聞く」
彼女は冷静に言った。そこに慈悲はない。
「なんであの子を拷問したの? 誰の指示?」
レイザーは痛みで顔を歪めながらも、わずかに笑みを浮かべた。
そこには恐怖と狂気が入り混じっている。
「俺の判断だ……彼女の苦しむ姿を見るのが楽しかった。あの子の叫び声、涙、恐怖……! 全てに感動した。芸術だった」
彼の目に狂気の光が宿る。もはや取り繕う余裕もない。
「他の子供たちもそうだった。みんな最高の瞬間を見せてくれる。お前もきっとそうだろ。そうあるべきだ――」
カーバンクルは無表情のままため息を吐く。
「気持ち悪い」
彼女の最後の動きは、レイザーの目には捉えられなかった。
ただ首に強烈な衝撃を感じ、視界が回転した。
それが彼の見た最後の景色だった。
カーバンクルはレイザーの首を一撃で折っていた。
彼女は静かに立ち上がり、デバイスをポケットに入れる。そして部屋を出る前に振り返った。
「恨みは晴らした。まずは一人」
静かな足取りで、彼女は訓練施設を後にした。
レイザーの体は、次の訓練シフトまで誰にも発見されないだろう。無様に、恐怖に歪んだ表情のまま。