【依頼人】革命のための戦い
サウス区の地下深く、旧世代の地下鉄網に見捨てられたゴーストステーション。
それが彼らのアジトだった。
壁の剥がれかけたコンクリートには、今はもう売っていない商品広告のホログラムが亡霊のように瞬いている。
錆びついた配管を伝って滴る水が、レールの間に溜まった汚水に落ちる単調な音を反響させていた。
空気に混じるのは、湿気とオゾン、そして微かな機械油の匂い。
この薄暗い空間に、5つの人影があった。
「見たか。これが我々の回答だ」
アレン・クロスフォードは、空間に浮かぶ立体映像を指し示した。
32歳の男。かつてはセントラル区で未来を設計するエリート技術者だったが、今は過去を壊す革命家を名乗っている。
着古した黒いコートの襟元から覗く首筋には、生体情報を隠すためのジャマーが埋め込まれていた。
左の眼窩に収まるサイバネティック義眼が、ホログラムのデータを解析するように赤く明滅する。
「セントラルの連中、今頃パンツを替えてるだろうな!」
彼の周りに集まった仲間たちが、興奮を隠さずに応える。
筋骨隆々とした男が、強化された腕のサーボモーターを唸らせてアレンの肩を叩いた。
「ネオコープ自慢の防衛AI『ハウンド』も、結局はただの番犬だったな。尻尾を巻いて逃げやがった」
痩せた青年が、データパッドのコンソールを叩きながら言った。
組織の情報戦を担うハッカーだ。その指先からは、青白い光ファイバーのケーブルが伸び、端末と直結している。
「指向性爆薬の配置は完璧だった。構造計算上、人的被害は最小限のはず。……運の悪いやつがいなけりゃ、だけど」
吐き捨てるように言ったのは、爆発物の専門家である女だ。その冷徹な目は、ただ結果だけを見据えている。
そして最後に、マヤが静かに口を開いた。
「お疲れ様、アレン」
28歳の女性。アレンの右腕であり、この組織「リバティ・パルス」の副官だ。
ショートカットの黒髪に、鋭い眼差し。
左腕は手首から先が滑らかな銀色の義手に置き換えられている。
彼女はアレンの理想と、その危うさを最も理解している同志だった。
「君の潜入データがなければ、成しえなかったよ、マヤ。警備ドローンの巡回ルート、完璧なタイミングだった」
「当然のことをしただけ」
マヤは淡々と答えたが、その目には確かな信頼の色が宿っていた。
アジトの中央、古い作業台に置かれた投影装置が青白い光の粒子を放っている。
アレンがそれを操作すると、空中に浮かぶ映像が切り替わった。
セントラル区の夜景を切り取る、ガラスと鋼鉄の摩天楼。
その一つ、ネオコープ本社ビルの下層階が無残に抉り取られている。
「公式チャンネルは『大規模なインフラ障害』で押し通すつもりらしい。だが、裏のデータストリームはもうこの映像で祭りさ」
映像の中では、甲高い警報音を撒き散らしながら緊急ドローンが編隊を組み、瓦礫に向けて消火剤を噴射していた。
「ドームの天井から降り注ぐ人工太陽の光を浴び、自分たちだけが世界の中心だと信じている傲慢な塔。その土台を崩してやったんだ」
アレンは惚れ惚れと語りながら、仲間たちを見回した。
「奴らは何千人もの労働者から時間を、命を搾り取り、金と合成麻薬に変えてきた。今日、我々はその流れに一石を投じた。このドーム都市の完璧なシステムに、エラーを刻み込んでやったんだ!」
「アレン! あんたこそ、俺たちの希望だ!」
「サウス区やイースト区で、合成食すら食えずにいる連中のための戦いだ!」
アレンは彼らの称賛を浴びながら、自らの信念を再確認する。
――そうだ。俺は間違っていない。
この閉じた都市は、セントラル区という脳が、他のすべてを栄養源として食い潰すことで成り立っている。
奴らは高層ビルの上から汚染された下層区を見下ろし、それを当然の景色だと思っている。
だから誰かが、その脳に直接痛みを与えなければならない。恐怖という最も原始的な言語で、対話を始めなければ。
「これは始まりに過ぎない……!」
アレンは仲間たちに語りかける。彼の義眼が、決意を示すように強く発光した。
「この都市には、まだ無数の寄生虫がいる。システムに巣食い、弱者の血を吸う連中が」
「次のターゲットは?」
「……ああ」
アレンは頷き、ホログラムを操作した。
ネオコープ本社とは別の、白亜のタワーが表示される。
「エリクソン・ファイナンシャル・グループ。セントラル区の心臓部だ」
「金融企業……」
「そうだ。奴らは指先一つで富を動かし、その過程で生まれる誤差だけで贅沢な暮らしをしている。我々が汗と血で生み出した価値を、ただの数字として弄ぶ連中だ」
アレンの声に、個人的な憎悪が滲む。
「エリクソンのビルには、データワーカーが大勢いるわ」
マヤが慎重に、だが真っ直ぐにアレンを見つめて言った。
「端末を叩いているだけの従業員まで『搾取システムの一部』と切り捨てるの?」
「システムを回している歯車は、それ自体がシステムだ」
アレンは即座に言い放った。
「自覚のない加害者ほどタチの悪いものはない。彼らもまた、我々から奪う側にいる人間だ」
「でも……」
マヤは何かを言いかけたが、アレンの揺るぎない視線に言葉を飲み込んだ。
「……心配するな、マヤ」
アレンは彼女の肩に手を置いた。その声は、先程とは打って変わって穏やかだった。
「我々は無差別な破壊者じゃない。目的はシステムの機能不全だ。ターゲットは常に、その中枢だけだ」
「……わかった」
マヤは頷いたが、その表情にはかすかな疑念が影を落としていた。
「まあまあ、堅い話はそこまでだ!」
空気を読んだのか、大柄な男が隠していたボトルを取り出した。
「サウス区の闇市で仕入れた『レッド・クイーン』だ。喉が焼けるぞ!」
「おい、またそんな得体の知れないものを」
「今日の成功には、これくらいやらねえとな!」
男は、欠けたグラスに赤色の合成アルコールを注いでいく。
「乾杯!」
5人のグラスが、頼りない音を立ててぶつかった。
「俺達の組織……リバティ・パルスに!」
「腐ったシステムに鉄槌を!」
「明日の自由を!」
それぞれが思い思いの言葉を叫ぶ。
アレンもグラスを高く掲げた。
「乾杯!」
仲間たちの声が、湿った地下空間に響く。
粗悪な合成アルコールが喉を焼き、神経系に化学的な刺激を直接送り込んでくる。
体への影響など誰も気にしなかった。今日の成功を祝う、つかの間の勝利の味だ。
アレンもグラスを煽り、一気に飲み干した。
苦く、舌に残る金属質な後味。
(――この味を、俺は知っている)
彼の脳が、5年前のデータを再生し始めた。
■
5年前。
当時のアレン・クロスフォードは、セントラル区の摩天楼で未来を設計していた。
所属はネオ・ホライゾン・システムズ社。
ドーム都市の環境制御AI「マザー」を管理する巨大企業だ。
主任エンジニアとして、彼はセントラル区の完璧な日常を維持する歯車の一つだった。
月給はイースト区の労働者の10倍。
オートクチュールのスーツを身に纏い、網膜にリアルタイムで株価情報を表示する最新のサイバネティック義眼を埋め込む余裕もあった。
すべてが計算通りに進む、順風満帆な人生。
そこに致命的なエラーが生じたのは、ある夜のことだった。
「アレン、少し時間をくれ」
同僚のウォルター・バークレーが、セキュリティに配慮して通信を切ったインカムで話しかけてきた。アレンが数少ない友人と呼べる男だった。
「どうした?」
アレンは作業用コンソールから顔を上げた。
静まり返ったオフィスには、サーバーの冷却ファンの音だけが響いている。
「会社のログに、おかしな記録を見つけた」
ウォルターの声は震えていた。
「サウス区の生命維持システムのメンテナンス予算が、凍結されている。意図的なデグレードだ」
「……予算の再配分だろ。よくある話だ」
「レベルが違う!」
ウォルターはデータパッドを起動し、暗号化されたファイルをアレンの網膜ディスプレイに直接転送した。
「これは、カスケード障害のシミュレーションデータだ。サウス区の浄水システムはとっくに限界を超えている。半年以内に連鎖的な機能不全を起こし、汚染された水が居住区に流れ込む」
アレンの視界に、赤く点滅する警告と、指数関数的に増加していく被害予測グラフが映し出された。
「上層部はこのデータを握り潰し、修繕予算をセントラル区の景観維持ドローンの新型機に入れ替えるための費用に回した」
「……正気か」
アレンは言葉を失った。浄水システム。それが故障すれば、サウス区の住民は……。
「最悪、数千人が汚染症で死ぬ。これは事故じゃない。見殺しだ」
ウォルターは己の拳を握りしめた。
「俺は上司に報告した。だが返ってきた言葉は『決定事項だ』の一言だけだった」
「じゃあ……」
「ああ。俺は、メディアにリークする。匿名で告発データを送る」
ウォルターの目には、恐怖と正義感が混じった強い光が宿っていた。
「俺たちは技術者だ。人を救うためのシステムを作ってる。人が死ぬのを見過ごすなら、ただの共犯者だ」
アレンは躊躇した。内部告発。それはキャリアの自殺行為だ。この快適な生活、地位、未来、そのすべてを失うリスク。
だが、視界に映るシミュレーションデータが、ウォルターの正しさを物語っていた。
「……わかった。俺も協力する。データの裏付けは俺が取る」
「ありがとう、アレン」
ウォルターの顔に、わずかな安堵が浮かんだ。
「一緒に、システムの間違いを正そう」
「ああ……!」
二人は固く手を握り合った。
それが、生身のウォルターに触れた最後の記憶になるとは、知る由もなかった。
■
1週間後。
アレンは告発文書の最終確認のため、ウォルターのデスクへ向かった。
そこに彼の姿はなく、デスクは不自然なほどきれいに片付いていた。
「ウォルターは?」
近くにいた同僚に尋ねると、彼は気まずそうに視線を逸らした。
「聞いてないのか? ウォルターは……昨夜、事故で」
「……なんだと?」
アレンの思考が凍りついた。
「オートドライブの路線電車が原因不明の誤作動を起こしたらしい。……彼の体は車両の真下で確認されたそうだ」
「そんな馬鹿な……ウォルターは慎重な男だ。それに、あの路線のセーフティシステムは……」
「警察の公式発表だ。気の毒だが、俺たちにできることはない」
同僚は、まるでプログラムされた定型文を読み上げるように言った。
アレンは走り出した。
ウォルターの個人サーバーにアクセスしようとしたが、弾かれる。
彼のID自体がシステムから抹消されていた。
アパートの部屋も、すでにセキュリティ会社によって完全にデータ消去されていた。
「消された……」
これは事故ではない。暗殺だ。
会社が、告発しようとしたウォルターをシステムごと消去したのだ。
翌日。
アレンは直属の上司、ロバート・ヘンダーソンのオフィスに乗り込んだ。
分厚い身体を高級スーツに押し込み、合成葉巻の紫煙をくゆらせる男。
「ウォルター・バークレーの死について、ご説明を」
アレンは怒りを圧縮して、静かに言った。
「説明? 実に不幸な事故だったな」
ヘンダーソンは煙を吐き出しながら、凪いだ目で答えた。
「事故ではありません。あなたが、会社が殺した!」
「根拠は?」
「彼は会社の不正を告発しようとしていた。その矢先に死んだ。これが偶然だと?」
ヘンダーソンは椅子に深くもたれかかり、アレンを値踏みするように見た。
「クロスフォード君。君は優秀なエンジニアだ。だからこそ教えておこう」
彼の声は、機械のように冷たかった。
「この都市というシステムではな、サウス区の連中が何人死のうが、それは誤差の範囲だ。だが、株価が1ポイントでも下がれば、それは致命的なエラーになる」
「人の命が……誤差だと?」
「そうだ」
ヘンダーソンは即答した。
「我々が設計した完璧なシステムは、誰がその恩恵を受けるかまで、完璧に設計されている。サウス区の連中はその恩恵の外側にいる。それだけのことだ」
その瞬間、アレンの中で何かが焼き切れた。
「あんたは……人間じゃない」
「我々はシステムを維持する歯車だ、クロスフォード君。人間的な感情はただのノイズでしかない。現実を見ろ」
ヘンダーソンは葉巻を灰皿に押し付けた。
「もういい。出ていけ」
――アレンはオフィスを出た。
翌週、彼の社員IDは凍結され、全てのアクセス権を剥奪された。
解雇理由は「企業システムへの不当なアクセスと機密漏洩の危険性」。
彼の信用スコアは地に落ち、セントラル区から強制退去させられた。
■
それから、3ヶ月後――深夜のセントラル区。
ヘンダーソンは、高級クラブからの帰り道、上機嫌で歩いていた。
その背後に、影が音もなく近づく。
「久しぶりですね、ヘンダーソンさん」
「あ〜? ……誰だ?」
振り返ったヘンダーソンの目に、薄汚れたコートを着たアレンの姿が映った。
「クロスフォード……? 落ちぶれたな。何の用だ」
「システムのデバッグですよ」
アレンの手には、違法改造されたEMPデバイスが握られていた。
高圧の電流によってデバイスを破壊する、この機械都市にとっては銃より危険な武器と言えるだろう。
「待て、待て! そんなものを使う気か!? 貴様正気か!」
「あなたは俺の友人を殺し、数千人を見殺しにしようとした。バグは修正しなければならない」
「お……俺を殺したところで、何も変わらんぞ! 俺はただの歯車だ!」
「ええ。だから、まずはあなたから壊す」
EMPデバイスが起動し、青白いパルス光が迸った。
「やめ――!!」
ヘンダーソンの悲鳴は、彼の体内で暴走するサイバネティック心臓の駆動音にかき消された。
――ヘンダーソンの遺体は、公式には「インプラントの不適合による心機能の永久停止」と発表された。
アレンはイースト区の安アパートで、そのニュースを冷ややかに見ていた。
(――俺は、システムをハックした)
彼は自分に言い聞かせた。
ヘンダーソンは、腐敗したシステムの象徴だった。法では裁けない悪を、俺が裁いた。
これは、間違っていない。
「これが……俺の戦いだ」
アレンは呟いた。
その日から、彼は変わった。エリートとしての過去を捨て、新しい道を選んだ。
――革命家として。
システムそのものを破壊し、支配者に恐怖を教える。
それが、アレン・クロスフォードが己に課した、新しい正義だった。
■
アレンは空になったグラスを置いた。
酒の味が、あの夜の記憶と、ヘンダーソンの心臓が立てた最後のノイズを呼び覚ます。
「アレン?」
マヤの心配そうな声が、彼を現在に引き戻した。
「顔色が悪い。大丈夫?」
「ああ……何でもない。ただ、俺が……最初に起こした革命を思い出していた」
マヤは何も言わず、ただアレンの義眼を見つめた。
仲間たちは相変わらず、勝利の美酒に酔いしれていた。
アレンは彼らを見ながら、心の中で誓いを新たにする。
(――俺は止まらない)
ウォルターの死を無駄にはしない。
この鉄槌は、死んだ友人のためだけじゃない。
まだ死んでいない、名もなき人々のために。
下々の者を切り捨てる、全ての支配者を倒すまでは……。
(それが、俺の使命だ)
彼のサイバネティック義眼が、決意を示すように深紅の光を放った。