【断罪】時間切れ
クロウは残る力を全て振り絞り、開いていく扉に向かって叫んだ。
「お前ら、撃て!! そのメスガキを殺せ! 手足を引きちぎって挽肉にしろォォッ!!」
知性も理性も投げ捨てた絶叫が装甲鋼の壁に反響し、開きかけた扉の隙間から廊下へと飛び出していった。
やがて、扉が完全に開く。
廊下の蛍光灯の光が差し込み、入り口に一つの人影が浮かんだ。
黒いチタン合金の義手。エメラルドグリーンの義眼。
乱れた白髪に、くたびれたジャケット。
そして両手に提げた、油染みの浮いたコンビニのビニール袋が二つ。
「よっ」
現れた少年――ショウが気怠げに片手を上げた。
「は――?」
「遅くなったな、カーバンクル。この辺、自販機すら見つからなくてよ。三階のラウンジまで行く羽目になった」
カーバンクルは肩をすくめ、小さく息を吐いた。
「……遅い」
「悪い悪い。ついでにエナジーバーも買ってきた。あんた好きだろ、チョコ味」
ショウは拘束室に足を踏み入れ、室内を一瞥した。
壁際に拘束されたクロウ。椅子に固定されて糞尿まみれで気絶しかけているハミルトン。
床に転がる武装兵二名。破壊された無影灯。血と汗と汚物の匂い。
「ま、予想通りの惨状だな。豚の解体ショーでもやってたのか?」
ショウはビニール袋をカーバンクルに差し出した。
カーバンクルはそれを受け取り、中身を確認した。
合成チキンのサンドイッチ、エナジーバー二本、缶入りの電解質ドリンク。
「ありがと」
カーバンクルは拘束されて呆然としているクロウの目の前にわざと座り込み、サンドイッチの包装を破いた。
一口齧り、無表情のまま咀嚼する。
「……な」
クロウの声が、喉に張り付いたような音で漏れた。
「なんだ……これは……私の部下は、どうした……!?」
鋼色の瞳が、ショウとカーバンクルの間を激しく往復している。
理解を拒む脳が、突きつけられた現実の前に軋みを上げていた。
「なんだも何も、差し入れだよ、差し入れ。見りゃわかるだろ?」
ショウは倒れた武装兵の外骨格装甲を蹴り飛ばし、空いたスペースに腰を下ろした。
義眼のエメラルドグリーンの光が、クロウの絶望に染まりゆく顔を照らす。
「ああ、自己紹介がまだだったな。俺はショウ。カーバンクルの相棒で、ハッカーだ。……あんたのブラック・リヴァイアサン社のセキュリティシステム、なかなか手強かったぜ。突破に丸一晩かかった」
「セキュリティを……突破……だと……馬鹿な……我が社のシステムは軍事最高グレードの……」
「だから丸一晩かかったって言ったろ。普通なら不可能だ。だがカーバンクルが捕まることで、あんたらの注意が全部この部屋に集中した」
「……!?」
「セキュリティ部門も、システム監視チームも、全員がこの地下の拘束室周辺に意識を向けた。……その隙に、俺はガラ空きになった上層の管理サーバーから入ったってわけだ」
カーバンクルがサンドイッチを飲み込み、缶のプルタブを開けた。
プシュッという炭酸の抜ける音が、静まり返った拘束室に響く。
電解質ドリンクを一口飲み、小さく息をついた。
「ふぅー……。助かった。喉乾いてたんだよね」
「陽、動……」
クロウが呟いた。乾ききった声だった。
「お前が……わざと捕まって、拷問を受けていたのは……我々の前に現れるため、だけではなかったのか……」
カーバンクルはドリンクの缶を膝の上に置き、クロウを見た。赤い瞳は凪いでいる。
「うん。全部作戦」
一言だけ答えて、今度はエナジーバーの包装を破き始めた。
クロウが人生を賭けて築き上げた帝国が崩壊する様を眺めながら、チョコを齧る。
クロウの顔から、最後の色が消えた。
勝利の笑みが張り付いていた口元は力なく弛緩した。
「それだけじゃねぇぜ」
ショウが義手の指を鳴らし、クロウの傷口に塩を塗り込むように続けた。
「あんたの自慢の一万の兵力だが——」
ショウはポケットから小型端末を取り出し、画面をクロウの目の前に突きつけた。
本社ビル内の人員配置図だ。通常であれば各フロアに赤い点が無数に散らばっているはずだが、画面はほぼ空白だった。
「俺がシステムを掌握した後、イスラがCEO名義の緊急指令を全部隊に発信した。『全兵力はセントラル区外縁部へ即時展開せよ。本社の警備は最小限に留めよ』ってな」
「……偽の指令だと……!」
「兵士たちは忠実に従ったよ。なにせ、あんたの部下は『どんな理不尽な命令にも背かない』ことが取り柄だからな」
ショウは意地の悪い笑みを浮かべた。
「今この本社ビルにいるのは、受付の民間スタッフと、サーバールームの技術者が数人。武装兵力はゼロだ」
クロウは壁に後頭部を打ちつけた。
鈍い音が響いたが、痛みはもう感じていないようだった。
「外部への通信も全て遮断済み。あんたがこの部屋から『助けてくれ』って泣き叫んでも、聞こえるのは俺たちだけだ」
ショウは端末をポケットにしまい、腕を組んだ。
「…………」
クロウは目を閉じた。
増援は来ない。一万の兵力は自身の権限を使った偽の指令で追い出された。
通信は遮断され、セキュリティは掌握されている。
——完全な詰みだ。
カーバンクルがエナジーバーを食べ終え、包装紙を丁寧に畳んでビニール袋に戻した。
缶のドリンクを最後まで飲み干し、立ち上がる。
「ショウ、ありがとう。おいしかった」
「おう。次はもっといいもん買ってくるぜ」
カーバンクルはパーカーの袖で口元を拭い、クロウの前に歩いていった。
膝をつき、壁に拘束された男の顔を覗き込む。
クロウは目を開けた。鋼色の瞳に、もう戦意は残っていなかった。
代わりにあるのは、合理的な計算の残骸だった。最後のカードを切ろうとする、追い詰められた敗北者の目。
「……私の、負けだ。わかった、何でも話す」
クロウの声は、奇妙なほど穏やかだった。
壊れたのではない。最後の生き残りを懸けた交渉に臨む事業家の声だ。
「政府との密約や、隠者たちの全メンバーの名簿……お前たちにとっても価値があるはずだ。イスラに伝えろ、私は協力する。だから私の命は——」
「いらないなぁ」
カーバンクルの声が、虫を潰すような冷たさでクロウの言葉を断ち切った。
「…………何?」
「もう扉は開いたでしょ?」
カーバンクルは、背後で開け放たれたままの防爆扉を親指で示した。
「あなたに聞きたかったのは、扉の開け方だけ。でも、ショウが来たからもう必要ない。あなたの持ってる情報なんて、どうせイスラが全部暴く」
クロウの表情が完全に凍りついた。
自分という人質の「利用価値」を否定されたのだ。
「残念だったね。情報を売って助かるチャンスはもうなくなった。……時間切れだよ」
カーバンクルの赤い瞳が、クロウの鋼色の瞳を真っ直ぐに見つめていた。
そこに慈悲はなかった。怒りもなかった。
あるのはただ、生殺与奪の権を完全に握った捕食者の、残酷なまでの無関心だけだった。
「待って、くれ……」
クロウの声が、初めて無様に震えた。
「待ってくれ……頼む! 金ならある……裏帳簿のパスワードを……何でもする、靴でも舐めるから……っ!」
「靴を舐めても、三十万人は生き返らない」
カーバンクルは冷たく吐き捨て、クロウに背を向けた。
倒れた武装兵の外骨格装甲から、カーバンクルは新たな玩具をもぎ取った。
パワードエクソスケルトンの前腕部に装着された、近接戦闘用の補助デバイス。
起動スイッチを押し込むと、装甲の表面に極薄のブレードが展開され、空気を切り裂くような高周波の駆動音が鼓膜を打った。
本来は分厚い隔壁を焼き切るための工兵装備だが、それを脆い人体に押し当てれば——結果は言うまでもない。
カーバンクルはデバイスを右腕に固定し、刃先を蛍光灯の光に透かした。
「クロウ」
声をかけたのは、拘束椅子のハミルトンではなく、壁際のクロウだった。
「彼がどうやって死ぬか、瞬きしないで見ててね」
クロウの鋼色の瞳が見開かれる。
「全く同じように、あなたも解体するから」
カーバンクルの声は、天気予報を読み上げるアナウンサーよりも平坦だった。
そこにあるのは明確な殺意ですらない。ただの「作業工程の確認」だ。
「やめ……やめろ……! 待て、頼む……!」
クロウが初めて声を荒げた。壁のパイプに繋がれた手首のワイヤーが、体を前に乗り出そうとする動きで深く食い込み、皮膚が裂けて血が滲む。
カーバンクルはクロウの悲痛な叫びを無視し、ハミルトンの前に立った。
老人はもはや虫の息だった。
焦点の合わない瞳孔がカーバンクルの影を捉えるまでに数秒。
そして彼女の右腕で不吉な唸りを上げるブレードの光を認識した瞬間、老体から最後の力が絞り出された。
「い、嫌だ……死にたくない……! 私はまだ……ハミルトン家は……!」
「家のことは、もうあなたが心配しなくていいよ」
光の軌跡が、振り下ろされた。
敵の思考は、何から何までお見通し




