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【断罪】全身バラバラ社会貢献

 ――翌日、午後11時30分。

 セントラル区、超高層タワー最上階のバー「プラチナ・スカイ」。


「……だから言ったろ。親父がもう話をつけてる。来週には事故データそのものが『修正』されるさ」


 リチャード・ハミルトンは、希少な天然アルコールを注いだグラスを揺らし上機嫌に語った。

 彼の着るスーツは環境に応じて色相を変えるスマート繊維製で、指にはめたリングが彼の生体データをリアルタイムでモニターしている。


 彼の向かいには、同じくセントラル区の特権階級に属する男たちが座っていた。


「さすがだな、リチャード。俺たちの親父じゃ、都市管理AIのログ改竄までは手が回らん」


 友人の一人、アレックスが感嘆の声を上げる。


「しかしサウスの人間が警察に駆け込むとはな。偉そうに」

「まったくだ」


 リチャードは、窓の外を流れる広告飛行船のホログラムを見下ろしながら得意げに笑った。


「あのガキの親父、確かイーストの工場労働者だったか? 年収なんざ、俺がこの前買ったカスタムドローンの月額メンテ費にもならねえのにな」


 彼は指を鳴らし、ウェイタードローンに同じ酒のおかわりを命じた。


「そんな低スペックな命と俺の未来。どっちが都市にとって価値あるかなんて、計算するまでもないだろ?」


 もう一人の友人、ダニエルが下卑た笑い声を上げた。


「違いない。不良品の遺伝子を間引いたんだ。むしろ都市の最適化に貢献したぜ」


 バーの客たちは、彼らの会話に聞き耳を立てている。

 だが、誰一人として眉をひそめない。

 ここではそれが常識であり、揺るぎない階級社会の真実だった。


「ところでさ」


 リチャードは声を潜め、恍惚とした表情を浮かべた。


「ぶつけた瞬間の感触、あれが忘れられねえんだよ。『ドスッ』て……ちょっと小気味いい、菓子に歯を入れたときみたいでさ」


 アレックスが、病的な好奇心に目を輝かせて身を乗り出した。


「へえ、面白いな。俺も今度低所得者でもはねてみるか?」

「へっ。いいか、コツはとにかく急加速だ。警告ドローンが騒いでからじゃ避けられるからな……」


 彼らは高価な酒を飲みながら、命の感触を、まるで新作ゲームの攻略法でも語り合うかのように話し続けた。



 午前1時15分。リチャードは心地よい酩酊感に包まれ、バーを出た。


「フー……飲んだ飲んだ」


 セントラル区の夜は、テクノロジーによって完璧に管理されていた。

 ナノマシンを含んだミストが空気を浄化し、道路は自動清掃ドローンによって塵一つない。


 AR広告の光だけが、現実感を希薄にさせている。

 サウスやイーストの、酸性雨と機械油の匂いがこびりついた世界とは別次元だ。


「……いい夜だ」


 彼は自宅までオートタクシーを呼ぶこともせず、夜風にあたりながら歩き始めた。

 この区画で『危険』などという概念は、過去の遺物でしかない。

 常に防犯ドローンが飛び回るこのセントラル区は、彼のようなVIPを強固に守ってくれる。


「……ん?」


 ――その時、前方の街灯の光が作る影から、小さな人影がすっと現れた。

 水色の髪に、白いパーカー。明らかに子供だ。


「こんな時間にガキが一人……迷子か?」


 リチャードは嘲笑を浮かべ、少女を見つめた。

 近づくにつれ、その赤い瞳が不気味に輝いているのが見えた。


「お嬢ちゃん、こんな時間に一人か? どっかの役員の子か?」


 リチャードは酔った声で話しかけた。少女は立ち止まり、彼を無機質に見上げる。


「あなたがリチャード・ハミルトン?」


 少女の声は、冷たく平坦だった。リチャードは眉をひそめる。


(なぜこのガキは、俺の名前を知っている……?)


「そうだが……君は?」

「404号室から来た」


 意味不明な言葉に、リチャードは思わず吹き出した。


「404号室? 何だそりゃ、ネットのジョークか?」


 その瞬間、少女の姿がブレた。

 人間の動体視力では追えないほどの速度で距離を詰め、その指先がリチャードの首筋に触れる。チクリ、という微かな痛み。


「え」


 首に、何かが刺さっていた。注射器だ。

 そこから注入されるマイクロマシンが、血管を巡っていく。


「な、にを……?」


 それは神経系を瞬時に掌握し、脳からの命令信号を全て遮断した。

 リチャードの体から力が抜け、糸が切れた人形のようにアスファルトに崩れ落ちる。


「な、う、動けな……っ、声……が!」


 意識だけが、恐怖に焼かれるようにはっきりと保たれている。

 自分の身体が、完全に制御不能な肉の塊と化したのがわかった。


 その少女は路地の暗がりから、光学迷彩を解いた大型の運搬用カートを引き出した。


「心配しないで。殺しはしない。まだね」

「が、が……がっ」


 彼女は麻酔で石のようになったリチャードの体を、軽々とカートに放り込んだ。

 カートを押しながら、カーバンクルは監視カメラのネットワーク網の死角を縫うように、裏通りを進んでいく。


(や、めろ……どこに、運ぶつもりだ……っ!?)


 完璧に管理されたセントラル区の輝きが徐々に遠ざかり、やがて薄汚れたサウス区の混沌とした闇へと溶けていく。


(おい、やめろ……やめろおおおおッ!)


 リチャードは声なき絶叫を上げながら、ただ恐怖に震えることしかできない。

 やがて、その意識は少しずつ闇へと沈んでいった……。



 リチャードの意識が浮上したとき、最初に感じたのは消毒液と、熱せられた金属が放つ独特の匂いだった。


(あ……? なんだ……病院……?)


 視界がぼやけている。

 最新鋭のはずの網膜ディスプレイが、エラーコードを繰り返し表示していた。


 やがてピントが合った視界に映ったのは、薄汚れたコンクリートの天井と、そこから吊り下げられた無骨な手術用ライトだった。


「……ここは、どこだ……?」


 声は掠れていたが、確かに出た。

 身体は動かない。まるで全身が巨大なバイスに締め付けられているかのように、ぴくりともしない。

 見れば、古びた手術台の上に仰向けにされ、手足や胴体を電磁式の枷で厳重に固定されていた。


「目が覚めた?」

「っ!?」


 冷たく平坦な声。

 リチャードが首を動かそうとすると、首も固定されていることに気づく。

 視線だけを声のした方へ向けると、あの水色の髪の少女――カーバンクルが立っていた。


 彼女の前にはメスやドリル、レーザーカッターといった様々なツールが並べられていた。


「なんだ……!? なんだここは……!」


 部屋は薄暗く、湿っていてかび臭い。

 壁には用途不明のサイバネパーツが雑然と掛けられ、床にはオイルと血液が混じった黒いシミがこびりついている。


(セントラル区……じゃない。サウス区だ。この汚さ)


 リチャードが今いるのは、彼がゴミ溜めと見下していた世界、その底の底。

 誰の悲鳴も届かない、サウス区の深淵だった。


「何のつもりだ、クソガキ! 俺を誰だか分かってるのか!? 今すぐここから出せ! そうすれば命だけは助けてやる!」


 虚勢だった。だがハミルトンの名が持つ権威が、この状況を覆せるとまだ信じていた。


「リチャード・ハミルトン。価値のあるインプラントを多数埋め込んだ、優良な素材」


 カーバンクルは淡々と、まるで競売に出す商品の査定をするかのように言った。

 彼女の赤い義眼がリチャードの身体をスキャンし、パーツの型番や状態をリストアップしている。


「素材だと? ふざけるな! 俺を誰だと思ってる!?」

「ひき逃げ犯。それ以上でも以下でもない」

「ひ……ひき逃げ? てめぇ、そうか……! あのガキの親に頼まれたのか!」


 カーバンクルはリチャードを無視して、手元に浮かぶホログラムのコンソールを操作した。

 リチャードの目の前に、彼自身の身体の透視図と、各パーツの市場価格らしき数字がリスト表示される。


「……なんだ、これは……」

「あなたの値段。高いものをたくさん持ってるね」


 その言葉の意味を理解した瞬間、リチャードの血の気が引いた。


「かっ……金か!? 金が欲しいんだろ!? そうだろ!」

「…………」

「俺の個人口座にいくら入ってるか知ってるか!? お前らサウス区民が一生かかっても稼げない額だ! 俺を殺すより、生かしたほうが金になる……っ!」


 彼はプライドを捨て、命乞いを始めた。

 金で解決できない問題など、この世にない。ないはずだ。

 だからいつものように、金で解決しようとする。父親の金、で――。


「あいにく、お金には困ってないんだよね」

「な……!?」


 カーバンクルの答えは、リチャードの最後の希望を打ち砕いた。

 彼女の手元で、レーザーメスが甲高い音を立てて赤熱する。


「やめろ……やめろ、やめてくれ!! 俺はハミルトンだぞ! こんなことが……こんなことが許されるはずがない!」

「どうかな? 許されないかどうか、試してみようか」


 カーバンクルの冷たい声と共に、リチャードの左肩にレーザーが触れる。


「――アアアアアアアアアアアアア!!」


 肉が焼ける匂いと、神経を直接焼くような激痛が全身を貫いた。

 運動神経は麻痺していても、感覚神経は生きている。

 彼の高級な体内ナノマシンが損傷箇所を修復しようと警報を鳴らし、それがさらに痛みを増幅させた。


「痛い! 痛い熱い、やめろおおおお!!」

「シンセライフ製の筋繊維ブースターか……。状態はいいね。高値がつくよ」


 カーバンクルは彼の絶叫をBGMにするかのように、淡々と作業を進める。

 彼の腕が、まるで工業製品の部品のように正確に、手際よく身体から切り離されていく。


「ひ、ひいいぃっ……! 腕、俺の腕がっ……!」


 切り離された腕は、生命維持装置に繋がれたまま冷却ケースに収められた。

 リチャードは自分の腕が商品として梱包されていく様を、涙と涎にまみれながら見ていることしかできなかった。


「次は右足。軍事用の反射神経補助インプラントだね」


 再び、絶叫と肉の焼ける匂いが部屋に満ちる。


「この悪魔が! 人でなし! ひ、人の命をなんだと思ってるんだ!?」


 リチャードは痛みに狂いながら罵倒した。

 それがいずれも、自分に返ってくる言葉ばかりだと気付かずに。


「そうだね。人ではないかもしれないね」


 カーバンクルの声には、何の感情も揺らぎもなかった。

 その無感情さこそが、リチャードの心をさらに深く抉った。


「人の命なんて、もちろん何とも思ってないよ。あなたと同じ」

「ひ……だ、だったら何で、復讐なんて……っ」

「私の罪を雪ぐため」


 無機質な赤い瞳が、じっと見つめてくる。何を言っているのか理解できなかった。


(や、やばい……イカれてる、こいつ……!)


 目の前の少女は、ただの作業として彼の命を解体している。

 交渉の余地が、ない。金も情も、この女には通用しない。機械的なアイパーツが、それを雄弁に語っていた。


「あ、あ……あああっ……! い、痛い、痛い……やめろぉ、やめろよぉ……!」


 次々と、彼の身体からパーツが取り外されていく。

 彼がパーティで自慢した、数百万クレジットの網膜ディスプレイ。

 どんな騒音の中でも恋人の囁き声を聞き分けられると豪語した聴覚インプラント。

 彼が「優れた人間」である証として埋め込んだ全ての部品が、血に濡れた商品として並べられていく。


 いつしか彼は、罵倒する気力も失っていた。

 ただ、嗚咽を漏らしながら懇願を繰り返すだけになっていた。


「殺してくれ……頼む……もう、もう……殺して……」


 カーバンクルの手が止まった。

 一瞬、彼の願いが聞き届けられたのかと、リチャードは思った。

 だが、彼女は首を横に振った。


「まだ無理だよ。主要な臓器が残ってるからね」

「ぞ、ぞう、き……」

「活かしたまま出さないと鮮度が落ちちゃうから。この内臓は、サウス区の病院にでも寄付しようかな」

「は――?」


 その言葉は、彼に最後の絶望を与えた。

 次の瞬間、噴火のような激情が吹き上がってくる。


「ざ、ぁぁ、けんなぁぁ……!! 俺のっ、俺の体が、負け組どものために使われる……!?」

「そうだよ。社会貢献に興味があるみたいだったからね。楽しんでもらおうかと」

「ふ、ざけ……やめ……ごぼっ……!!」


 血液が逆流し、それ以上喋れなかった。カーバンクルは新たに生命維持用のケーブルを体に突き刺してくる。


(た、耐えられない……耐えられない耐えられない耐えられない……! こんだけ苦しんで、しかも、俺の体が、下層のクズどものものになる……!? ありえないありえないありえない、これは夢だ、誰か、親父、ふざけんな……!!)



 それからどれだけの時間が経ったのか。

 リチャードはもはや手足も感覚器のほとんども失い、生命維持装置に繋がれた、意識のある肉塊と化していた。


(許せない許せない許せない許せない……ふざけるなふざけるなふざけるな……)

「よし。だいたい取り終えたかな」


 カーバンクルの作業が、ついに終わった。部屋には、彼から取り出されたパーツが整然と並べられている。

 彼女は、頭部と空っぽの胴体だけになったリチャードを見下ろした。

 その視線は、先ほどまでと何も変わらない。憐れみもなければ、嘲笑もない。


「あとは……脳は使い物にならないか。移植できないし、性格も悪いしね」

(ふざけ、ふざけ……)


 その呟きは、彼の砕け散った心の最後の破片までをも踏み潰していく。


 彼の人格、記憶、プライド。その全てが詰まった脳が、ただの不良在庫として、ゴミとして扱われる。


「あとはもういいか」


 カーバンクルは、血とオイルに汚れた手袋を外し、リチャードに背を向けた。

 生命維持装置は繋がったままだ。彼はすぐには死なない。

 この意識だけの暗闇の中で、自分が何者でもなくなったという事実を……そして奪われた体が見下していたサウスの人間に使われるという事実を、死ぬまで反芻し続けるのだ。


(やめ、ろ……出ていくな……たのむ……ころして……)


 部屋を出ていく直前、彼女は一度だけ振り返り、静かに最後の言葉を告げた。


「これであなたはもう、どこにも|存在しない《404 Not Found》」




 リチャード・ハミルトンの失踪は、セントラル区に一時的な混乱をもたらした。


 しかし、巨大都市ネオ・アルカディアは、一個人の不在など意にも介さない。

 ハミルトン・コーポレーションは今日も、新商品のティザートレイラーを公開した。


 サウス区では、誰のものとも知れぬ高性能なサイバネパーツが闇市場に出回り、多くの人々がその恩恵を受けた。

 彼らはその部品が、かつて自分たちをゴミのように見下していた男のものであることなど知る由もない。


 都市の格差は変わらない。

 富める者はさらに富み、貧しい者は部品として消費される。


 今日もこの都市では、誰かが絶望し、誰かが祈っていた。

 そして――。




「あ、あ――ああああああぁっ!!」


 ある男が、狭いアパートで叫んでいた。

 その手の中には、冷たくなった自らの妹を抱いている。

 あちこちの骨が折れ曲がり、恐ろしい絶望の表情を貼り付けて息絶えていた。


「なんで……なんで、こんな……!?」


 今日もまた、次の悲劇が幕を開ける。

続きが気になる、全身バラバラ社会貢献ってなんだよと思った方はぜひフェイバリットか高評価で応援をお願いします!

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