【404】天才少女の再起
――二ヶ月後。イースト区。
ルカからの返信は、メッセージを送ってから30秒で届いた。
『今すぐ行く!!!!!!』
感嘆符が六つ。ナノは端末の画面を見て、少しだけ笑った。
待ち合わせ場所は通学路の途中にある、工場地帯の縁の歩道橋。
二人がよく並んで歩いた道だ。
人工太陽が午後の光度に達し、煙突の蒸気を白く輝かせている。
歩道橋の手すりに寄りかかって待つこと5分。
「ナノーッ!!」
鼓膜を破りそうな叫び声と、全力疾走の足音が同時に聞こえた。
振り返ると、赤毛のツインテールを振り乱した少女が、腕をぶんぶんと振り回しながら突進してくる。
二ヶ月前と何一つ変わらない。ルカはいつでもルカだった。
「ナノ、ナノナノナノ〜〜ッ!!」
ルカは走り寄り、ナノの目の前で急停止した。
息を切らし、目にいっぱいの涙を溜めて、それでも満面の笑顔を作ろうとして——視線が下に落ちた。
ナノの両腕。
制服の半袖から伸びる肘から先が、黒いチタン合金の義手に置き換わっていた。
「え……」
無骨で、お世辞にも女の子らしいとは言えないデザイン。
装甲板と関節部が剥き出しになった、産業用義体に近い造形だ。
指は五本あるが通常の義手より一回り太く、各関節部にはメンテナンスハッチが備わっている。
手首の内側には換装用のインターフェースが光っていた。
飾り気はない。美しさよりも機能を、繊細さよりも頑丈さを選んだ『道具』としての手だった。
ルカの笑顔が凍りついた。
限界まで溜まっていた涙がこぼれ、頬を伝い、アスファルトにポタポタと落ちた。
「ナノ……あんた、その手……」
声が震えていた。ルカの視線が黒い金属の指と、肘の接合部と、かつてそこにあったはずのものの不在を行き来している。
「ルカ」
ナノが静かに口を開いた。
「ごめん。ずっと連絡できなくて」
その一言で、ルカの目から堰を切ったように涙が溢れ出した。
首を横に振り、何か言おうとして声にならない。
「心配かけたよね。メッセージも返せなくて。……いろいろあって」
ナノは言葉を探した。「いろいろ」では絶対に足りないことは分かっている。
でも、全てを説明する言葉は今のナノにはまだなかった。
いつか話せる日が来るかもしれない。今日ではないだけだ。
「ルカ。泣かないでよ。ほら、花粉飛んでないでしょ」
「む、無理……だって、だって、ナノの手が……っ!」
「うん。なくなっちゃった」
ナノは両腕を持ち上げた。黒い義手の指を開き、閉じて見せる。
金属の関節が滑らかに動き、ウィィン、と微かな駆動音を立てる。
「でも、新しいのもらったから」
「……もらったって、そんな……」
「正確には投資。将来、この腕でうんと働いて返すの!」
ナノは右手の手首を回した。
カチリと硬質な音がして、手首から先がわずかに浮き上がる。
「見てて」
「へ……?」
義手の手首部分を左手で掴み、くるりと回して手首を伸ばした。ルカが「ひっ」と息を呑んで後ずさる。
露出したのは、薄く光る換装用ユニット。
精密ドライバーの先端がついた細長いツールが飛び出していた。
ガシャン、と小気味よい音を立てて右腕に再接続される。
「ジャーン、換装式。手を改造して、直接工具として使えるようにしたんだ。ドライバーヘッド、トルクレンチヘッド、ハンダごてヘッド、あとね——」
ナノは別のユニットを取り出した。先端が二股に分かれた、物騒な形状のもの。
「スタンガンヘッド」
「……え?」
「出力八万ボルト」
ルカは涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしたまま、数秒間ナノの顔とスタンガンを凝視した。
それから——ブフッ、と吹き出した。
「な、なにそれ……」
「護身用」
「八万ボルトは護身のレベル超えてるでしょ! 過剰防衛! 完全に武装じゃん!」
ルカが泣きながら笑った。
涙と笑いと怒りがぐちゃぐちゃに混じった、ルカにしかできない最高の表情だった。
「ば、バカ……っ。死ぬほど心配したんだからね……! メッセージ返さないし、学校来ないし、何があったか全然教えてくれないし……!」
「ごめん」
「ごめんじゃないよ……もう、ほんと……バカぁ……っ」
ルカがナノに勢いよく抱きついた。
ナノの金属の腕が、ルカの背中に回される。
冷たい黒のチタン合金が、ルカの制服越しに背中に触れる。
以前の手とは違う感触。温もりのない、硬くて重い感触。
しかしルカは離れなかった。むしろ壊れるくらい強く抱きしめてきた。
「……ナノの手、すっごく冷たい」
「金属だからね」
「あっためてあげる」
ルカはナノの黒い義手を両手で包み込み、はぁーっと息を吹きかけた。
金属は温まらない。そんなことはルカも分かっている。でも、そうせずにはいられなかったのだ。
ナノの視界が、急激に滲んだ。
今度は、自分から涙を拭うことができた。冷たい金属の指で、不器用に目元を擦る。
「ルカ」
「んー」
「火傷用ジェル、まだ持ってる?」
「持ってるよ。いっつもポケットに入れてる」
「……たぶん、もう使わないと思う。この手、絶対に火傷しないから」
ルカは鼻を真っ赤にしてすすりながら、ナノの義手をしげしげと眺めた。
「でも持ち歩く。一生持ち歩いてやるんだから。ナノが生身の手に戻したくなったとき用に、私が持っててあげるの」
「生身に戻す気はないけど……」
「いいの! 私が持ってたいの!」
ナノは何も言わなかった。
ただ黒い金属の太い指で、ルカの赤毛のツインテールをそっと引っ張った。
「痛っ! ちょっと、力加減バグってない!?」
「あ、ごめん。まだ微調整が難しくて」
「もう、ほんとに……腕がイカツくなっただけで、中身全然変わってないじゃん、ナノ」
ルカが笑った。ナノも笑った。
歩道橋の上で、二人は並んで手すりに寄りかかった。
工場の煙突が重たい蒸気を吐き出し、人工の雲を作っている。
その隙間から人工太陽の光が差し込み、二人の影を長く伸ばしていた。
■
その日の放課後。
集合住宅に戻る道すがら、ナノの足は自然と『寄り道ルート』を辿っていた。
二ヶ月ぶりの、いつもの道。
三階のヤンさんのドアをノックすると、初老の男が顔を出した。
ナノを見た瞬間、目が大きく見開かれ——それから、泣き笑いの顔になった。
「ナノちゃん……! おいおい、本当にナノちゃんか!?」
「ヤンさん、久しぶり。肩の調子、どう?」
「そんなこといいから、お前、その腕——」
「これ? ネクサス・リンク社製の特注品。自分で設計したんだよ!」
ナノは義手の指を誇らしげに開いて見せた。
ヤンさんは口元を手で覆ったまま、しばらく声が出なかった。
「……ちゃんと動くのか? そのイカつい手で」
「もちろん。前より精密に動く。あたし用にカリカリにチューニングしたから」
ナノは右手首を回し、ガシャンと小気味よい音を立ててドライバーヘッドに換装した。
「さ、肩見せて。二ヶ月も放っておいたら、キャリブレーションずれてるでしょ」
ヤンさんは泣きながら笑って、「かなわねえな」とナノを部屋に招き入れた。
五階のドミニクさんの義足のアクチュエーター清掃も、換装したエアダスターヘッドで以前より格段に早く作業できた。
ドミニクさんは義手をまじまじと眺めてから、無言でナノの頭を撫でた。
工場労働者の大きな掌が、ナノの黒髪をくしゃくしゃにした。
そして、自分の部屋の向かいのドア。
「おう……!」
顔を出したゴメスが、絶句した。
ナノの義手と、自分の義手を見比べる。
銀色の型落ちの義体と、その横に並ぶ黒いチタン合金の最新型。
「ゴメスさん。指、またカクカクしてない?」
「あ、ああ……ナノ、お前、その腕……」
「長い話なんで、いつか話すよ。とりあえず今日は、指を見せて」
ゴメスは無言でナノの前に左手を差し出した。
ナノはその義手を取り、指の関節を曲げ伸ばしした。
引っかかりと、微かな異音。二ヶ月分の劣化がしっかりと蓄積している。
「ああ、やっぱり。第三指と第四指、グリスが完全に乾いてる。兄ちゃんが紹介したメンテ店、ちゃんと行った?」
「行ったよ。行ったけどよ……」
ゴメスが不満げに鼻を鳴らした。
「なんか違うんだよ。ちゃんと動くんだけど、ナノに調整してもらったときの方が、こう……しっくり来るっつーか」
「それたぶん、ケーブルテンションの好みが規定値と違うんだよ。正規の店はマニュアル通りにしか合わせないから」
ナノは右手をドライバーヘッドに換装し、メンテナンスハッチを開いた。
金属の指とドライバーの先端が、ゴメスの義手の中に入っていく。
古いグリスを拭き取り、新しいものを塗布する。
ケーブルのテンションを、ゴメスの指が「しっくり来る」ポイントまでミリ単位で追い込んでいく。
作業中のナノは無言だった。
指先に——義手の指先に——全神経を集中させ、機械の声を聴いている。
金属の指は生身の指とは違う。温度を感じない。グリスの粘度を肌で測れない。
祖父が教えてくれた「手の感覚」の多くは、もう使えない。
代わりに、義手の神経直接接続インターフェースが、振動と圧力のデータを脳に直接送ってくる。
数値化された情報。デジタルの感触。
それはアナログの手が持っていた曖昧で豊かな感覚とは、まるで別物だった。
けれど。
「……うん。聞こえる……」
ナノの『耳』は変わっていない。
関節が鳴る音の違いを聞き分ける耳。グリスの状態を異音で判断する耳。どこが痛いか、機械が教えてくれる声を拾う耳。
そして何より、壊れたものを直したいと願う『心』。
祖父が宝だと言ってくれたものは、手だけではなかった。
「よし、これでどうですか」
ハッチを閉じ、ゴメスに指を動かすよう促した。
大男が義体の指を一本ずつ曲げ伸ばしし、力強く握って開いてを繰り返す。
「おお……!」
ゴメスの顔が、ぱっと明るくなった。二ヶ月前と同じ顔。ナノが一番好きな顔。
「すげえ……! やっぱナノだわ。新品みたいだ!」
「大げさだよ。グリスとケーブル調整だけだから」
二ヶ月前と全く同じ言葉を、同じように返した。
ゴメスがいつもの小さなタッパーを差し出した。中には手作りの不格好なパン。
工場の食堂で焼いたもの。二ヶ月ぶりの、温かい対価。
「お金は本当にいいの?」
「金なんていらねえよ。パンで済むなら——」
「こっちが申し訳ないくらいだ、でしょ」
ナノが先に言い終えると、ゴメスが目を丸くし、それから豪快に笑った。
「変わんねえなあ、お前は!」
「変わったよ。ちょっとだけ、頑丈に」
ナノは義手の指でパンのタッパーを受け取った。
金属の指が、プラスチックの容器を不器用に掴む。
力加減はまだ完璧ではない。でも、落とさなかった。
集合住宅の薄暗い廊下を歩きながら、ナノはタッパーを大事に工具バッグにしまった。
祖父から受け継いだ重い革のバッグ。
中には新旧入り混じった工具と、換装用のツールヘッドと、ルカがくれた火傷用ジェルのチューブ。
「ただいま、じいちゃん。……今日も稼いできたよ」
■
集合住宅を見下ろせる、廃棄工場棟の屋上。
イスラは錆びついた金網の柵に背を預け、仕立ての良い白いスーツの裾を煤けた夕風に揺らしていた。
眼下のハニカム住宅の薄暗い廊下を、自分よりずっと重い工具バッグを肩にかけた小さな影が歩いていくのが見える。
黒い無骨な義手が夕陽を反射して、時折鈍く光った。
三階のドアが開き、影が中に招き入れられる。
少し経つと、住人の初老の男が豪快に笑う声が、風に乗って屋上まで微かに届いた。
イスラはそれを見届けてから、満足げにポケットへ手を突っ込んだ。
「へぇ。慈善事業もするんだ」
背後から不意に声が落ちた。
足音も、気配すらもなかった。
「……似合わないね」
振り返らなくても分かる。イスラは柵に寄りかかったまま、肩越しに横目を向けた。
屋上の給水塔の影に、白いパーカーの少女が立っていた。
透き通るような水色の髪が、重たい夕風に揺れている。
「似合わないのは百も承知さ」
イスラは自嘲気味に鼻を鳴らした。
いつもの公的な場で使うカリスマ的な声ではない。
演技の仮面を脱ぎ捨てた後の、どこか投げやりで泥臭い地声だった。
「だがな、俺だって手を伸ばせば届く場所にいるガキくらいは掴むさ。目の前で理不尽に沈んでいくのをニヤニヤ見てるほど、悪趣味なつもりはないんでね」
カーバンクルは無言だった。
感情の読めない赤い瞳が、イスラの横顔を静かに見つめている。
「それに、あれはただの慈善じゃない。投資だ。10年後にはネクサス・リンク社の技術部門で、あの腕のコスト分はきっちり主力として働いてもらわないと困る。……ダイレクト・リンク式の特注義手なんて、開発費いくらだと思ってる」
イスラはわざとらしく肩をすくめ、大げさな溜息をついてみせた。
だがカーバンクルはピクリとも反応しなかった。
嘘と本音の境界を、綺麗事と泥臭い熱意の境目を、この死神は見誤らない。
イスラはそれを知っていたし、だからこそ彼女の前では無駄な芝居を打たなかった。
しばらく重たい沈黙が流れた。
眼下の集合住宅から、別のドアが開く音が聞こえた。
五階。ナノの影が、次の『お得意様』の部屋に向かっている。
「エドワード・フィンチの件、片付けてくれたようだな」
イスラが、声のトーンを一段下げて切り出した。
「うん。……依頼経由でやることになるとは思わなかったけどね」
「他の隠者たちは隠蔽が達者だからな。あのマヌケ親父、まんまと君への依頼を許すとは。笑えるぜ」
「……彼は今頃、もう死体処理済みだよ」
「ああ、隠者たちがまた一人減った。残りは7人。うちのビジネスにとってもありがたい話だが——いや、俺の都合は今はいいか」
言いかけてやめ、イスラは柵からゆっくりと身を起こした。
カーバンクルに真っ直ぐに向き直る。
野心を隠そうともしない碧眼が、無機質な赤い瞳と正面からぶつかり合った。
「……実はな、もう一人、隠者たちの被害者の治療を進めている」
カーバンクルの赤い瞳が、ほんの微かに揺れた。
腕がなくなったらなくなったで付けてもいいのがサイバーパンクの良さですね




