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【断罪】檻の中で……

 片腕を失ったエドワードは、さらに2日間をレジデンスの浴室で過ごした。


「ハァー……ハァー……ッ」


 焼灼された断端を冷水で冷やし、応急処置キットの包帯を巻いた。

 左手だけでは満足に巻けず、何度もやり直すたびに脂汗が噴き出した。


 病院には行けない。切断の原因を説明すれば警察が動く。

 警察が動けばナノの件が掘り返され、彼が積み上げてきた優雅な人生に邪魔が入る。


(——まだだ。まだ終わっていない!)


 エドワードは鏡の中の自分を見た。

 頬はこけ、目の下の隈はどす黒く沈み、唇が乾いてひび割れている。右腕の袖は空っぽで、無様に垂れ下がっていた。


 かつて子どもたちの前で作っていた「温かい笑顔」を浮かべようとしたが、頬の筋肉が引きつり、醜く歪んだ痙攣にしかならなかった。


「……護衛が、必要だ」


 ギルバートたちは使えない。

 あの男たちは、所詮は表寄りの人間だった。半端な道徳心を振りかざし、雇い主を殴るような連中だ。


 もっと深い場所の人間を使うべきだ。

 倫理などとうに捨てた、本物の暴力装置を。


 エドワードは端末の電源を入れ、裏のネットワークに接続した。

 かつて隠者たちの周辺で接点のあったギャング組織『ブラッド・ヴァイパーズ』。


 サウス区を拠点とする武装犯罪集団だ。

 殺人も恐喝も日常業務。金さえ払えば動く彼らにこそ、自分の話術は効くはずだった。



 翌日の夜。イースト区の廃工場。

 指定された場所に赴いたエドワードの前に、五人の男たちが現れた。


 全員が違法なサイバネティック改造を施した荒くれ者だ。

 リーダー格のドーソンは、頭蓋の半分が金属プレートで覆われている。


「ようこそ、委員長さん。わざわざご足労いただいて」


 ドーソンは金属の義歯を剥き出して笑った。

 エドワードは被害者の顔を作った。怯えた目。震える声。片腕を庇うようにする姿勢。


「た、た助けてほしいんだ。私は、教育改革を進めようとして暗殺者を差し向けられた。腕も一本やられた。護衛を——」

「ああ、その話はもういい」


 ドーソンが手を振って遮った。


「聞いてるよ、委員長さん。あんたの噂はもう裏じゃ出回ってる。教育委員長で、ガキを嬲る変態で、カーバンクルに追われてる哀れなオッサン。合ってるか?」


 エドワードの顔が凍りついた。


「そ、それは誤解で——」

「誤解もクソもねぇよ。写真付きのデータが出回ってんだからよぉ」


 ドーソンが一歩近づいた。笑みが消えていた。


「なぁ、委員長さん。俺たちは確かにクズだよ。人も殺すし、金のためなら大抵のことはやる。なんならガキも殺すし売るぜ。けどな——」


 ドーソンの義手が、エドワードの襟を掴み上げた。


「なんでお前みたいなペド野郎のために、『あの化物』と戦わなきゃいけねぇんだ」


 エドワードの足が地面から浮いた。


「ぐっ、やめ……! わ、私を誰だとっ」

「カーバンクルだぞ。うちの組の人間も何人か挽肉にされてる化物だ。金の問題じゃねぇ。命の問題だ」


 ドーソンがエドワードを地面に叩きつけた。後頭部がコンクリートにぶつかり、視界に火花が散った。


「がフッ!」

「それにな」


 ドーソンが屈み、エドワードの顔を覗き込んだ。


「俺にもガキがいる——てめぇには反吐が出る」


 容赦のない蹴りが腹にめり込んだ。

 エドワードは身体を曲げて胃液を吐く。


「グェッ! がはぁっ!!」

「消えろ。次に顔見せたら、カーバンクルより先に俺が殺す」


 男たちの足音が遠ざかっていく。

 廃工場の床に転がったまま、エドワードは動けなかった。


 ギルバートのときとは違う。

 人殺しのギャングにすら「気持ち悪い」と切り捨てられた。


 倫理も道徳も持たない暴力の権化に、殺す価値もない汚物として扱われた。

 それは彼がこれまで見下してきた底辺の人間からの否定だった。


「ク、ソぉぉぉ……!!」



 隠者たちへの通信も、やはり予想通りの結果に終わった。


「助けてくれ! 私は隠者たちの一員だ……! 仲間を見捨てるのか……!」

『仲間?』


 アレクサンダー・クロウの乾いた笑い声が響いた。


『お前を仲間だと思った覚えは一度もないが。小児性愛者の末路など、誰も興味はない。せいぜい惨めに死ね』


 通信が切れた。

 エドワードは端末を壁に叩きつけ、残った左手でクローゼットの奥から金属ケースを引きずり出した。


「ハァ、ハァ……! くそ……! もういい! わ、私が、自分で自分の身を守るまでだ!」


 中には旧式のハンドガン。

 護身用に闇市場で購入したもので、装弾数は十二発。


「ハハハッ……! 誰も、誰も入れんぞ! 誰もなぁ!」


 彼はレジデンスの寝室に引き籠もった。

 窓は溶接工具で内側から完全に封じ、ドアには三重の物理ロックと電子ロックをかけた。


 さらにベッドとクローゼットを動かしてドアの前に積み上げる。

 片腕では一時間以上かかる重労働だった。


「誰も! 誰も私を傷つけられんっ! お前もだカーバンクルぅ!」


 食料は冷蔵庫の残りを全て持ち込んだ。水のペットボトルが八本。栄養バーが十数本。

 二週間は保つ計算だ。その間に——何か手を考えるしかない。


「ハァ、ハァ、ハァ、ハァ」


 銃を膝に置き、ベッドの隅に座り込んだ。

 空調のダクトも塞いだ。あらゆる侵入経路を潰した。


 これで安全だ。壁に囲まれた密室。誰も入ってこない。


 ――ピーンポーン。


「!?」


 不意に、部屋に備え付けの壁面埋め込み型インターコムが鳴った。


『あー、あー。聞こえる? 先生』


 エドワードの全身が硬直した。

 銃を握る手が震え、引き金に指をかけた。

 しかし撃つ相手はいない。声だけが、壁の中から響いている。


「お、おっ、お前……!」

『ドアのロック、全部確認したよ。物理ロック三つ。電子ロック。バリケード。窓の溶接。空調ダクトの封鎖。すごく頑張ったね』


 カーバンクルの声は氷のように冷たく、それでいて嘲笑のように響いた。


『――だから、そのまま閉めておくことにした』


 エドワードの思考が、一拍遅れた。


「……何、を?」

『電子ロックのシステムを書き換えた。内側からも外側からも、もう開かない。物理ロックのデッドボルトも電磁的に固着させておいたよ』


 エドワードの血の気が引いた。

 銃を放り出し、ドアに飛びつく。物理ロックの解錠ツマミを左手で掴んで回すが、微動だにしない。さっきまでは回ったのに。


「なっ……あ、開けろ!! ここから出せ!!」

『もう出る必要はないよ。あなたが自分で選んだ部屋だから』


 インターコムの向こうで、一瞬の沈黙があった。


『……これはあなたが子どもたちにしたのと同じこと』


 カーバンクルの声が、死神の宣告として響く。


『あなたは子どもたちを閉じ込めた。外の世界から遮断して、逃げ場をなくした』


 エドワードはドアに額を押しつけたまま、荒い呼吸を繰り返した。


『今、あなたは自分が作った檻の中にいる。鍵は閉まっている。誰も入ってこない。誰も出ていけない』

「待て……待ってくれ……!」

『……あなたはもう。この国の|どこにも存在しない《404 Not Found》』


 スピーカーが沈黙し、LEDインジケーターが消灯した。

 通信が切断されたのではない。インターコムそのものが、外部から完全にシャットダウンされたのだ。


「あ、ああ、あああ! ああああッ!」


 エドワードは銃を拾い上げ、ドアに向けて撃った。

 三発。四発。五発。


 弾丸は高級レジデンスの防弾ドアに浅い窪みを作っただけで、貫通しなかった。

 壁を撃っても、溶接した窓を撃っても同じだった。


 残弾、四発。


「あああ……! だめだ、こんな……っ、こんな……!」


 エドワードは床にへたり込んだ。

 目の前には運び込んだ食料と水。二週間分。

 二週間。その後は——。


「出、せ……」


 呟いた。誰に向けたものでもない声。


「出してくれ……私は悪くない……私は……!」


 その言葉は、もう彼自身の耳にすら虚しく響いた。

 ギャングにすら汚物扱いされた彼に、もはや自己正当化の余地など残されていなかった。


 エドワードは天井を見上げた。

 白い天井。染み一つない。完璧な表面。


 ——完璧な密室。自分が作り上げた、完璧な檻。



 七日目に、水が尽きた。

 栄養バーはその前に尽きていた。エドワードは配管から水を取ろうとしたが、給水システムも外部から完全に遮断されていた。


 八日目。

 エドワードは狂ったようにドアを引っ掻いていた。

 左手の爪が全て剥がれ、指先が血と肉片でぐしゃぐしゃになっていた。

 声はもう出なかった。喉が乾ききり、血を吐いた。


 十日目。

 彼は自分の尿を飲もうとして嘔吐し、胃液すら出ない苦痛にのたうち回った。


 残弾四発の銃。自分のこめかみに当てることも考えた。

 しかし死の恐怖と飢えによる衰弱で、引き金を引く力すら残っていなかった。


 十一日目の夜。

 密閉された部屋で、エドワード・フィンチは天井を見つめたまま、ついに動かなくなった。


(……ぃ……)


(私……が……悪……)


 最期に彼が何を考えていたのかは誰にも分からない。

 恐怖か、後悔か、あるいは飢餓による幻覚か。


 いずれにせよ彼が子どもたちに与えた「逃げ場のない絶望」を、彼は自らの肉体と精神で一滴残らず味わい尽くした。


 セントラル区の高級レジデンス32階。

 鍵のかかった部屋の中で、エドワードは汚物と血にまみれ、干からびたミイラのように無様に死んでいた。


 右腕はなく、左手の爪は全て剥がれ、眼球は落ち窪み、口は苦悶の形に大きく開いたまま硬直していた。


 レジデンスの管理AIが異臭と生体反応の消失を検知し、強制解錠で駆けつけたスタッフがその変わり果てた姿を発見したのは、さらに三日後のことだった。


 だがセントラル区で、他人の汚い死に方に首を突っ込むほど愚かな行為はない。


 彼はただ、産業廃棄物のように処理される。

 その点だけは、彼が見下していたイースト区と何ら変わらなかった。

別に出てこなくても殺せるんだなあ



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