【断罪】永遠の飼育
カーバンクルは数秒、沈黙していた。
少女の思考が読めない。
あの赤い義眼は、深淵のように光を吸い込むばかりだ。
(でも……こうして硬直しているということは、迷いが生じた証拠よ)
私の脅しは効いている。
この鎖は、狂犬の首を確実に縛り付けている。
カーバンクルはエリザベスを睨みながら、さらに確認する。
「あなたの心拍が止まると、地下室の生命維持装置が停止し、神経ガスが散布される……ということ?」
カーバンクルの問いかけに、エリザベスの全身から力が抜けた。
安堵の溜息が漏れる。
エリザベスの顔に醜悪な笑みが戻った。
「そう……その通りよ。だから、あなたは私を殺せな――」
「なら、問題ない」
カーバンクルが言葉を遮った。
そのあまりにあっさりとした口調に、エリザベスの思考がフリーズした。
「……は?」
「最初から、あなたを殺すつもりはないから」
エリザベスはポカンと口を開けた。
言葉の意味が、わからない。
殺すつもりはなかった? 最初から?
じゃあ何のために警備網を突破し、私をここまで追い詰めた? 復讐のためではないのか?
カーバンクルは右手を、指揮者のように滑らかに振り上げた。
「――え?」
バシュッ。
その動きに呼応して、周囲を取り囲む数十機のドローンが一斉に変形した。
機体の下部ハッチが開き、そこから銃口ではなく、二本の鋭利な電極が飛び出す。
青白いスパークがバチバチと弾け、オゾン臭が漂い始めた。
エリザベスの目が見開かれ、眼球が飛び出さんばかりになった。
見覚えがある。
あれは、自分が地下室で「家畜」たちに使っていたものと同じ。電流……。
「ひっ……まさか、あなた……ッ!?」
「電圧レベル3。大丈夫。死にはしないから」
カーバンクルが無慈悲に指を振り下ろした。
――バチバチバチバチッ!!
数十機分の電撃が、一斉にエリザベスの肉体へと炸裂した。
「ぎぃやああああああああッ!!」
絶叫は一瞬で途絶えた。
声帯が痙攣し、空気が肺から強制排出される。
エリザベスの体は、釣り上げられた魚のように跳ね、床の上でのたうち回った。
筋肉が収縮し、骨が軋む。白目を剥き、口からは泡と胃液が混じったものを垂れ流す。
高級なスーツの下で失禁し、尊厳の全てが汚濁まみれになっていく。
だが、死なない。
心臓は止めない。
数十秒の地獄の後、ドローンが放電を止めた。
エリザベスはピクリとも動かなくなった。
だが、胸は微かに上下している。
カーバンクルは、ゴミを見るような目でエリザベスを見下ろした。
「……さて。あなたの大好きな場所に案内するよ」
■
最初に感じたのは凍えるような冷たさと、鼻を突く汚臭だった。
「……ぐっ」
硬い床。体の下に敷かれた薄汚れたマットレスからは、何人もの人間が流した脂汗と恐怖の臭いが染み出している。
エリザベスは重い瞼を開けた。
視界がぼやけ、頭蓋骨の中で鈍い痛みが鐘を打っている。
瞬きを繰り返すと、見覚えのある天井が浮かび上がった。
白い無影灯。均一な光。
(……まさか!?)
エリザベスは跳ね起きた。
ジャラッ。
首元で重い音がした。
「え……」
違和感に手を伸ばすと、冷たい金属の感触があった。
継ぎ目のない分厚い鋼鉄の輪。
それは彼女自身が何人もの夢を追う若者の首に嵌めたものと、全く同じ「首輪」だった。
周囲を見渡した瞬間、エリザベスの喉から引きつった音が漏れた。
分厚い強化ガラスの壁。一辺二メートルの狭小な正方形。
床にはステンレスの食器と給水ボトル。
そこは彼女が「コレクションルーム」と呼んでいた地下室――その中でも、最も奥にある特等席だった。
「……あ、あぁ……っ」
エリザベスはガラスに張り付いた。
向こう側に、見慣れた回廊が広がっている。
だが、決定的な違いがあった。
空っぽなのだ。
詩人の女がいたケージ。医療ベンチャーの男がいたケージ。教師がいたケージ。
全てが開け放たれ、鎖は外され、主を失っている。
あの「展示物」たちは一人残らず消え失せていた。
ただ一人、このケージの中にいる「自分」を除いて。
「全員、解放したよ」
「なっ……!」
氷のような声。
ガラスの向こう、回廊の中央にカーバンクルが立っていた。
無機質な瞳でこちらを見下ろしている。
それは、実験動物を観察する科学者の目だった。
「だ、出しなさい……! 今すぐここを開けなさいッ!!」
エリザベスはガラスを拳で叩いた。
バンバンと鈍い音が響くだけで、強化ガラスは微動だにしない。
髪は振り乱れ、高級スーツは破れ、顔は固まった血と鼻水で汚れている。
かつての女王の威厳は毛ほども残っていない。
「私はネオ・バンク・アルカディアの頭取よ!? 私がいなければこの都市は終わる!」
「もう関係ない。……システムは書き換えたから」
カーバンクルは淡々と、死刑宣告のように告げた。
「あなたがぐっすり寝てる間に、ショウがすべての制御権を奪取した。あなたの生体認証も、網膜パターンも、全権限を剥奪して、サーバーからあなたの存在を『削除』した」
「……は?」
エリザベスの動きが止まった。
削除? 私が? この世界の中心である私が?
「他の七人は、とりあえず救出された。元に戻るかどうかはわからないけどね」
「嘘よ……そんな、馬鹿なことが……」
エリザベスは膝から崩れ落ちた。
自分が壊した人間たちが、救われた?
そして、自分だけがこの地獄に残された?
カーバンクルはゆっくりとガラスに近づき、手を触れた。
「マルク・チェンバレンも、もういない。……ここには、あなた一人だけ」
エリザベスは床を這い、ガラス越しにカーバンクルを睨み上げた。
「……っ、システムを……掌握できたなら……全員救出できたって言うなら、もういいでしょう!? いっそ殺しなさいよ!」
「殺す?」
カーバンクルは小首をかしげた。
「そんな慈悲深いことはしない」
エリザベスの顔色が、白蝋のように褪せていく。
「あなたにもしっかりと味わわせてあげる。……全てを奪われ、誰からも忘れ去られ、ただ呼吸するだけの肉塊になる時間を」
カーバンクルは指先で、エリザベスの首輪を指し示した。
「それと、その首輪も改造してあるよ。通電のプログラムをランダムに設定した」
「な……に……?」
「いつ電撃が来るか分からない。一分後かもしれないし、三日後かもしれない。強さも、持続時間も、すべて乱数。痛みと恐怖は予測できない」
「く、ぐっ……!」
エリザベスは両手で首輪を掴み、爪を立てて引き千切ろうとした。
だが鋼鉄の輪は肉に食い込むばかりで、びくともしない。
「やめ……やめて……お願い……」
プライドも、復讐心も消え失せた。残ったのは原初的な恐怖だけ。
エリザベスはガラスに額を擦り付け、涙と鼻水で曇らせながら懇願した。
「靴でも舐めるわ! 奴隷にでもなる! だからここから出してぇッ!!」
カーバンクルは、そんなエリザベスを一瞥もしなかった。
踵を返し、出口へと歩き出す。
「餌と水は自動給餌器から出るようにしてあげる。ただ、私はあなたと違って悪趣味じゃないから、もう二度と様子を見に来ることはないよ」
足音が遠ざかる。
(待って。行かないで。一人にしないで!!)
エリザベスは叫ぼうとしたが、喉が引きつって音にならない。
カーバンクルは重厚な防音扉の前で立ち止まり、最後にもう一度だけ振り返った。
その赤い瞳が、薄く細められたように見えた。
「――あなたはもう。この社会の|どこにも存在しない《404 Not Found》」
ズウン。
重い扉が閉ざされ、電子ロックが掛かる音が響いた。
完全なる密室。完全なる孤独。
「あ、あぁ……ああああああああッ!!」
エリザベスは絶叫した。
髪を掻きむしり、
壁を叩き、
爪が剥がれて血がガラスに付着しても止まらなかった。
誰もいない。
誰も来ない。
自分自身が作った完璧な防音室。完璧なセキュリティ。
それが今、彼女を世界から隔絶する棺桶になった。
「ハァ……ハァ……ッ!」
静寂が戻った。
聞こえるのは自分の荒い呼吸と、空調の低い唸り声だけ。
エリザベスはマットレスの上に蹲り、震えながら自分を抱きしめた。
電撃はいつ来る?
今か? それとも一秒後か?
恐怖が時間感覚を引き伸ばし、精神をヤスリのように削っていく。
一時間。あるいは数分。
極限の緊張の中で、ふと気が緩んだ、その瞬間だった。
ビーッ。
首輪が無機質な電子音を立てた。
「ひっ――」
エリザベスが身構える間もなく、青白い閃光が弾けた。
バチバチバチバチッ!!
「ぎゃっ、あぐ、がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!??」
脳髄を直接焼かれる激痛。
エリザベスの体はゴムまりのように跳ね上がり、床の上でのたうち回った。
舌を噛み、白目を剥く。
熱い。痛い。苦しい。
(止めて! 誰か止めて! 私が悪かった! 私が間違っていた、だから止めて!!)
だが電撃は止まらない。
かつて彼女が「いい声だ」と笑って眺めていた長さよりも、遥かに長く、執拗に続き――。
プツン。
唐突に止まった。
エリザベスは泡を吹いて気絶しかけ、ビクビクと痙攣していた。
汚物にまみれ、髪は焦げ、豪奢な人生の全てが剥ぎ取られた姿。
薄れゆく意識。天井の白い無影灯。
逃げ場も、救いも、未来もない。
この地獄は、まだ始まったばかりだ――。
カーバンクルさんはランダム拷問をちょいちょい使いますが、まぁ一番効果的らしいです
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