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【断罪】死人のスイッチ

 カーバンクルはエリザベスを一瞥もせず、彼女の専用デスクに向かった。

 瓦礫と化した高級アンドロイドの残骸を踏み越え、ホログラムディスプレイを起動する。


 細い指が、人間離れした速度でキーボードを叩き始めた。

 画面には見たこともないほど高速で、複雑なコマンドラインが滝のように流れていく。


「……っ?」


 エリザベスは床にへたり込んだまま、その小さな背中を見つめた。

 何をしている? 銀行の口座を凍結させているのか? それとも顧客データを破壊しているのか?


 分からない。だが、あの怪物の意識が自分から逸れた。

 今しかない。


 エリザベスは音もなく立ち上がった。


 膝が笑い、生まれたばかりの仔鹿のように震えている。

 脱ぎ捨てたハイヒールの代わりに、ストッキング越しの床の冷たさが足裏に突き刺さる。


 カーバンクルは振り向かない。画面に没頭している。

 エリザベスは息を殺し、隠し扉とは逆方向――正面エントランスへ続く扉に向かって一歩を踏み出した。


「だ……誰か! 誰かぁ!!」


 心臓の音が、鼓膜を内側から叩くほど激しい。

 鼻血が口の中に流れ込み、鉄錆の味と吐き気がこみ上げる。


 背後からの追撃を予期して首をすくめたが、衝撃は来ない。

 重厚なマホガニーの扉に体当たりし、廊下へと転がり出る。


 振り返らずに彼女は走った。なりふり構わず、獣のように。


 肺が焼けるように熱い。

 普段は専用車かエレベーターでしか移動しない彼女にとって、全力疾走など数十年ぶりの行為だった。


 だが、止まれば死ぬ。

 あの赤い目の死神に捕まれば、地獄が待っている。


 エレベーターホールが見えた。


(助かる。あそこまで行けば!)


 ホールから直通で一階ロビーへ降りられる。そこには武装警備員が常駐しているはずだ。

 エリザベスはもつれる足でコーナーを曲がり、ホールに飛び込んだ。


「警備! 誰か! 早く来て、侵入者よッ!」


 悲鳴交じりに叫んだ彼女の声は、無人の空間に虚しく反響した。


 あたりには誰もいなかった。

 コンシェルジュデスクは無人。警備員の姿もない。


「……!?」


 床には書類が散乱し、飲みかけのコーヒーが転がっている。

 まるで神隠しにあったかのように、人の気配だけが消滅していた。


「な、なんで……どうして……?」


 エリザベスの背筋に、氷柱をねじ込まれたような悪寒が走った。


 何かがおかしい。これは異常だ。


 だが思考している暇はない。

 彼女は震える指でエレベーターの呼び出しボタンを連打した。


 ポーン、という軽快な電子音。

 到着までの表示。三十階、二十九階、二十八階――。


 ブォン。


 背後で、低い羽音がした。


(なっ……なんの音!?)


 空調の音ではない。もっと有機的で、それでいて無機質な高周波のモーター音。

 エリザベスは恐る恐る振り返った。


 長い廊下の闇の奥から、無数の「目」が光っていた。


「え……」


 赤。青。緑。

 様々な色のLEDが明滅し、闇の中を滑るように近づいてくる。


 ドローンだ。


 それも一機や二機ではない。

 数十機の大群が、蜂の群れのように廊下を埋め尽くして飛来してくる。


「あれ……は……!?」


 機体の側面には見覚えのある、かつて嘲笑いながら奪い取ったロゴが描かれていた。


『Skyrunner Logistics』

「あ……ああ……ッ!?」


 エリザベスの喉から、引きつった悲鳴が漏れた。


 マルク・チェンバレンの会社。

 自分が踏み潰し、技術を盗み、兵器へと転用させたあのドローンたち。


 それらが今、荷物の代わりに小型のマシンガンやスタンガンをぶら下げて、殺意の編隊を組んで迫ってくる。


 先頭の一機が、カメラのレンズを絞った。

 まるで、狙いを定めるように。


 ババババッ!!


 発砲音と共に、エリザベスの横の壁が弾け飛んだ。

 コンクリート片が頬を切り裂く。


 エリザベスは「ひぃっ!」と無様な声を上げ、這いつくばって装飾用の柱の陰に滑り込んだ。


 頭上を銃弾の雨が通過していく。

 高価な絵画が蜂の巣になり、花瓶が砕け散る。


 チン、とエレベーターの到着音が鳴った。

 天の助け。

 扉が開くのと同時に、エリザベスは柱から飛び出し、カゴの中に転がり込んだ。


「閉まれ! 閉まれ閉まれ閉まれッ!!」


 閉じるボタンを拳で殴りつける。

 ドローンの群れが迫る。

 先頭の一機が扉の隙間に機体をねじ込もうとしたが、金属の挟まる嫌な音と共に扉が閉ざされた。


 ガガガッ、と異音がして、エレベーターは下降を始めた。


「はぁっ……はぁっ……!」


 エリザベスは壁に背を預け、ズルズルと座り込んだ。

 鏡に映る自分の姿は、もはや見るに耐えなかった。


 鼻は潰れ、顔中血だらけ。

 髪は狂女のように乱れ、破れたストッキングからは出血した膝が覗いている。


 これが、ネオ・アルカディアの女王?

 いいや、これではただの、追いつめられた浮浪者の老婆だ。


(見て……いなさい……ッ)


 二十階、十五階、十階。

 順調に降りている。一階に着けば、車がある。

 地下駐車場から脱出して、セーフハウスへ逃げれば――。


(絶対に許さない。よりによってこの私に牙を剥こうだなんて! たかが始末屋風情が、ネオ・アルカディアの支配者の一角であるこの私にっ!)


 ガクンッ。


 急激な衝撃と共に、エレベーターが七階で停止した。

 照明が明滅し、非常灯の赤い光に切り替わる。


「な、なによ……! 動いてよ! まだ着いてないじゃない!」


 エリザベスが操作盤を叩くが、反応はない。

 スピーカーから、ノイズ混じりの合成音声が流れた。


『配送先を、変更いたシマす。七階――地獄、へト』

「はぁ……!?」


 扉がゆっくりと開いていく。

 そこには宣告どおり、地獄が待っていた。


 エレベーターホールの空間を埋め尽くすほどのドローンが、赤いセンサーを一斉にこちらに向けてホバリングしていたのだ。


 待ち伏せ。

 完全に行動を読まれている。

 いや、ドローンの機動力をもってすれば、先回りも容易だったか。


「いやぁぁぁぁぁッ!!」


 エリザベスは悲鳴を上げ、再び閉じるボタンを連打した。

 だが予想に反し、ドローンたちは撃ってこなかった。


 ただ、じっと「見て」いた。

 無数のレンズが恐怖に歪む彼女の顔を様々な角度から撮影し、記録し、解析している。


 扉が閉まり、エレベーターは再び動き出した。


『配送先を再度変更いたします。1階に向かいます』

「はぁ、はぁ、はぁ……ッ!」


 そうして、一階。

 扉が開いた瞬間、エリザベスは転がるようにロビーへ飛び出した。


「助けて! 誰か! 警察を呼んで!」


 その広大なロビーは、死んだように静まり返っていた。


 無人。

 受付嬢も、警備員も、客もいない。


 ただ天井付近の空間を、黒い雲のように旋回するドローンの大群だけが、羽音を響かせている。


 五十機? 百機? いや、もっとだ。


「何なのよ!? どうなってるの、何がどうなってるのよぉ!!」


 エリザベスはエントランスの自動ドアへ向かって走った。


 外に出れば。外になら助けがあるはず。

 ガラスの向こうには、日常の街の光が見える。あれが希望だ。


「――うッ!」


 だが、自動ドアは開かなかった。

 彼女が体当たりしても、強化ガラスは微動だにしない。

 ロックされている。


「開けて! 開けなさいッ!!」


 ガラスを拳で叩き、爪を立てて引っ掻く。

 背後から羽音が近づいてくる。

 重厚な、圧倒的な質量の羽音。


 エリザベスは振り返り、絶望にへたり込んだ。

 ロビーの空間を埋め尽くしたドローンの壁が、ゆっくりと、壁のように彼女に近付いてくる。


 もはや逃げ場はない。

 彼女は、かつて自分が奪ったドローンによって完全に包囲されていた。


 障害物を回避し、最短ルートでターゲットを追い詰め、確実に「荷物」を届ける。

 その標的が、自分自身になるとは思いもしなかっただろう。


「やめて……お願い……私は……私は……」


 命乞いの言葉すら、恐怖で形にならない。

 ドローンの壁が割れ、その奥から一つの足音が響いた。


 カツン、カツン。


 静かな、だが死刑執行人のような足音。

 水色の髪の少女が、ドローンの群れを従えて、ゆっくりと歩み寄ってくる。


「どうしたの? もう逃げないの?」

「待って……待ち、なさい……ッ!」


 カーバンクルの足は止まらない。

 赤い義眼が、無慈悲にエリザベスの心臓を照準している。


 そこに躊躇いはない。慈悲もない。

 ただ「処理」を実行しようとする機械のような冷徹さだけがあった。


 殺される。


 この私が。


 この都市の女王が。

 こんな薄汚いガキに、ゴミのように処分される。


(――嫌だ。絶対に嫌だ!!)


 恐怖で白濁しかけたエリザベスの脳髄が、生存本能のスパークで焼き付いた。


 考えろ。回せ。

 50年かけて磨き上げてきた、他人を操り、搾取し、生き残るための回路を!


 金は効かない。権力も通じない。暴力では勝てない。


 ならば、あの子の「弱点」は何か。

 この殺戮マシーンが、唯一守ろうとしているものは何か。


 ――地下室。


「……ははァ」


 エリザベスの血走った目に、狂気じみた光が宿った。

 彼女は血の泡を吹きながら、叫ぶように早口でまくし立てた。


「私を殺せば……マルク・チェンバレンも死ぬわよ!!」


 ピタリ。

 カーバンクルの足が、止まった。


 エリザベスは喉の奥で、ひきつった笑い声を漏らした。

 効いた。止まった。この化け物を止める鎖が、まだこの手の中にある……。


「あの地下室の生命維持システムは……私の心臓とリンクしているの」


 彼女は自分の左胸を、血塗れの手で激しく叩いた。


「私の心拍が停止した瞬間、地下の空調システムから高濃度の神経ガスが噴射される。致死量はわずか0.5秒。……地下にいる全員、肺を焼かれて悶え苦しんで死ぬわ! 全員ねぇ!!」


 カーバンクルは無言だった。

 だがその赤い瞳の中で、演算のような光が高速で明滅しているのが見えた。

 嘘か真実か。値踏みしているのだろう。


 エリザベスは壁を背に、よろめきながら立ち上がった。

 鼻は潰れ、顔は腫れ上がり、高級スーツはボロ雑巾のようになっている。

 だがその瞳には、再び捕食者の色が戻り始めていた。


「私は銀行家よ。……常に最悪の事態に備えて保険をかけておくのは、職業病みたいなもの。

 ……試してみる? あなたがドローンの引鉄を引けば、その弾丸は私の心臓を貫通して、地下にいる彼らもろとも殺すわよ」


 エリザベスは一歩、前に出た。

 形勢が揺らいだ。死の恐怖に震えていたはずの膝に力が戻る。


「おおかた、イスラから依頼されたんでしょう? 『マルクを救え』と。最新の人形はあの子だものねぇ……でも私を殺せば、あなたが彼を殺すことになる。あなたが彼の処刑人になるのよ。……それでもいいの?」


 静寂がロビーを支配した。

 数百機のドローンの駆動音だけが、不気味な重低音となって響いている。


 カーバンクルは動かなかった。


 エリザベスは賭けに出た。

 これはブラフではない。実際にそういうシステムは組んである。


「……解除方法は」


 カーバンクルの声が、感情を押し殺したように低く響いた。


 ――勝った!


 エリザベスの心の中でファンファーレが鳴り響いた。

 彼女は血で汚れた口元を歪め、醜悪で、それでいて傲慢な笑みを浮かべた。


「私にしか分からない。生体認証、音声パスワード、網膜スキャン……手順は複雑よ。私が生きて操作盤の前に立たない限り、ガス噴射装置は止まらない」


 エリザベスは両手を広げた。

 命乞いのポーズではない。取引のポーズだ。


「さあ、選びなさい。404号室の死神さん」


 彼女はカーバンクルを見下ろすように、挑発的に言い放った。


「私の命を奪って、マルクたちを地獄へ道連れにするか。……それとも、私を生かして、彼らを救う可能性を残すか」


 究極の二択。

 彼女は血の味のする唾を飲み込み、最後の釘を刺した。


「さぁ。当行と、取引といこうじゃないの」

誰かが意識を失う、もしくは死んだときに起動する機構のことをデッドマン装置、もしくは死人のスイッチといいます

フックに釣ったら発電機をブロックするパークのことではないよ

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