【断罪】世界は救われない
アポカリプティック・サウンド本部。
教主は祭壇の前で、通信端末を震えるほど強く握りしめていた。
ひび割れた画面には、ホープ・ハウス周辺の監視カメラ映像が映っている。
あちこちで煙を上げる爆発痕。転がる黒焦げの肉塊。動かなくなった精鋭部隊。
五人全員のバイタルサインが、完全に沈黙している。
『レイヴン、応答しろ! バレット! サイレンス! 誰でもいい、答えろ!』
教主はマイクに向かって絶叫した。
しかし、返ってくるのは静寂を告げるホワイトノイズだけだ。
「……全滅、だと……?」
教主の義眼が、制御不能なほど激しく回転した。
「たった一人の……しかも十九歳の一般人のガキに……!? クアァッ!!」
彼は通信端末を床に叩きつけた。プラスチックが砕け散り、電子部品が床に散乱する。
周囲の信徒たちが、教主の豹変ぶりに怯えて後ずさる。
教主はこれまで見せてきた「慈愛に満ちた導き手」の仮面をかなぐり捨て、剥き出しの憎悪を露わにしていた。
教主はカーバンクルを睨みつける。
その顔には、もう媚びへつらうような笑顔はなかった。
あるのは裏切られた信仰者特有の、煮えたぎるような狂気だけだ。
「……お前が……」
教主は地を這うような低い声で唸った。
「お前が、あのカイとかいうガキに入れ知恵したんだな!」
カーバンクルは答えない。ただ、温度のない瞳で教主を見つめている。
教主はよろめくように一歩前に出た。
「我々の戦闘員五人が死んだ。全員、私が手塩にかけて育てた精鋭だった。それを……たった一人の、孤児院の先生ごときに殺されただとぉ!?」
彼は髪を掻きむしり、頭皮から血が滲むほど爪を立てた。
「ふざけるな! ふざけるなよぉぉ!! なぜ邪魔をする!?」
絶叫が地下空間の天井に反響し、信徒たちの鼓膜を震わせる。
教主は荒い呼吸を整え、血走った目でカーバンクルに向き直った。
そこには、もう計算高い指導者の姿はなかった。
ただ、自分の理想の展開をすべて否定された子供のような癇癪だけがあった。
「……いい。もう、茶番は終わりだ」
彼はゆらりと、亡霊のようにカーバンクルへ近づいた。
「お前は、世界を救わなければならないんだ!」
カーバンクルは無表情のまま、微動だにしない。
教主は続けた。
「このドーム都市は滅びる! 資源は枯渇し、人口密度は限界を超え、社会インフラは腐敗しきっている! 分かっているだろう!? お前もこの底辺で、その腐臭を嗅いできたはずだ!」
彼は演説するように両手を広げた。
「格差、暴力、貧困、絶望! 人々はこの閉ざされた箱庭の中で、窒息しながらゆっくりと死んでいく! このままでは、人類という種そのものが絶滅するんだ!」
教主の声が、次第にヒステリックな金切り声へと変わっていく。
「だから、お前が必要なんだ! お前の圧倒的な力で、このドームの壁を破壊し、外界への風穴を開けるんだ! お前は『神の器』! 唯一残された希望! 人類最後のメシアなんだよぉぉ!!」
彼は笑った。顔の筋肉が引きつり、痙攣している。
「お前は、進化した人類の母体になるべき存在なんだ! それこそが、お前に刻まれた崇高な使命だ!!」
教主は祭壇に飾られたカーバンクルの肖像画を指差し、唾を飛ばした。
「お前は、こんな場所でチンケな復讐代行ごっこに興じている場合じゃない! 世界を救え! 人類を導け! それが、お前に与えられた逃れられない運命なんだぁ!!」
彼の絶叫が、地下鉄のトンネルに虚しく吸い込まれていく。
重苦しい沈黙。
カーバンクルは数秒間、哀れな生き物を見るような目で教主を見つめていた。
それから、静かに口を開いた。
「……私が、外の世界に行っても生き延びられるとは思う」
教主の目が希望に輝いた。
「そうだ! そうだろう!? お前ならば――」
「でも」
カーバンクルは冷たく遮断した。
「私一人でできることは、限られてる」
教主の表情が凍りついた。
カーバンクルは淡々と事実を突きつける。
「あなたたちが夢見ている『新人類計画』は、あくまで私の脳と身体を解析して、再設計できるヴァイスがいたからこそ成立する話」
彼女は祭壇のヴァイスの写真へと視線を流した。
「彼は……カスだけど、天才だった。狂っていたけど、技術だけは本物だった。私という『兵器』を作り上げて、私をプロトタイプにして次世代を量産する青写真を描いていた」
カーバンクルは教主の目を見据えた。
「でも、そのヴァイスはもういない」
教主の顔色が土気色に変わる。
「私が殺したから」
カーバンクルの声は、ただの報告のように平坦だった。
「エンジニアがいないのに、どうやって量産するの? 私はいじくり回されるための実験台じゃないし、子供を産む機械でもない。外の世界で生きることはできても、新しい人類なんて作れない」
彼女は一歩前に出た。
「つまり――もう、世界は救えない」
教主は膝から崩れ落ちそうになりながら、かろうじて立っていた。
カーバンクルは止まらない。
「あなたたちが縋っていた『希望』は、あの夜、ヴァイスと一緒に灰になった。私は今、ただの人間。救世主でも、神の器でもない」
彼女は教主を真っ直ぐに指差した。
「だから、私を使って世界を救おうとするのは、時間の無駄」
教主の身体が小刻みに震え始めた。
信じてきた世界が、足元から音を立てて崩れ去っていく。
「そんな……そんなはずが……」
彼は頭を抱え、ブツブツと譫言のように繰り返す。
「市長は……お前が、全てを変える鍵だと……予言は絶対だと……」
「変えられない」
カーバンクルは残酷なまでに冷徹に言い切った。
「私はただ依頼された復讐を果たすだけ。それ以上でも、それ以下でもない」
教主の義眼が、制御を失って高速回転を始めた。
彼の呼吸が過呼吸のように荒くなり、全身が痙攣する。
「嘘だ……嘘だ嘘だ嘘だッ!!」
教主は喉が裂けるほどの声で叫んだ。
「お前は、救世主でなければならないんだ! でなければ、我々はぁ!」
彼は自分のこめかみを拳で殴りつけた。何度も何度も、血が滲むまで。
「ヴァイスの言葉は絶対だ! お前が世界を変えるんだ! だから、だからッ……!」
教主は突然、獣のような唸り声を上げてカーバンクルに飛びかかった。
「――お前は黙って従っていればいいんだよぉぉ!!」
汚れた手が、カーバンクルの細い首を絞め上げようと伸びる。
しかし――
カーバンクルの身体が、陽炎のように揺らいで教主の懐に潜り込んだ。
「っ!?」
教主が視界から標的を見失うよりも早く、カーバンクルの拳が彼の鳩尾に深々と突き刺さった。
「が、はっ……!」
教主の身体が『く』の字に折れ曲がり、肺の中の空気が強制的に排出される。
次の瞬間、カーバンクルの膝が彼の無防備な顎をカチ上げた。
ゴキッ!
生々しい破砕音。
教主の身体がボロ雑巾のように宙を舞い、祭壇へと叩きつけられた。
積み上げられた瓦礫が崩れ、ヴァイスとカーバンクルの肖像画が床に落ちて割れる。
教主は瓦礫の山に埋もれたまま、口から大量の血と歯を吐き出した。
「ぐ、ぁ……ぅ……」
カーバンクルは無感動に教主を見下ろした。
「私は、誰の命令にも従わない」
彼女は静かに、しかし絶対者の響きを持って告げた。
「神でも、救世主でもない。ただの『404号室の始末屋』」
教主は霞む視界の中で、カーバンクルを見上げた。
その赤い義眼には神性も慈悲もなく、ただ圧倒的な『暴力』だけがあった。
「……た、のむ……」
教主は血泡を吹きながら、震える手を伸ばした。
「世界を……救って……くれ……」
カーバンクルは、その手を冷たく見つめ――
容赦なく、靴底で踏みつけた。
「嫌」
「〜〜〜〜……っ!!」
ボキリ、と指の折れる音が響く。教主は声にならない悲鳴を上げて気絶した。
カーバンクルは背を向け、歩き出した。
信徒たちは誰も動けなかった。
彼らの信仰の中心にいたカリスマが、ただの肉塊として転がっている。
彼らが崇めていた「女神」は、彼らの教義を全否定し踏み躙った。
全てが、終わったのだ。
カーバンクルはホームを出て、長い階段を上り始めた。
ショウの声が通信越しに響く。
『……終わったか?』
「うん……」
『これで、アポカリプティック・サウンドも解散だな。教主があの様じゃ、誰もついていかないだろう』
「……たぶん」
カーバンクルは地上へ出た。
眩しい朝日が、サウス区の猥雑で汚れた街並みを照らし出している。
彼女は目を細め、空を見上げた。
ドームの天井に映し出された、作り物の青空。
「……世界を救う、か」
『どうした? ちょっとセンチメンタルだな』
「なにか出来たらいいな、とは思うけどね。だからといって、ああいう連中のおもちゃになるつもりはない」
『へぇ。女神様にはならないのか?』
「ガラじゃない……」
そして、彼女は足を止めた。通信先のショウもまた、しばらく沈黙する。
『なぁ、カーバンクル』
「なに?」
『明日……依頼がなかったら。――俺とデートしないか?』
「ふーん……」
「……ん!?」
カーバンクルはいつになく尖った声を上げた。
ショウ…! やるんだな!? 今! ここで!!




