【依頼人】ギャングとお話
午前6時。
カーバンクルは食堂の最奥。死角となるボックス席で、三杯目の水を飲んでいた。
テーブルの上には、手をつけていない合成タンパク質のランチプレートが冷え切っている。
店主が「何か注文しなきゃ追い出すぞ」と包丁をちらつかせたので、場所代として購入しただけの代物だ。
左耳のイヤーカフが微かに振動した。ショウからの通信だ。
カーバンクルは周囲を確認し、静かに回線を繋いだ。
「ショウ。調子はどう?」
『……悪い。思ったより手こずってる』
ショウの声にはいつもの余裕がなく、代わりに濃密な疲労が滲んでいた。
「大丈夫?」
『いや……寝てれば余裕なんだけどな。寝てればこれくらいは……』
「寝なよ……」
通信の向こうで、ショウが重い溜息をつく気配がした。
『12時間で特定できるって大見得切ったけど、訂正させてくれ。こいつは痕跡を何重にも隠蔽してやがる。一枚剥がすと、その下にまた別のダミーコードがある。悪質なマトリョーシカだ』
カーバンクルは水を一口含み、乾いた喉を潤した。
「……あとどれくらい?」
『最低でも……もう12時間は欲しい』
ショウの声に、焦りと悔しさが混じる。
『悪い。あんたを足止めさせてる』
「謝らなくていい」
カーバンクルは淡々と言った。
「あなたは十分やってる」
『でも、このままじゃ……』
「それに、そろそろ寝ていいよ。私にも別の案がある」
カーバンクルは立ち上がり、テーブルで決済をした。食事代と、長時間の居座り料を含めた額だ。
『別の案? 何をする気だ?』
「複雑に絡まった糸はね。下手に解こうとするより、ハサミで切ったほうが早いんだよ」
『……??』
カーバンクルは食堂を出て、薄明かりが差し込み始めたサウス区のストリートへ踏み出した。
『……おい。まさか教主を直接やるのか?』
「少し違う」
カーバンクルは人通りの少ない裏路地を選び、迷いない足取りで進み始めた。
「もっと単純な、誤解の解決」
■
30分後。
カーバンクルは、ある殺風景な建物の前に立っていた。
五階建ての雑居ビル。
外壁には無数の弾痕が残され、窓の多くはベニヤ板と鉄格子で塞がれている。
ビルの側面には、巨大なグラフィティがスプレーで描かれていた。
血のように赤い毒蛇が、ネオ・アルカディアのドームを絞め殺している禍々しい絵だ。
サウス区最大ギャング勢力、『ブラッド・ヴァイパーズ』本部。
入口には見るからに質の悪い構成員が四人、自動小銃を提げてたむろしている。
カーバンクルは何の躊躇もなく、そこへ向かって歩き始めた。
イヤーカフから、ショウの悲鳴のような声が響いた。
『待て待て待て待て! あんた、今GPSどこ指してんだ!? ヴァイパーズの本部前じゃねえか!』
「そう。これから入る」
『はああぁぁ!?』
ショウの声が裏返り、ノイズが走った。
『正気か!? そこは今、世界で一番あんたを殺したがってる連中の巣窟だぞ! 自殺志願者かよ!』
「自殺はしないよ」
カーバンクルは平然と答えた。
「だからこそここに来た」
『意味が分からん! ちゃんと説明しろぉ!』
「今回の黒幕のハッカーも、教主も、私をチェスの駒みたいに動かそうとしてる」
彼女は前方でたむろする見張りたちを見据えた。
「そういう奴らには、予想外の行動が何より効くんだよ」
『……無茶苦茶だ。イカれてる』
ショウは呆れ果てたように言った。
『だが……確かに、今あっちのギャング組織に接触しに行くとは、奴らも想像してないかもな』
「その通り。問題はまぁ、あっちにも嫌われてることだけど」
カーバンクルが見張りたちの数メートル手前まで近づくと、ようやく彼らも異変に気づいた。
「あァ? なんだあのガキ……おい、待て!」
四人の構成員が一斉に銃口を向ける。
その中の一人が、カーバンクルの顔を見て目を見開いた。
「おい、こいつ! 昨日の地下鉄にいた白パーカーだぞ!」
「カルトの回し者か!? 殺せ!」
問答無用で引き金が引かれそうになった瞬間、カーバンクルは既に動いていた。
身を低くして懐に飛び込む。
「なっ――」
先頭の男が声を上げる間もなく、その顎を掌底でカチ上げる。男は白目を剥いて昏倒した。
「て、てめぇ!」
二人目が銃床で殴りかかってくるが、カーバンクルは最小限の動きで躱し、足を払って転ばせる。
残りの二人が慌てて距離を取ろうとしたが、カーバンクルは両手を上げ、無抵抗のポーズを取った。
「まぁ、ちょっと待って。争いをしに来たわけじゃない」
「な、何言ってやがる!?」
「話がしたい。ボスと」
「……っ!?」
その声はあまりに冷静で、殺気立っていた構成員たちは毒気を抜かれたように動きを止めた。
地面に転がされた男が呻き声を上げる中、リーダー格の男が忌々しげに通信機を取り出す。
「……クソッ。化け物め」
彼は本部へ連絡を入れた。
「……ボスが、会うと言ってる」
数秒後。男は銃を下ろし、顎でビルの入口をしゃくった。
「ただし、丸腰が条件だ。武器を出せ」
「……? 持ってないよ」
カーバンクルは両手のひらを見せ、パーカーのポケットを裏返して見せた。
構成員たちは彼女の体を簡易スキャナーで執拗に調べた。銃火器、刃物、爆発物――何も検出されない。
「はぁ!? 嘘だろ、こいつ……!」
「手も……別に改造されてねぇな」
「……チッ。入れ」
男が忌々しげに唾を吐き、重い鉄扉を開けた。
カーバンクルは薄暗いビルの中へと足を踏み入れる。
廊下の蛍光灯は明滅し、カビと鉄錆の匂いが充満していた。ショウの声が心配そうに響く。
『……本当に行くのか』
「うん」
『もしもの時は、俺が何とかしてセキュリティを落とす。気休め程度にしかならないだろうが』
「別にいいよ。寝てて」
カーバンクルは階段を上り始めた。
二階、三階と上がるにつれ、武装した構成員たちの数が増えていく。
彼らは一様に、この小さな侵入者に好奇と敵意の入り混じった視線を浴びせていた。
そして五階、最上階。
廊下の突き当たりに重厚な防音扉がある。
その前には、仁王像のように巨大な男が立っていた。昨日、カーバンクルに膝を逆方向に折られた巨漢だ。
今は両脚に武骨な医療用外骨格を装着し、鎮痛剤で痛みを散らしているのだろう、脂汗を浮かべながら立っている。
男はカーバンクルを見下ろし、憎悪に顔を歪めた。
「……よくノコノコと来やがったな、クソガキ」
「話があってね」
カーバンクルは相手の殺気などどこ吹く風で答えた。
男はギリリと奥歯を噛み締め、何か言いたげに拳を握りしめたが、やがて乱暴に扉を開け放った。
部屋の中は広かった。
壁一面には様々な種類の銃火器がコレクションのように並び、中央には高級そうなマホガニーの円卓が置かれている。
その奥、革張りの椅子に深々と座る男がいた。
ブラッド・ヴァイパーズのボス。
五十代半ば。鍛え上げられた肉体をスーツに包み、顔には歴戦の証である古傷が無数に刻まれている。
右目の義眼は縦長の瞳孔を持ち、不気味な光を放っていた。
彼は入室してきたカーバンクルを一瞥し、口の端を吊り上げる。
「ようこそ、死神のお嬢さん。度胸だけは一丁前だな」
カーバンクルは円卓の前まで歩み寄り、ボスと対峙した。
「話をしに来ただけだからね」
「ほう」
ボスは太い葉巻の先端を切り、ゆっくりと火をつけた。紫煙が天井へと昇っていく。
「俺の可愛い部下たちを半殺しにしておいて、今さら『話がある』だと? 笑えないジョークだ」
「別に冗談じゃない」
カーバンクルはボスの義眼を真っ直ぐに見つめ返した。
「私はアポカリプティック・サウンドの人間じゃない。あなたたちとも、無意味に戦うつもりはない」
ボスは煙を吐き出し、値踏みするように目を細める。
「……続けろ。つまらなかったら、ここが墓場になるぞ」
カーバンクルは静かに、しかし断定的に告げた。
「昨日の襲撃は、第三者に仕組まれたもの。あなたたちは、『アポカリプティック・サウンドが武器を搬入した』という偽情報を掴まされた。そして、私がそこにいるタイミングを狙って襲撃するように誘導された」
ボスの表情から、余裕が消えた。
「……何だと?」
「誰かが、私をあなたたちの抗争に巻き込み道具として利用しようとしている。あなたたちも、その盤上の駒にすぎない」
カーバンクルは一歩前に出た。
「私は、そのふざけた『誰か』を潰す。だから――」
彼女はボスを指差した。
「私に協力して」
部屋の空気が凍りついた。
数秒の沈黙の後、ボスが低く、押し殺したような声で言った。
「……随分と大きく出たな、お嬢ちゃん」
彼は葉巻を灰皿に押し付け、ゆっくりと立ち上がった。
その巨躯から放たれる威圧感は、並の人間なら失禁しかねないものだ。
周囲に控えていた側近たちが一斉に銃の安全装置を外す音が響く。
カチャリ、カチャリと乾いた金属音が部屋に充満した。
「ここがどこか分かって言ってるのか? ここは俺の城だ。お前はたった一人、武器も持たずに敵のど真ん中にいる」
ボスの義眼が不気味に回転し、カーバンクルをロックオンする。
「もし俺が『断る』と言ったらどうする? このままミンチにして路地裏に捨ててやってもいいんだぞ」
張り詰めた緊張感。銃口のすべてがカーバンクルに向けられている。
だが、彼女は瞬き一つしなかった。
「……武器なら、ある」
カーバンクルは無造作に右手を挙げた。そして、指をパチンと鳴らす。
その瞬間、部屋の照明が一斉に爆ぜた。
「なっ!?」
ボスが声を上げるよりも早く、カーバンクルは動いていた。
暗闇の中、赤い義眼だけが残光のように軌跡を描く。
ドスッ、という何かが突き刺さる音。
非常用電源が作動し、薄赤い明かりが戻った時――
ボスは息を呑んだ。
彼の目の前、わずか数センチの円卓の上に一本のペンが深々と突き刺さっていたのだ。
それは、ボスの胸ポケットに刺さっていたはずの高級万年筆だった。
「……っ!?」
いつの間に抜かれたのか、いつ刺されたのか、誰も知覚できなかった。
もしその狙いがボスの喉元だったら、彼は既に死体となって転がっていたはずだ。
側近たちは銃を構えたまま硬直している。
彼らもまた、その「死の宣告」の意味を理解していた。
カーバンクルは円卓の向こう側から、ボスの義眼を冷ややかに見据えていた。
「私の武器は、ここにあるもの全て。このペンも、椅子も、あなたの部下が持っている銃も、全部私の武器になる」
彼女は小首を傾げた。
「この距離なら、全員が引き金を引く前に、あなたを確実に殺せる。……試す?」
ボスは額に滲んだ冷や汗を拭うことも忘れ、カーバンクルを凝視した。
ハッタリではない。
この小さな少女は、本気でそれを実行できる能力を持っている。
サウス区を長年生き抜いてきた野生の勘が、警鐘を乱打していた。『こいつは人間じゃない、災厄だ』と。
長い長い沈黙。
やがてボスは深々と息を吐き出し、椅子にどかりと座り直した。
「……いいだろう」
彼は手を振って、側近たちに銃を下ろすよう指示した。
「話に乗ってやる。ただし、条件がある」
カーバンクルは無表情のまま頷いた。
「聞く」
ボスは新しい葉巻を取り出しながら、ニヤリと笑った。
「そのふざけた黒幕を潰した暁には、俺たちの『貸し』にしておく。……それでどうだ?」
「……分かった」
交渉成立。
カーバンクルは静かに、しかし確かな手応えを感じていた。
盤面はひっくり返った。
次はアポカリプティック・サウンドを潰す――。
全員暴力で黙らせればそれでいいんだよなぁ!!




