表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
131/135

【依頼人】最後の刺客

 サウス区、午前二時。


 カーバンクルは雑踏の中を流れるように歩いていた。

 白いパーカーのフードを目深に被り、気配を消して人混みに紛れる。


 この時間帯であっても、サウス区のメインストリートは奇妙な熱気に包まれていた。

 路地の両側には、無秩序に増殖した露店がひしめき合っている。


 闇ルートで仕入れた合成食料、出所不明の義体パーツ、危険なデザイナーズドラッグ、そして盗品の電子機器。

 ありとあらゆる非合法な商品が、薄汚れたシートの上に陳列されている。


 店主たちは嗄れた声で客引きをし、価格交渉の罵声が飛び交う。


「おい嬢ちゃん! 高性能義眼、どうだい!? セントラルの上級市民から引っこ抜いたばかりの極上品だぞ!」

「培養肉の切り落とし、今なら半値だ! 消費期限? そんなもん飾りだろ!」

「記憶データ、揃ってるよ! セレブの優雅な一夜から、最前線の兵士のPTSDまで、何でも味わえるぜ!」


 カーバンクルはそれらの喧騒をノイズキャンセリングし、ただ前へと歩を進める。


 建物の外壁には、蛍光塗料のグラフィティが血管のように這っている。

 中には芸術的なものもあれば、体制への憎悪を吐き出しただけの殴り書きもあった。


『企業の犬に餌はやるな』

『ドームの外に自由がある』

『404号室に行け』


 最後のスローガンが目に入った瞬間、カーバンクルは僅かに足を止めた。

 だがすぐに無関心を装って視線を外し、歩調を戻す。


 角を曲がると、小さな広場に出た。

 そこでは即席のストリートパフォーマンスが行われていた。


 四本腕に改造された大道芸人が火を吹き、アクロバットを披露し、観客を沸かせている。

 若者たちが歓声を上げ、疲れた顔の大人たちが小銭を投げ込む。


 この混沌とした空間には、企業の潔癖な管理が及ばない猥雑な自由があった。

 貧しく、不潔で、危険だが――それでも、人々はここで確かに呼吸をしていた。


 カーバンクルは広場を抜け、明かりの少ない裏路地へと滑り込んだ。

 周囲に尾行がないことを確認し、左耳のイヤーカフに触れる。


 通信回線を開く。

 ノイズの向こうから、ショウの少し焦った声が飛び込んできた。


『……おい! やっと繋がったか! 無事なのか!?』

「……無事。どうしたの、そんなに慌てて」


 カーバンクルの冷静な声に対し、ショウは明らかに動揺していた。


『どうしたもこうしたもあるか! ここ一時間、あんたとの通信が完全に途絶してたんだぞ! おまけに俺がハックしてたアポカリプティックサウンド本部のカメラ映像も全部ブラックアウトしやがった。何が起きたんだ!?』

「……そんなはずない。通信はずっと開いてたよ」

『マジかよ……』


 ショウが絶句する気配が伝わる。


 カーバンクルは路地の壁に背を預け、事の顛末を説明した。

 ブラッド・ヴァイパーズとの戦闘、教主との会話、そして最後に投げかけられた脅迫めいた警告。


 話し終えると、ショウは数秒間重い沈黙を作った。

 やがて、その声色が真剣なものへと変わる。


『……なるほどな。ブラッド・ヴァイパーズがカチ込んできた、と』

「そう」

『異常だ。いや、異常すぎる』


 キーボードを叩く激しい音が聞こえてくる。ショウがログを洗い直しているのだ。


『俺は奴らの本部システムを完全に掌握してたはずだ。けど襲撃の予兆はおろか、ヴァイパーズの接近すら検知できなかった。通信途絶も含めて、全部だ』


 ショウの声には驚きというより、プロとしてのプライドを傷つけられた苛立ちが滲んでいた。


「……どういうこと?」

『何者かが俺の監視を妨害してた。いや、正確には――俺に見せたい映像だけを見せて、システムを欺いたんだ』


「何か痕跡は?」

『……ないな。綺麗さっぱり消されてやがる』


 ショウは悔しそうに唸った。


『普通、ハッキングってのは必ず足跡が残る。データの改竄ログ、タイムスタンプの矛盾、不自然なパケットロス……何かしらの『傷跡』ができるもんだ。だが今回のケースは何もない』

「……それって」

『相当な手練れだ。このネオ・アルカディアで、俺のシステムをここまで鮮やかに欺ける奴は……片手で数えられる』


 ショウの声に微かな熱が帯び始める。

 それは強敵に出会った時の好戦的な響きだった。


『企業か政府直属のトップランカークラスだ。だがそんな連中がこんなドブ板のギャング抗争に首を突っ込むメリットがない。ってことは……凄腕のフリーランスか、あるいは』


 彼は一拍置いた。


『誰かに雇われたか、だな』

「誰が?」

『さあな。だが、これだけは断言できる――こいつは極めて計画的に動いてる』


 ショウが別のウィンドウを開く電子音が鳴る。


『ビンゴだ。ヴァイパーズの幹部に匿名のタレコミが送られてる。『アポカリプティック・サウンドが大量の重火器を搬入した』『今夜が潰す好機』って内容。送信時刻は……あんたが本部に向かう三十分前』


 カーバンクルは眉をひそめた。


「誰が送った?」

『発信元は多重プロキシで完全に隠蔽されてる。だが、この隠蔽アルゴリズム……』


 ショウの声に、不敵な笑みが混じった。


『俺と似たような癖を使ってやがる。時間をかけて、石橋を叩いて渡るように慎重にやってる。まあ、その几帳面さが逆に特徴になってるんだがな』

「……特定できる?」

『当然、できるさ。時間は食うがな』


 ショウは自信たっぷりに言い放った。


『こいつは確かに上手い。だがどんなに巧妙に偽装しても、コードには必ず『筆跡』が残る。変数の名付け方、暗号化の手順、バックドアの設置場所……そういう細かい綻びに人間性が出るんだよ』


 タタタッ、と軽快なタイピング音が響く。


『俺が本気を出せば、24時間……いや、12時間以内には尻尾を掴んでやる。どっちにしろ、こいつはもう俺の射程圏内だ』


 カーバンクルは壁から離れ、再び歩き始めた。


「整理すると……誰かが私を監視していて、私がアポカリプティック・サウンド本部に行くタイミングに合わせて、ヴァイパーズをけしかけた」

『ご名答。そして、俺がそれに気づいて警告できないように、俺への回線をジャックして幻覚を見せた』


 ショウの声が低く沈む。


『あんたの行動パターンを把握し、ASとヴァイパーズの両方に干渉でき、かつ俺を出し抜けるほどのハッキング技術を持っている……』

「……教主の仕業?」

『可能性はゼロじゃないが、薄いな。あいつは口だけの狂信者だ。技術者タイプじゃないし、こんな芸術的な工作ができる脳ミソは持ってないだろ』


 カーバンクルは角を曲がり、さらに深い路地へと入る。

 ここはメインストリートの喧騒が遠く、古びた集合住宅の窓から漏れる生活の明かりだけが頼りだ。


「じゃあ、誰かが教主を操っている?」

『それか、教主がとびきり優秀な外部スタッフを雇ったか。まあどっちにしろ、俺が本腰を入れれば化けの皮は剥がれるさ!』


 ショウは愉しげに笑った。


『むしろ燃えてきたぜ。最近、張り合いのあるハッカーと勝負してなかったからな。リハビリにはちょうどいい』

「……遊びじゃないんだけど」

『分かってるよ。だからこそ、全力で叩き潰す』


 ショウの声が引き締まった。


『あんた、今どこにいる?』

「サウス区の裏通り。ホープ・ハウスには近寄っていない」

『だな。ヴァイパーズが本気であんたをマークしてるなら、ホープ・ハウスは真っ先に監視対象になる。下手に近づけば子供たちを巻き込むことになる』


 カーバンクルは足を止めた。


「……じゃあ、どうする?」

『まず、俺がヴァイパーズの動向を完全に掌握する。奴らがどこまであんたの情報を掴んでいるか、報復計画の有無、構成員の配置……全部丸裸にしてやる』


 頼もしい言葉だが、その裏にある労力を想像してカーバンクルは溜息をつきそうになる。


『それと並行して、この謎のハッカーの正体を暴く。こいつが一番の脅威だ。俺のシステムに干渉できるってことは、あんたの現在位置も、通信内容も、筒抜けになってる可能性がある』


「……面倒だね」

『あんたは、今夜はサウス区のどこかに潜伏しててくれ。適当な廃ビルか、ネットカフェの個室あたりで身を隠してほしい』


 カーバンクルは周囲を見回した。

 少し先に、24時間営業の安食堂のネオンがチカチカと瞬いている。

 客入りは悪く、奥の席なら死角になりそうだ。


「……分かった」

『俺は今夜中に……いや、遅くとも夜明けまでには調査を完了させる。朝イチで連絡するからな』


 そこでカーバンクルは、ふと思い出したように口を開いた。


「ねえ」

『ん? なんだ?』

「……ショウ、昨日の夜から一睡もしてないんでしょ?」


 通信の向こうで、ショウが言葉に詰まる気配がした。


『……あー、まあ、な』

「今夜も徹夜する気?」

『仕方ないだろ。緊急事態なんだ』

「倒れても知らないよ」


『なぁに、問題ない。俺の脳にはカフェイン耐性強化パッチが当たってるからな。三日くらいなら余裕で稼働できる』

「……寿命縮むよ」

『大きなお世話だ! つか、半分くらいはお前がVRの依頼を――』

「あー、通信が悪いかもー……」


 ブツッ、と通信が切れた。

 カーバンクルは首を振り、食堂へ向かって歩き始めた。



 同時刻。アポカリプティック・サウンド本部。

 瓦礫の祭壇のさらに奥、厳重にロックされた教主の私室。


 カビと線香の匂いが混ざる薄暗い部屋の中央には、無数のホログラム・ウィンドウが幽霊のように浮遊していた。


 高度に暗号化された通信パケット、各所の監視カメラ映像、ネットワークトラフィックのリアルタイム解析データ。


 全てが目まぐるしい速度で更新され、情報の奔流となって部屋を埋め尽くしている。

 その光の渦の中心に、一人の女性が座っていた。


 リサ。推定二十八歳。


 右腕は肘から先が完全にサイバネティック化されており、指先のポートから伸びた極細の光ファイバーケーブルが、空中のインターフェース・ノードに直結されている。


 左のこめかみには、軍用規格のニューロ・ジャックが埋め込まれ、青白いLEDが明滅していた。


 彼女の指が、見えない鍵盤を弾くピアニストのように空中で踊る。


「……ふん」


 リサは鼻で笑った。

 ホログラムの一つを指先で弾いて拡大する。


 そこには、ショウのハッキング痕跡――彼がヴァイパーズの内部ネットワークにバックドアを仕掛けたログが表示されていた。


「やるじゃない、天才ハッカーくん」


 彼女は皮肉たっぷりに呟く。


「でも、こんな教科書通りの侵入経路じゃ私には丸見え」


 思考コマンド一つで、ショウの侵入ルートを逆探知するプログラムを走らせる。

 囮のデータを撒き餌にしながら、彼自身のシステムの深層へと潜行していく。


 その時、背後で重い扉が開いた。

 教主が入ってくる。彼は上機嫌な足取りでリサの背後に立った。


「どうだい? 女神様の動向は掴めたかい?」

「掴めてる」


 リサは振り返りもせず、淡々と答える。


「カーバンクルは現在、サウス区四番街の食堂に潜伏中。協力者のハッカー……『ショウ』は今、必死になって私の痕跡を追ってるわ。あと6時間もすれば、私のプロキシサーバーまでは辿り着くでしょうね」


「おやおや、それは問題じゃないのかい?」

「問題ない」


 リサは氷のような声で断言した。


「彼が私の尻尾を掴むより先に、私が彼のシステム中枢を乗っ取る。そうすれば、カーバンクルの行動も全て筒抜けになる」


 彼女はケーブルを引き抜き、立ち上がった。空中のホログラムの一つを指差す。


 そこには、盗撮されたカーバンクルの横顔が映し出されていた。

 リサの瞳に、昏い炎が灯る。


「……ヴァイスを殺した、忌々しい化け物」


 握りしめた義手の拳が、ギリギリと駆動音を立てる。


「私は、『幻獣狩り』部隊の精鋭だったのに。この女のせいで、私はすべての後ろ盾を失った……!」


 リサは画像を睨み殺すように見つめた。

 教主は満足げに頷き、芝居がかった手付きで同意を示す。


「リサくん。我々の志は同じだ。女神様を本来あるべき『破壊の道具』として導き、ヴァイスの遺志を継ぐ」

「違う」


 リサは鋭く否定した。


「私の目的は、ただの復讐よ」


 彼女は教主を冷たく見下ろした。


「あんたたちは彼女を神輿に担ぎ上げて『導く』つもりかもしれないけど、私は違う。あの化け物を、可能な限り惨たらしく、この手で殺す」


 教主の貼り付けたような笑みが、一瞬だけ歪んだ。

 だが、すぐに元の愛想のいい仮面に戻る。


「まあまあ。最終的なゴールは違えど、利害は一致している。私は貴女の神業的なハッキング技術を必要としているし、貴女は復讐を遂げるための『兵隊』を必要としている」


 リサは何も言わず、再びホログラムの海へと向き直った。


「……24時間以内に、カーバンクルに関する全てのデータを渡す。現在の居場所、協力者の詳細、弱点になりうる『大切な場所』、全部よ」


 彼女の指が再び高速で空を切り裂き始める。


「それで、あなたたちの好きにすればいい。私は、彼女が絶望して死に絶える瞬間だけ、最前列で見させてもらう」


 教主はパチパチと乾いた拍手を送った。


「素晴らしい! やはり貴女に投資して正解だった!」


 リサは黙殺した。

 彼女の視界には、カーバンクルの盗撮画像だけが焼き付いている。


 亡霊に取り憑かれた女と、妄想に囚われた男。

 二つの狂気が、サウス区の地下で静かに交差していた。

覚えていますか 幻獣狩り12人のうち実は一人だけガチ無傷のやつがいたという事実を……

作者が忘れてたわけじゃないよ ホントだよ

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ