表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
125/135

【断罪】VRの檻

 Neo-Paradiseゲーム内空間。


 《蒼き剣聖ケヴィン》は、ギルドホールの玉座に深く沈み込んでいた。


 大理石の柱には金箔の装飾が施され、天井には英雄たちの神話をモチーフにしたフレスコ画が描かれている。

 壁面には彼らが打ち倒してきたレイドボスのトロフィーがずらりと並び、栄光の歴史を誇示していた。


 玉座の前には、二十名の精鋭メンバーが整列し、崇拝の眼差しを向けている。


「見事だった、諸君」


 ケヴィンは鷹揚に頷いた。

 彫刻のように鍛え上げられた肉体、憂いを帯びた碧眼、風になびく黄金の髪。

 どこから見ても完璧な「英雄」の姿だ。


「《炎獄の塔》のサーバーファースト、そして神話級アイテムの獲得。我がギルド《蒼き聖騎士団》の名は、またしてもエルドリアの歴史に刻まれた!」


 割れんばかりの拍手と歓声がホールを揺らす。


「マスター、最高です!」

「あなたについてきて良かった!」

「一生ついていきます!」


 ケヴィンは片手を上げて静寂を求めた。


「だが、慢心は禁物だ。来週には大型アップデート、《終焉の迷宮》が待っている。そこでも我々が伝説を作るのだ」


 彼の隣で、《聖なる賢者アマンダ》が優雅に立ち上がった。

 夜空のような黒髪、宝石の瞳。

 その肢体は黄金比で作られたかのように完璧で、神聖なオーラを纏っている。


「みんな、今日は本当にお疲れ様。私からも感謝を言わせて。みんなが支えてくれたおかげよ」


 アマンダの声はハープの音色のように心地よく、メンバーたちを陶酔させる。


「アマンダさんのヒールワーク、神がかってました!」

「まさに女神! 僕らのアイドルです!」


 アマンダは頬を微かに染め、恥じらう仕草を見せる。

 計算され尽くした、完璧な「謙虚な聖女」の演技。


「私はただ、愛する人を守りたかっただけよ」


 ケヴィンは妻の肩を抱き寄せた。二人は見つめ合い、ドラマのワンシーンのように微笑む。


「明日は休息日だ。各自、リアルの用事を済ませておけ。解散!」

「了解です、マスター!」


 メンバーたちが敬礼し、次々と光の粒子となってログアウトしていく。

 最後に二人きりになったホールで、ケヴィンとアマンダは窓辺に立った。


 眼下にはエルドリアの美しい夕暮れ。

 空は茜色と紫色のグラデーションを描き、遠くの雪山が幻想的に輝いている。


「ふぅ……今日も完璧だったな」

「ええ。世界中が私たちを見ていたわ」


 二人は唇を重ねた。

 完璧な世界。完璧な自分たち。

 ここには腐敗臭も、空腹も、煩わしい子供たちの泣き声もない。


 その時。

 唐突に、視界全体が深紅の警告色に染まった。


【緊急システムメンテナンスのお知らせ】

【30秒後に強制ログアウトを実行します】

【推定作業時間:約5分】

【ご迷惑をおかけいたします】


「あ? なんだ、メンテか?」


 ケヴィンは不快そうに眉をひそめた。


「告知なしの緊急メンテなんて珍しいな」

「まあ、5分くらいならすぐよ。トイレ休憩だと思えばいいわ」


 カウントダウンが始まる。30、29、28……。


「チッ、いい雰囲気だったのにな」

「すぐ戻ってこれるわよ、私の英雄さん」


 3、2、1――。

 世界がホワイトアウトした。



 ブツン、と意識が泥沼に引き戻された。


 HMDの裏側の暗闇。全身にまとわりつくセンサーケーブルの感触。

 そして、何よりも耐え難いのが――自分の肉体の感覚だ。


 重い。熱い。臭い。

 汗でべとつく120キロの脂肪塊。

 狭いポッドの中で、自分の重みに押し潰されそうになる圧迫感。


「……うげぇ」


 ケヴィンは呻いた。胃液が逆流するような不快感。


 現実(ここ)は地獄だ。

 早く、早く向こうへ帰らなければ。


 隣のポッドから、アマンダの神経質な声が聞こえた。


「ちょっと、早く戻りましょうよ。この体、気持ち悪くて吐きそう」

「わかってる……今、再接続する」


 ケヴィンは震える脂ぎった指で、ポッド内側の「RECONNECT」ボタンを連打した。


 ブゥン……。

 冷却ファンが唸りを上げ、再び視界が光に包まれた。



 意識が再構築される。

 視界には再び、見慣れたギルドホールが広がっていた。


「ふぅ……戻ったか」


 ケヴィンは玉座に座っていた。隣にはアマンダ。

 二人は安堵の息をつき、立ち上がった。


「やっぱりこっちが本当の私よ。あんな汚い体、私のじゃないわ」

「ああ、全くだ。さっさと忘れよう」


 二人は笑い合い、窓の外を見ようとした。

 だが、何かがおかしい。


「……おい、ハニー。誰もいないぞ?」


 ギルドホールは静まり返っていた。NPCの執事も、他のギルドメンバーの気配もない。完全な静寂。


「メンテ明け直後だからじゃない? ログイン戦争に負けてるのよ、みんな」


 アマンダは楽観的に言ったが、その時、視界の隅に見たこともない漆黒のウィンドウがポップアップした。


【緊急クエスト発生】

【ターゲット:《混沌の使者》討伐】

【推奨レベル:測定不能】

【制限時間:なし】

【報酬:伝説級武器×2、管理者権限の一部譲渡】


「なっ……!?」


 ケヴィンの目が欲望でギラついた。


「おい見ろ! 緊急クエストだ! しかも報酬が『管理者権限』だと!?」

「え、嘘……それって、運営になれるってこと?」

「かもしれん! すげえ、これこそ俺たちにふさわしい!」


 推奨レベルの表記は見なかったことにした。二人の脳内麻薬が理性を麻痺させていた。


「でも、二人だけで大丈夫かしら?」

「俺たちを誰だと思ってる? サーバー最強の夫婦だぞ。他の連中が来る前に片付けて、報酬を独り占めするぞ!」


 ケヴィンは聖剣 《エターナル・ブレイド》を抜き放ち、高らかに笑った。

 アマンダも杖を構え、艶然と微笑む。


「ええ、行きましょうダーリン。新たな伝説の始まりよ」


 二人は意気揚々とウィンドウに触れ、クエストを受託する。


 ブウン、と体が引き伸ばされるような一瞬の感覚の後、視界が切り替わった。


 その瞬間、二人は絶句した。

 そこにあったはずの美しい草原は、跡形もなかった。


 空はドス黒い赤色に染まり、太陽の代わりに不気味な眼球のような月が浮かんでいる。

 大地は干上がり、ひび割れ、所々から腐ったような紫色の煙が噴き出していた。

 空気そのものが重く、肌にまとわりつくような不快感がある。


「……なんだこれ? バグってないか?」


 ケヴィンが眉をひそめた。


「テクスチャがおかしいわね。でも、緊急クエ用の特別マップじゃない?」

「ああ……ま、そうだよな。趣味は悪いが」

「まったくね。変な匂いまでする」


 アマンダが鼻をつまむような仕草をする。

 その時、地面が揺れた。


 ズシン。ズシン。ズシン。


 地響きと共に、荒野の向こうから巨大な影が現れた。

 高さ15メートルはある異形の巨人。


 錆びついた鉄板を縫い合わせたような鎧。兜の隙間からは赤い蒸気が漏れ出し、右手に持った巨大な戦斧には、乾いた血がこびりついている。


【ENEMY:処刑執行人エクスキューショナー

【Lv. ERROR】

【HP:∞】


「レベルエラー? HP無限?」


 ケヴィンは舌打ちした。


「ギミックボスだな。まあいい、やることは変わらん! 先手必勝だ!」


 ケヴィンは地面を蹴った。

 いつものように、超人的な跳躍で懐に飛び込み、必殺のスキルを放つ。


「《剣聖奥義・疾風剣》ッ!」


 青い閃光が走り、巨人の膝を切り裂く――はずだった。


 ガギィィィン!!

 硬質な金属音が響き、剣が弾かれた。


 ダメージ表示は出ない。代わりに、手が痺れるような衝撃が走った。


「なっ……硬っ!?」


 巨人が緩慢な動作で戦斧を振り上げた。

 その影が、ケヴィンを覆う。


「避けて、ケヴィン!」


 アマンダの叫び声。

 ケヴィンはバックステップで回避しようとした。


 だが、巨人の動きは見た目より遥かに速かった。

 斧の側面が、ケヴィンの体を強打した。


 ドゴォッ!!


 トラックに撥ねられたような衝撃。

 ケヴィンの体が吹き飛び、地面に叩きつけられた。


「ぐっ……があああああっ!!?」


 ケヴィンは悲鳴を上げた。

 左腕が、ありえない方向に曲がっている。


 そして何より――痛い。


 熱した鉄棒を骨髄に突き刺されたような、耐え難い激痛が脳を焼いた。


「い、痛い! なんだこれ!? 痛い痛い痛い!!」


 VRゲームにおいて痛覚は遮断されるか、軽い振動程度に変換されるのが常識だ。


 だが、今の痛みは「現実」そのもの。

 いや、それ以上だった。


「ケヴィン!? 《ヒール》!」


 アマンダが回復魔法を唱える。緑の光がケヴィンを包む。

 HPバーは回復した。だが、痛みは消えない。折れた腕の感覚もそのままだ。


「治らない! 痛いままだ! どうなってるんだ!?」


 ケヴィンは脂汗を流して転げ回った。

 巨人が、ゆっくりと近づいてくる。その威圧感は、画面越しのボスなど比較にならない「死」の気配を纏っていた。


「バグだ! ログアウトだ! こんなのやってられるか!」


 ケヴィンは空中で指を振った。

 だが、メニュー画面が出ない。


「え?」


 何度やっても、虚空を撫でるだけ。


「ア、アマンダッ、メニューが出ない! 強制ログアウトを……!」

「私も出ないわ! GMコールも繋がらない! どうなってるの!?」


 パニックに陥る二人の頭上で、巨人の戦斧が唸りを上げた。

 狙いは、アマンダ。


「きゃあああっ!」


 アマンダは反射的に《聖なる障壁》を展開した。

 だが巨人の一撃は、光の障壁をガラス細工のように粉砕した。


 パリンッ!


 砕け散る光の破片。そして、斧の刃がアマンダの左肩を深々と抉った。


 ザシュッ。


 生々しい肉の切断音。鮮血が噴水のように吹き上がる。


「ぎゃ――あああああああああっ!!!」


 アマンダの絶叫が、この世のものとは思えないほど高く響いた。

 左腕が、宙を舞って地面に落ちる。


「腕! 私の腕が! 痛い、痛い痛い痛い!!」


 アマンダは切断面を押さえてのたうち回った。

 血が止まらない。熱い。焼けるように痛い。


「アマンダ!」


 ケヴィンが這い寄る。

 その時、異変が起きた。


 地面に落ちたアマンダの左腕。

 残されたアマンダの肩の切断面から、ボコボコと肉が沸き立つような音がした。


(再生……再生、するよな。そりゃそうだ、VRだ……!)


 だが、それは元通りの再生ではなかった。

 美しい白磁の肌ではない。その下から生えてきたのは――。


 骨と皮だけの、青白い、血管の浮いた腕。


 爪は伸び放題で黄色く変色し、垢が溜まっている。


 それは「現実」のアマンダ・ロスの腕だった。


「ひっ……!」


 アマンダは自分の再生した腕を見て、悲鳴を上げた。


「何これ!? 嫌! こんなの私の腕じゃない! 気持ち悪い! 嫌ぁぁぁっ!」


 彼女は半狂乱になって腕を振り回した。

 美しい賢者のローブから覗く、醜い、栄養失調の腕。

 そのアンバランスさが、悪夢のような光景を作り出していた。


 ケヴィンもまた、自分の左腕を見て凍りついた。

 折れた部分が腫れ上がり、鎧が弾け飛んでいる。


「まさ、か……」


 そこから見えるのは、鍛え上げられた筋肉ではない。

 ぶよぶよとした黄色い脂肪の塊と、たるんだ皮膚。


 「現実」のケヴィン・ロスの腕だった。


「なん、だよ、これ……」


 ケヴィンは震えた。

 痛い。怖い。そして、自分が一番見たくなかった「現実」が、この世界を侵食し始めている。


 巨人が、再び戦斧を持ち上げた。

 その兜の奥の赤い光が、嘲笑うように明滅した。


 逃げ場はない。

 ログアウトはできない。

 ここはもう楽園ではない。


「に……逃げるぞ!」


 ケヴィンは錯乱するアマンダの、痩せこけた腕を掴んで走り出した。

 プライドも名誉もない。あるのは、ただの生存本能と恐怖だけ。


 英雄の仮面は剥がれ落ち、中から出てきたのは無力で醜い二人の人間だった。


 荒野の果てまで響く巨人の足音が、彼らをどこまでも追い詰めていく――。

ショウくんが頑張っています

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ