【断罪】VRの檻
Neo-Paradiseゲーム内空間。
《蒼き剣聖ケヴィン》は、ギルドホールの玉座に深く沈み込んでいた。
大理石の柱には金箔の装飾が施され、天井には英雄たちの神話をモチーフにしたフレスコ画が描かれている。
壁面には彼らが打ち倒してきたレイドボスのトロフィーがずらりと並び、栄光の歴史を誇示していた。
玉座の前には、二十名の精鋭メンバーが整列し、崇拝の眼差しを向けている。
「見事だった、諸君」
ケヴィンは鷹揚に頷いた。
彫刻のように鍛え上げられた肉体、憂いを帯びた碧眼、風になびく黄金の髪。
どこから見ても完璧な「英雄」の姿だ。
「《炎獄の塔》のサーバーファースト、そして神話級アイテムの獲得。我がギルド《蒼き聖騎士団》の名は、またしてもエルドリアの歴史に刻まれた!」
割れんばかりの拍手と歓声がホールを揺らす。
「マスター、最高です!」
「あなたについてきて良かった!」
「一生ついていきます!」
ケヴィンは片手を上げて静寂を求めた。
「だが、慢心は禁物だ。来週には大型アップデート、《終焉の迷宮》が待っている。そこでも我々が伝説を作るのだ」
彼の隣で、《聖なる賢者アマンダ》が優雅に立ち上がった。
夜空のような黒髪、宝石の瞳。
その肢体は黄金比で作られたかのように完璧で、神聖なオーラを纏っている。
「みんな、今日は本当にお疲れ様。私からも感謝を言わせて。みんなが支えてくれたおかげよ」
アマンダの声はハープの音色のように心地よく、メンバーたちを陶酔させる。
「アマンダさんのヒールワーク、神がかってました!」
「まさに女神! 僕らのアイドルです!」
アマンダは頬を微かに染め、恥じらう仕草を見せる。
計算され尽くした、完璧な「謙虚な聖女」の演技。
「私はただ、愛する人を守りたかっただけよ」
ケヴィンは妻の肩を抱き寄せた。二人は見つめ合い、ドラマのワンシーンのように微笑む。
「明日は休息日だ。各自、リアルの用事を済ませておけ。解散!」
「了解です、マスター!」
メンバーたちが敬礼し、次々と光の粒子となってログアウトしていく。
最後に二人きりになったホールで、ケヴィンとアマンダは窓辺に立った。
眼下にはエルドリアの美しい夕暮れ。
空は茜色と紫色のグラデーションを描き、遠くの雪山が幻想的に輝いている。
「ふぅ……今日も完璧だったな」
「ええ。世界中が私たちを見ていたわ」
二人は唇を重ねた。
完璧な世界。完璧な自分たち。
ここには腐敗臭も、空腹も、煩わしい子供たちの泣き声もない。
その時。
唐突に、視界全体が深紅の警告色に染まった。
【緊急システムメンテナンスのお知らせ】
【30秒後に強制ログアウトを実行します】
【推定作業時間:約5分】
【ご迷惑をおかけいたします】
「あ? なんだ、メンテか?」
ケヴィンは不快そうに眉をひそめた。
「告知なしの緊急メンテなんて珍しいな」
「まあ、5分くらいならすぐよ。トイレ休憩だと思えばいいわ」
カウントダウンが始まる。30、29、28……。
「チッ、いい雰囲気だったのにな」
「すぐ戻ってこれるわよ、私の英雄さん」
3、2、1――。
世界がホワイトアウトした。
■
ブツン、と意識が泥沼に引き戻された。
HMDの裏側の暗闇。全身にまとわりつくセンサーケーブルの感触。
そして、何よりも耐え難いのが――自分の肉体の感覚だ。
重い。熱い。臭い。
汗でべとつく120キロの脂肪塊。
狭いポッドの中で、自分の重みに押し潰されそうになる圧迫感。
「……うげぇ」
ケヴィンは呻いた。胃液が逆流するような不快感。
現実は地獄だ。
早く、早く向こうへ帰らなければ。
隣のポッドから、アマンダの神経質な声が聞こえた。
「ちょっと、早く戻りましょうよ。この体、気持ち悪くて吐きそう」
「わかってる……今、再接続する」
ケヴィンは震える脂ぎった指で、ポッド内側の「RECONNECT」ボタンを連打した。
ブゥン……。
冷却ファンが唸りを上げ、再び視界が光に包まれた。
■
意識が再構築される。
視界には再び、見慣れたギルドホールが広がっていた。
「ふぅ……戻ったか」
ケヴィンは玉座に座っていた。隣にはアマンダ。
二人は安堵の息をつき、立ち上がった。
「やっぱりこっちが本当の私よ。あんな汚い体、私のじゃないわ」
「ああ、全くだ。さっさと忘れよう」
二人は笑い合い、窓の外を見ようとした。
だが、何かがおかしい。
「……おい、ハニー。誰もいないぞ?」
ギルドホールは静まり返っていた。NPCの執事も、他のギルドメンバーの気配もない。完全な静寂。
「メンテ明け直後だからじゃない? ログイン戦争に負けてるのよ、みんな」
アマンダは楽観的に言ったが、その時、視界の隅に見たこともない漆黒のウィンドウがポップアップした。
【緊急クエスト発生】
【ターゲット:《混沌の使者》討伐】
【推奨レベル:測定不能】
【制限時間:なし】
【報酬:伝説級武器×2、管理者権限の一部譲渡】
「なっ……!?」
ケヴィンの目が欲望でギラついた。
「おい見ろ! 緊急クエストだ! しかも報酬が『管理者権限』だと!?」
「え、嘘……それって、運営になれるってこと?」
「かもしれん! すげえ、これこそ俺たちにふさわしい!」
推奨レベルの表記は見なかったことにした。二人の脳内麻薬が理性を麻痺させていた。
「でも、二人だけで大丈夫かしら?」
「俺たちを誰だと思ってる? サーバー最強の夫婦だぞ。他の連中が来る前に片付けて、報酬を独り占めするぞ!」
ケヴィンは聖剣 《エターナル・ブレイド》を抜き放ち、高らかに笑った。
アマンダも杖を構え、艶然と微笑む。
「ええ、行きましょうダーリン。新たな伝説の始まりよ」
二人は意気揚々とウィンドウに触れ、クエストを受託する。
ブウン、と体が引き伸ばされるような一瞬の感覚の後、視界が切り替わった。
その瞬間、二人は絶句した。
そこにあったはずの美しい草原は、跡形もなかった。
空はドス黒い赤色に染まり、太陽の代わりに不気味な眼球のような月が浮かんでいる。
大地は干上がり、ひび割れ、所々から腐ったような紫色の煙が噴き出していた。
空気そのものが重く、肌にまとわりつくような不快感がある。
「……なんだこれ? バグってないか?」
ケヴィンが眉をひそめた。
「テクスチャがおかしいわね。でも、緊急クエ用の特別マップじゃない?」
「ああ……ま、そうだよな。趣味は悪いが」
「まったくね。変な匂いまでする」
アマンダが鼻をつまむような仕草をする。
その時、地面が揺れた。
ズシン。ズシン。ズシン。
地響きと共に、荒野の向こうから巨大な影が現れた。
高さ15メートルはある異形の巨人。
錆びついた鉄板を縫い合わせたような鎧。兜の隙間からは赤い蒸気が漏れ出し、右手に持った巨大な戦斧には、乾いた血がこびりついている。
【ENEMY:処刑執行人】
【Lv. ERROR】
【HP:∞】
「レベルエラー? HP無限?」
ケヴィンは舌打ちした。
「ギミックボスだな。まあいい、やることは変わらん! 先手必勝だ!」
ケヴィンは地面を蹴った。
いつものように、超人的な跳躍で懐に飛び込み、必殺のスキルを放つ。
「《剣聖奥義・疾風剣》ッ!」
青い閃光が走り、巨人の膝を切り裂く――はずだった。
ガギィィィン!!
硬質な金属音が響き、剣が弾かれた。
ダメージ表示は出ない。代わりに、手が痺れるような衝撃が走った。
「なっ……硬っ!?」
巨人が緩慢な動作で戦斧を振り上げた。
その影が、ケヴィンを覆う。
「避けて、ケヴィン!」
アマンダの叫び声。
ケヴィンはバックステップで回避しようとした。
だが、巨人の動きは見た目より遥かに速かった。
斧の側面が、ケヴィンの体を強打した。
ドゴォッ!!
トラックに撥ねられたような衝撃。
ケヴィンの体が吹き飛び、地面に叩きつけられた。
「ぐっ……があああああっ!!?」
ケヴィンは悲鳴を上げた。
左腕が、ありえない方向に曲がっている。
そして何より――痛い。
熱した鉄棒を骨髄に突き刺されたような、耐え難い激痛が脳を焼いた。
「い、痛い! なんだこれ!? 痛い痛い痛い!!」
VRゲームにおいて痛覚は遮断されるか、軽い振動程度に変換されるのが常識だ。
だが、今の痛みは「現実」そのもの。
いや、それ以上だった。
「ケヴィン!? 《ヒール》!」
アマンダが回復魔法を唱える。緑の光がケヴィンを包む。
HPバーは回復した。だが、痛みは消えない。折れた腕の感覚もそのままだ。
「治らない! 痛いままだ! どうなってるんだ!?」
ケヴィンは脂汗を流して転げ回った。
巨人が、ゆっくりと近づいてくる。その威圧感は、画面越しのボスなど比較にならない「死」の気配を纏っていた。
「バグだ! ログアウトだ! こんなのやってられるか!」
ケヴィンは空中で指を振った。
だが、メニュー画面が出ない。
「え?」
何度やっても、虚空を撫でるだけ。
「ア、アマンダッ、メニューが出ない! 強制ログアウトを……!」
「私も出ないわ! GMコールも繋がらない! どうなってるの!?」
パニックに陥る二人の頭上で、巨人の戦斧が唸りを上げた。
狙いは、アマンダ。
「きゃあああっ!」
アマンダは反射的に《聖なる障壁》を展開した。
だが巨人の一撃は、光の障壁をガラス細工のように粉砕した。
パリンッ!
砕け散る光の破片。そして、斧の刃がアマンダの左肩を深々と抉った。
ザシュッ。
生々しい肉の切断音。鮮血が噴水のように吹き上がる。
「ぎゃ――あああああああああっ!!!」
アマンダの絶叫が、この世のものとは思えないほど高く響いた。
左腕が、宙を舞って地面に落ちる。
「腕! 私の腕が! 痛い、痛い痛い痛い!!」
アマンダは切断面を押さえてのたうち回った。
血が止まらない。熱い。焼けるように痛い。
「アマンダ!」
ケヴィンが這い寄る。
その時、異変が起きた。
地面に落ちたアマンダの左腕。
残されたアマンダの肩の切断面から、ボコボコと肉が沸き立つような音がした。
(再生……再生、するよな。そりゃそうだ、VRだ……!)
だが、それは元通りの再生ではなかった。
美しい白磁の肌ではない。その下から生えてきたのは――。
骨と皮だけの、青白い、血管の浮いた腕。
爪は伸び放題で黄色く変色し、垢が溜まっている。
それは「現実」のアマンダ・ロスの腕だった。
「ひっ……!」
アマンダは自分の再生した腕を見て、悲鳴を上げた。
「何これ!? 嫌! こんなの私の腕じゃない! 気持ち悪い! 嫌ぁぁぁっ!」
彼女は半狂乱になって腕を振り回した。
美しい賢者のローブから覗く、醜い、栄養失調の腕。
そのアンバランスさが、悪夢のような光景を作り出していた。
ケヴィンもまた、自分の左腕を見て凍りついた。
折れた部分が腫れ上がり、鎧が弾け飛んでいる。
「まさ、か……」
そこから見えるのは、鍛え上げられた筋肉ではない。
ぶよぶよとした黄色い脂肪の塊と、たるんだ皮膚。
「現実」のケヴィン・ロスの腕だった。
「なん、だよ、これ……」
ケヴィンは震えた。
痛い。怖い。そして、自分が一番見たくなかった「現実」が、この世界を侵食し始めている。
巨人が、再び戦斧を持ち上げた。
その兜の奥の赤い光が、嘲笑うように明滅した。
逃げ場はない。
ログアウトはできない。
ここはもう楽園ではない。
「に……逃げるぞ!」
ケヴィンは錯乱するアマンダの、痩せこけた腕を掴んで走り出した。
プライドも名誉もない。あるのは、ただの生存本能と恐怖だけ。
英雄の仮面は剥がれ落ち、中から出てきたのは無力で醜い二人の人間だった。
荒野の果てまで響く巨人の足音が、彼らをどこまでも追い詰めていく――。
ショウくんが頑張っています




