【断罪】地獄行きサーバー
サウス区に夜が落ちる。
ネオンの毒々しい光が、霧で濡れたアスファルトを極彩色に染め上げていた。
リナは痛む足を引きずりながらも、一定のリズムで歩き続けていた。
道行くジャンキーや浮浪者が、痩せこけた少女に値踏みするような視線を向ける。
だが、彼女の瞳に宿る異様な光を見ると、誰もが気味悪がって目を逸らした。
リナは、数週間前にゴミ漁りをしていた時に聞いた噂を反芻していた。
『いいか、どうしても許せねえ奴がいるなら、ホテル・モルグに行きな』
『あそこの404号室。そこに泊まれば、「始末屋」が来る』
『死神みてえな化け物だが、仕事は確かだ』
その時は、ドラッグ中毒者の妄言だと思った。
けれど、今はそれが唯一の道標だった。
ホテル・モルグ。
それは街外れの工業地帯跡地にそびえる、墓標のような建物だった。
かつて死体安置所だった施設を、不法占拠者たちが安宿に改装した場所だと言われている。
コンクリートの外壁は溶け、鉄骨が肋骨のように露出している。
傾いたネオン看板が『MORGUE』の文字を明滅させていた。
リナは自動ドアの隙間から体を滑り込ませた。
ロビーはカビと消毒液の匂いが混ざった、独特の臭気が漂っていた。
フロントには、左目がサイバネティック義眼の男が一人。端末をいじっているだけだった。
「……何の用だ、ガキ」
男はリナを一瞥もせずに言った。
「部屋を……予約したいです」
リナは真っ直ぐに言い放った。
男の手が止まる。義眼のレンズが回転し、リナをスキャンした。
顔の打撲痕、服についた血痕、そしてポケットの膨らみ。
「ここはガキの遊び場じゃねえぞ。帰んな」
「お金ならある!」
リナはポケットの中身を全てカウンターにぶちまけた。
小銭と、くしゃくしゃになった紙幣。総額2050クレジット。
男は溜息をつき、端末を叩いた。
「……何泊だ」
「一泊。……404号室で」
その数字が出た瞬間、男の雰囲気が変わった。
義眼が赤く光り、リナの瞳の奥を覗き込むように凝視する。
「お前、意味わかって言ってるのか?」
「わかってる。始末屋に会いたい」
「……あそこから出てきた奴は、二度と元の生活には戻れねえぞ」
「戻る必要はない。あんな生活、二度と」
リナの声は乾いていた。男は無言で鍵を取り出し、カウンターに投げる。
「4階だ。エレベーターは死んでる。階段で行け」
リナは鍵を握りしめ、無言で階段へと向かった。
■
4階の廊下は、他のフロアよりも一段と寒かった。
照明はほとんど切れており、非常灯の緑色の光だけが足元を照らしている。
404号室。
ドアプレートの数字は削れかけていた。
鍵を差し込み、回す。重い金属音と共にドアが開いた。
「……っ」
中は殺風景だった。
パイプベッドが一つと、窓際に置かれた椅子が一脚。それだけだ。
リナは電気もつけず、ベッドに腰を下ろした。
スプリングが軋む音が、静寂の中で不気味に響く。
窓の外にはサウス区の夜景が広がっていた。
あの光の海のどこかで、トビが一人、サラの亡骸を守っている。
(ごめんね、トビ。もう少しだけ待ってて)
リナはナイフの柄を握りしめた。
その冷たい感触だけが、彼女を現実に繋ぎ止めていた。
数分が経過した。
十分。二十分。
誰も来ない。
(ただの噂だったの……? いや、ちがう。そんなはずはない)
不安がよぎり始めた時。
「――鍵は開けっ放しにしない方がいいよ」
「!?」
唐突に、背後から声がした。
リナは心臓が止まるかと思った。飛び退くように振り返り、ナイフを構える。
窓の格子。
さっきまでは誰もいなかったはずの場所に、影が座っていた。
月明かりが、その姿を照らし出す。
水色の髪。白いパーカー。そして、暗闇でも鮮血のように輝く赤い瞳。
少女だった。リナよりは少し上くらいの年齢に見えるが、纏っている空気が違う。
人間ではない。あるいは、人間の形をした「何か」だ。
「……あなたが、始末屋?」
リナの声が震えた。恐怖ではない。緊張だ。
「そう呼ばれることもある」
少女――カーバンクルは、抑揚のない声で答えた。
「404号室の客。リナ・ロス、8歳。依頼内容は?」
「知ってるの?」
「ここに来る人間は、軽く目を通してるから」
カーバンクルは窓から室内に入り、音もなくリナに近づいた。
「誰を殺したい?」
単刀直入な問い。
リナはナイフを下ろし、カーバンクルの赤い瞳を見つめ返した。
「両親。ケヴィン・ロスと、アマンダ・ロス」
ためらいはなかった。
親殺しという禁忌に対する躊躇など、とうに捨て去っていた。
「理由は?」
「妹を殺されたから」
リナは淡々と語った。
病気のこと。助けを求めたこと。殴られたこと。そして、妹が冷たくなったこと。
感情を込めずに事実だけを並べるその姿は、逆に悲痛さを際立たせていた。
「……あいつらは、妹が死んだことすら知らない。今もゲームの中で笑ってる。英雄気取りで、自分たちが世界を救ったと思ってる」
リナの拳が震えだす。
「許せない。絶対に許せない。あいつらを……殺して」
カーバンクルは無表情のまま聞いていた。
同情の色はない。ただ、データの入力作業を行うように情報を処理している。
「ターゲット……ケヴィン・ロス、アマンダ・ロス。重度のVR中毒者」
カーバンクルが虚空を操作すると、ホログラムウィンドウが展開された。
そこには、ケヴィンとアマンダの個人データ、そして『Neo-Paradise』のステータス画面が表示されている。
「ひとつ聞きたいことがある」
「……なに?」
「どうして、あなたが直接殺さないの? その意志とナイフがあれば、VR中で意識のない連中を殺すことは簡単なはず」
「……ううん」
リナは首を横に振った。
「ただ殺すだけじゃ足りない。あいつらは痛みも苦しみも知らないまま、幸せな夢の中で死ぬことになる。それじゃダメ」
リナの目に、昏い炎が宿る。
「地獄を見せて。妹が味わった苦しみを。飢えと、寒さと、恐怖を。……あいつらが一番大事にしている『あの世界』で」
カーバンクルは少しだけ首を傾げた。興味を惹かれたようだった。
「つまり……ゲームの世界で、現実の苦痛を与えるってこと?」
「うん。できる?」
「……『Neo-Paradise』のサーバーをハックすることは……ショウならできそうだけど。大半は無関係なゲーマーだし……」
カーバンクルは口元に手を当て、何かを考える。
「でも、別の方法があるかも」
「別の方法?」
「ターゲットのニューロ・リンクを強制的にジャックして、別のサーバーへ転送する」
カーバンクルの指が高速で空中のキーボードを叩く。
画面に、どす黒い赤色をしたアイコンが表示された。
「たとえば、五感の痛覚リミッターが解除されたサーバーとかね」
「痛覚リミッター解除……?」
「そう。斬られれば痛い。燃やされれば熱い。死ぬほどの苦痛を、脳が直接受信する。そして、クリアするまでログアウトは不可能」
カーバンクルの赤い瞳が妖しく光った。
「そこへ放り込めば、彼らの『英雄ごっこ』は終わる。……望み通りの地獄になるはず」
リナはゴクリと唾を飲み込んだ。
想像するだけで背筋が凍るような所業だ。だが、彼女は頷いた。
「やって。……あいつらを、その地獄に落として」
「わかった」
カーバンクルは懐から小さなチップを取り出し、リナに渡した。
「これを家のサーバーに差し込んで。あとは私が遠隔操作でリンクを繋ぎ変える」
「いつ……?」
「今夜。彼らがログインしている最中に」
リナはチップを握りしめた。冷たくて、重い。それは復讐の引鉄だった。
「一つだけ忠告する」
カーバンクルが言った。
「彼らが廃人になっても、死んでも、あなたの妹は帰ってこない。あなたの心も晴れないかもしれない」
「構わないわ」
リナは即答した。
「晴れなくていい。ただ、あいつらに苦しんで死んでほしいだけ」
その言葉に、カーバンクルは初めて微かな反応を見せる。口元が数ミリだけ歪んだようにも見えた。
「わかった」
少女の姿が揺らぐ。その姿が闇に溶けていく。
「仕事は遂行する。報酬は、そのテーブルの上に置いておいて」
声だけが残響となって部屋に漂った。
リナが瞬きをすると、もうそこには誰もいなかった。
リナは全財産をテーブルに置き、部屋を出た。
足取りは重かったが、もう迷いはなかった。
リナはフードを被り、雨の中に消えていく。
その手の中にあるチップだけが、熱を持ったように脈動していた。
少女は今、加害者への断罪を下す執行人へと生まれ変わった。
ショウ「今夜って言ってるけどそれ用意するの俺だよね」




