【依頼人】楽園と現実
ご安心ください
お開きの小説は404号室の怪物で間違いありません
VRMMORPG「Neo-Paradise」。
サーバー01:エルドリア大陸。
インスタンスダンジョン《炎獄の塔》最上階 ――レイドボス「インフェルノ・ロード」討伐戦。
天蓋を焦がす紅蓮の空。
足元を流れる溶岩の河。
そしてその熱量をすべて統べる巨魁が、デジタル空間の物理演算を無視した威圧感で聳え立っている。
第7拡張パッチのラスボス、炎の魔王。
高さ20メートルに及ぶその巨体は、マグマの鎧と炎の筋肉で構成されていた。
六本の腕にはそれぞれ巨剣や戦斧が握られ、振るわれるたびに大気が悲鳴を上げる。
『我が炎に焼かれて灰となれ! 矮小なる人間どもよ、絶望を味わうがいい!』
スピーカーが割れんばかりの轟音。
視界の端、ボスのHPバーが不吉な赤色で点滅を始めた。
残り15%。狂乱モードへの移行だ。
「総員、散開! 最終フェーズだ、ここからが本番だぞ!」
凛とした号令が、ボイスチャットを通じて二十人のプレイヤーの鼓膜を震わせる。
声の主は、戦線の最前線で銀色の輝きを放つ男――《蒼き剣聖ケヴィン》。
身長190センチ、ヘラクレスを彷彿とさせる理想的な筋肉の鎧。
風になびく金髪と、憂いを帯びた碧眼。
課金アバターの中でも最高級のパーツで構成されたその容姿は、まさに物語の主人公そのものだった。
彼が握る伝説級聖剣が、防御バフのエフェクトを撒き散らす。
「タンクはヘイト維持に命をかけろ! DPSはクールダウン明け次第、最大火力を叩き込め! ヒーラー、MP管理は気にするな、俺の背中は――」
ケヴィンは一瞬、芝居がかった動作で隣を振り返る。
「――俺の最愛のパートナーが守ってくれる!」
彼と背中合わせに立つのは、純白と聖青色の法衣を纏った聖女。
《聖なる賢者アマンダ》。
夜空を溶かしたような艶やかな黒髪、知性と慈愛を湛えた瞳。
彼女の周囲には常にキラキラとした光の粒子が舞い、戦場の殺伐とした空気を浄化しているかのようだ。
「了解よ! みんな安心して、私がついているわ。ケヴィンが傷つくことなんて、この私が許さない!」
アマンダが掲げた杖、《星降る首飾り》が増幅した魔力が、奔流となってケヴィンへと注ぎ込まれる。
回復魔法 《マナ・リジェネレート・オーバーロード》。
本来ならMP枯渇を起こすはずの超高等魔法を、彼女は涼しい顔で連発していた。
「愛してるぜ、アマンダ! 力が……力が湧いてきやがる!」
ケヴィンのアバターが青白いオーラに包まれる。
視界の右側。半透明のウィンドウには、視聴者からのコメントが滝のように流れていた。
『うおおおお! てぇてぇ!』
『夫婦愛最強! 夫婦愛最強!』
『アマンダさんマジ女神……回復量エグすぎ』
『この二人なら世界初クリアいけるぞ!!』
投げ銭の通知音が、絶え間なくチャリンチャリンと鳴り響く。
その音が、ケヴィンの脳内麻薬を加速させた。
「行くぞ、野郎ども! この一撃で伝説を作る! 《剣聖奥義・天翔ける光の刃》ッ!!」
地面を蹴る音と共に、銀色の流星が虚空を駆けた。
物理演算アシスト機能による超人的な跳躍。
空中で七色の光をまとった聖剣が、魔王の心臓部――露出したコアめがけて突き立てられる。
CRITICAL HIT!!
1,579,420 DAMAGE!!
桁外れのダメージ数値がポップアップし、魔王が苦悶の咆哮を上げる。
『ぐおおおおおッ! 人間ごときが、神の領域に……ッ!』
残りHP、10%未満。
「今よ! トドメの準備を!」
アマンダが両手を天に掲げると、空中に幾何学的な魔法陣が幾重にも展開された。
神々しい光が、薄暗い溶岩地帯を真昼のように照らし出す。
「愛の力は、どんな闇をも切り裂くの! 《神罰の雷光槍》!」
降り注ぐ光の雨。数十本の雷槍が魔王の巨体を串刺しにし、爆発と閃光が画面を白く染め上げる。
「うおおおお! アマンダさんかっけええ!」
「さすがギルドマスター夫妻だ! 一生ついていきます!」
「俺たちも遅れるな! 総攻撃だ!」
ギルド《蒼き聖騎士団》のメンバーたちが歓声を上げ、ありったけのスキルを叩き込む。
剣閃、矢の雨、魔法の嵐。
HPバーが急速に溶けていく。8%、5%、3%――そして、0。
「終わりだ! これぞ人間の力だ! 《聖剣解放・終焉の一撃》!!」
刀身を三倍に伸長させた聖剣が、魔王の頭蓋を両断した。
『馬鹿な……我が炎が、消える……だと……!?』
魔王の体がポリゴンの破片となって砕け散り、光の粒子となって昇華していく。
……一瞬の静寂の後、視界中央に金色のゴシック体で勝利の文字が躍った。
【RAID CLEAR!】
【《炎獄の塔》攻略成功】
【所要時間:3時間27分14秒 ―― NEW WORLD RECORD】
【ギルド《蒼き聖騎士団》、サーバーファースト達成!】
「やったあああああ!!」
「マジかよ、勝った! 俺たちが世界最強だ!」
「ギルドマスター、最高ォーッ!」
歓喜の渦。メンバーたちが互いにエモートで抱き合い、空中に祝砲の魔法を打ち上げる。
配信画面の同時接続者数は「2,538人」を突破し、画面が見えなくなるほどのコメントが嵐のように画面を覆い尽くしていた。
その中心で、ケヴィンとアマンダは見つめ合い、微笑む。
完璧な角度、完璧なライティング。配信映えを計算し尽くしたポジション取りだ。
「やったわね。私たちの愛が世界を救ったのよ」
「ああ、アマンダ。君がいなければ、俺はただの剣士だった。君が俺を英雄にしてくれたんだ」
二人はゆっくりと歩み寄り、魔王の消滅地点に浮かぶ、とてつもなく豪奢な装飾の宝箱へと向かう。
「さあ、ご褒美の時間だ。世界で最初のドロップアイテム、拝ませてもらおうか」
ケヴィンが手をかざすと宝箱が開かれ、ファンファーレと共に目映い光が溢れ出した。
【伝説級武器 《魔王の心臓剣》を入手】
【伝説級防具 《不滅の炎鎧》を入手】
【神話級アクセサリ《魂を喰らう指輪》を入手】
ログが流れた瞬間、チャット欄が爆発した。
『神話級キターーー!!』
『スゲー価値! 家一軒建つぞマジで!』
『おめでとう! これぞ覇者!』
「みんな、ありがとう! これは俺たち《蒼き聖騎士団》全員の勝利だ!」
ケヴィンが高らかに宣言し、アマンダを強く抱き寄せる。
アマンダもまた、とろけるような笑顔で身を委ねた。
「今夜は最高の祝杯ね、ダーリン」
「ああ、間違いない。最高級のワインで乾杯しよう」
「あなたと出会えて、この世界で生きられて、本当に幸せ……」
二人のアバターがキスを交わす。
周囲のプレイヤーや視聴者が囃し立てる中、彼らは確かに世界の中心にいた。
賞賛、名声、富、そして愛。
すべてが満たされた、完璧な楽園がそこにはあった。
■
――プツン。
唐突に、世界が断絶した。
虹色の光も、美しい旋律も、英雄への賛歌も消え失せる。
残ったのは網膜を焦がすような電子の残滓と、耳鳴りのようなファンの回転音だけ。
ここは、サウス区第13スラム街。
崩れかけた集合住宅の一室、ロス家の「現実」。
六畳一間の空間は、有機的な腐臭と無機質な排熱の臭いで満たされていた。
窓は遮光シートとダクトテープで目張りされ、昼夜の区別はない。
床を埋め尽くすのは、空になった栄養ゼリーのパウチ、変色したペットボトル、そして何かの食品容器から漏れ出した黒い染み。
壁には湿気による黒カビが抽象画のように広がり、羽虫が数匹飛んでいる。
部屋の大部分を占拠するのは、二基の旧式VRダイブポッドだ。
黒い樹脂製の外殻は傷だらけで、所々塗装が剥げているが、中のハードウェアだけは最新鋭に換装されている。
そこから無数に伸びる極太のケーブルが、部屋の中央にあるサーバーへと繋がっていた。
左のポッド、冷却液の循環音が唸る中。
そこに横たわる肉塊が、先ほどの「英雄ケヴィン」の正体だった。
ケヴィン・ロス、34歳。
体重120キロを超える肥満体。
運動不足により筋肉は弛緩し、青白い皮膚には床ずれの痕が赤い斑点となって浮いている。
頭髪は薄く脂ぎり、無精髭は伸び放題。
股間には尿処理用のカテーテルが直結され、腕には点滴の針が突き刺さっている。
右のポッドには、「聖女アマンダ」の抜け殻がある。
アマンダ・ロス、32歳。
こちらは対照的に、骨と皮だけのような痩身だった。
眼窩は落ち窪み、頬はこけている。栄養剤の過剰摂取によるものか、肌は病的なほど白く、血管が青く透けて見えた。
二人はピクリとも動かない。
大型のHMDが顔の半分を覆い、その隙間から漏れるLEDの明滅だけが、彼らがまだ「向こう側」で祝杯を上げていることを示していた。
ポッドの側面モニターには、無機質な文字列が表示されている。
[接続ステータス:安定]
[ニューロ・リンク深度:98%]
[自動栄養供給:残量低下]
[排泄物タンク:満杯警告]
ブゥーンと低い羽音がして、一匹のハエがケヴィンの開いた口の端に止まったが、彼は払うことすらしなかった。
意識はここにはない。この薄汚れた肉体は、魂の抜け殻に過ぎないのだから。
その隣。
部屋の隅にある、本来はウォークインクローゼットとして使われるはずの狭いスペース。
扉は取り払われ、薄汚れた毛布が雑多に積み重ねられている。
そこに、三つの小さな影が丸まっていた。
長女のリナ、長男のトビ、次女のサラ。
子供たちの服はサイズが合っておらず、あちこちが擦り切れ、薄汚れている。
髪は長く絡まり、風呂に入っていない体からは微かに饐えた臭いがした。
「……ねえ、リナ」
トビが小さな声で呟く。
その腹の虫が、部屋の静寂の中で大きく鳴った。
「パパとママ、まだ起きないの?」
「うん……今日は『レイド』だから。長いよ」
リナは慣れた手つきで、一番下の妹サラの背中をさすりながら答えた。
その瞳は年齢にそぐわないほど冷たく乾いている。
彼女たちの視線の先には、両親が閉じこもる黒いポッド。
リナは懐から、くしゃくしゃになった銀色のパッケージを取り出した。
コンビニチェーンのロゴが入った、合成イースト菌で作られた安物のパン。
バーコード部分が不自然に剥がされている。
「……これ、食べよ」
三等分するにはあまりに小さなパン。
それでもリナは、震える手でそれをちぎり、弟と妹に渡した。
「お姉ちゃん、これ……」
「いいから。早く食べて」
店員の目を盗む時の、心臓が爆発しそうな恐怖を思い出しながら、リナは自分の分を口に押し込んだ。
パサパサして味気ない、化学調味料の味がするパン。
けれど、それは英雄たちが手に入れたデジタルの宝箱よりも、今の彼女たちにとっては確かな「価値」を持っていた。
ポッドのモニターが、投げ銭の総額を表示する。
『本日収益:12,400』。
その数字が何を意味するのか、リナは知らない。
ただ分かっているのは、そのお金が自分たちの食事に変わることはなく、新しい「装備」や「アバターの服」に変わるということだけだった。
リナは薄暗い闇の中で、両親の入った黒い棺桶をじっと見つめ、音もなくパンを飲み込んだ……。
ほらね




