【断罪】真の罪人は誰か
グレイソンの懇願に対し、カーバンクルは首を横に振った。
「私はただの始末屋。でも、思考停止した殺人マシンじゃない」
彼女は血とオイルで汚れたアスファルトに、ちょこんと腰を下ろした。
視線の高さがグレイソンと同じになる。
「話して。6年前の本当のこと」
グレイソンは自嘲気味に笑った。
腫れ上がった唇が引きつり、血が滲む。
「……話してどうなる。結果は同じだ。俺が殺した事実は変わらない」
「変わる」
カーバンクルの赤い瞳が、夜の闇よりも深く彼を射抜いた。
「あなたは、ナナミを守るために黙ってる……でしょ?」
グレイソンの動きが止まった。
驚愕と、そして安堵が混ざり合ったような複雑な表情。
「……気づいていたのか」
「計算が合わなかったから。どうしてあなたが人を殺したのか。そのことを覚えているのか。そして、依頼人のことを聞いて豹変したのか」
沈黙。
遠くで工場のサイレンが鳴り響く。深夜勤務の終わりを告げる、物悲しい旋律。
グレイソンは長く、重い息を吐き出した。
肺の奥に溜まった澱をすべて出し切るように。
「……いいだろう。どうせ、今夜で終わりだ」
彼は夜空を見上げた。
ドームに投影された雲の映像が薄ら寒く動いている。
「6年前。あの日、あの橋で何があったか……」
■
――2074年11月3日、23時14分。
第7高架橋下。
セントラル区の汚水が流れ着く、湿った吹き溜まり。
ヴィクター・グレイソンは、黒いアタッシュケースを提げて歩いていた。
中身はネオ・テック社の裏帳簿データ。
火災事故のドサクサに紛れて持ち出された、企業の恥部だ。
簡単な運び屋の仕事だった。
深夜、人目を避けて、指定の場所へ運ぶだけ。
そのはずだった。
「動くな!」
背後から、張り詰めた声が響いた。
グレイソンは足を止め、ゆっくりと振り返る。
二つの人影。男と女。
どちらもイースト区特有の、煤けた作業着を着ている。栄養失調気味の痩せた体躯。
男が拳銃を構えていた。錆の浮いた旧式のオートマチック。
だが、距離は5メートル。殺すには十分だ。
女はその背後で、震えながら立っている。
「そのケースを……お、置いていけ」
男の声が上ずっている。
銃口が定まらず、小刻みに揺れていた。
グレイソンの義眼が瞬時にスキャンする。
素人だ。銃の安全装置すら確認していない。プロの強盗ではない。
追い詰められた生活困窮者が、一世一代の賭けに出ているだけだ。
「……落ち着いてくれ」
グレイソンは両手を挙げ、ゆっくりと語りかけた。
「この中身はただの電子データだ。金目のものじゃない。売ろうとすれば足がつく。君たちが手を出していい代物じゃないんだ」
「うるさい! ケースごと売れば金になる!」
男は叫んだ。悲鳴に近い叫びだった。
「頼む……置いていってくれ……俺たちには金がいるんだ……娘が……娘に、食わせてやらなきゃ……!」
女が男の腕にしがみつく。
「あなた、もうやめよう……こんなこと……」
「でも、このままじゃナナミが飢えて……!」
男――タケシは妻を振り払い、銃口を突き出した。
「会社はクビになった! 保険も切れた! もう……これしかねえんだよ!」
グレイソンは理解した。
典型的なイースト区の悲劇だ。困窮。失業。そして犯罪への転落。
見逃してやるべきか一瞬迷った。
だが不可能だ。ケースを渡せば、この夫婦は企業の掃除屋に消される。それこそ娘もろとも。
「……すまないが、渡せない」
グレイソンは静かに告げた。
「だが、俺個人の金なら渡せる。持っているだけ全部やる。それで手を――」
「いらないッ!」
タケシは絶叫した。眼球が充血し、理性が焼き切れている。
「そんな端金じゃ足りねえんだよ! そのケースを……寄越せぇッ!」
殺気。
タケシの指が、トリガーに食い込む。
「あなた!」
「ナナミを……助けるんだぁッ!」
発砲。
グレイソンの体は、思考より先に反応していた。
義手が神速で動き、腰の銃を抜く。
狙いはタケシの銃を持つ手。武器を弾き飛ばし、無力化する。
だが、遅かった。あるいは、タケシの殺意が勝ったのか。
マズルフラッシュが闇を裂く。
「ぐっ……!」
グレイソンの肩を熱い鉛が抉る。
反射的に、彼の指もトリガーを引いていた。
乾いた銃声が、ほぼ同時に重なった。
タケシの眉間に赤い穴が開く。
彼は何かを言おうとして、声にならず、背中から泥水の中へ倒れ込んだ。
「あなた!!」
アヤコの悲鳴が夜気を引き裂く。
彼女は夫に駆け寄り、泥まみれの死体を抱きしめた。
「嫌……嫌よ……嘘でしょ……!」
即死だ。グレイソンの目は残酷な事実を告げていた。
彼は銃を下ろした。肩の傷から血が滴る。
「……すまない」
虚しい謝罪。
アヤコが顔を上げた。涙で汚れた顔。
その瞳に宿るのは底知れぬ絶望と、燃えるような憎悪。
「人殺し……! 夫を返して……タケシを返してよぉッ!」
彼女は狂乱し、夫の手から落ちた銃を拾い上げた。
両手で握りしめ、グレイソンに向ける。
「死ね……死んで償って……!」
グレイソンは動かなかった。回避行動も、反撃もしなかった。
「撃て」
彼は静かに言った。
「それで君の気が済むなら」
アヤコの指が震える。引き金に力がこもる。
だが、引けない。
「撃てない……撃てないわよぉ……!」
彼女は泣き崩れ、銃口が力なく垂れ下がった。
グレイソンは一歩踏み出した。せめて彼女を止め、警察に自首させなければ。
彼が手を伸ばした、その時。
アヤコが銃を持ち直した。
今度は、自身のこめかみに向けて。
「ナナミ……ごめん……」
「やめろッ!」
グレイソンが飛びかかる。
しかし、銃声の方が速かった。
アヤコの体が崩れ落ち、夫の屍に重なった。
……静寂。
高架下には二つの死体と、立ち尽くす一人の男だけが残された。
「……クソッ」
グレイソンは膝をつき、アスファルトを殴りつけた。
言ってしまえば、彼はただの被害者だった。襲われ、撃たれ、正当防衛をしただけ。
だが……。
彼は立ち上がり周囲を確認した。目撃者はゼロ。
通報すれば、二人は「強盗犯」として処理されるだろう。
残された娘――ナナミという子供は「犯罪者の子供」として施設へ送られ、一生その烙印を背負って生きることになる。
(両親を失い……さらに尊厳まで奪われるのか?)
――グレイソンは決断した。
彼は二人の死体から指紋を拭い、現場を工作した。
タケシとアヤコは強盗犯ではなく、不運な被害者として記録される。
ナナミは犯罪者の娘ではなく、悲劇の遺児となる。
その代わり、ヴィクター・グレイソンという男は殺人鬼となる。
しかし、それでもよかった。
■
「――それが、あの日起きたことの全てだ」
グレイソンは静かに語り終えた。
彼の声は枯れ、瞳は深く沈んでいた。
「俺は二人を殺した。法的には正当防衛だろうが、引き金を引いたのは俺だ」
彼は自嘲気味に笑った。
「真実を話せば、ナナミは『強盗の娘』になる。14歳の少女から、両親の名誉まで奪うことはできなかった」
カーバンクルは沈黙したまま聞いている。
「だから俺は、彼女の『敵』であり続けることを選んだんだ」
グレイソンはカーバンクルを見つめた。
「こういう稼業なら、復讐心がいかに強烈なエネルギーかは知ってるだろう? ……絶望して死ぬより、俺を憎んで生きる方がマシだと思った。
彼女が6年間、俺を殺すために生きてこられたなら、俺の選択は間違ってなかったのかもしれない」
彼はゆっくりと両手を広げた。無防備な姿。
「俺を殺せば、彼女の復讐は完遂する。6年間の悪夢も終わる」
グレイソンは微笑んだ。
それは憑き物が落ちたような、穏やかな笑みだった。
「だから、頼む。終わらせてくれないか。……ナナミのために」
カーバンクルは無言で立ち上がった。
フードの下の赤い瞳が、冷徹に彼を見下ろしている。
長い沈黙の後、小さく首を横に振った。
「殺さない」
その言葉は、夜気よりも冷たく響いた。
グレイソンは呆然と目を見開く。
「……何?」
「この仕事はキャンセルすることになる」
カーバンクルは立ち上がり、パーカーについた煤を無造作に払った。
「待て……ふざけるな。お前はプロだろう? 依頼はどうする」
「『標的の戦闘能力が想定以上のため撤退』。そう報告する」
グレイソンは血を吐くように叫んだ。
「それでいいわけがない! ナナミはどうなる! 彼女の絶望はどうなる!」
「だから、あなたを生かすんだよ」
カーバンクルの赤い瞳が、グレイソンを見下ろした。
そこには感情の揺らぎはない。ただ、冷徹な計算結果があるだけだ。
「死人に口無しとは言うけど、死体は雄弁。生きている人間よりも」
「なに……?」
「あなたの死で警察が再捜査すれば、6年前の記録の矛盾が見つかるかもしれない」
グレイソンは言葉を詰まらせ呻いた。図星だった。
「彼女にはまだ、あなたが必要だと思う」
カーバンクルは背を向け、歩き出した。
「ま……待ってくれ!」
グレイソンが這うようにして手を伸ばす。
カーバンクルは振り返らずに答えた。
「彼女にはまだ、あなたへの憎悪という燃料が必要。いつか、それ無しで歩ける日が来るまで」
彼女は足を止め、夜空を見上げた。
「……残酷、だな」
「真実よりはマシ」
カーバンクルは再び歩き出した。
背中の『404 Not Found』のロゴが、闇に溶けていく。
「敵として、生き続けて。……それが、あなたの罰」
グレイソンは何も言えなかった。
ただ、遠ざかる白い背中を見つめることしかできなかった。
やがて、彼女の姿は完全に見えなくなる。
グレイソンはアスファルトの上に大の字になった。
全身の骨が軋み、焼けるような痛みが走る。
だが胸の奥の重苦しさは、不思議と少しだけ軽くなっていた。
「……ありがとう」
誰にも届かない独白。
彼は夜空を見上げた。厚い雲が流れ、一瞬だけ月の映像が顔を出す。
――生きろ、か。
グレイソンは自嘲気味に笑い、血の混じった唾を吐き捨てた。
これからも、ナナミの憎悪を一身に受けて生きる。
彼女が生きる目的であり続けるために、決して死なない「悪役」を演じ続ける。
それが贖罪。終わりのない煉獄。
「……上等だ」
グレイソンは歯を食いしばり、よろめきながら立ち上がった。
バンは全損。義手はスクラップ寸前。肋骨は最低でも三本はいっている。
それでも、足は動く。
彼は散乱した荷物の中から、奇跡的に無事だった医療ケースを拾い上げた。
任務はまだ終わっていない。これを待っている誰かがいる。
グレイソンは足を引きずりながら、闇の中へと歩き出した。
その背中に伸びる影はどこまでも黒く、そして長かった。
それにしても殴りすぎじゃないっすか、カーバンクルさん




