【依頼人】傭兵の仕事
午前2時、イースト区第23倉庫街。
巨大な直方体を無数に並べたような倉庫群は、都市の墓標を思わせた。
稼働中のプラントが低い唸り声を上げ、排気ダクトからは有毒な蒸気が吐き出されている。
空気は酸化した鉄と重油、そして澱んだ河川の腐臭で満たされていた。
カーバンクルは第17倉庫の屋上縁にしゃがみ込んでいた。
白いパーカーが煤けたコンクリートに同化する。
義眼のズーム機能が、眼下の光景を鮮明に切り取った。
搬入口の前、一台の黒塗りのバン。
その傍らにヴィクター・グレイソンが立っている。
タクティカルジャケットに身を包み、義手側の腰には拳銃のホルスター。
その立ち姿は彫像のように微動だにしないが、視線だけは鋭く周囲を走査していた。
数分後、ネオ・ロジスティクス社のロゴが入った小型トラックが滑り込んできた。
運転席から降りてきたのは、くたびれたスーツを着た中年男だ。
彼は落ち着きなく首を巡らせ、怯える小動物のような挙動を見せている。
グレイソンが歩み寄り、二人は短い握手を交わした。
カーバンクルは耳元に手を当て、集音機能を最大感度まで引き上げる。
風切り音の向こうから、二人の声がクリアに届いた。
「グレイソンさん、お待たせしました」
「いえ。時間通りです」
「こんな夜更けに、しかもこんな場所で……本当に申し訳ない」
男はハンカチで額の汗を拭った。グレイソンは穏やかに首を振る。
「事情は伺っています。気にしないでください」
「ありがとうございます……。本来なら正規の手続きを踏むべきなんですが、今の会社の状況では……稟議を通すのに一週間はかかってしまう。しかし、この荷物は今夜中に届けなければならない」
「ええ、わかります。現場と会議室の時計は、進む速度が違いますから」
グレイソンの冗談に、男はようやく強張った表情を緩めた。
「荷物はこれです」
トラックの荷台が開かれる。
中には厳重に梱包された金属ケースが三つ。『取扱注意』『精密医療機器』のステッカー。
「新型人工臓器のプロトタイプです。セントラル区の大学病院へ。振動厳禁でお願いします」
「了解しました。卵を運ぶように丁寧に扱いますよ」
グレイソンはケースを一つずつ、慎重にバンへ積み込んでいく。
「あの……本当に大丈夫でしょうか? この辺りは最近、ギャングの抗争が激しいと聞きますが」
「ご心配なく。私のキャリアにかけて、必ずお届けします」
積み込みを終えたグレイソンは、男に向かって力強く頷いた。その目には一点の曇りもない。
男は安堵のため息をつき、懐から茶封筒を取り出した。
「報酬です。ご指定通り、現金で」
「確認します」
グレイソンは封筒を受け取ると、中身を見もせずにジャケットの内ポケットへ滑り込ませた。
「……数えないんですか?」
「この稼業は信用ですから」
男は目を丸くし、それから深々と頭を下げた。
「ありがとうございます……! どうか、お気をつけて」
グレイソンはバンに乗り込み、静かにエンジンを始動させた。
黒い車体は滑るように闇の中へと消えていく。
「……相手が動いた」
『オーケー。監視カメラで誘導する』
カーバンクルは即座に動いた。
屋上の端を蹴り、虚空へ踊り出る。
重力を無視したような軽やかな跳躍。
空中で一回転し、隣接する倉庫の配管に着地する。金属音が夜気に吸い込まれる。
義眼にウィンドウがポップアップした。
『どうだ? 何か出たか?』
「……まだ、シロっぽい」
『はあ?』
「普通の護衛任務だね。依頼主も善良な社畜。グレイソンは聖人君子」
『冗談だろ……? あんな怪しい依頼で?』
「とりあえず、追跡を続ける」
通信を切り、カーバンクルは夜の街を駆けた。
錆びついた非常階段を駆け上がり、建物の隙間を飛び越え、排気ダクトを平均台のように走り抜ける。
地上のバンと並走するように、彼女は屋根の上を疾走した。
眼下のバンは法定速度を遵守し、一時停止線ではきっちりと止まる。
――本当に、こいつが?
疑惑のノイズが脳内で大きくなる。
ナナミの涙。ショウのデータ。そして今目の当たりにしたグレイソンの誠実さ……。
(……でも、依頼人の言葉が嘘には見えなかった。なら、なにか行き違いがある……?)
バンはイースト区の幹線道路に入った。
旧時代の高架道路だ。街灯の半数は壊れ、アスファルトには亀裂が走っている。
その時、カーバンクルのセンサーが熱源反応を捉えた。
「あれは……」
前方から急速接近する複数の車両。改造バイク3台、装甲バン1台。
エンジンの爆音が静寂を引き裂く。
カーバンクルは目を細め、ズームをかける。
バイクに跨る男たちは一様にサイバネで武装し、ジャケットの背中には不吉な意匠――『赤い髑髏と歯車』が描かれていた。
新興の、狂信的ギャング集団。
アポカリプティック・サウンドだ。
「あれは、この前の……?」
「止まれッ! 荷物を置いていけ!」
並走したバイクの男が怒鳴り、サブマシンガンを空へ向けて発砲した。乾いた銃声。
グレイソンは無視してアクセルを踏み込む。しかし、前方を黒い装甲バンに塞がれ、後方はバイク隊に封鎖される。典型的なボックス戦術だ。
キキーッ! と激しいスキール音を上げ、グレイソンのバンが急停車する。
瞬く間に7人の男たちが車両を取り囲んだ。
一人は両腕が巨大な電撃ハンマーに換装されており、青白いスパークを散らしている。
別の男は肩に携帯式ミサイルポッドを担いでいた。
装甲バンから降りてきた男が、顔面のタトゥーを歪めて笑った。
「降りろ、運び屋! 命が惜しけりゃ荷物を置いて失せな!」
グレイソンが運転席から降りてくる。
両手を頭の後ろで組み、降伏の意思を示す。だが、その瞳は氷のように冷徹だった。
「君たちは……アポカリプティック・サウンドだったか」
「有名になったもんだな。光栄だぜ」
「この荷物は医療機器だ。君たちが欲しがるような軍事技術じゃない」
「中身なんざ関係ねえ! コーポの犬が運んでるモンは全部いただくのが俺たちのルールだ!」
リーダーが顎をしゃくると、電撃ハンマーの男が一歩踏み出した。
バチバチと放電音が威圧する。
「さっさと失せろ。でなきゃ黒焦げだ」
グレイソンは深く溜息をつき、肩を落とした。
「……わかった。君たちの勝ちだ」
男たちの気が緩んだ、そのコンマ数秒。
グレイソンの義手が消失したかのように高速で動いた。
腰のホルスターから抜き放たれたのは銃ではなく、伸縮式の警棒。
一閃。
電撃男の側頭部を正確に打ち抜く。白目を剥いて巨体が崩れ落ちる。
「ぐぎゃっ――」
間髪入れず、グレイソンは倒れゆく男の電撃アームを掴み、その放電を盾にして突進した。
「なっ!?」
二人目の男が反応する前に、電撃を帯びたアームが胸板に叩き込まれる。青白い閃光と共に男が吹き飛んだ。
「ぐほォうっ!?」
「野郎ッ! 殺せ!」
リーダーが絶叫する。残りの5人が一斉にトリガーを引く。
グレイソンは電撃アームを投げ捨て、バンの陰へと滑り込んだ。
銃弾の嵐が車体を削り、火花を散らす。
彼は懐から閃光手榴弾を取り出し、ピンを抜いた。
――キィィィィン!!
閃光手榴弾が炸裂した。
視界が真っ白に塗りつぶされ、耳をつんざくような爆音が鼓膜を打つ。
男たちが悲鳴を上げて目を押さえる中、グレイソンは影のように動いた。
最寄りの男の懐へ潜り込む。
義手の肘打ちが顎を砕き、脳を揺らす。男は糸が切れた人形のように崩れ落ちた。
「がごっ……!」
「クソッ、見えねぇ……! ど、どこだっ!!」
ミサイルポッドを構えた男がデタラメにトリガーを引こうとするが、グレイソンはその前に間合いを詰めていた。
義手の指が鉄のように硬化し、ポッドの砲身を握り潰す。
「ぐあっ!?」
暴発した小型ミサイルが足元で弾け、男は爆風で後方へ吹き飛んだ。
「撃て! どこだ!?」
視力を奪われた残り3人がパニック状態で乱射する。
銃弾がアスファルトを削り、火花を散らす。
グレイソンは地面を転がり、バンのスライドドアを引きちぎった。
それを巨大な盾として構え、弾丸の嵐を受け止める。
「はぁ、はぁ……! やったか!?」
「こんだけ撃ったんだ……一発くらいは――」
金属音の連打が止んだ一瞬の静寂。
グレイソンはドアを回転させながら投げつけた。
重さ数十キロの鉄塊が凶器となり、二人をまとめて薙ぎ倒す。肋骨の砕ける音が響いた。
「がふぅぁああっ……!」
「なっ……!?」
最後の一人が視力を取り戻し、震える手で銃を向けた。
だが、遅い。
グレイソンは既に眼前にいた。
「あ――」
「ふッ」
鳩尾に叩き込まれる左拳。
「〜〜〜〜……ッ!!」
男は声を上げる間もなく嘔吐し、膝から崩れ落ちた。
わずか十数秒。
アスファルトの上には、6人の男たちが呻き声を上げて転がっていた。
誰も死んではいないが、しばらくは立ち上がれない。
唯一立っているのは、顔面タトゥーの男だけ。
彼は恐怖で引き攣った顔で、震える銃口をグレイソンに向けていた。
「ば、化け物か……お前……」
「銃を捨てろ。まだ間に合う」
グレイソンは静かに告げた。息一つ乱れていない。
リーダーの戦意が折れる音が聞こえたようだった。
カラン、と乾いた音を立てて銃が地面に落ちる。
「こ、降参だ……命だけは……」
グレイソンは小さく息を吐き、警戒を解こうとした。
その瞬間。
背後で殺気が膨れ上がった。
「――ヤ、ロウ……!」
最初に電撃で気絶させられた男だ。
薄れゆく意識の中、執念だけで落ちていた銃を拾い上げ、グレイソンの背中に照準を合わせていた。
「……死ね、や……!」
(! まずい……)
指がトリガーにかかる。
グレイソンは気づいたが、体勢が悪かった。
刹那。
夜空から白い影が墜ちてきた。
ドゴォッ!
「あぎァ!?」
重く鈍い衝撃音。男の頭蓋が地面にめり込む。
脳震盪を起こし完全に沈黙した男の背に、小さな影が降り立っていた。
カーバンクル。
白いパーカーのフードを目深に被り、赤い瞳だけが闇の中で燃えている。
「……!?」
「あぶなかったね」
グレイソンは驚愕に目を見開いた。
義手が反射的に戦闘態勢を取るが、目の前の少女に敵意の波動はない。
ただ、静寂な湖面のような瞳で彼を見つめているだけだ。
「お前は……さっきの」
グレイソンの声が掠れる。
なぜここに。どうやって。無数の疑問符が脳裏を駆け巡る。
カーバンクルは気絶した男の背からひらりと飛び降りると、無表情のままグレイソンを見上げた。
「……あなたは、やっぱりいい人っぽい」
場違いなほど平坦な声。
グレイソンは眉根を寄せた。
「……何?」
「だから、依頼はキャンセル」
その言葉が、冷たい夜気に溶ける。
グレイソンの表情が変わった。困惑の色が消え、歴戦の傭兵の鋭さが戻る。
「依頼……誰からの依頼だ?」
カーバンクルは瞬き一つせず、淡々と告げた。
「ナナミ・コウサカ。20歳。6年前に、あなたに両親を殺されたって言ってた娘」
時間が凍りついた。
グレイソンの顔から急速に血の気が引いていく。
鋼鉄の義手が、微かに、しかし確実に震え始めた。
「……コウサカ、タケシと、アヤコの……」
「……? 知ってるの? そうだよ」
沈黙。
遠くで工場のサイレンが鳴っている。
足元で倒れている男たちの呻き声すら、遠い世界の出来事のようだ。
グレイソンは深く、長く息を吐き出した。
それは肺の中の空気をすべて入れ替えるような、重苦しい吐息だった。
彼の瞳から鋭い光が消え、代わりに底なしの疲労と、諦念のような色が浮かぶ。
「……そうか」
彼は天を仰ぎ、目を閉じた。
数秒の後、ゆっくりと瞼を開く。
「君はその復讐依頼を受けていたわけだ」
「そう。けど、なにか入れ違いが――」
「なら、仕事の時間だ」
グレイソンはカーバンクルを真っ直ぐに見据えた。
「コウサカ夫妻を殺したのは、俺だ。間違いなく、俺が殺した」
カーバンクルの眉が、わずかに動いた。
赤い瞳が揺れる。
夜風が吹き抜け、血と硝煙の匂いを運んでいった。
なんだとお前!!




