【依頼人】善人か、悪人か
ウエスト区、午後11時。
都市の消化不良を思わせる繁華街は、今夜も熱と欲望で膨張していた。
ホログラム広告の巨人がビルの谷間を闊歩し、VR売春宿「ドリームキューブ」の前には虚ろな目をした中毒者たちが列をなしている。
カーバンクルの視界には、ショウが送ってきた追跡マーカーが赤く脈打っていた。
標的、ヴィクター・グレイソン。現在地はウエスト区のスラム境界線近く。
彼女は白いパーカーのフードを目深に被り、雑踏を遡上していく。
10分後。目的地である傭兵崩れの溜まり場、バー『クリムゾン・エッジ』の前に到着した。
看板のネオンは接触不良で痙攣し、重厚な鉄扉には無数の弾痕がオブジェのように残されている。
カーバンクルは迷うことなくその扉を押し開けた。
紫煙と安酒、そして血とオイルの入り混じった臭気が鼻をつく。
店内は薄暗く、カウンターには筋肉と金属で体を膨らませた男たちが陣取っていた。
義眼の赤い光、クロームメッキされた義腕の反射。
ここは企業の正規兵になれなかった野犬たちの巣窟だ。
(ターゲットは……)
視線を走らせる。
店の最奥、薄暗いボックス席にその男はいた。
ヴィクター・グレイソン。
45歳。短く刈り込んだ灰色の髪に、岩のように強張った表情。
黒いタクティカルジャケットの右袖からは、軍用規格のマットブラックな義手が覗いている。
彼はまるで彫像のように動かず、琥珀色の液体が入ったグラスを見つめていた。
周囲の喧騒から彼だけが切り離されているように見える。
カーバンクルはカウンターの末席に滑り込んだ。
「ミルクある?」
バーテンダーが顔をしかめる。
「ガキの来るところじゃねえぞ」
「じゃあ水」
「チッ」
無愛想にグラスが置かれる。
カーバンクルはグラスに口をつけず、グラス越しに歪むグレイソンの姿を観察した。
一人で飲んでいる。周囲への警戒は適度になされているようだ。
背後を壁に向け、視界に出入り口を収めるプロの座り方だ。
しかしその瞳には深い疲労と、どこか自罰的な色が沈殿している。
(……殺人者には見えない。けど……)
カーバンクルの脳内でプロファイリングが進む。
冷酷、残忍、無慈悲。依頼者の証言から導き出される人物像と、目の前の男の波長が一致しない。
その時、静寂を破るようにドアが蹴り開けられた。
「あーあ、クソったれがよ!」
「あそこで賭けてりゃなぁ」
あからさまに酔った5人組の男たち。安物のサイバネで武装したチンピラ集団だ。
我が物顔で店内を闊歩し、その中の一人、首にタトゥーを入れた巨漢がカーバンクルの隣にドカッと座った。
「おい親父! 一番強い酒だ!」
喚き散らし、横にいる「異物」に気づく。
男はニタリと笑い、カーバンクルを舐めるように見た。
「おいおい、なんでこんな可愛い子猫ちゃんが迷い込んでんだ? ママとはぐれたか?」
「…………」
カーバンクルは無視した。視線はグレイソンから外さない。
男の顔が怒りで赤黒く染まる。
「シカトかよ、クソガキが」
太い指がカーバンクルの肩に伸びる。
接触まで0.5秒。
カーバンクルの思考が戦闘モードへ切り替わる。
関節を破壊するか、頸動脈を圧迫するか――。
だが、その必要はなかった。
ガシッ、という鈍い音と共に、男の手が空中で制止した。
「子供に絡むな。みっともないぞ」
低い声。
いつの間にか背後に立っていたグレイソンが、義手で男の手首を握りつぶすように掴んでいた。
「あ、あ゛あ゛ッ!?」
男が悲鳴を上げる。鋼鉄の指が肉に食い込み、骨が軋む音が店内に響いた。
グレイソンの表情は氷のように冷たい。
「離せ! てめえ、俺らを誰だと思って……!」
チンピラの仲間たちが一斉に立ち上がり、武器に手をかける。
しかし、グレイソンは視線だけで彼らを制した。
殺気。
それも、ただ暴力を振るいたいだけのチンピラとは違う。何十もの死線を越えてきた者だけが放つ濃密な死の匂いだ。
「失せろ」
短く吐き捨て、手を離す。巨漢は無様に床へ転がった。
「く、くそっ……覚えてやがれ!」
定型句のような捨て台詞を残し、男たちは逃げるように店を出て行った。
店内に再び気怠い空気が戻る。
グレイソンはふう、と小さく息を吐き、カーバンクルに向き直った。
「怪我はないか」
「平気」
カーバンクルは感情を見せずに答えた。グレイソンは眉を寄せ、呆れたように彼女を見る。
「肝が据わってるな。……だが、こんな店に一人で来るもんじゃない。ここは戦場と変わらん」
「あなたも一人でしょ」
「おいおい。俺とボウズじゃ何もかも違うだろう」
グレイソンは苦笑し、バーテンダーに紙幣を投げた。
「この子の分も払う。何かジュースでも出してやってくれ」
そう言い残して席へ戻ろうとする彼を、カーバンクルが呼び止めた。
「待って」
グレイソンが足を止める。
カーバンクルは椅子から降り、彼の正面に立った。
身長差は頭三つ分以上はある。カーバンクルはかなり首を真上に傾けなければ視線を合わせられなかった。
「どうして助けたの?」
グレイソンは不思議そうに瞬きをした。
「なぜって……子供が襲われてたら助ける。当たり前だろう」
「私はあなたの敵かもしれないのに?」
挑発的な問いに、グレイソンは目を細めた。
一瞬、彼の瞳の奥で鋭い光が明滅する。
ただの親切な男の顔が消え、歴戦の傭兵の顔が覗いた。
「……敵なら、あんな雑魚に絡まれる隙は見せないさ」
彼はふっと表情を緩めた。
「それに、俺は決めているんだ。ロクでもない稼業ではあるが、仕事以外では誰も傷つけないようにと。……特に、子供はな」
その言葉には、信念というよりは、祈りのような切実さが滲んでいた。
カーバンクルは赤い瞳で彼を見上げる。
瞳孔が微かに収縮し、細かな反応をスキャンする。
(嘘は、ついてない……みたい)
心拍数、発汗、声のトーン。全てが「本心」であることを示している。
この男が依頼者の両親を殺し、隠蔽工作を行った?
……そうは思えなかった。
「……変な人だね」
カーバンクルが呟くと、グレイソンは肩をすくめた。
「よく言われる。……さっさと帰って寝な、ボウズ。ここは夜更かしするには空気が悪すぎる」
彼は大きな掌で、ポンとカーバンクルの頭に手を置いた。
子供扱い。本来ならその手を切り落とすところだが、カーバンクルは不思議と動けなかった。
その手からは温かさと同時に、微かな震えが伝わってきた。
グレイソンは背を向け、自分の席に戻っていった。
再びグラスを手に取り、琥珀色の液体の中に沈んでいく。
カーバンクルは店を出た。
ウエスト区の夜風が少しだけ冷たく感じる。
フードを深く被り直し、雑踏へと紛れる。
義眼に通信ウィンドウがポップアップする。ショウからのメッセージだ。
『接触したか? どうだった』
カーバンクルは口の中で小さく呟いた。
「……シロ、かもしれない」
あるいは、とてつもなく巧妙なクロか。
どちらにせよ、依頼者ナナミの語る「悪魔」と、今夜会った「守護者」のイメージは乖離しすぎている。
何かが決定的に欠けている。このパズルを完成させるための、最後のピースが。
『ふーん……まっ、そんなお前のために情報を用意したぜ。耳よりのブツだ』
「なにそれ?」
『グレイソンの通信ログを深層まで洗った。面白いもんが出てきたぞ』
カーバンクルは首を傾げ、無言で続きを促す。
『今夜の午前2時。イースト区、第23倉庫街。護衛の依頼が入ってる。表向きのクライアントは『ネオ・ロジスティクス社』、内容は『重要貨物の輸送護衛』だが……』
ショウが指を鳴らすと、カーバンクルの視界に新たなデータストリームが流し込まれた。
ノイズ混じりの音声データ、断片的な契約書、そして送金ログ。
『こいつを見てみろ。正規の契約書が存在しない。報酬は追跡不可能な暗号通貨での即日払い。連絡手段は使い捨ての匿名回線だ』
「つまり……ブラックな案件ってこと?」
『限りなく黒に近いグレーだな。こういう『記録に残らない仕事』こそ、裏の汚れ役が好む手口だ』
ショウの声色が低くなる。
『6年前の事件も、恐らくこういう手口だったはずだ。……もしグレイソンが本当にシロなら、こんな胡散臭い依頼は蹴るはずだろう?』
カーバンクルは送られてきた座標データを凝視した。
イースト区、第23倉庫街。
かつて工業地帯だった廃墟群。法も警察も機能しない無法地帯。
そこで行われる『重要貨物』の輸送。
試金石だ。
ヴィクター・グレイソンが、ただの誠実な傭兵なのか。
それとも、笑顔で子供の頭を撫でながら、裏では平然と引き金を引ける怪物なのか。
「直接見に行く」
カーバンクルの答えは短かった。
『へいへい、予想通りだ』
ショウは口の端を歪めて笑った。
『俺は現地の監視カメラとセキュリティを掌握しておく。特等席を用意してやるから、しっかり見定めてこいよ』
「了解」
通信が途絶える。
視界からノイズが消え、再びウエスト区の極彩色の夜が戻ってきた。
だがカーバンクルの網膜には、まだ赤い座標が焼き付いていた。
第23倉庫街。午前2時。
そこで、すべての答えが出るはずだ。
ボウズボウズ言ってるし、グレイソンはカーバンクルのこと男の子だと思ってますねこれは




