【断罪】スペシャルマッチ!
アリーナ最上階、VIPルーム。
そこはサウス区の地下とは思えない豪奢な空間だった。
ペルシャ絨毯が敷かれ、壁には盗品のルネサンス絵画が飾られている。
空気清浄機が働き、血と汗の臭いは微塵もしない。
この部屋にあるもの全てが、ファイターたちの命を換金して買い揃えられたものだ。
レオは革張りのソファに深く腰掛け、アンティークのグラスでコニャックを揺らしていた。
「お前、いい腕だな。タイタスをあそこまで完璧に解体するとは」
対面のショウは酒を断り、冷たい義眼でレオを見据えていた。
「言っただろ、粗大ゴミだって。あんな鈍間なスクラップ、俺のブレードなら目隠ししてても斬れるさ」
レオは楽しげに口角を上げた。
「謙遜を知らないガキは嫌いじゃないぜ」
レオは葉巻をくゆらせ、煙越しにショウを見た。
「単刀直入に言おう。ウチの専属になれ。一試合100万クレジット。衣食住に最高級のメンテナンス、さらに女もドラッグも使い放題だ。どうだ、悪くない話だろ?」
ショウは鼻で笑った。
「100万か。サウスのガキなら涎を垂らして飛びつく額だな」
「だろう? お前ならすぐにサウスの王になれる。俺がプロモートしてやるよ」
ショウは身を乗り出し、テーブルに両肘をついた。
「だが断る。俺のビジネスの提案はもっと面白い」
レオの眉がピクリと動いた。
「……ほう?」
「俺は、お前に『出場』してもらいたいんだよ」
レオは一瞬キョトンとし、すぐに腹を抱えて笑い出した。
「ハハハッ! 傑作だ! 俺がリングに? オーナーの俺が、あんな汚い檻の中で猿回しをやれってか?」
「ああ。汚い檻に、猿を一匹放り込む。それだけの話だ」
ショウの声から温度が消えた。
レオの笑い声が止まる。
「……おいガキ、調子に乗るなよ」
レオの声色が低くなる。
「俺はこれでもサウスのフィクサーだ。お前のような野良犬を一匹消すくらい、指一本で……」
シャキンッ。
硬質な音が空気を凍らせた。
ショウの両手首から高周波ブレードが展開されている。
「指一本? 試してみるか? その指が床に落ちるのと、どっちが速いかをよ」
レオの顔から血の気が引いた。
目の前の少年が放つ殺気が、本物だと肌で感じたからだ。
「き、貴様……何者だ。ただのファイターじゃねえな」
「俺は404号室から来た」
レオが息を呑む。
404号室。都市伝説の始末屋。前市長を焼き払った、あの化け物。
「まさか……仲間がいたのか……!?」
「最近、求人が出てな。ジェイク・エンデバーを覚えてるか?」
ショウが一歩踏み出す。レオはソファの背もたれに体を押し付けた。
「ジェイク……? ああ、あの借金まみれのガキか! あいつは俺を殺そうとしたんだ! 自業自得だろ!」
「そうだな。だが、あいつを借金漬けにして怪物に変えたのはお前だ」
ショウは冷たく告げた。
「あいつの姉貴からの依頼だ。『弟と同じ苦しみを味わわせてくれ』ってな」
レオは震える手で懐の通信端末を握りしめた。
ボタン一つで、ドアの外に待機している『アポカリプティック・サウンド』が突入してくる手はずだ。
「調子に乗りやがって、ガキが! 後悔するぞ……!」
レオはボタンを押した。
……沈黙。
誰も来ない。
レオは狂ったようにボタンを連打した。カチカチカチッ。
「な、何故だ……おい! 誰かいないか! 入ってこい!!」
ショウは憐れむような目で見下ろした。
「無駄だ。お前の自慢の番犬はもう吠えない」
「な……!?」
その時、重厚な防音ドアが音もなく開いた。
レオは救世主が現れたと思い、顔を上げた。
だが、そこに立っていたのは武装した傭兵ではなかった。
白いパーカーを着た、小柄な少女。
「あ……!? あっ、アイツは……!?」
水色の髪。無機質な赤い瞳。
そして白い服には、点々と赤い飛沫が散っている。
「あの映像の……!」
「配信の効果はテキメンだったな、カーバンクル。悪党連中がみんな見てやがるぜ」
「これはこれで面倒なところもあるけどね……」
彼女の足元には、ガトリング砲を持った大男が転がっていた。
白目を剥き、関節がありえない方向に曲がっている。
廊下の奥まで、十数人のギャングたちが折り重なるように倒れていた。
全員、ピクリとも動かない。
「……化物か……!?」
レオは腰を抜かし、床にへたり込んだ。
最新のサイボーグが、たった一人の少女に全滅させられたのだ。
音もなく、一瞬で。
カーバンクルはレオを見据え、無感情に告げた。
「掃除は終わった。もう全員戦えないよ」
ショウが肩をすくめる。
「ってなわけでよ。じゃ、仕上げと行くか」
「依頼人の要望は『苦しみを味わわせる』こと。あなたには充分苦しんでもらうからね」
カーバンクルはレオに近づいた。
レオは床を這って後ずさる。
「く、来るな! 金だろ! 金ならある! いくら欲しい!?」
「私たちは金目当てにやってるわけじゃない」
カーバンクルはレオの襟首を掴み、軽々と持ち上げた。「力の向き」を操作されたような感触。
「や、やめろ……助けてくれ……!」
「リングへ行くよ」
少女の声は絶対的だった。
「スペシャルマッチに出場してもらう」
「ふざけるな! 俺は生身だぞ! 戦えるわけがない!」
「大丈夫。ジェイクも最初はそうだった」
カーバンクルはレオを引きずって歩き出した。
レオは必死にドア枠にしがみついたが、ショウがその手を引き剥がす。
「あなたは彼らに戦いを強制した。だからあなたも強制される。それが、あなたに相応しい報い」
「ふざっ、け……! ふざけるなよ! おい、誰か! 誰かいないのか!?」
廊下に出ると、レオは絶望した。
無敵だと思っていた傭兵たちが、ゴミのように転がっている。助けなど来るはずがなかった。
「い、いやだぁぁぁ! 誰か! 誰かぁぁぁ!!」
アリーナの王の情けない悲鳴が、誰もいない廊下に木霊する。
ショウはブレードを収納し、倒れている傭兵の顔を踏みつけて通り過ぎた。
「さあ、メインイベントだ。遅れるなよ、主催者様」
彼は愉快そうに口笛を吹きながら、死への花道を進んでいった。
■
「オラ……行けよ!」
「ぐうっ!!」
アリーナのリング。
血の匂いが漂う金網の中に、異質な「選手」が放り込まれた。
高級スーツが汚れ、髪は乱れ、顔面蒼白で震えている中年男。
この暴力の聖域の支配者、レオナルド・マルコーニその人だった。
観客たちは戸惑いのざわめきに包まれた。
「おい、あれレオじゃねえか?」
「余興か? なんかイベント?」
「あいつ、素手だぞ……」
VIP席の富裕層たちは不穏な空気を察し、出口を探し始めた。
だがゲートはロックされ、警備員たちの姿はどこにもない。
アリーナは密室と化していた。
レオは床を這いずり回り、金網にしがみついた。
「開けろ! ここから出せぇ! 俺はオーナーだぞ! 誰か助けろぉ!」
無様な絶叫がスピーカーを通じて響き渡る。
リングサイドの最前列、カーバンクルとショウが冷ややかに見守っていた。
ショウがマイクをジャックし、高らかに宣言する。
「さあ、今夜の真のメインイベントだ! 『死の商人』レオナルド・マルコーニが、自ら命を賭けて戦うぞ!」
困惑していた観客たちが、次第に状況を理解し始めた。
「……面白そうだな」
「やれ! 戦えよオーナー!」
「血が見れりゃあなんでもいいぞォ!!」
そして、サディスティックな歓声が上がり始める。
安全圏から他人を見下ろしていた男が引きずり降ろされる様ほど、面白いものはない。
「そして対戦相手は――!」
リングの反対側から、一人の男が現れた。
40代半ば。薄汚れたタンクトップ。
右腕と両脚は、見るからに中古品のボロボロな義体に置き換わっている。
かつてジェイクに「人間でいたけりゃ薬を飲むな」と忠告した、あの名もなきベテランファイターだった。
男は重い足取りでリングに上がった。
その顔には、長年の搾取で刻まれた深い皺と、昏い復讐の炎が宿っていた。
「……お、お前か」
レオは男を見て、顔を引きつらせた。
「お前は……えーと、名前はなんだったか? 見たことはあるが……」
「覚えてねえか。そりゃそうだろうな」
男は自嘲気味に笑った。
「俺はお前にとって、在庫管理番号のついた『商品』の一つに過ぎないからな」
男はゆっくりとレオに歩み寄る。錆びついた義足が、不気味な金属音を立てた。
「だが俺はお前を忘れたことはない。五年前にここで交わした契約を、一言一句覚えてるぜ」
レオは後ずさり、コーナーポストに追い詰められた。
「ま、待て……話を聞け……ボーナスを出してやる! 借金もチャラにしてやる!」
「『借金』?」
男の声が大きくなった。
「俺は五年間、血反吐を吐いて戦ってきた。勝っても勝っても、お前の用意したシステムじゃ元金すら減らねえ! 改造費、治療費、薬代……俺たちは最初から、死ぬまで搾り取られる家畜だったんだよ!」
男の叫びがアリーナに木霊する。
観客たちも静まり返り、この悲痛な告発を聞いていた。
「それにな」
男は一歩、また一歩と距離を詰める。
「あの新人のガキ……ジェイク、死んだそうだな」
レオは息を呑んだ。
「あいつは俺に言ったんだ。『人間でいたい』ってな。馬鹿なガキだ。ここが地獄だってことも知らずに、姉貴のためにって必死だった」
男の拳が震え、義手のサーボモーターが唸りを上げる。
「俺はあいつを救えなかった。お前の作ったシステムに殺されたあいつを、ただ見てるしかなかった……」
男はレオの高級スーツの襟首を掴み、強引に立たせた。
「お前のせいで俺の人生は終わった。家族も失い、体も失い、人間としての尊厳も失った。俺に残ってるのは、このポンコツの体と、お前への殺意だけだ!」
レオは必死で男の手を剥がそうとするが、改造された義手の力には敵わない。
「や、やめろ……俺を殺せば殺人罪だぞ! 警察が黙っちゃいない!」
「罪? ヒヒ……ひゃははははは!!」
男は狂ったように笑った。
「俺はこの手でもう十人殺してる。地獄行きのチケットならとっくに持ってるんだよ。今更お前一人増えたところで何も変わりゃしねぇ!」
男はレオを突き飛ばした。
レオは無様に転がり、金網に背中を打ち付けた。
「それに、ここはアリーナだろ? お前が作った神聖なルールがある」
男は義手を構えた。使い古された、血と脂に塗れた鉄塊の拳。
「『相手が死ぬか、完全破壊されるまで戦え』。『降参は認めない』。そうだろ、オーナー?」
レオは恐怖で失禁し、床を濡らした。
「い、嫌だ……助けてくれ……頼む……金をやる……いくらでも払うから……!」
「いくらでも?」
男は首を傾げ、冷たく言い放った。
「いいなぁ。じゃあ返してみろよ……俺の、失われた人生をなぁぁぁ!!」
男がブースターを点火し、地を蹴った。
「ひぃぃぃぃぃぃっ!!」
レオの悲鳴よりも速く、男の鉄拳が顔面へと迫った。
そりゃそうじゃ




