【依頼人】鉄屑の死
――三ヶ月が経過した。
その間、ジェイクは八回の試合に出場し、六勝二敗の戦績を収めた。
勝つたびに口座の数字は増えたが、借金の元金は一クレジットも減らなかった。
メンテナンス費、修理費、強化費。
レオの用意した契約書は、蟻地獄よりも巧妙だった。
二敗した代償として、ジェイクの肉体はさらに機械へと侵食された。
両脚は股関節から下が完全な軍用レッグに。
肋骨はチタンケージに換装され、内臓は衝撃吸収ジェルの中に浮いている状態だ。
今のジェイクの肉体置換率は70%を超えている。
(……誰だよ、これは)
鏡に映るのは、不気味なキメラだった。
顔と首筋の一部にだけ残る生身の皮膚が、まるで機械の体に張り付いた肉片のように見えた。
両腕には高周波ブレード、両脚には跳躍用ブースター。
それは紛れもない怪物だった。
訓練室のベンチで、ジェイクは自分の義手を眺めていた。
(この手で……何人、殺した?)
ケンのような父親を。夢を見てここに来た若者を。
手のひらにこびりついた幻の血痕は、いくらオイルで洗っても消えない。
端末が震える。ハリソンからのメッセージだ。
『ジェイク、元気? もう三ヶ月も連絡がないけど、生きてるの?
お金、本当にありがとう。おかげで借金も返せたし、この前は本物の牛肉でシチューを作ったわ。とっても美味しかった。
でもね、お金なんていらないの。あんたに会いたい。一日でもいいから帰ってきて。待ってるから』
ジェイクの親指が、送信ボタンの上で止まった。
――帰れない。
姉さんは待っている。でも、俺はもう人間じゃない。
この鋼鉄の体で抱きしめたら、姉さんを殺してしまうかもしれない。
何より、この姿を見たら彼女は泣くだろう。「私のために怪物になったの?」と。
すべて間違っていた。
姉を救うために戦っていたはずが、気づけば自分自身が姉を悲しませる元凶になっていた。
「……くそぉぉぉッ!!」
ドガァンッ!
ジェイクは拳を壁に叩きつけた。粉砕されたコンクリート片が散らばる。
レオ。
あの男が全ての始まりだ。
俺を騙し、借金で縛り付け、魂を削り取って金に変えた吸血鬼。
このまま戦い続けても、借金は雪だるま式に増えるだけだ。死ぬまで搾取され続ける。
ならば。
ジェイクの濁った瞳に、最後の理性が灯った。それは、復讐という名の冷たい炎だった。
(――刺し違えてでも殺す)
それが、人間ジェイクとしての最後の意思表示だ。
レオを殺せば、次の被害者は生まれない。
そして自分も、この終わりのない悪夢から解放される。
■
その夜、ジェイクはアリーナを抜け出した。
レオの行動パターンは把握していた。
試合のない夜は、必ずサウス区の会員制高級クラブ『バビロン』に入り浸っている。
ジェイクはフードを目深に被り、雨の降らない湿った夜の街を疾走した。
ブースター付きの義足が、アスファルトを砕きながら加速する。
クラブ『バビロン』。
ネオンがギラつく入口には、全身を装甲化した用心棒が立っていた。
「会員証を見せろ」
「レオに用がある」
ジェイクは立ち止まらず、左腕のブレードを展開した。
キィィィン……。
「……っ」
青白い光刃が闇を切り裂く。用心棒は瞬時に危険を察知し、道を空けた。
狂気じみた殺気が、ジェイクの全身から立ち昇っていたからだ。
重低音が響く店内。
紫煙と安っぽい香水、そして違法薬物の甘い匂い。
VIP席のソファにレオはいた。
両脇に娼婦を侍らせ、下品な笑い声を上げている。
その向かいには、異様な風体の男たちが数人座っていた。
中央の大男は右腕がガトリング砲になっている。隣の男は両手が巨大なハンマー。
明らかにカタギではない。アリーナのファイターとも違う、本職の殺し屋の匂いがした。
だが、ジェイクの視界にはレオしか映っていなかった。
「レオッ!!」
ジェイクの咆哮がBGMを切り裂いた。
音楽が止まり、客たちの視線が一斉に集まる。
レオはグラスを置き、面倒くさそうにジェイクを見た。
「なんだ、ジェイクか。試合は明日だぞ。散歩の時間じゃない」
「お前を殺しに来た」
ジェイクはブレードを構え、一直線にレオへ向かった。
娼婦たちが悲鳴を上げて逃げ出す。
だがレオは動じない。むしろ、呆れたようにため息をついた。
「殺す? 馬鹿かお前は。借金残高90万クレジットを踏み倒す気か?」
「知ったことか! お前のせいで、俺はもう人間じゃなくなった! 死んで償え!」
ブースター点火。
ジェイクの体が弾丸のように加速した。
レオの首めがけて、高周波ブレードを振り下ろす。
ガギィィィンッ!
甲高い金属音と共に、ジェイクの斬撃が空中で止められた。
レオの隣に座っていた男――ガトリング砲の大男が、巨大な装甲板でブレードを受け止めていたのだ。
「おいおい、躾のなってないペットだな」
「どけ……! うおっ!?」
大男がニヤリと笑い、腕を払った。
圧倒的な質量差。ジェイクは吹き飛ばされ、カクテルテーブルを粉砕して床に転がった。
「誰だ、お前らは……!?」
「自己紹介がまだだったか?」
大男が立ち上がる。その背後で、他の男たちもゆっくりと武器を構えた。
「俺たちは『アポカリプティック・サウンド』。ギャングだ。レオとは商談中でね」
大男の右腕、ガトリング砲の銃身が回転を始めた。
ヒュルルルル……という不吉な駆動音が響く。
「商談の邪魔をする野良犬は、駆除するのがマナーだろ?」
「ッ!!」
ズダダダダダダダダッ!
ガトリング砲が火を噴いた。
毎分3000発の鉛の嵐。ジェイクは咄嗟に腕を交差させてガードしたが、防御など無意味だった。
チタン合金の装甲が紙のように削り取られ、衝撃で体が宙に浮く。
「ぐぁぁぁぁっ!!」
ジェイクは柱の陰に飛び込んだ。左腕の装甲が半壊し、内部の配線がスパークしている。
レベルが違う。アリーナのファイターとは根本的に戦闘の質が違う。
他のメンバーも動き出した。電磁ナックルを装備した男が、死角から回り込んでくる。
ジェイクはカウンターを狙ってブレードを振るう。
男はそれを紙一重で回避し、拳をジェイクの横腹に叩き込んだ。
バヂヂヂッ!
「がああッ……!」
数万ボルトの電流が内臓を焼く。
ジェイクの制御システムがダウンし、膝から力が抜けた。
「終わりか? アリーナのエース様よぉ」
床に這いつくばるジェイクを、男たちは冷ややかに見下ろした。
「待て! 殺すな!」
レオが慌てて叫んだ。
「そいつはまだ稼げるんだ! 殺したら90万がパーになる!」
ガトリング砲の男は肩をすくめた。
「悪いなレオ。だが顧客の安全を守るのも、俺たちのサービスの一環……だッ」
銃口が、動けないジェイクの頭に向けられた。
「安心しな。痛みを感じる暇もなくミンチにしてやる」
ジェイクは天井を見上げた。
派手なシャンデリアが揺れている。
ああ、これで終わりか。
何もなせなかった。レオも殺せず、借金も返せず、姉にも会えず。
(姉さん、ごめん。……ステーキ、美味しかったかな)
俺は、ただの鉄屑になって死ぬ。
ジェイクは目を閉じた。
ズガガガガガガガッ!
轟音が鼓膜を破り、無数の衝撃が全身を貫いた。
機械の体も、わずかに残った人間の肉体も、等しく粉砕された。
思考が途切れる寸前、ジェイクは自分が人間だった頃の夜空を思い出していた。
■
レオは舌打ちをし、新しい葉巻に火をつけた。
「チッ……もったいないことしやがって。手足を全部交換したばかりだったんだぞ」
彼はジェイクの残骸を一瞥し、煙を吐き出した。
「まあいい、次のオモチャを探すさ。サウス区にゃ、金に困った馬鹿なガキがいくらでもいるからな」
『アポカリプティック・サウンド』の男たちは、興味なさそうに武器をしまった。
「掃除は任せるぜ。使えるパーツは回収しな。脳みそ以外はリサイクル可能だろ?」
大男が笑う。
店員たちが慣れた手つきでジェイクの死体――部品の塊を運び出していく。
ジェイクという人間が生きた証は、血塗れの床のシミと、レオの端末に残された未回収債権のデータだけ。
サウス区の夜は、何事もなかったかのように続いていく――。
依頼人が死んだだと…?




