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【断罪】美食家の死因は

「ぐ……ぁっ」


 カルロは、もう何切れ目か分からなくなっていた。

 口の中は塩と油と、生焼けの脂肪の味で飽和している。

 吐き気が込み上げるが、それすら許されない。


 そして――。

 ショウが最後の皿のカバーを持ち上げた。


「さあ、ラストだ。デザート代わりの特製メニューだぜ」


 ふわりと漂ってきたのは、調理された肉の匂い。

 ツンと鼻を突く、酸っぱい腐敗臭。


「……あ……?」


 カルロは目を見開いた。

 皿の上にあるのは黒ずんだ肉塊。

 表面にはうっすらと緑色のカビが浮き、切り口からは濁った体液が滲み出ている。


「な……これは……!」


 カルロの声が裏返った。


「てめぇら……これ……完全に腐ってるじゃねぇか……!」

「ああ、そうだな」


 ショウは悪びれもせずに言った。


「切り落とした手足、そこそこ放置したしな……。いやぁ、生肉って足が早いんだな」

「ちょっと常温で放っておいただけなのに。予想外だった」

「…………!!」


 カルロは絶句した。

 衛生管理の基本中の基本。


「バカかてめぇらは! 肉は鮮度が命だ! 切断直後に血抜きをして冷蔵保存するのが常識だろうが!」

「知らなかった」


 カーバンクルは首を傾げた。


「料理、得意じゃないから」


 その言葉が、カルロの理性の最後の糸を断ち切った。


「ふざけんな……! ふざけんなぁぁぁッ!」


 カルロは鎖を引きちぎらんばかりに暴れた。


「俺の肉を……A5ランク以上の俺の最高級肉を……! こんな……こんな残飯に変えやがって!」


 しかし、ショウは無慈悲にフォークを突き刺した。

 グチュリと嫌な音がする。


「文句は食ってから言え」

「やめろ! それだけは! ボツリヌス菌が湧いてる! 死ぬぞ!」

「だから?」


 カーバンクルの瞳が、冷たく細められた。


「人殺しが、自分は死にたくないなんておかしくない?」

「それとこれとは話が別だ! 俺は……俺は芸術のために……!」

「芸術?」

「そうだ! 人間の肉を最高の状態で味わう! それこそが究極の美食だ! 俺は間違ってない!」


 カルロは叫んだ。自分の正当性を信じて疑わない狂信者の目で。


 カーバンクルは、小さくため息をついた。


「意味がわからない」


 彼女の合図で、ショウがカルロの顎をこじ開けた。


「むぐっ……やめ……ごふっ!」


 腐った肉塊が喉の奥へと押し込まれる。

 舌に触れた瞬間、強烈な酸味と腐敗臭が脳を揺さぶった。

 粘着質な肉汁が、食道を這い降りていく。


 飲み込んだ瞬間、カルロの胃袋が拒絶反応で痙攣した。


「お゛っ……げぇッ……!」

「吐くなよ。もったいない」


 ショウが口を押さえつける。

 カルロは涙目で、必死に喉を動かした。

 自分の肉体が、腐り果てた自分の一部を消化しようとしている。


 最後のひと口を飲み込んだ時、カルロの精神は限界を迎えていた。

 虚ろな目。垂れ流される涎。


「じゃあな、ドン・カルロ」


 ショウはカートを引き、出口へ向かう。

 カーバンクルも踵を返した。


「ま……待て……」


 カルロは這いずるように身をよじった。


「解毒剤……せめて……胃洗浄を……」

「嫌」


 カーバンクルは振り返りもしない。


「ここで、自分の味を反芻しながら死んで」


 重い扉が閉ざされ、鍵がかかる音が響いた。


 静寂。

 そしてすぐに、激痛が始まった。


「ぐ……ぁ……!」


 腹の中で爆弾が破裂したような痛み。

 腐敗菌が生み出す毒素が、内臓を溶かし始めている。


 カルロは白い床の上を転げ回った。

 手足がないため、芋虫のようにのたうち回ることしかできない。


「あつ……い……腹が……焼ける……!」


 高熱とめまい。意識が混濁していく。

 走馬灯のように記憶が巡るかと思った。

 だが――。


 ソーンの両親の顔も、今まで殺した数百人の被害者の顔も、一つとして浮かばなかった。


 彼が最期の瞬間に考えていたのは、ただ一つ。

 料理のことだけ。


「俺の……あたくしの、肉……」


 カルロは熱に浮かされた目で、天井を見上げた。


「もっと……低温でじっくり火を通して……ブルーベリーソースを添えれば……完璧だったのに……」


 悔し涙が頬を伝う。

 死ぬことへの恐怖よりも、自分の肉という最高級の素材が三流以下の調理で無駄にされたことへの無念。


「くそ……ド素人が……」


 カルロの体が大きく痙攣し、そして動かなくなった。


 白い部屋には、機械の駆動音だけが残された。

 手足を奪われ、ダルマとなった巨大なサイボーグ。

 その表情は、苦悶ではなく、出来の悪い料理を出された美食家の不満顔で固まっていた。


 ドン・カルロ。

 ネオ・アルカディアの闇を牛耳った食人鬼。

 彼を弔う者は誰もいなかった。



 サウス区、ラスト・ステイ・ホテル404号室。


 カーバンクルがドアを開けると、ソーンは窓際の椅子に深く沈み込んでいた。


 頬はまだこけているが、死人のようだった顔色には僅かに赤みが戻っている。

 テーブルの上には、空になった栄養ゼリーのパックが三つ。


「……カーバン、クル」


 ソーンは彼女を見て、立ち上がろうとした。膝が笑っている。


「座ってて」


 カーバンクルは手で制し、向かいのパイプ椅子に腰掛けた。


「終わったよ」


 短く告げる。


「ドン・カルロは死んだ」


 ソーンの肩が小さく跳ねた。


「本当に……?」

「うん。彼の手足を外して、調理して食べさせた」


 カーバンクルは淡々と、しかし詳細に報告する。


「彼は美食家だった。だから、一番不味い料理にして出した。腐りかけの肉も食べさせた」

「…………」

「彼は最後まで、自分の肉が不味いと嘆きながら、苦しんで死んだ」


 ソーンは息を吐き出した。

 長い、長い溜息。

 それは安堵のようであり、魂の一部が抜け落ちるような音でもあった。


「……ありがとう」


 彼の声は掠れていた。


「でも……両親は戻らない」

「うん」

「復讐しても、俺の中の穴は埋まらない。……分かってたけど、虚しいな」


 ソーンは自分の手のひらを見つめた。

 その手は3ヶ月間、何百人もの遺体を切り刻んできた手だ。


「俺は……自分を許せない。カルロは怪物だったが、俺も同類だ。金のために目を背け、共犯者になった」


 彼は顔を歪めた。


「俺に、生きる資格なんてあるのか?」


 カーバンクルは少しの間沈黙した。

 そして、静かに口を開いた。


「資格なんて、誰にもない」


 彼女の言葉は冷たく響いたが、その瞳には不思議な熱が宿っていた。


「私も、たくさんの人を殺してきた。生きる資格なんてないかもしれない。……でも、生きてる」

「カーバンクル……」

「罪は消えない。あなたが食べた両親の肉は、あなたの体の一部になってる。一生、その味は消えない」


 残酷な真実。だが、それはソーンが一番理解していることだった。


「その味を忘れないことがあなたの罰で、あなたの供養」


 ソーンはハッとして顔を上げた。

 忘れるのではなく、忘れないこと。

 それが、自分にできる唯一の贖罪。


「……そうだな」


 ソーンの目に、光が戻った。


「忘れない。絶対に。……そして、もう二度と、誰もあんな目に遭わせない」


 彼は窓の外を見た。

 ネオ・アルカディアの汚れた空に、夕日が沈んでいく。


「セントラル区には戻らない。貯金もあるし、まずは体を治して……まともな仕事を探すよ。誰かを助けるような仕事を」

「ふーん……」


 カーバンクルは立ち上がった。


「頑張ってね。依頼は終わり……あとは、好きに生きて」

「ま……待ってくれ」


 ソーンが呼び止める。


「君は……これからも続けるのか? この仕事を」

「うん」

「辛くないのか? こんな……復讐ばっかり」


 カーバンクルはドアノブに手をかけ、少し考えた。


「……辛いかどうかは、分からない」


 彼女は振り返らずに言った。


「でも、誰かがやらないと。……世界は変わらないから」


 ドアが開く。


「じゃあ、元気で」


 それだけ言い残し、彼女は消えた。

 404号室には、再び静寂が戻った。


 ソーンはゆっくりと立ち上がった。

 足元はまだおぼつかない。だが、もう転ぶことはないだろう。


 テーブルの上の栄養ゼリーを手に取る。

 蓋を開け、中身を啜る。


 安っぽい人工甘味料の味だ。

 だが今の彼には、それが何よりも尊い「命の味」に感じられた。



 ウエスト区、ハッカーズカフェ。

 紫煙の奥、いつもの個室ブース。


 ショウは義手で首の後ろをさすりながら、深い溜息をついた。


「いやぁ、それにしても」


 彼は苦笑交じりに言った。


「イカれた奴に合わせた拷問を考えるのも一苦労だな。まさか『体で作った不味い料理を食わせる』のが一番効くなんて、思いもしなかったぜ」


 カーバンクルはストローで水を啜りながら、無言でコクリと頷いた。


 ショウはふと、何かを思い出したように視線を彼女に向けた。


「……なあ、カーバンクル」

「何?」

「あの料理さ、わざと失敗したんだよな?」


 カーバンクルの動きがピタリと止まった。

 ストローを持つ手が、わずかに空中で硬直する。


 一拍置いて。


「……そう」


 彼女は視線を逸らさずに即答した。


「わざと失敗した。カルロへの精神的ダメージを最大化するために、計算して不味く作った」

「だよな」


 ショウは頷いた。だがそのエメラルドグリーンの瞳は、疑いの色を帯びていた。


「つまり本気を出せば、もっと上手いってことだよな?」

「……うん」


 わずかな間。


「本当は、もっと上手」

「へえ」


 ショウはニヤリと笑い、義手を組んで身を乗り出した。


「じゃあさ、今度その腕前、披露してくれよ。俺、最近まともなモン食ってないんだよ。エナジーバーと合成ヌードルばっかりでさ」

「…………」


 沈黙。

 カーバンクルの視線が、不自然に宙を泳ぐ。


「どうした?」

「……無理」

「なんで?」

「忙しい」


 彼女は水を飲み干した。


「次の依頼があるから」

「まだ依頼来てねえだろ?」


 ショウは呆れたように肩をすくめた。


「フルコース作れとは言わねえよ。簡単なものでいい。野菜炒めとか」

「野菜炒めは、難しい」

「は?」


 ショウは片眉を跳ね上げた。


「難しい? 切って焼くだけだぞ?」

「火加減が重要」


 カーバンクルは真剣な顔で力説し始めた。

「野菜の種類によって熱伝導率が違う。投入順序と炒める時間を管理しないと、シャキシャキ感が失われる」

「……ま、まあ、理屈はそうかもしれないけどよ」


 ショウは疑わしげに彼女を見た。


「じゃあ、もっと簡単なのどうだ? 目玉焼きとか」

「目玉焼きはもっと難しい」

「いやなんでだよ! 俺でも作れるぞ!」

「黄身の膜張力と白身の凝固温度のバランス調整が困難。……それに、黄身を固くするのか半熟にするのか……それぞれ宗派が分かれる」

「宗派て」


 ショウは黙り込んだ。そして、じっとカーバンクルを見つめる。

 赤い瞳が、小さく揺れている。


「なあ、カーバンクル」

「何?」

「お前、もしかして――」

「言わないで」


 カーバンクルは素早く遮った。


「私は料理はうまい。ただちょっと時間がないだけ」

「時間ねぇ……」


 ショウは意地悪く笑った。


「じゃあ証拠を見せてくれよ。例えば過去のメシの写真とか」

「ない」

「ない?」

「料理は食べるもの。データとして残すものじゃない」


「じゃあ、食べた人の証言とか」

「誰にも作ったことない」

「ええ……」


 ショウは目を丸くした。


「お前、一回も作ったことないのに『上手い』って言い張ってんの?」

「……」


 カーバンクルは口を真一文字に結んだ。

 ショウは義手で顔を覆い、肩を震わせた。


「ああ、もう分かった。お前、料理下手だろ。いや、下手以前にやったことないんだろ」

「違う」


 カーバンクルは頑なに認めようとしなかった。


「頭のデータベースに全レシピが入ってる。手順も脳内シミュレーション済み。だから、出力すれば完璧なはず」

「『理論上は可能』ってやつか。一番信用できない言葉だぞ」


 ショウはため息をつき、そして吹き出した。


「くくっ……なんだよ、最強の始末屋の弱点が『料理』かよ」

「弱点じゃない」


 カーバンクルは立ち上がり、パーカーのフードを深く被った。


「ホテルに戻る。……今日のカフェ代、ショウ持ちね」

「はいはい、分かったよ」


 逃げるようにブースを出ていく背中を見送りながら、ショウは苦笑した。


 完璧な戦闘兵器。冷徹な復讐代行者。

 その人間臭い一面が、なんだかおかしかった。


「……ま、でもいつかは食ってみてえなぁ。カーバンクルの手料理」


 もちろん、生焼けのヤツや人肉はゴメンだが。

 ショウはコーヒーを飲み干し、席を立った。

料理は得意だそうです


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