【断罪】四肢切断
扉が開いた瞬間、漂ってきたのはラベンダーの香りと、錆びた鉄の臭いだった。
部屋は、狂人の博物館だった。
紫色の間接照明に照らされた壁には、精緻な解剖図が飾られている。
筋肉の繊維、露出した内臓、眼球の断面図。
その最奥。玉座のような巨大な椅子に、ドン・カルロは座っていた。
今夜の装いは、ショッキングピンクのイブニングドレス。胸元には孔雀の羽根飾り。
金髪のカールウィッグは完璧にセットされ、その下にある顔は白く塗りたくられている。
「……あら」
カルロは手にしたワイングラスを止め、ゆっくりと顔を上げた。
義眼の虹彩が、ギュルルと音を立てて絞られる。
「あらあらあら! なんて可愛らしいお客様!」
カルロは立ち上がった。
2メートル半の巨体がシャンデリアに届きそうだ。
ハイヒール型の義足が、大理石の床を穿つように鳴る。
「どうやって入ったのぉ? 迷子? ……ってそれはないわよね。外の見張りはぁ?」
カーバンクルは無言でカルロを見据えた。
距離、5メートル。
相手の筋肉量、推定100キロ超。全身の50%以上が違法サイバーウェアに置換されている。
「ドン・カルロ」
「なぁに?」
「あなたを始末しに来た」
カルロは一瞬きょとんとし……次の瞬間、部屋が震えるような笑い声を上げた。
「アハハハハハハッ!! 傑作ぅ!」
彼はグラスを床に叩きつけた。破片とワインが散乱する。
「ソーンちゃんの差し金かしらぁ? あの臆病者が、こんな可愛い子を寄越すなんて!」
カルロはドレスの裾を翻し、一歩踏み出した。
その動きは、巨体に似合わず滑らかだった。
「ねぇ、お嬢ちゃん。あなた、自分が何と対峙してるか分かってる?」
彼は自分の胸――防弾仕様の人工皮膚を爪で叩いた。カン、と硬質な音が響く。
「あたくしはね、セントラル区の中でも選ばれしトップの中のトップなのよ。人を殺して食べても許されるくらいにね……」
カルロは両手を広げ、恍惚の表情を浮かべた。
「あたくしはこの身に、数百人の魂を背負ってる。……たかが一人の殺し屋に、この重みが支えられると思って?」
「魂に重みなんてない」
カーバンクルは冷たく切り捨てた。
「あなたはただ、不適切なタンパク質を食べてるだけ」
「……生意気ねぇ」
カルロの笑みが消えた。
空気が重くなる。殺気が、物理的な圧力を伴って肌を刺す。
「でも、その目……気に入ったわぁ」
カルロは舌なめずりをした。長く、蛇のように分かれた舌。
「普通の人間じゃないわね? その体で、すごい貫禄を感じるもの……」
「…………」
カルロはカーバンクルの本質を、動物的な勘で見抜いていた。
「美味しそうだわぁ。可愛らしくて、柔らかそうで。……どんな味がするのかしら」
ズンッ。
カルロが床を蹴った。
巨弾のような突進。カーバンクルは瞬時にバックステップで回避する。
直後、彼女がいた場所の大理石が粉々に砕け散った。
「逃げないでぇ! 一口味見させてよぉ!」
カルロが腕を振るう。丸太のような腕が、風切り音を上げて迫る。
カーバンクルはそれを紙一重でかわし、懐に飛び込んだ。
「遅い」
ドンッ!
カーバンクルの掌底が、カルロの腹部に炸裂する。
だが――手応えが硬い。
衝撃吸収ゲルと積層装甲。生身の打撃では通らない。
「くすぐったいじゃないのぉ!」
カルロが笑いながら、カーバンクルを抱きすくめようとする。
捕まれば、背骨をへし折られる。
カーバンクルは即座に判断を切り替えた。
打撃が無効なら、関節だ。
彼女はカルロの腕を駆け上がり、肩口へと跳躍した。
空中で体を捻り、カルロの首に足を絡める。
「なッ!?」
フランケンシュタイナー。
遠心力と体重移動を利用し、巨体を強制的に地面へ叩きつける。
――ズガァァァン!!
部屋全体が揺れた。カルロの巨体が床にめり込む。
「ぐ、おっ……!?」
さすがのカルロも、脳が揺さぶられて動きが止まる。
その隙を、カーバンクルは見逃さない。
彼女は袖口から、ペン型のデバイスを取り出した。
高電圧スタン・ジャマー。
「おやすみ」
カルロの首筋――装甲の継ぎ目に、デバイスを突き立てる。
バチバチバチッ!!
青白いスパークが弾け、数万ボルトの電流がカルロの神経系を焼き切る。
「あががかががっ! ……ぎ、が……っ」
カルロは白目を剥き、痙攣した。
巨大な手が空を掴み、やがて力なく落ちる。
システムダウン。
カーバンクルは息一つ乱さず、倒れた巨体を見下ろした。
『……おいおい、マジかよ』
イヤーカフからショウの呆れた声が聞こえる。
『あの化け物、もう転がしたのか?』
「装甲が厚かった。少し手間取った」
彼女は事もなげに言い、カルロの足首を掴んだ。
「搬出ルートは?」
『地下の搬入用リフトを使え。……にしても、そんなデカブツ、運べるのか?』
「うーん……まぁ、とりあえず問題ないかな……」
カーバンクルは200キロを超える鋼鉄の巨体を、まるでゴミ袋のように引きずり始めた。
ズズズ……と絨毯が擦れる音がする。
廊下に出る。気絶した用心棒たちの横を通り過ぎる。
『リフトまであと100メートル。急げよ、警備システムが再起動しかけてる』
「了解」
404号室の始末屋は、獲物を引きずりながら闇へと消えていった。
これから始まるのは、本当の「食事会」だ。
■
――再起動。
意識の深淵からノイズ混じりの視界が浮上する。
システムログにエラーの文字列が流れている。
視覚センサーのキャリブレーションが完了し、ぼやけた世界が焦点を結んだ。
白い天井。無機質な蛍光灯。
どこかの医療ポッドの中だろうか?
「……くっ」
ドン・カルロは状況を整理しようとした。
(そうだ。あのガキよ! あのガキが、あたくしを気絶させたのね)
「……クソガキが」
カルロは唇を歪めた。音声出力ユニットは正常だ。
だが、屈辱で回路が焼き切れそうだ。
このセントラル区のエリートたるドン・カルロが、あんな子供に遅れを取るなんて。
「覚えてなさいよぉ……!」
復讐のシナリオが、高速演算で組み上がっていく。
まず部下を動員して捕まえる。指を一本ずつ折り、眼球をスプーンでくり抜く。
そして生きたまま脳を取り出し、培養液の中で永遠に痛覚信号だけを送り続けてやる。
「ウフフ……最高のフルコースにしてあげる」
カルロは嗜虐的な笑みを浮かべ、起き上がろうとした。
腕に力を込める。
――エラー。駆動系、応答なし。
「……あれ?」
動かない。
指先一つ、ピクリともしない。
システムエラーか? あのスタン攻撃で回路がショートしたのか?
「ちょっと……メンテナンスモード、起動」
音声コマンドを入力する。
だが、返ってきたのは冷酷なアラート音だけ。
『警告:四肢ユニット接続不良。デバイスが見つかりません』
「……は?」
カルロは首を巡らせた。
首のサーボモーターだけは生きているようだ。
視線を下に向ける。
そこにあったのは――絶望だった。
手足が、ない。
白いコンクリートの床に、ダルマのように転がる肉塊。
それが、今の自分だった。
「う……そ……」
ない。
自慢の剛腕が。ハイヒール型の特注義足が。
肩と股関節のジョイント部分から、綺麗に取り外されていた。
露出した接続端子からは、オイルと冷却液がポタポタと垂れている。
そして切断面は、太い工業用チェーンで床のアンカーに固定されていた。
「な、なによこれぇぇぇぇッ!!」
カルロは絶叫した。
ありえない。あってはならない。
(あたくしの美しいボディが! こんな! こんなッ!!)
「動け! 動けぇっ!!」
必死に神経信号を送る。だが、存在しない手足は何も掴めない。
芋虫のように、無様に身をよじることしかできない。
「いやぁぁぁ! 返して! あたくしの手! あたくしの脚ぃぃ!!」
叫び声が、殺風景な倉庫に虚しく反響する。
誰も助けに来ない。部下も、用心棒もいない。
ここにあるのは解体された元・支配者と、冷たい床だけ。
「誰か……! 誰か助けてぇ! ヒィィ〜ッ!!」
恐怖が思考回路を浸食していく。
今まで自分が他者にしてきたこと。手足を奪い、自由を奪い、食材として扱ってきたこと。
その因果が、今自分に牙を剥いている。
捕食者から被食者への転落。
その時。
倉庫の重い扉が開く音がした。
「ヒィッ!!」
ギィィィ……。
カルロは顔を上げた。涙で化粧が崩れ、顔面はピエロのように歪んでいる。
逆光の中に、小さなシルエットが立っていた。
白いパーカー。水色の髪。
そして、暗闇で赤く発光する義眼。
死神だ。
少女――カーバンクルは音もなく歩み寄ってきた。
その手には、カルロが見覚えのあるものが握られていた。
銀色の、ナイフとフォーク。
「ひっ……!」
カルロは息を呑んだ。
違う。殺されるだけじゃない。
あいつは、あたくしを――。
「た、助け……て……」
命乞いの言葉が、掠れて消える。
カーバンクルは何も答えない。
ただ、無機質な瞳で肉塊を見下ろしている。
それは、シェフが食材の鮮度を確認するような、冷徹な眼差しだった。
カルロの脊髄に根源的な恐怖が走った。
理解してしまった。
これから始まるのは、処刑ではない。
調理。捕食だ。
ド直球ネーミングを運営に怒られないといいんですが…




