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【依頼人】親不孝の晩餐

この作品で今さらって感じはするんですがかなりエグい描写があるのでご注意ください!

 イースト区、ブロック8。

 廃棄された地下貯水施設。


 ソーンは、腐った水とカビの臭いが充満する螺旋階段を降りていた。

 父が教えてくれた「古い知人の隠れ家」。

 足音が反響するたび、心臓が軋む。


「父さん……?」


 錆びついた鉄扉の前で呼びかける。返事はない。

 嫌な予感が、冷たい指で背筋を撫で上げた。

 ドアノブに手をかける。鍵は開いていた。


 ギィィィ……。


 扉が開く。

 その瞬間、鼻を突いたのはカビの臭いではなかった。

 芳醇な赤ワインと、香ばしく焼き上げられた肉の香り。


「え……?」


 そこは、別世界だった。

 コンクリート打ちっぱなしの空間に、真っ白なテーブルクロスが敷かれた長机。銀の燭台に灯るキャンドル。

 そして、テーブルの奥には――


「ボナペティ(召し上がれ)! ソーンちゃん!」


 ソーンの呼吸が止まった。


 ドン・カルロ。

 今日は全身を包むような漆黒の喪服ドレス。頭には黒いヴェール。

 だが、その唇だけが血を吸ったように赤く濡れていた。


「待ってたわよぉ。最高の晩餐会の始まりだもの」

「な、なんで……」

「なんで? おバカねぇ。お父様との通話、ぜぇんぶ筒抜けだったわよぉ?」


 カルロはシャンパングラスを揺らし、琥珀色の液体を喉に流し込んだ。


 ソーンは後ずさりした。逃げなければ。

 だが、遅かった。


「拘束する」

「あっ……やめろ! 離せ!!」


 天井の通気ダクトから二つの黒い影が落下し、ソーンの両腕を拘束した。

 あの「専門業者」たちだ。


「クソッ……父さんはどこだ! 母さんは!」

「どこって……」


 カルロは艶然と微笑み、テーブルの上の巨大な銀皿を指さした。


「そこにいるじゃない」


 ドーム状のカバーが外される。

 湯気と共に現れたのは、見事な焼き色のついた肉の塊。

 ローズマリーとガーリックが添えられ、肉汁が皿の縁で輝いている。


「……は……」

「こちら、お母様よ。お母様のステーキね」


 ソーンの思考が真っ白に弾けた。


「嘘、だ……嘘だっ!!」

「嘘じゃないわぁ。お父様と一緒に、仲良く調理してあげたもの」


 カルロはうっとりと肉を見つめた。


「感動的な光景だったわよぉ。お父様ったら、私がナイフを入れるたびに『妻だけは助けてくれ』って泣き叫んで。……その愛の深さ、素晴らしかったわぁ」

「殺す……! 殺してやるッ!!」

「あら、乱暴ねぇ。でも、メインイベントはここからよ」


 カルロはもう一つの皿のカバーを開けた。

 そこには、少し小さめの肉料理。


「こっちがサイドディッシュのお父様。でもね、ただのお肉じゃないの」


 彼はフォークで肉の断面を突いた。


「お父様の胃袋にはね――お母様のお肉がたぁっぷり詰まってるのよ」

「……あ……?」


 ソーンは嘔吐すらできなかった。胃の中の何もない液体が、腹の中で暴れている。


「無理やり食べさせたの。泣いて拒むお父様の口をこじ開けて、愛する奥様の肉を詰め込んで、飲み込ませたのよぉ〜!」


 カルロの声が、地下室に朗々と響き渡る。狂気のオペラのように。


「愛する人と一つになりたい。それは究極の愛でしょ? だから私が叶えてあげたのよ! 物理的に、完全に、一つにしてあげたの!」

「悪魔……お前は悪魔だ……!」

「ウフフ、褒め言葉として受け取っておくわ」


 カルロは椅子から立ち上がり、ハイヒールを鳴らしてソーンに近づいた。

 手にはナイフとフォーク、そして切り分けられた肉片。


「さあ、ソーンちゃん。次はあなたの番よ」

「嫌だ……!」

「親子水入らずの食事じゃない。食べなさい」


 黒服たちがソーンの顎を力任せにこじ開ける。顎関節が外れそうな激痛。

 口の中に、肉片が押し込まれる。


「んぐっ!?」

「噛んで。味わって。……お父さんとお母さんの味がするでしょう?」


 ソーンは必死に舌で押し出そうとした。

 だが、男の一人が鼻をつまみ、もう一人が喉をマッサージする。

 強制的な嚥下反射。


 ごくん。


 喉を通った。

 父と、母だったものが胃の中に落ちていく。


「おめでとう! これで家族全員、一緒ね!」


 カルロが拍手する。

 ソーンの目から、涙がとめどなく溢れ出した。


「ああ……あぁぁぁ……」


 言葉にならない呻き声。

 心が、音を立てて砕け散っていく。


「まだたくさんあるわよぉ。残さず食べてね。それが供養ってものよ」


 次の一切れが近づいてくる。

 香ばしい肉の匂い。かつて母だったもの。かつて父だったもの。


 ソーンの世界は闇に閉ざされた。

 聞こえるのは、悪魔の高笑いと、自分が肉を咀嚼する音だけだった。



 ……それから、どれほどの時間が過ぎたのか。

 ソーンの意識は混濁していた。


 カルロは彼を解放した。

 「また遊びましょうね」と笑顔で手を振り、壊れたおもちゃのように彼を路地裏へ捨てたのだ。


 ソーンは吐いた。胃の中のすべてを。

 だがそれはもう消化され、血液となり、細胞の一部になっていた。


 父の肉が、自分の心臓を動かしている。

 母の肉が、自分の脳に栄養を送っている。


 その事実が、彼から「食事」を奪った。

 あれから、何も食べられなくなったのだ。


(……きぶんが、悪い)


 水一滴すら喉を通らない。口に含めば、あの甘ったるい脂の味が蘇る。


 以来、ソーンはサウス区の廃ビルに身を隠し、ただ死を待った。


(……あ……?)


 その日、彼は幻覚を見た。


 父が笑っている。母が手招きしている。


 だが、近づくと彼らは肉塊に変わり、ソーンの口の中へとなだれ込んでくる。


 ――お前も同類だ。

 ――共犯者だ。


「――ああああああああああっ!!」


 ソーンは絶叫とともに跳ね起きた。

 そこには何もない。ただ荒涼としたコンクリートの部屋があるだけだった。


「……く、そ……」


 体重は15キロ以上落ち、鏡に映る姿は骸骨同然だった。


 だが、死ねなかった。

 ある夜、彼は立ち上がった。


 ……復讐、しなければ。


 あの怪物を生かしておけば、また誰かが同じ地獄を見る。

 ソーンはふらつく足で街へ出た。



 サウス区、ブロック23。

 ネオンの消えかけた安宿のカウンター。


「……空き部屋なんてねえよ」

「404号室を」


 ソーンの声は、枯れ木のようだった。

 フロントの老人は新聞から目を上げ、ソーンの骸骨のような顔をじっと見つめた。


「お前な……」

「404号室だ」

「……5000クレジットだ。前金でな」


 ソーンは最後の財産を振り込んだ。


「4階だ。行け」


 渡されたカードキーを握りしめ、ソーンは階段を登った。

 一段一段が、エベレストのようだった。

 息が切れ、視界が明滅する。


 404号室。

 ドアの前に立ち、カードキーを通す。

 電子音が鳴り、ロックが解除された。


「……ここ……が……?」


 中は薄暗かった。

 だが、そこには確かに「影」があった。


「……!」


 窓枠に腰掛け、月光を背負う少女。

 白いパーカー。水色の髪。そして、全てを見透かすような赤い瞳。

 動画で見たとおりだ。あの配信で。


 彼女はゆっくりと振り返った。


「……予約客?」


 感情のない声。

 ソーンは崩れ落ちるように椅子に座り込んだ。


「あぁ……そうだ……」


 少女――カーバンクルは、ソーンを観察した。

 同情の色はない。ただ、壊れた機械の損傷具合を確認するような眼差し。


「依頼内容は?」


 ソーンは渇いた唇を開いた。


「ドン・カルロ……セントラル区の食肉加工工場オーナーを……殺してくれ」


 カーバンクルは眉一つ動かさなかった。


「理由は?」

「あいつは……人間を食ってる。死体を加工して、富裕層に売り捌いてるんだ……!」

「――知ってる」


 彼女は淡々と答えた。


「え……」

「ネオ・アルカディアの公然の秘密。ヴァイスが作った法律のやつだね」

「それだけじゃない……! あいつは……生きた人間を殺して、楽しんでやがるんだよ!」


 ソーンは叫んだ。咳き込みながら、言葉を吐き出す。


「ゲホッ……俺は、あいつの下で働いてた。加工してたんだ、死体を……。でも、あいつがサウス区の家族を焼き殺そうとした時、俺は逆らった。逃がしたんだ!」

「それで?」

「報復された。両親を殺され……調理され……」


 ソーンは両手で顔を覆った。


「食わされたんだ。父と母の肉を」


 沈黙が落ちた。

 カーバンクルは静かにソーンを見つめていた。


「……あなたも死体を加工してたんだよね?」

「ッ……!」

「金のために。自分の生活のために。何百人もの人間を『肉』に変えた。……違う?」


 冷徹な指摘。

 ソーンは顔を上げられなかった。


「そ、そうだ……。俺も同罪だ……! だから……!」

「だから、何?」


 カーバンクルは椅子から降り、ソーンの目の前に立った。


「自分が許せないから、カルロを道連れにしたい? それとも、自分だけ被害者ぶって救われたい?」


 彼女の赤い瞳が、ソーンの心を抉る。


「違……う……」


 ソーンは首を振った。


「俺はどうなってもいい。地獄へ落ちてもいい。ただ……あいつだけは……あの悪魔だけは、生かしておいちゃいけないんだ……!」


 復讐心だけではない。

 それは、人間としての最後の尊厳をかけた願いだった。


 カーバンクルは数秒、沈黙した。

 そして――。


「わかった」


 彼女は短く告げた。


「依頼を受ける。ドン・カルロを始末する」


 ソーンは震える息を吐いた。


「ほ、本当に……?」

「うん。あなたの過去にかかわらず、カルロが悪である事実は変わらないから」


 彼女はポケットから栄養ゼリーのパックを取り出し、テーブルに放った。


「これ、食べて」

「……え?」

「死なれたら、復讐する意味がない」


 ソーンはパックを見つめた。

 合成フレーバーの安物。


「お、俺は……食べられない……」

「食べて」


 カーバンクルの声に、有無を言わせぬ圧力が混じる。


「復讐したいなら、生きて。自分の足で立って、自分の目で最期を見届けて」


 彼女は背を向け、ドアへ向かった。


「準備してくる。カルロの居場所とセキュリティは仲間が調べる。あなたはここで待機」

「ま、待ってくれ……俺も行く!」

「無理。今のあなたは足手まとい」


 バッサリと切り捨てる。


「食べて、寝て、体力を戻して。復讐は、私たちがやる」


 ドアが開く。


「……ただし、復讐がはじまる前に死んでたら、契約は破棄するから」


 冷たい言葉を残し、彼女は消えた。

 部屋に一人残されたソーンは、テーブルの上のゼリーを見つめた。

 震える手でそれを掴む。


「なんなん……だよ」


 食べなければ。

 復讐のために。

 両親の死を無駄にしないために。


「畜生が!!」


 彼はキャップを開け、中身を口に流し込んだ。

 人工的なブドウの味が広がる。

 脂の味はしない。血の味もしない。


「うっ……ぐっ……」


 嗚咽と共に飲み込む。

 胃が痙攣するが、必死に抑え込む。


(なんでこんな目に遭うんだ? 俺はどこで、何を間違えた?)


 ソーンは涙を流しながら、安っぽいゼリーを啜り続けた。

 窓の外では、ネオ・アルカディアの歪んだ夜が明けていく。


(……でも)


(生きてやる。ヤツが死ぬまでは!)

激励型のツンデレ

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