表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/179

【依頼人】命の価値

 西暦2080年。

 汚染大気から隔離されたドーム都市、ネオ・アルカディア。


 天蓋の巨大スクリーンが「夜」へ移行し、偽物の星空が冷たく明滅する。


 そんな都市の底、サウス区。

 ドローン配送便の低周波が唸る掃き溜めの一角に、安宿「ナイト・レスト・イン」は在る。


 剥がれかけた外壁は、「企業搾取反対」「市長に騙されるな」……反体制的な電子スプレーで極彩色に汚染されていた。


 ホテルの重い気密ドアが、気の抜けた排気音と共に開く。

 入ってきたのは、生ける屍のような男だった。


「…………」


 ミシマ・ジン、42歳。

 イースト区の巨大工場、「クロノス・インダストリー」の契約労働者。

 機械油と冷却液の饐えた匂いが、ナノファイバーの作業着に染み付いている。


 視界の端で、視神経インプラントのエラーログが赤く点滅していた。

 三日間、不眠不休。

 有機質の腕は痙攣し、安物の義脚は油切れの悲鳴を上げている。


「……空き、は」


 乾いた声が喉を削る。

 フロントの男が、古びたコンソールから視線を上げた。

 その眼窩には、光沢のない義眼が嵌まっている。


「一泊か?」

「404号室だ」


 男の義眼が、カチリと絞られた。

 レンズの奥で、ジンの顔をスキャンする光が走る。


 404号室。

 裏社会のダークウェブでのみ囁かれる、システム上の欠番を意味するホテルの部屋。


「……404だと?」

「それ以外は、いらない」


 ジンの濁った瞳には、残り火のような執念だけが宿っていた。


 沈黙の後、カウンターの下から一枚の磁気カードが滑り出てくる。

 時代錯誤な物理キー。そこには確かに『404』と刻印されていた。


「クレジット先払いだ。端末にIDを」


 震える指での認証。決して安くない金額が口座から消失する。

 ジンはカードキーをひったくるように握りしめ、奥へと足を向けた。



 404号室は、殺風景な部屋だった。

 鼻をつくオゾン臭。壁面の端末は砂嵐のようなノイズを垂れ流している。


 ジンは糸が切れたようにベッドへ崩れ落ちた。

 明滅する天井照明を見上げ、ひび割れた唇が動く。


「すまない……ミク……パパは、無力だ……」


 汚れた枕に涙が吸われていく。

 この三日間、彼は法の光を求めた。

 だが、巨大企業の影はあまりに濃かった。


(誰から聞いた、都市伝説だったか。「404号室の怪物」……)


 404号室を予約すれば、「復讐屋」が現れる。


 法で裁けぬ悪を、デジタルとフィジカルの両面から消去する掃除屋。


 藁にもすがる思いだった。

 馬鹿げた与太話に、全財産を賭けるほどに。


 ――バチリ、と照明がショートした。


「……停電か?」


 非常用電源の赤い光が室内を赤く染め、不気味な静寂が落ちる。

 空調の音も、外のドローンの音も消えていた。


「な……?」


 空気が変わった。

 密度が、温度が違う。

 部屋の隅、赤い闇の中に“それ”は立っていた。


「……誰だ」


 影が動く。

 非常灯の赤を乱反射する、水色のショートヘア。


 現れたのは、13歳ほどの子供だった。

 性別すら曖昧な、作り物めいた美しさ。


「私は、カーバンクル」


 感情の一切ない声。精巧なアンドロイドを思わせる無機質さ。

 だが何より異質なのは、その瞳だ。


 暗闇で燐光を放つ深紅の義眼。

 瞳孔の奥で幾何学模様が高速で明滅し、何かを演算し続けている。


「私を呼んだでしょ?」

「……っ。ま、まさか……本物、なのか。404号室の始末屋……!?」


 ジンは身を固くした。

 赤い義眼が自分を解剖するようにスキャンしていく。


「依頼を言って。……誰を殺したいの?」


 システム音声のような問いかけ。


 都市伝説は、現実だった。


 カーバンクルと名乗った少女は、音もなく椅子に腰を下ろす。


「三日前……俺の娘が。ミクが、殺されたんだ」


 ジンは生身の拳を、血が滲むほど握りしめた。



 ――三日前、午後3時42分。

 イースト・サウス境界大通り。


『赤ダカラ、止まってネ』

「はーいっ」


 教育ドローンの警告に従い、歩道で足を止めた子供たち。

 その中に、8歳のミク・ミシマがいた。大きな瞳の、愛らしい少女。


 その時。

 空気を引き裂く轟音と共に、真紅の高級エアカーが突進してきた。

 最新の光学迷彩を纏ったボディが、猛スピードで地上路へ突っ込んでくる。


「フーッ……くそ、飲みすぎたな……」


 コックピットには、酒とドラッグで酩酊した若い男。


 リチャード・ハミルトン、28歳。

 体内ナノマシンの分解速度を超えるアルコール濃度。

 警告アラートを無視し、彼は苛立ちまかせに操縦桿を叩いた。


「クソが。会議に遅れたら、また親父の説教だ……!」


 歩行者信号が青に変わる。

 ミクが一歩踏み出した瞬間、リチャードは加速ブーストを起動した。


『危険! 危――』

「え?」


 ――ドンッッ!!


「ぎゃっ――!!」


 ドローンの警告音は、金属の衝突音にかき消された。

 エアカーの機首が、ミクの小さな体を真正面から弾き飛ばす。


 首筋の学習用チップが火花を散らして砕け、彼女はゴミのようにアスファルトへ叩きつけられた。


「あぁ〜……?」


 リチャードの視界に、無機質なログが流れる。

 【TARGET LOST: ORGANIC】――生体反応ロスト。


「チッ……! ボディに傷がついただろ、クソガキ!」


 彼は舌打ち一つ残し、アクセルを踏み込んだ。

 動かなくなった少女を一瞥すらせず、機体はセントラル区へ消えていった。



「ミクは……即死だった」

「……」

「監視カメラに、奴の顔もナンバーも残っていた。なのに!」


 ジンはそのときのことを鮮明に思い出し、カーバンクルに語っていた。

 ――事故から6時間後、サウス区分署。


「被疑者は特定済みです。リチャード・ハミルトン」

「なら早く逮捕しろ!」

「……相手はハミルトン・コーポレーションCEOの息子です」


 刑事は疲弊した顔で、視線を逸らした。

 この都市のインフラ、警察システムすら支配する巨大複合企業。その御曹司。


「捜査AIのデータベースに、アクセス制限がかけられました。我々には手出しできません」

「人殺しだぞ! 見逃すと言うのか!」

「……申し訳ない」


 ――同日夜。セントラル区、会員制バー「プラチナ・スカイ」。


 眼下に広がる夜景を眺めながら、リチャードは希少な天然酒を煽っていた。


「いやー、焦ったぜ。まさかオーガニックのガキにぶつかるとはな」

「大丈夫なのか? 死んだんだろ?」

「親父が揉み消したさ。どうせサウスの貧民だ、慰謝料代わりに型落ちの義体でも送っとけば黙る」


 リチャードは嘲笑う。


「ぶつかった瞬間、対物センサーが『未知の有機的障害物』って出しやがった。ボールかと思ったら、ガキが部品みたいに吹っ飛んでてさ」


 悪びれもせず、彼は次の酒を注文した。


「でも、死んでるんだろ? まずいんじゃないか?」

「はっ、一匹減っただけだろ。むしろ都市のリソース浄化に貢献してやったんだ。あんな不良品の遺伝子、野放しにしとく方が社会にとっての損失だろ」


 リチャードは肩をすくめて笑った。周囲は彼の権力を恐れ、誰も反論しなかった。



「奴は今も、何食わぬ顔でセントラル区で生きている!」


 ジンの咆哮が部屋に響く。

 窓の向こう、遠く輝く摩天楼を睨みつける。

 金と権力があれば、命の重ささえ書き換えられる世界。


「……ターゲットを確認した」


 カーバンクルが、揺らぎのない声で言った。

 彼女は静かに立ち上がる。


「リチャード・ハミルトン。ハミルトン・コーポレーション、CEO嫡男」

「……あぁ、そうだ」

「契約成立。――それじゃ、行ってくる」


 彼女の赤い義眼が、一点に収束した。

 まるで散歩にでも行くような気軽さで、少女は踵を返す。


「え、お、おい!?」


 制止する間もなく、彼女はドアの向こうへ消えた。

 残されたのは、端末に表示された決済完了の通知だけ。


 ジンは呆然と立ち尽くした。

 現実感が急速に希薄になる。


 ……あれは本当に「始末屋」だったのか?


 あるいは絶望した人間を食い物にする、ただの詐欺だったのか。


(……クソ……)


 ジンはベッドへ倒れ込むように戻った。


 騙されたのなら、それでもいい。

 せめて今夜だけは、あの男が地獄へ落ちる夢を見させてくれるなら。


 彼は目を閉じた。

 小さな暗殺者が灯した、最後の、そして唯一の希望に縋りながら。

権力を傘に人を殺すクズ。果たして制裁は果たされるのか……?

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ