第7話 ニュータウン
幸助は亜子さん別れた後、また幼いころの孝道のことを思い出していた。
ある日孝道は幸助の頭を殴って突き飛ばした。幸助は転げて柱に頭をぶつけ、大きな瘤ができた。母は駆け寄って何をやっているのと孝道に言ったが、孝道は当然のようなことだと言いたげだった。そして母はそれ以上孝道を咎めなかった。幸助はそれが気にくわなかった。
「こいつはヤクザになる、将来ヤクザになるに決まっている」
幸助が初めて孝道のことを言ったのだった。それだけ言って、孝道も母も何を言っているのかという顔をしていた。
幸助はその日、祖母とここまで来たのだった。駅の名前なんてどうだっていいじゃないかと思いながら、苦しい思いをぐっと唾をのむようにこらえながら、幼い彼はレンガ畳のユリの木の並木道を歩いていた。母と孝道は先に新しい家へと向かった。彼と祖母は遅れてくるようにして、幸助と孝道の間に諍いを起こさないようにとしていた。
このころはまだ、この丘陵地帯に作られたニュータウンは寒々していて、空気も緑の匂いがしていた。やがて、あののっぺらとした丘に家が建ち、大通りは整備され、車が多く行きかうのだが、それまでには十五年は月日を要した。
改札を抜けて、まっすぐユリの木の並木道を行くとロータリーが在って、そこにはすでにバスがいた。祖母は幸助に〝行くよ〟と言いながら、走り出していて、彼の腕は大きく引っ張られた。彼は痛かったけれども、すぐに駆け足になって、祖母の走りを追いかけた。
蓮好寺というバス停で降りて、祖母はなおも幸助の手を引いて歩いていた。
「新しい家はあそこ」
祖母は灰色の黒い屋根の家を指した。バス停からは五分たらずでその家についた。その家は新しい木の匂いと、土の匂い、そこに芽吹く花の匂い、そんなものを感じられた。その家の在る通りには、何軒も家はなかった。まだ空き地がそこいらじゅうたくさんあって、草がボウボウ生えていた。
よく覚えていないがこの日も幸助は風邪をひいていた。彼は幼いころ病弱で、風邪でなくても常に鼻炎を起こして鼻が詰まり、いつも頭はぼうっとしていた。少し油断すれば、その鼻炎から熱が出たり咽喉を壊したりして、すぐに風邪を引いた。引っ越してくる前までは、保育園に通っていた。しかしその病弱さゆえに保育園はちょくちょく休んで、祖母の家に預けられたり、母に連れられて病院に行ったりした。そのため彼の幼少は友だちのいない独りぼっちの時だった。
そしてその日も彼はぼうっとしていて、結局、左官がまだ塗ったばかりの玄関の前のセメントの段に足を落としてしまった。そのことで父が不機嫌になった。彼はいつもそうだった。いつもそうした病弱さゆえに家族の足を引っ張るようなことをして、父を怒らせた。しかし父がそんなことでどうして怒ってしまうのか幸助には分からなった。彼には理解できない厳しさが父にはあった。
「すみません。うちの馬鹿が、足を下ろしてしまったみたいなので。塗りなおして頂けないでしょうか?」
左官屋は快く「はいよ」といてセメントを塗りなおした。
幸助は均されていく三和土の平場の面を見ながら、幼いながら自分がなぜここに来たのだろうと思わざるを得なった。