第49話 終末
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いつものように祖母に夕食をとらせていた。祖母の手が止まった。祖母はテーブルの上に置いてある電子ポットのところを見て箸で空を何度も掴みだした。
「何? どうしたの?」
祖母の顔を見ると幸助は何だか恐ろしいような鬼の顔を見た気がした。右の眼だけがつり上がっていた。いや、そう言うふうに見えたのは左半分の顔が硬直して垂れさがっているからであった。その顔、左半分、眉が下がり、瞼も落ち、頬も垂れ下がり、口がほんの少しばかり開いていて、右の顔だけはしっかりとこちらを見ているのにもかかわらず、左の顔だけは硬直し狂気に満ちている。
祖母はそれからじっと黙ってポットをしばらく見ていたが、やがてポットを指さして言った。
「そこに猿がいるのよ」
「何?」
「猿よ」
不図、幸助は医者の話していたことを思い出した。
「抗ヒスタミン剤は徐々に効かなくなりますから――」
――効かなくなりますから、どうなるのかという説明はないのだ。
然しこれがその兆候、ようは脳の炎症が抑えられなくなっているようで、病状と言うか、死に向かう第一段階目と言うことなのだろう。
それから翌日の晩、祖母が風呂からあがり、幸助は紙オムツをいつもの様に着せた。祖母はその紙オムツを背を丸めてじっと見つめていた。時折ゴムのところを引っ張っては離して、パチリとそののう胞で膨れ上がった腹に打ち付けた。更に太ももを手指でつまんでビロビロ延ばして苛々している様だった。幸助は気にせず上半身の洗い水を拭いていたが、祖母は急にこう言いだした。
「アンタ、アンタ!」
「何?」
「ちょっと、おトイレに行くわよ!」
「さっきお風呂に入る前に行ったばかりでしょう? また行きたいの?」
祖母は幸助の言うことには耳を貸さないで続けた。
「アンタ! 身体にね。鯛と鮭がへばりついてとれないのよ!」
「鯛と鮭?」
「取ろうとしても取れないのよ。早く取っちゃって冷蔵庫に入れないと腐っちゃうわよ」
幸助は本当に訳が分からないので急いで服を着せて、
「鯛と鮭は食べちゃったからないよ」と言って寝かしてしまった。
翌朝、祖母は布団でちゃんと寝ていた。幸助は安心して、自分の朝食にしようと冷蔵庫を開けると、そこには紙オムツが綺麗に畳まれて入っていた。
幸助が朝食を終えたころ伯母はやってきた。いくつか食事をもってきて、朝食を作るようだ。父から祖母の世話の代金は支払われていることだろう。幸助はそのことには気にせず、今朝の出来事を伯母に話した。
「——鯛と鮭だって?」
「そう、鯛と鮭」
「オムツが鯛で?」
「太ももが鮭でしょう。そう見えたんだよ、きっと。」
「それで冷蔵庫にオムツがあったの?」
「そう」
「はっははは――。笑っちゃうわね、それは」
伯母はその話を笑い飛ばしていたが、ここまで来ると祖母はもう戻らないんだという考えが強くなっていた。




