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けむりの家  作者: 三毛猫
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第47話 狭心症

 戦前からある街並みを歩きながら、車1台も通れるかわからない路地を喪服姿のふたりがあるくなりは滑稽だったかもしれない。普通に考えれば、バスかタクシーを使っていくような距離に教会はあるが、人目を憚ってか、ふたりとも徒歩を選んだわけである。

「母親の大学時代の研究テーマ、秩父事件だってな」

「ああ、思い出せば暗え女だったよ」

「今日いるんだろ?」

「知らねえ、顔合わせたかねえからな、考えたくもないね」

「何で結婚したんだよ」

「今更そんなこと分からないな」

 幸助から見る父はやはり粗暴であると思わざるを得ない。時にそれに呆れさせられる。突き詰めれば無秩序無哲学な人のような気もするのである。

 少し急な坂を100mも歩くと、左手に砂利で舗装された駐車場が見える。低いブロック塀の上に格子の柵を立てた囲いで覆われているが、だだっ広くてこの場所だけは景色が開放的に感じる。この駐車場の角の十字路を右に折れてまっすぐ行くと中山道にぶつかるが、大通りにぶつかる手前の路地を今度は左に折れると母方の爺さんの家がある。幸助はそのことをお思い出しながら、やはりこの懐かしい道のりも今の自分の中にあるものだと実感して、幼いころの夏休みをこの土地で過ごしたことを思い出さずにはいられなかった。

「ところで子供はどうしてるんだろうね」

「知らねえ、でもあそこの姉貴はもう結婚してるんだろう?」

 父の言うことに、幸助はなるほどと思った。小母の家には幸助より7歳上の従姉がいた。管楽をやっていて、親不孝な姉だという話しか幸助は知らないが、家出をよくしていて、結婚も親の許しもなくいつの間にかしていたというのであるから、本当にひどいひとなのだろうと幸助は思っていた。

「息子はまだ中学入ったばかりじゃなかったかな」

「問題ねえだろ」

 確かに中学生まで行って、姉もいれば、当面はどうにかなるような気もする。幸助は漠然とそう感じたが、父はどこか含み笑いをもってその話をしているようだ。そしてこの時幸助は少し忘れかけていたことを思い出した。小父さんは教員だった。母親の姉とは職場結婚だったと言うことを——。

「けれどな、あそこの小母さんもおかしいからな」

「小母さんも教員だったんでしょう? 国語の――、何がおかしいって?」

「それは爺さんの町庁時代のコネで教員になれただけだよ。教員っていうのは割とそういうのが多いんだよ」

「へえ」

 そこまで話を進めると、ふたりは中山道の大通りへ出た。母方の実家からはここから離れて行って、M教会までは横断歩道を渡って中山道沿いに信号をふたつ行ったところである。大通りに出ると、家並みよりもいくつかの商業施設や企業のビルが目につくようになる。教会の方を見るとひとつのデジャヴを感じさせる。高過ぎる4,5本の杉の木が風に引っ張られるように揺れているのである。父親は相も変わらず小母の家の話を続ける。

「それで結婚してから直ぐに教員辞めたはいいけどな。うちの母親みたいに家庭ではうまく出来なかったみたいだってな。」

「ああ、娘さんと喧嘩ばかりしてたらしいね」

「いや、そうじゃなくて、知らねえのか。あそこの小母さん、何度も自殺未遂起こしてるって言う話」

 幸助はこの話に気分を悪くしたのはどうしてかわからなった。タールのような廃油のような黒々とした粘っこい塊を飲み込んだようなイメージが頭をよぎって離れなかった。その黒々とした塊は胸部のあたりで溶け込んだように広がって胸骨あたりを締め付けるような痛みに替えるのだ。苦し紛れに唾を飲み込んで、幸助は父の話にどうにか相槌を打つ。

「それははじめて聞いた」

「それをあそこの姉貴は気付いていて、上手くいかなかったらしいな。訳はそれ以上知らないけどな。それで、小父さんが居なかったらあそこの小母さん、とうに死んでいたかも知れないんだってよ」

「どういうこと?」

「あそこの小母さんは夢遊病でな、時々姿を消すんだって言うんだ。それで小父さんとか娘さんは探しまわったりするらしいんだけど、それが死にたくていなくなるらしくてな、見つけ出すと結局死にきれないっていう話になるんだとか」

「へえ――、小母さん、狭心症で薬を飲んでいたのは知ってたけど」

 けれども幸助は何故かその話を簡単に聞き流していた。彼には父がその話を面白がっている様にも見えたのでそれ以上を聞きたくなかったのだった。それに――、今から葬式と言うことで、そちらの事の方を気にかけていたと言う事もあったかも知れない。然し、よくよく考えれば小母のその夢遊病は怖い話だった。

 幸助は(うつむ)きながら喪服姿で縁石の上を愉快に歩いた。子供じみた姿だった。けれどもそれでもどんよりと落ちてきそうな煙のような空を見ているよりはずっとマシだった。


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