第30話 入院
「祖母さん。病院は楽しいかい?」
「つまらないわ」
父は医者と話していたので幸助は祖母と向き合っていた。変な冗談は通じるだろうかと幸助は思ったが、祖母の様態からするとそれどころでもなかったようである。
祖母の部屋は外光だけの照明でどことなく薄暗かった。というのも今度の震災で病院内は所々で停電していたためで、院内の発電機で医療機材だけは動いているようだった。もともと病棟は気味の悪い所だが、灯りがなければ更に気味が悪いものだ。老人たちが廊下の手摺に捕まりながらゆっくりと歩いて行ったり、医者がせわしなく廊下を駆けて行ったりするのだが、祖母のいる病室は大人しいものだった。向かいのベッドでは呼吸器をつけた老人がじっとこちらを見つめている。ずっと苦しそうにしていて息が詰まりそうで仕方がないのだが、そうした雰囲気がどことなしに幸助をイライラさせている。そのイライラする心持がこの場所の不気味さを少し忘れさせていた。
機械の音と、薬品の変なにおいと、食事やら排泄物の匂いが少しずつ入り混じっている中に身を置かなければいけない陰気な気持ちを抑えつつ、幸助は見舞い人がこうあるべきことをそのままひとつの義務のように感じて話し始めた。
「調子は?」
「まあまあだわね」
祖母はベッドに深く沈み込むようにして寝ていた。具合はまだ悪いのか目を細めたまま、いつもの笑顔話失われていた。そして幸助はこうして改めて祖母と向き合うと、これといって話ことも何もないようだった。普通であればもっといたわりの言葉なんかを言えばいいのかもしれないが、この時の彼にそれだけの料簡を理解できる器が備わっていなかった。
彼は祖母を目の前にすると、祖母がいちばん気にかけていることを話すほかないように思えてくるのである。
「今度、孝道の所に行くよ」
「あら、孝ちゃん元気?」
やはり昔から変わらず、祖母は孝道のことが気にかかるようだった。孝道の話をすると、細めていた眼を見開いて身体を乗り出すように起き上がった。
「分からない。分からないけど、親父のところに連絡があったんだって」
「そう――」
祖母はそういってまた力が抜けていくようにベッドへ横たえた。
幸助は自分が思っているよりもずっと狼狽していただろう。祖母のこうした態度が、彼の陰気な気分をどことなく罰しているように感じる。何かしらの罪悪感からくるものなのだろうか、彼にも判別つかないまま、話を続けなければならない焦燥感が彼をどもらせたが、祖母の表情を見て少しばかり気を落ち着かせると、話を続けることにした。
「母親ともめたらしいよ」
「いやねえ」
祖母は病院のベッドに横たわったまま虚ろそうに天井を見ていた。そしてそのまま話し続けた。
「お母さんは、――それで、どうしてるの?」
「さあ?」
それは本当に幸助にもわからないことだった。母親は家を出て行った後も家の近所にいたが、そのうち孝道を連れ出して実家へ戻っていった。けれどもそのあと母親がどんな仕事をして、どんな生活を送っているかは幸助に皆目知る由もなかった。
「孝ちゃん、まだ馬やってるのかしら?」
「らしいよ」
幸助は嫌悪するようにそう言った。祖母は取り留めもなく気になることを思うがままに発してるという感じであった。
「早く家に帰りたいわ」
祖母は彼の言い方を汲んだのか、話を逸らした。




