第3話 兄
I市とT市を横断するO川の河口から続く小高い丘の尾根に沿って25年前から住宅開発が進んだ。今は緑地を所どころに残した閑静な住宅街である。尾根を縦走するように通る街道とO川の間にはいくつもの住宅地が建設され、尾根の街道と並行に鉄道が敷かれ、今やここは国内最大規模のベッドタウンとして人気が高い。バブルが崩壊した直後から住宅が多く並ぶようになり、多くの人がこの街に移住してきた。ほとんど同じ時期に人が集まったためか、この場所に根付くものなどはほとんどお構いなしに、寄せ集められた人たちが一挙にこの地域で生活を始めた。
幸助はまだその丘陵地帯が禿山だった彼のいる土地に立った日の、祖母の顔を思い出していた。バブルが崩壊して頓挫した宅地の造成が、この地域の多くの空き地をすすき野原にした。遠い山の景気を遮るものもほとんどないこの土地に、優しい訳でもないが温和な顔で、彼はそんな祖母に手をひかれて、ここに来ることができた。
「幸ちゃんはどうして言えないのかしらね」
祖母は電車に乗るたびに、駅の名前を順番に言えるかしらと彼に尋ねた。幸助はいくつかは答えられたが、全部はわからなかった。
「孝ちゃんは幸ちゃんの歳でも言えたのよ?」
幸助には孝道と言う兄がいた。幼いころの彼はいつも孝道と比較されて育った。
家族はいつも幸助に言うのだ。――孝道は、――孝道は。そしてそれに比べて幸助はと言われるのが常だった。両親も祖母と同じように、孝道が自慢だった。しかしどうして家族は孝道と幸助を比較するのか、彼にはわからなかった。そして彼はもの心ついたときから孝道が嫌いだった。嫉妬心、もあるかも知れないが、その他にも嫌いな理由があった。
「お前は馬鹿なんだよ」
それだけ言って孝道は幼い幸助を殴った。
あの日、公園から帰って、洗面所で口を洗ってから六畳の一間で、学校から帰ってきたばかりの孝道から突然羽交い絞めにされ、顔や頭を何度も殴られた。体の具合が悪い幸助は隣りの部屋の台所にいる母親の助けを呼べるほどの声が出なかった。
幸助と孝道が生まれたのは都内にある団地群だった。大勢の都民を収容するための団地群は、数年後は自殺の名所になった。そのために20年もすれば団地のベランダや通路の柵は、天井まで延ばされて、外観からはこの団地群はたくさんの檻のような様相を呈した。あの禿山の丘陵地帯の家に引っ越す前、A川沿いにそびえるその団地群の一郭に彼の家族は住んでいた。それから、幸助が砂を食わされた公園をはさんで向かいの棟には祖父母が住んでいた。2LDKのその決められた規格の家は幸助たち家族が暮らすには狭すぎた。幸助と孝道がこの同じ家にいるのには狭すぎるのだ。そのためかはわからないが、孝道は幼い頃の彼を度々訳もなく殴った。母親はそれを止めるだけで、喧嘩の訳も聞かずにふたりを放るだけだった。孝道は幸助のことを嫌っていたから暴力をふるっていた。けれども孝道は彼に、その訳を聞かせてはくれなかった。だから幸助も、孝道を嫌うことしかできなかった。孝道は幸助の何を嫌っていたのだろうか。孝道の鬼畜のようなその暴力は、母親がとめるまで延々続くのだ。いつも孝道は母親のいないところで彼に暴力をふるった。母親が見ていなければ、孝道のやりたい放題だった。幸助のこの時の力では、孝道には抵抗できなかった。彼はまだ4の歳で、孝道は8歳だった。そしてその日、孝道は幸助の頭を殴って突き飛ばした。幸助は転げて柱に頭をぶつけ、大きな瘤ができた。母親は柱に頭をぶつけた大きな鈍い音を聞いて駆け寄って何をやっているのと孝道に言った。けれども孝道は当然のようなことだと言いたげだった。そして母親はそれ以上孝道を咎めなかった。幸助はそれが気にくわなかった。
「こいつはヤクザになる、将来ヤクザになるに決まっている」
幸助はこの時初めて孝道のことを言った。それだけ言って、孝道も母親も何を言っているのかという顔をしていた。しかしそれはあるひとつの予感を示す言葉にもなった。記憶の最初はそこからだった。




