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けむりの家  作者: 三毛猫
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第28話 不調

 どうしたわけかその日、幸助たちは、久しぶりに祖母の美味い料理を食った。だがそれよりも祖母があんまり張り切り過ぎていて、何だかいつもよりも無理をしているようにも幸助には見えた。

 幸助は食事を終えると、テレビに釘付けになっている父に寄って話した。

「職場に電話した方がいいんじゃないの?」

 父は気のない返事をしたが、電話をするのに何かを思いついたようで、携帯電話を片手にこう言いだした。

「明日アイツのところに行くぞ」

 アイツとは孝道のことだろうとすぐに分かった。父はそう言うとそのまま携帯電話を開いて番号を打った。

 家を出た孝道の行き先は、母親がどういうわけか知らせてきた。母親はこの家から孝道を誘拐でもするかのように自分の許へ連れ出したのである。そこに何か先を見越した感慨があったわけでもないのに――。

 幸助は大学の春休みの余暇を存分に味わっていた。ソファにゆったりと座って、少しずつ緑の吹き出してきた庭を眺めながら、灰色に汚れた自身のこころをどうにか落ち着かせて、この家をこれからまた建て直していこうと思っているところであった。


 祖母はキッチンで皿洗いをしていた。幸助はその光景を見ながら、途中で手を止めてこちらに寄ってくる祖母を不思議な気持ちで見ていた。

「アンタ、ちょっと」

 祖母はまたあの笑顔で話しかけてきた。

「――私、調子が悪いわ」

 この時、幸助も父も何も感じることはなかった。いつもと同じように祖母がいて、少し疲れているだけなのではないだろうかと思ったのである。ただひとつ、幸助が違和感を覚えたとすれば、父の前で昔のように振舞おうとする虚栄心のようなものが、どこか最近の祖母と違うリズムを刻んでいるようだということであった。

 そして父は携帯電話に向かって、職場の部下に話をしているようであった。緊急事態の時は父も職場に向わなければならない。今度の震災のいきさつがどう動いていくのかを見測りながら、祖母の言う不調に関しては構っていられないといった感じであった。

「おい、幸助。祖母(ばあ)さん看とけ」

 携帯電話にむかって手が離せない父は、その小さな異変には気が付かなかった。しかしこの時のそれは、幸助がいつも祖母の面倒を見ているから気がついたことなのかも知れない。けれど幸助は、こういうふうに言っている祖母の言葉に、取り合おうとしない父に嫌悪感を抱いた。父はいつも仕事という子供には理解のしようのない事柄が背後にちらついて、それをもって近づきがたい風采を放っていた。父は津波で仕事に影響がないだろうかと電話をしながらテレビに釘付けになっている。火を噴いている街やら、流れ込む波に車が流されて行くところ、平野の端を黒々とうごめく海の水の塊が大きく広がって襲ってくる津波の情景、そんな映像が繰り返し流されていた。

「避難指示? ああ避難指示出した――」

 父は携帯電話越しの相手に少し強い口調で話している。

 幸助は父のそんな様子を見ながら、何かしら言ってやりたい気がした。不調を訴える祖母の話を聞きながら、あんまり父に何かを言うことも時間の無駄なことだということを知っていた。

 祖母はこの頃、むかし以上に不自由なっていたと幸助も思っていた。祖母は便所に行きたいと二、三度繰り返したので、扉の段差に躓かないように腕をもって後ろから押していくように廊下を歩かせた。

 祖母は息を切らせながらトイレの前の壁に手をついて、動けなくなってしまった。幸助が大丈夫なのかと尋ねると、それを返す余裕もないほどで、額から茶色い油汗を吹いているようだった。

 仕方なしに幸助は時々手伝う着替えの時と同様に、便所の前で祖母のスラックスを下着とともに下した。

「祖母さん、臭いよ」

「嫌ねえ」

 祖母はあからさまに言う幸助の言葉が恥ずかしかったようだ。壁に手をついたまま動けないのはそうだが、祖母はまたあの笑顔を浮かべている。そう笑いながらも苦しそうなその表情は全く変わらなかった。壁についた腕は痙攣し始めて、いつ祖母が倒れてし舞うだろうかと幸助は思った。そして祖母の脱いだ下着は、もうすでに生暖かく汚れているのであった。

「下痢だよ。下痢――」

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